靴を履き替えて穴蔵のような昇降口を出ると、七月の日差しで目を焼かれそうになる。
 手をかざして俺を待つ昇平の額には汗が幾筋も輝いていた。
「おい、拓海、いるぜ」
 やつが指さす方向に目をやると、プールのフェンス越しに水泳部員の姿が見えた。
 俺たちはそこを目指してゆっくりと歩き出す。
 早く日陰に入りたいのに、昇平が速度を抑えている。
 タイミングが重要なのだ。
 真上から照りつける日差しにあぶられてあっというまに前髪が汗でぺっとりと張りつく。
 お笑い芸人みたいな髪型になるのは嫌だから、俺はかき上げておでこを出した。
 野球部でもないのに坊主頭の昇平は、汗で光る頭を撫でながらプール脇にさしかかった。
「あ、拓海くーん」
 フェンスの向こうで、水から上がった女子がゴーグルを外しながら俺に手を振った。
 同学年の女子、掛川美緒だ。
 競泳水着に包まれた刺激的な体に水をしたたらせながら、清涼飲料水のモデルみたいな笑顔を俺たちに向けている。
 地面からちょうど俺たちの顔の高さにプールサイドがあるから、やましい気持ちはなくても目のやり場に困る。
 俺を押しのけるように昇平が前に出た。
「掛川さん、今日も部活頑張ってるね」
「あ、うん、ありがと」と、こちらに向いていた視線をチラリと昇平に流した彼女はすぐにまた俺にもどした。「今から帰るの?」
 背伸びしてフェンスに顔を押しつけながら代わりに昇平が答えた。
「寄り道していくけどな」
「そっか」と、彼女は軽く手を振ってスタート台に向かった。
 昇平は目を細めながらその遠ざかる背中をなめるように追っている。
 つかんでいたフェンスがギシッと音を立てた。
 まあ、無理もない。
 美緒はまぶしいもんな。
 どうしてそんなにまぶしいんだよ。
 手を伸ばしても届かない。
 健康的で汚れなき人魚のように神々しいその水着姿を、俺もフェンスの向こうに追っていた。
 スタート台に立った彼女はイルカみたいに背中を丸めたかと思うと、俺たちに圧倒的な残像を突きつけてプールに飛び込んでいった。
「やべえよ」と、フェンスを突き放すように歩き出した昇平が俺の背中をたたく。「たまらねえな」
 いったい、どこに目をやっていたんだか、興奮は収まらないようだ。
 ――まあ、俺も釘付けだったけどな。
「すました顔してんじゃねえよ。おめえもやべえんじゃねえの?」
 昇平がふざけて俺の下半身に手を伸ばしてくる。
「やめろよ」と、俺はエビのように腰を折って逃げた。
 ――まったく。
 おまえと一緒にするんじゃねえよ。
「でもよ、今日もありがたい目の保養させてもらえて良かったよな」
 眼福、眼福と浮かれた足取りで歩くやつの背中に向かって、俺はエアでパンチを入れた。
 昇平は放課後いつも水泳部の練習が始まるまで学校に残って美緒の水着姿を拝んでいく。
 帰宅部なんだから早く帰りたいのに、俺もつきあわされるのは正直迷惑だけど、昇平とはこの島で生まれてから高二の今までずっと一緒の腐れ縁だから、仕方がないとあきらめている。
「チッキショー!」と、いきなり馬鹿が叫んだ。「俺もカノジョ欲しいよ!」
 校門を出た昇平が突然走り出したかと思うと、海岸沿いに続く道路の真ん中を、青空に向かって両腕を突き上げながら不規則に蛇行して駆けてゆく。
 なんだよ、めんどくせえ。
 遠ざかっていくあいつの背中を追いかけることもなく、俺は海を眺めながらだらだらと歩いていた。
 空は澄みわたり、海は青い。
 俺たちの島はいつも、ずっとそうだった。