まもなく、私たちは東の離宮へと出発した。
 ガタゴトと揺れる、クッションも装飾もない粗末な幌馬車で。
「荷馬車とかふざけてんのか、あの使用人! とことん俺らをバカにしてやがる」
 タイサイが怒りをあらわにする。その隣で、ユーヅツは気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「すやぁ」
「寝れんのかよ、この環境で!」
「なんだよ、うるさいな。昨夜は遅くまで本を読んでたんだ」
 ユーヅツは大きなあくびを一つする。
「城を離れる前に、書庫の中のもう一度読んでおきたい本……」
「……」
「……すやぁ」
「寝るなら最後までしゃべってから寝ろ!」
 隣に座るテンセイが、そっと私の指先に触れる。
「ソウビ殿、腰は痛くありませんか? よろしければ、自分の膝の上にお座りください」
(ひっ、膝の上!?)
 心の中では秒でダイブした。あくまでも心の中で。
「いやいやいやいや! ほら、みんなの目があるから」
「? 自分は気にしませんが」
 真面目朴念仁! 好き!!
「私だけ特別扱いってのも、ちょっと気まずいし」
「そうですか。では、気が変わりましたらいつでもどうぞ」
「あはは……、ありがとう」
 原作ゲームでは、主人公が攻略キャラに想いを伝えるのはラストだ。だから恋人関係になった後のテンセイが、こんなに甘やかす人とは知らなかった。
(すでに互いの気持ちを確認し合った私たちは、後日談の雰囲気を味わってるようなものかな)
 荷馬車で城を追われるこんな状況にもかかわらず、ドキドキしてしまう。
(嬉しい、めちゃくちゃ嬉しい。でも心臓に悪い……)

 その時、ふと視界にチヨミの横顔が入った。
「……」
 チヨミはどこを見るでもなく、ただ物思いにふけっている。
(っと、浮かれてばかりもいられないな)
 身分のはく奪こそなかったものの、離宮へ追いやられてしまう正妃チヨミ。これはゲーム本編と同じ展開だ。
(原作では、ヒナツにチヨミを追い払うよう頼んだのはソウビだったけれど)
 今、その役割は、妹のラニが担っている……。
(これって、本来私の役割だった傾国ポジションが、ラニに代わっただけの可能性あるよね?)
 だとすれば、ゆくゆくラニは民衆に恨まれ、殺害される可能性がある。
(それはいやだ! 私の代わりにあんな少女が殺されるなんて)
 いくら設定上の妹だとしても、無関心ではいられない。
(だけど、どうしたら? 私はチヨミとともに、こうして城の外へ追い出されてしまったわけだし……)

 その時、ふと思い出した。
(あっ、そうだ! この道行の中でもイベントが起きるんだった)
 本来であれば、ソウビを擁立したい貴族の命を受けた兵士が、ならず者を雇ってこの馬車を襲う。王宮を追い出されたとはいえ未だ正妃であるチヨミを、亡きものにするため。
(ラニの周辺でも、あれと同じことが起きている可能性は高い!)
「チ……」
「ソウビ」
 私が口を開いたのとほぼ同時に、チヨミが私の名を読んだ。
「なに? チヨミ」
「ごめんね」
「どうしてチヨミが謝るの? チヨミがこんな目に遭ってるのは、私の妹のせいなのに」
 それに本来なら、これは私のせいだった。
 けれどチヨミは首を横に振る。
「私を追い出す決定を下したのは、ヒナツだわ。ラニが何を言おうと、ヒナツは理性ではねつけるべきだった。たとえラニの言葉が原因だとしても、責任はヒナツにあるのよ」
「チヨミ……」
 これはゲームにはなかったセリフだ。
(私が傾国のままでも、チヨミはこんな風に思ってたのかな……)
 プレイヤーとしては、2人まとめて「ふざけるな!」と言う気持ちだが。
 やっぱりチヨミは乙女ゲーの主人公だ。優しすぎる。
 こんなチヨミを手放すヒナツはバカだ。
「ところでソウビ、一つ聞いていい?」
「なに?」
 せめて彼女の気晴らしに付き合おうと、私は身を乗り出す。
「ヒナツが言ってたの。これまでヒナツが立てた戦功は、私の策によるものだとソウビが知ってたって」
(あっ……!)
「なぜ、王の娘であったソウビが、一下級貴族にすぎない私たちの役割分担まで把握していたの?」
 まずいまずいまずい! 
 ヒナツをやり込めてやろうと口走ってしまったが、冷静に考えればソウビがこれを知っているのは不自然だ。
「そ、それは……」

