(それにしても退屈すぎる)
宴席に連れてこられてから、私はただガハガハ笑うヒナツの隣に座っているだけだ。間が持たないので運ばれてくる食べ物をいくつか口に運んでもみたが、間もなく満腹になってしまった。
気を紛らわせるため、私は群衆の中から攻略キャラ3人を探す。
濃紺の髪の若い騎士が、刺すような眼差しをこちらへ向けていることに気づいた。
(うわ、タイサイ、こっわ……)
タイサイにとって私は、愛する義姉チヨミとその夫の間に割って入る邪魔者である。
チヨミに恋心を抱きながら、義理の姉である彼女に想いを告げられずにいた彼にとって、ヒナツは憎んでも余りある存在だ。しかもヒナツは元はと言えば、アルボル家の使用人。だが、チヨミの幸せのためにと、彼はグッと気持ちを押し殺している。
そう、ソウビはタイサイにとって「愛する義姉の幸せを壊す淫婦」なのだ。
(ここのタイサイのセリフ覚えてるよ。『あんな子どもに手を出すとは! あの使用人、いや義兄上は何を考えてるんだ!』だったなぁ。いや、ソウビ子どもじゃないし! 18歳だし! 17歳のお前より年上だから! 20歳のチヨミと年齢そう変わらんし!)
あからさまな敵意を向けてくる若い騎士から視線をはずし、私は次に若葉色の髪を持つ魔導士を探す。
「……(すやぁ)……」
ユーヅツは祝宴に飽きて、寝てしまっていた。
(原作に忠実だ)
この場面の描写はゲーム内に存在しない。だが、キャラ的には納得しかない行動だ。
(そしてマイフェイバリット、テンセイは?)
私は茶色のたてがみを持つ偉丈夫を探す。
吸い寄せられるように、その姿はすぐに見つかった。
(あ、テンセイ……)
テンセイは愁いを帯びた表情で、静かに杯を傾けている。談笑に加わることもなく。
(そりゃそうだよね。形ばかりのものとはいえ、自分の婚約者がこんな場で王に手を出されて、愉快なはずがない)
テンセイの周囲だけ、少し冷ややかな空気が漂っているように思えた。
(テンセイは忠誠心の高いキャラだからなぁ。こんな大勢の目がある場所で、王のメンツを潰すような言動しないよね)
不満を押し隠し、一人ぼそぼそと料理を口に運んでいるテンセイの姿。ひょっとすると、婚約者を王に奪われた男として、酒でタガの外れたこの場では笑い者にされているかもしれない。そう思うと、やりきれなくなってきた。
(うわぁん、テンセイ! もっと怒って! 私をさらって!)
「はははは!」
私の心の中を見透かしたかのようにヒナツが笑った。そしてその武骨で大きな手が私の肩を乱暴に抱く。
(ぎゃー、酒臭い! テンセイの隣に移動させて! 誰か助けて~!)
「ふぅ……」
しばしの後、私は何とか宴席から抜け出した。人に酔ったと訴える私に、しつこく付き添おうとするヒナツを振り切って。
宴席から洩れる笑い声を遠くに聞きながら、私は月明かりに染まる廊下を歩く。
(ん? あれは……)
行く先に人影が見えた。近づくごとに、それはよく知る人物であることに気づく。
「チヨミ!」
私が声をかけると、チヨミはビクリと身をすくめた。
「メルクはうまく逃がせた?」
私の言葉に、彼女が顔色を変える。
「なぜ、そのことを……」
「あ、怯えないで。みんなには内緒にしておくから。それに私もやらなきゃと思っていたんだよね」
「……」
チヨミは探るような目で私を見ている。命のやり取りが日常的であるこの世界、敵と味方を見極められなければ死んでしまうのだから、仕方ない。
チヨミはこの段階で、彼が隣国の王子であることを知らない。ただ、旅の途中でクーデターに巻き込まれた運の悪い異国人だと認識している。だが、後に王宮から追放されたチヨミを助ける人物こそ彼、メルク・ポースなのだ。
「メルクには無事に国境を超えてほしいよね」
「え、えぇ……」
理解者であるとアピールしたつもりだが、すっかり警戒されてしまっている。チヨミにこんな顔をされるのはちょっと寂しい。
「あ、あのっ」
チヨミが思い切ったように、口を開いた。
「何? チヨミ」
「ヒナツは? 私がいないこと、何か言ってた?」
「ううん、特に。今も宴席ではしゃいでると思う」
「そう……」
私の返答に、チヨミは寂しそうに睫毛を伏せた。
