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 俺は本当は『掛川の好きなやつが誰なのか』という問いに対する答えを知っている。
 じゃあ、昇平に知らないと答えたのは嘘なのかと言えば、そうでもない。
 美緒はうちの高校の男子を好きになったことがないと話していたのだ。
 つまり、『今のところ好きな男子はいない』が正解だから、知らないという答えも嘘ではないということだ。
 俺と美緒は去年高一の時に委員会活動が一緒だった。
 環境委員会という週に一度学校周辺の清掃をおこなう活動で、資源ゴミの分別をしたり、竹箒を使って落ち葉などを集めて回ったりしていた。
 当時から美緒は男子生徒に注目されていて、何人もの相手にコクられてすべて断ったといった噂は聞いていたから、勝手に俺とは縁のない女子だと思っていた。
 秋が深まってきた頃、山から吹き下ろしてくる風に運ばれた落ち葉が道路の側溝にたまっていた。
 枯れ葉が詰まって泥がたまり、側溝から雨水があふれ出すと、近隣の民家に流れ込んで苦情が来るというわけで、一輪車に何杯もの泥をかき出さなければならなかった。
 他の連中は腰が痛いだの汚いだのと文句ばかり言っていたけれど、俺は性格的に、疲れるけど単純な作業は案外嫌いではなかったから、淡々と仕事をこなしていた。
 そんな俺に話しかけてきたのが美緒だった。
「拓海君って、変わってるよね」
 いきなり下の名前で呼ばれてビックリした。
「みんな適当に手を抜いてるのに、めちゃくちゃ頑張るじゃん」
「いやまあ」と、女子慣れしていない俺は動揺を隠しながらなんとか言葉を絞り出した。「どうせやらなくちゃならないんだから、さっさとやっちゃったほうがいいだろ。文句を言っても仕事は減らないし、楽になるわけじゃないからね。歯医者とか注射ってそうじゃん?」
「理屈は変だけど筋は通ってるね。私もその考え、いいと思う」
 美緒はおもしろそうにうなずきながら俺の作業を手伝ってくれた。
 活動時間が終わってペットボトルのお茶が配られた。
 思いがけないことに、爪まで泥の食い込んだ手を洗いに行っている間に美緒は俺の分も取ってきてくれていた。
「はい、お疲れ様」
「あ、ああ、どうも」
 受け取った瞬間、俺の手の震えが伝わったのか、美緒の頬にえくぼができていた。
 正直、女子に親切にされたことなんかなかったから、勘違いしそうになっていた。
「拓海君ってさ、好きな女子いる?」
 しかも、こんなことまで聞かれて平静でいられるわけがない。
 もしかして、もしかするのか?
 ギャルゲーみたいに返事次第で俺の人生変わっちゃうのか?
「いや、べ、べつにいないけどさ」
「やっぱりね。だろうと思った」
 ――ん?
 これはどういう分岐?
「私もさ、好きな男子いないんだよね」
「ほ、ほう」
 思わずオッサンみたいな相槌になってしまった。
 ペットボトルに口をつけてお茶を飲む美緒の横顔を眺めながら俺は続きを待っていた。
 遠くのどこを見ているのか分からない女子の横顔がそんなにも美しいことを俺は初めて知った。
「私ね、男子にやたらと声をかけられるのよ」
「ああ、それは大変だね」
「だけどさ、いい人ばかりじゃないし、ちょっと距離を取ろうとすると逆ギレする人とかもいるじゃない。だから、男の人って、苦手なんだよね」
 まあ、だろうな。
 それは決して彼女の勘違いとか自意識過剰ということではなく、注目を集める女子ならではの悩みなんだってことくらい俺にもすんなり理解できた。
「べつに女の子が好きとかっていうわけでもないよ。カレシがほしいとは思うんだけど、いい人いないんだよね」
 ま、その言い方はつまり、俺でもないというわけで、その途端、あれだけ跳ねていた心臓も潮が引いていくようにおとなしくなっていた。
「ねえ、拓海君」
 ペットボトルに口をつけたところで、改まって名前を呼ばれてむせってしまった。
「な、何?」
「私と友達になってくれないかな」
「え、俺と?」
 一瞬ビックリしたけど、それはつまり、言葉通り友達の関係に固定しようという申し出であって、チャンスが完全にゼロになったことを意味していた。
 だけど、それは悪くない提案だと思った。
 もちろんがっかりする気持ちもあったけど、むしろはっきりとさせてくれたことで、女子慣れしていない俺にも受け入れやすいポジションだったのだ。
 ――どうせ、届かないんだ。
 美緒はまぶしすぎるからな。
「俺で良ければ、いつでも話し相手になるよ」
「ありがと」と、彼女は微笑みながら何度も小刻みにうなずいていた。「拓海君なら分かってくれるんじゃないかなって思ってたよ」
 おそらく、がっついていない、無害な男だと思われたんだろう。
 二年生になって委員会活動が別になった今でも、廊下ですれ違ったときにはあいさつをするし、昇平がいないときには立ち話をすることもある。
 あくまでも友達としてだ。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 美緒と俺のこうした関係は昇平には教えていないし、彼女もやつの前では顔見知り程度の態度しか見せないように気をつけているようだ。
 というわけで、昇平がいくら頑張ったところで脈がないのは分かりきっている。
 ただ、俺は嘘をついているわけじゃない。
 隠しているだけだ。
 ――見たくないものを見なくて済むように。
 この世界の半分はおそらく優しさで覆われているんだ。