 その時、馬のいななきと共に、馬車が止まった。
「……何かしら?」
「おい、何があった!」
 タイサイが一足飛びに馬車の先頭まで移動し、御者に問う。
 強張った声が即座に(いら)える。
「敵襲です! 盗賊かと思われます!」
(しまった、もう来ちゃった……!)
 やはりラニの周りでも、本編のソウビと同じ事態が起きていた。ラニを擁立したい貴族たちが、チヨミ殺害の命令を下したのだ。
「ソウビはここにいて! 私たちでなんとかするから!」
「気を付けて、チヨミ! その賊たちの狙いはチヨミなんだ!」
「私?」
 チヨミは怪訝な表情で私を見る。けれどすぐにうなずき、身を翻すと馬車から飛び出していった。
「って、待てよ姉さん! ったく、狙われてる自覚あるのかよ! お前らも行くぞ!」
 言いながら、タイサイはすぐさまチヨミを追い車内から姿を消す。その後を馬車について歩いていた兵士たちが、気勢を上げながら続いた。
「怪我をした時は治癒を頼むよ、ソウビ。敵が入ってきたら、頑張って自力で退けて」
「ユーヅツ……。わ、わかった!」
 先の二人と同じくユーヅツも、裾を翻し馬車から飛び出していく。
 最後に大きく武骨な手が私の肩に触れた。
「心配はいりません、ソウビ殿。自分が不埒者をここへは絶対に近づけさせませんので」
(テンセイ……)
「うん、ありがとう。でも今回は、チヨミを守るのを最優先にして! 今一番危険なのは、彼女だから」
「かしこまりました。貴女のお望みとあらば」
 テンセイが出ていくと、私は埃っぽい幌馬車の中で大きく息をついた。
(原作ゲームだと、3ターン耐えたところでメルクが来るはず)
 あの祝宴の時に、チヨミが牢から逃がした隣国の王子メルク・ポース。
 だがゲームと違い、この世界で見る戦闘はターン制には見えない。どれだけ耐えればいいのか、いつ彼が来るのか見当がつかなかった。
(お願い、誰もケガしないで……!)
 私はユーヅツに教えてもらった治癒魔法の詠唱を、口の中で復習した。

「くっそ、斬っても斬ってもきりがねぇ! どんだけ沸いてくるんだ、この賊は!!」
 タイサイは紙一重で攻撃を避けながら敵を斬る。その後方に傷を負い、膝をつく兵士がいた。兵士の頭上に無法者の刃が襲い掛かる。それを間一髪ユーヅツの魔法がはじいた。
「怪我をした者は馬車へ! ソウビに治してもらえるから!」
「は、はいっ!」
 テンセイは大剣を軽々と操りながら、群がる敵を薙ぎ払う。
「おぉおおおお!! 矜持があるならかかって来い! 俺が相手をしてやる!!」
 だが敵も分のない戦いに挑む気はない。テンセイに叶わないと見るや、さっさと背を向け、本来の目的であるチヨミへと目標を変えた。
「待て! 逃げるな!!」

「くっ……!」
 敵に囲まれたチヨミは明らかに苦戦していた。
「あなたたちは何者!?」
 細身の剣で(しの)ぎながら、チヨミは叫ぶ。
「一体誰の命令でこんな真似をするの!?」
「さぁな」
 獲物をいたぶる、下卑た眼差しがチヨミを囲む。
「あぁ、勿体ねぇ。こんな別嬪(べっぴん)、殺さずに売り飛ばしゃいい値が付くだろうになぁ」
「だが、殺すって約束で金をもらっちまった、ここで死んでもらうぜ」
下衆(げす)!!」
 ギリと歯噛みするチヨミに、敵の1人が足払いをかけた。
「あっ!」
 チヨミがたたらを踏み、バランスを崩す。
「ハハッ、隙ありだ!」
「後ろからも!?」
「姉さん!!」
 チヨミに向かって振り下ろされる残忍な刃。だがそれは鈍い音と共にはじかれた。
「え?」
「おーっと、そこまでだ」
 金の髪をふわりとなびかせ、チヨミの側に降り立つ青年。異国風の服装に、湾曲した見慣れぬ剣を携えて。
「レディ一人にこれだけの人数とは、情けない野郎どもだねぇ」
 エメラルドの瞳が、茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「!? 誰だお前は!」
 義姉チヨミを抱き寄せた闖入者(ちんにゅうしゃ)に、タイサイが気色ばむ。
 だがその問いに応えたのはチヨミだった。
「メルク!? どうして、ここへ……」
「あの時はありがとうな、チヨミちゃん。恩を返しに来たぜ」
 緑の瞳がキッと敵をねめつける。
「ヒノタテ国第三王子メルク・ポースここに推参!」

(よっしゃ、メルク来たー!)