そうだよね、この段階でチヨミは妻としてヒナツに愛情を持ってる。なのに肝心の本人は、妻が部屋を出て行ったことにも気づかず、それどころか部下の婚約者に手を出して上機嫌なのだから。考えれば考えるほど、最低だな。
魂の双子であり親友とも言えるチヨミのことを悲しませたくない。
「私、宴席から逃げてきちゃったんだ」
「え」
「だーって、ヒナツが前王の娘である私を使って、王家の正統な後継者アピールしたがってるの、見え見えなんだもん。そんなことに利用されるなんて、ムカツク!」
ヒナツが私に向けているのは恋愛感情ではないと、まずは主張する。そして。
「だいたい私が好きなのはテンセイだし! テンセイ以外に心移すことなんて、まずないし!」
「!」
私のきっばりとした言葉に、チヨミは一瞬目を大きく見開く。やがてその口元に、やわらかな笑みが浮かんだ。
「ふふっ、そうなんだ」
(チヨミ、ほっとした顔してる)
チヨミの笑顔に、私も少し安堵する。
(少なくとも、私がヒナツのこと眼中にないと安心してくれたかな? それにしても、こんないい子をないがしろにするなんて。ヒナツあの野郎! 許さん!)
私は両手で、彼女の手をそっと包む。
「ねぇ、チヨミ、お願いがあるんだ」
「お願い? 私に出来ること?」
「うん」
私はチヨミの手を胸の前でキュッと握る。
そう、私はヒナツの側にいちゃいけない。気に入られるわけにもいかない。でなければこの先、国を傾けた大罪人として、ヒナツともども殺害される運命が待ち受けているのだから。
私はチヨミの目をまっすぐに見据え、はっきりと伝えた。
「今後、私をチヨミの側に置いてほしいの。許可してもらえる?」
「えっ、ソウビを私の側に……?」
真紅の部屋に、強めのノックの音が響く。
「ソウビ、入るぞ!」
品性のない大声の後、扉は乱暴に押し開かれた。
赤い髪の王が無遠慮に足を踏み入れ、やがて部屋の主が留守であることを理解する。
「……。ソウビはまた留守か。いつもいつも、一体どこをほっつき歩いてるんだ?」
――あはは。
外からの声を、その耳が敏感にキャッチする。
ヒナツは大股で窓辺へと近づくと、眼下に目をやった。
「それでね、チヨミ。その時ね」
「本当に? ソウビったら、あははは」
庭園を仲睦まじく散歩する、妻と前王の娘の姿がそこにあった。
「ソウビめ、またチヨミと一緒か……。いつの間にあんなに仲良くなったんだ」
面白くなさげに、ヒナツは口をとがらせる。そこに王の威厳らしきものは欠片もない。
「仲が良いのはいいが、俺の入り込む隙がないじゃないか」
ヒナツは仲間はずれにされた子どものようにむくれていたが、一転そこに野生じみた表情が浮かぶ。
「まぁ、どうあっても俺のものになってもらうがな、ソウビ。この王位を確実なものにするには、前王の娘であるお前が必要だ」
野心に満ちた笑みをたたえ、若き王は真紅の部屋を後にした。
■□■
その残酷な知らせは、チヨミとティータイムを楽しんでいた時に届けられた。
指から離れた白い陶磁器が、琥珀色の液体を振りまきながら地面へと落ちる。それは澄んだ音を立てて砕け散った。
「――今、なんて……?」
耳にした言葉が信じられず、私はあえぐように問い返す。伝令に使わされた人物は、よりにもよって私の最愛の推し、テンセイだった。
「……」
「テンセイ……、ウソ、でしょ?」
悪い冗談だと信じたい。笑ったような顔のまま固まっている私に、テンセイは首を横に振って見せた。
「噓ではございません。先ほどヒナツ王より、ソウビ殿と自分との婚約を解消するとの示達がなされました。ソウビ殿、貴女をヒナツ王ご自身の寵姫とするために」
「……っ!」
「これは命令ではなく、決定事項とのことです」
頭の奥で何かがガンガンとなっている。視界が暗くなり、喉がカラカラになった。脳が理解することを拒み、ぐらぐらと世界が揺れる。
「ソウビ殿、危ない!」
ふらついた私を、逞しい腕が受け止めてくれた。布越しにもわかる筋肉の凹凸、厚い胸、若木のような匂いと、武骨ながら優しく熱い大きな手。
それを感じ取った瞬間、散りかけていた意識が一気に凝縮した。
そうだ、私の好きな人はこのテンセイ。今、私を抱き止めてくれている人。
ヒナツじゃない!
