…き……きて
遠くから声が聞こえる。
誰?誰かが何かを言っているのが伝わってくる。
真っ白な空間の中で私は一人静かに佇んでいた。
声のする方向へと足を動かす。
声は次第に大きくなってきて私の目の前は突如として強い光に包まれた。
景色が次第にクリアになっていく。
「…様、花嫁様、聞こえますか?」
「ん…ここ…は?」
目を開けてれば最初に視界に捕らえたのは星が輝く夜の空。
加えて誰かが仕切りに私を揺さぶっているのが感じられた。
「気がついたのですね!良かった!先程から何度もお声をかけたのですが。一向に目を覚ます気配がありませんでしたので心配しました」
「え、あ、貴方誰⁈」
近藤さんとお別れした後、鬼門の門を潜り抜けて。
それから…あれ?
その後のことを全く覚えていない。
気づいたらこの場所に倒れていた。
ならば今、私の目の前にいるこの人は一体誰?
「あら、私ったらつい!申し遅れましたが私、鬼頭家にお使いする者でお(こう)と申します。この度は現世からの長旅ご苦労様でした」
お香さんはニコリと微笑むと私を見つめる。
そうだ。
私は一華さんの代わりに隠世へ嫁入りしたんだった。
「…あの、ここって隠世ですか?」
「はい。先程、我が鬼族が所有する鬼門の地から花嫁様がご到着されるとの知らせを頂きましたので。今回は諸事情により、急遽私がお迎えにあがった次第です」
お香さんは鬼頭家に仕える使用人で私を迎えに来てくれたらしい。
よく見れば頭には小さな二つの角を生やしている。
何だか漂わせている雰囲気も人とはどこか違う。
「(…これが妖、、、)」
初めて見たその存在に若干の慄きが募る。
「花嫁様にお会いできて光栄です。よろしくお願いしますね」
「こ、こちらこそ宜しくお願い致します」
少し警戒しつつ失礼のないように丁寧に挨拶をする。
するとお香さんは心底驚いた表情で私を見つめた。
「あの…何か?」
「は!申し訳ありません。そのようにして人間の方にお礼を言われたのは生まれて初めてのことでしたので」
そう言いブツブツと何かを呟き始めたお香さん。
私は不思議に思いながらも注意深く辺りを見渡す。
今は夜。
鬼門の地に到着した時は昼間だったのに。
どうやら現世と隠世とでは昼夜逆転の世界が形成されているようだ。
「では花嫁様!早速ですが鬼頭家へと参りましょう。空船を下に待たせておりますから」
「空船?」
「ここ隠世では船を使った交通手段が主流となっているのですよ。遠くまでもスイスイと移動できますし。空から見える景色も素敵ですよ」
さあさあと促されるままお香さんに連れられて下まで下りていく。
するとそこには大きな帆を張った一艘の船が止まっていた。
「わあ!」
「どうです?空船から見える景色は素敵でしょう」
最初こそは怖く感じていた船も乗ってみると案外楽しかった。
空に浮かび上がる船の乗り物は現世には無いせいか新鮮だ。
景色が代わる代わるに変化していく様子は見ていて飽きることがない。
「あの…お香さん」
「はい?」
「あ、その…。私、本当に何も分からないままここまで来てしまって。花嫁の役目と言いますか、この先自分はどうすればいいのかが正直なところ全く分からないんです」
空船から見える景色が楽しくてつい忘れてしまうところだった。
だが私の本来の目的はこの隠世で鬼頭家の元に嫁入りすること。
久野家の異能を持たない裏の存在がもしも鬼頭家にバレるようなことがあれば。
それだけは何としても避けなければならなかった。