「っ!! ふざけんな、あの野郎!!」
考える前に、怒りが喉からほとばしった。
「ソウビ……!」
チヨミが戸惑った表情で私に駆け寄ってくる。
けれど私はその脇をすり抜け、地面を蹴りつけ疾駆した。
「ソウビ殿!? どこへ行かれるのです、ソウビ殿!」
背に投げかけれたテンセイの言葉に、私は怒鳴り返す。
「あの脳みそ海綿体のクソ色ボケ自称俺様系モラハラ王をぶん殴ってくる!!」
「ソウビ、待って!! それはダメよ!」
「いけません、ソウビ殿!! お待ちください!!」
■□■
チヨミは嵐のように去り行く二人を呆然と見送る。
やがて王の妻は呻くようにその名を口にした。
「……。ヒナツ……」
それは聞く者の胸を裂くほど、悲痛な声だった。
■□■
堪えきれぬ怒りが腹の底を焼く。それが凄まじいパワーとなって全身を駆け巡り、今の私を突き動かしていた。
やがて謁見の間の入り口が見えてくる。私はその勢いのまま、扉を蹴破った。
「ヒナツッ!!」
飛び込んできた私に特に驚くでもなく、ヒナツは玉座の上から冷たく私を見下ろしている。
やがて一つ欠伸をすると、次には空々しいほど満面の笑顔となった。
「ソウビではないか。お前が自ら俺の元へと足を運ぶとは珍しいこともあるものだ」
その笑顔の中で、瞳だけが禍々しく光る。
「だが、呼び捨ては感心せんな。お前は元王女ではあるが、今の王は俺だ」
「……っ」
「そういうのは、寝所で二人きりの時に、な」
「ふざけるな! ふざけるな!! ふざけるなぁああっ!!」
私は足を踏み鳴らし、あらん限りの声で叫んだ。
「私はあんたの寵姫になんてなりたくない!! 私が好きなのはテンセイなんだから!!」
「……」
「今すぐ彼との婚約解消を撤回して!!」
「断る」
まるで羽虫を払うがごとき、軽く抑揚のない声。
(どう、して……)
私はヒナツに好かれぬよう、出来る限り気を配った。
距離を置き、接点を無くし、好きや嫌い以前に『無』の関係であるよう努めた。
彼が私を気に入る機会など、これまでなかった筈だ。
(なのに、どうして……)
拳を震わせる私を前に、ヒナツはこともなげに言い放つ。
「一貴族アルボル家の使用人から、ただ自らの策と武勇で王となった俺を、成り上がり者と謗る声も未だ多くてな。俺には前王の娘であるお前が必要なのだ。王家の正当な後継者として皆に認めさせるためには」
「な……!」
自分に必要なのは、ソウビの中に流れる王家の血のみ。ヒナツは今、そうはっきり言った。そこに愛情など関係ない、好かれようと嫌われようと、ただ自分が王であるために、ソウビが欲しいのだと。
「そう怒るな」
破顔一笑し、ヒナツは言葉を続ける。
「お前の身分はひとまず寵姫とするが、いずれチヨミを廃しお前を正妃に迎える。そうなれば、王女だったお前が本来就くはずだった地位に舞い戻れる。この国の女の頂点に君臨できるのだぞ?」
「そんなの……、私、望んでない! だいたい……」
抑えようとしても声が震える。
「なにが策と武勇で成り上がった、よ! その策はチヨミが考えたものでしょう!?」
ヒナツの顔に、初めて狼狽の色が浮かんだ。しかしすぐに、野心に満ちた獣の顔つきに上書きされる。
「知っていたのか……」
当然だ。チヨミとして指示を出していたのは、他ならぬプレイヤーの私なのだから。
「あんたがこの地位につけたのは、半分はチヨミの手柄じゃない! なのにチヨミを廃する!? 恩知らず! 最っ低!!」
「……」
「策がチヨミのものだったってことは周囲に黙っててあげる。だから私とテンセイとの婚約を……」
「断ると言った」
「っ!!」
固く、無機質な声。必死の思いで立てる爪をまるで意に介さない。
獲物を前にした猛獣のごとき眼差しが私を貫く。
「ソウビ、お前は俺のものだ。この地位を盤石にするために。そして何より……」
次の瞬間、ヒナツは腹立たしいほど無邪気に笑った。
「その麗しい顔に似合わぬはねっかえりのお前を、俺はとても気に入っているのだ」
「この……!」
ヒナツのこちらを完全になめてかかった物言いに、一気に頭が沸騰した。
「殴らせろっ!!」
「いけません、ソウビ殿!!」
玉座に向かって突進しようとした私を、背中からがっしりと抱き止めた腕があった。
「テンセイ!?」
「ソウビ殿、これ以上はいけません。いくらお気に入りの貴女でも処刑されてしまう!」
「っ! だけど……っ、だけど!!」
ヒナツは白々とした炎を双眸に宿したまま、薄笑いを浮かべて私を見下ろしていた。
「ヒナツ王、ソウビ殿は突然のことに混乱しておられます。どうか寛大な処置をお願いします!!」
テンセイの、魂を震わせるほど必死に助命を求める言葉。だがそれに返ってきたのは、ひどくあっけらかんとした声であった。
「ははは、問題ない。愛らしい子猫が手の中でもがいて暴れて爪を立てるのを、楽しんでいただけだ」
(な……)
「はっ。王よ、感謝いたします! では我々はこれにて」
テンセイは声を押さえ、私に耳打ちする。
「ソウビ殿、こちらへ」
「……」
私を捕らえているのが偉丈夫のテンセイでなくとも、私をその場から連れ出すのは容易かったろう。抵抗する気力は、ヒナツの言葉で完全に損なわれていたのだから。
(楽しんでいた? 私の必死の抗議を?)
ずる、ずると引きずられながら、私は謁見室をあとにする。私を嘲笑うような視線が、玉座から注がれていた。
■□■
部屋の外へローズピンクの髪が消え、扉が冷たく閉ざされる。
「ふん……」
その場に一人きりとなった赤髪の王は、つまらなさげに一度鼻を鳴らした。
私が連れてこられたのは、テンセイの私室だった。
「ソウビ殿、ひとまずはこちらへ」
歩く力を無くした私を抱えるようにしてテンセイは椅子まで移動させる。そしてゆっくりと、私をそこへ座らせた。
「……」
腰を下ろしたものの、縦の姿勢に保つのすら苦痛だ。体から芯が抜けてしまったようだった。
「今、お茶を淹れましょう。固い椅子で申し訳ございませんが、おかけになってお待ちください」
テンセイがティーカップに茶葉を入れ湯を注ぐ。やがてふわりと、かぐわしい香りが漂って来た。
「どうぞ、ソウビ殿。温まりますよ」
「……」
私を気遣う、テンセイの低い声、優しい眼差し。
それらが私の中に染み入った瞬間、感情が堰を切ったようにほとばしり出た。
「うっ、うっ、うぅ~~っ」
「ソウビ殿……」
とめどなくあふれる涙を、もはやぬぐう元気もない。
「なんでよ、テンセイと幸せになりたかったのに。ヒナツに気に入られないように頑張ったのに。結局、悪夢じゃん……。また、傾国になって民衆に憎まれてテンセイに殺されエンドなんだ……」
「自分が、ソウビ殿を!? 何をおっしゃるのですか!」
「なるんだよ! 私、知ってるんだもん……」
最推しが見ているにも拘らず、顔をきれいに保つことができない。私はしゃくりあげながら、ぐしゃぐしゃと泣き続ける。
「私はただ、テンセイと幸せになりたいだけなのに……。こんな酷い夢、早く覚めて……! うわぁあぁああぁん!」
「……」
テンセイが、もう一つの椅子を私のすぐ側まで持ってくる。彼の清潔なハンカチが、私の顔に優しく触れた。
「ソウビ殿。お伺いしてよろしいでしょうか」
せせらぎの音のように心を落ち着かせる、低く甘い声。
「ソウビ殿は自分のことを、いつからそんな風に思っておられたのですか?」
「……」
私に向ける、金色の虹彩。慈愛に満ちたそれは、ハチミツのような優しい色合いだった。
「自分は長い間、ソウビ殿にとって形だけの婚約者とばかり思っておりました。ソウビ殿は自分といても、楽しそうには見えませんでしたので」
テンセイは一度睫毛を伏せ、改めて私に向き直る。
「ソウビ殿、お聞かせ願えますでしょうか。ソウビ殿はいつから、自分のことを……」
視界に入るだけで心臓が限界の動きをするほど、尊く愛しい最推しの姿。本当の気持ちを伝えるなんて畏れ多い。恥ずかしさよりも、うかつな言葉で汚してしまうのが怖い。
けれど、もう彼とは一緒にいられなくなる。彼に、想いを伝えられるのはこれが最後なのだ。
そう思うと、言葉は自然に心から溢れた。
「最初、からだよ」
「最初?」
「初めて見た時から!」
乙女ゲーの情報サイトで発表された攻略キャラの集合絵。あの瞬間、目を奪われた。
「初めて動くテンセイを見た時から!」
メーカーのSNS公式アカウントで公開されたプロモーションビデオ。表情とポーズが切り替わった瞬間、心臓が止まるかと思った。
「初めて声を聞いた時から!」
公式サイトでキャラが公開された時、ドキドキしながらクリックした「Voice」のボタン。耳にした瞬間、声を押さえるのが大変なほどときめいた。
私は悲鳴に近い声で、これまでの全ての想いをぶつける。
「ずっとテンセイのこと大好きだったよ!!」
「!」
乙女ゲー情報サイトでプロジェクト始動の報を見た時の衝撃から、ゲームの中での彼との甘いひととき。それらが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。言葉を尽くしても尽くしても、私の彼への想いを伝えきれない。
「なにを見ても、思い出すのはテンセイのことだったよ。つらい時も、テンセイのことを思い浮かべるだけで耐えられたよ。私の心のほとんどが、テンセイへの気持ちでいっぱいなんだよ」
「ソウビ殿! す、少しお待ちを!」
不意に、テンセイが私の言葉を遮った。
(え……)
テンセイは口元を手で覆い、こちらから顔を逸らしている。心なしか、頬がうっすら朱に染まっているように見えた。
「も、申し訳ございません、ソウビ殿。これほど直球に応えていただけるとは思っておらず、その、動揺しております」
それは初めて聞く声だった。
僅かに掠れ、裏返り、いつもの落ち着いた声よりもいくらかトーンの高い。ゲームの中では一度も耳にしたことのないテンセイの声。
「ふー……」
やがてテンセイは大きく息をつくと、再びこちらをまっすぐに見た。目が艶やかに潤み、頬に赤みがさしているように見えるのは、錯覚だろうか。
「ソウビ殿、罰当たりなことを申し上げます。自分は今、喜びを感じております」
「っ!」
テンセイの言葉に、頭の奥がシンと冷える。
「……婚約を解消になったことが?」
泣き声のような私の問いかけに、テンセイは静かに首を横に振った。
「違います。貴女のお心に初めて触れられたこと、それが嬉しくてたまらないのです」
その口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「おかしな話です。長く、婚約者と言う立場でいながら自分は貴女を知らなかった。いや、知ろうとしなかった」
テンセイの大きな厚い手が、まるで宝物に触れるように、そっと私の手へ重なる。
「王女として生まれた貴女がただ畏れ多くて、あなたに踏み込むのもはばかられて。なのに貴女はそれほどまでに熱い想いを抱いていてくれたのですね。こんな、まるで面白みのない男に」
「テンセイ……」
テンセイが椅子から下り、床に跪く。そして恭しく、私の手を両手で包み込んだ。
「先日、宴席にあなたを案内するため手を取った、その時感じたのです。自分は、この人の愛らしさになぜこれまで気付かなかったのか、と」
その瞳に、愁いが滲んだ。
「……あの時にはすでに、ヒナツ王があなたを欲していることを知っておりました。ゆえに自分は、自らの中に微かにともった炎を見ぬ振りいたしました」
テンセイはもう一度目を伏せ、そして顔を引き締めると真っすぐに私を見上げた。
「ソウビ殿、自分は、あなたを愛しく思っております」
「っ! テンセ……!」
心臓が止まるかと思った。まるで炎に触れたかのように、彼に包まれた手を引きそうになる。けれどテンセイはそれを逃さず、そこへ口づけを落とす。
「うっ!?」
「ソウビ殿、私は騎士です。貴女に永久なる忠誠を誓いましょう。夫婦とは異なる形ですが、この身は生涯貴女だけのものです。この心も、この命も、全ては貴女と共にあります。それをお忘れなきよう」
「テンセイ……」
私は今ここで死ぬのだろうか。ゲームの中の存在だった彼が、ただ、私だけに向けて愛を誓ってくれたのだ。そしてその愛は、なんて切なくきれいで哀しいのだろう。騎士道的恋愛、肉体的な欲求から離れ、精神だけで固く結ばれる愛……。
「テンセイ~っ!」
私はテンセイの胸に飛び込み泣きじゃくる。私が落ち着くまで、彼はずっと私を抱きしめてくれていた。耳元で「愛しています」と繰り返し囁きながら。
テンセイとの婚約解消から数日が経った。
「入るぞ、ソウビ」
デリカシーのないノックの音と同時に、ヒナツは返事も待たずに部屋へと入ってくる。
私が口をつぐみあからさまに迷惑そうな顔をしても、ヒナツは一向に気にしない。
今日も、両手に抱えた山のような包みをどさりと床に下ろすと、得意げに全てを開封し始めた。
「ソウビ、お前のために色々持ってこさせたぞ! え~っと、こちらはドレスに、靴に、アクセサリーだ!」
全てを開封し終えると、ヒナツは満足そうに大笑いをする。
「さぁ、どれがいい? どれも一級品の優れものだぞ! これらを身に着けた美しいお前を見せてくれ!」
「……ハァ」
ストレスの塊が口から漏れ落ちる。
最初こそ殺害されないため、ヒナツにある程度好かれなければまずいと考えた。しかし彼は、自分が王座に君臨するため、前王の娘であるソウビの存在が必要だと明言した。なら、よほどのことがない限り殺されることはないだろう。つまり、彼の機嫌を取る意味はなくなったのだ。
「ははは、今日も一瞥すらせんか」
私が不機嫌を露わに目を背けても、ヒナツは一人勝手にはしゃいでいる。
「まぁいい、貢ぐというのは存外楽しいものだな」
彼はベッドに座る私の隣に、どっかと腰を下ろす。その手には、繊細な細工の美しい靴が乗せられていた。
「お前のことをただ想いながら品を選ぶ、そのひとときの甘く愛しいことと言ったら」
「……」
彼の言葉に、わずかに心が動く。ヒナツの中に、ソウビへの想いが少しはあるのだろうか。
だが、彼を理解しようかと揺らいだ気持ちは、次の瞬間、冷や水をぶっかけられることとなった。
「ソウビよ、明日こそお前を満足させるものを用意しよう。なぁに、予算は潤沢にある。いやぁ、王にはなってみるもんだな!」
「は?」
反射的に彼をふり返る。目が合った瞬間、ヒナツはにんまりと笑った。
「どうした、ソウビ? 俺からの貢ぎ物を受け取る気になったか?」
「予算は潤沢? まさかと思うけどこれ全部、国家予算で購入しているの?」
私が口をきいたのが嬉しいのか、ヒナツはふんぞり返る。
「当然だ、俺は王だぞ? その身内に関する出費は予算に含まれるものだろう」
「アホなの!? やめて! そういうのは今回限りでやめて!!」
「さぁて、な」
ヒナツの瞳に青白い光が宿る。
「それはお前次第だ。ソウビ」
「……!」
ゾッと背筋が冷えた。
私が全く望んでいないにもかかわらず、確実に傾国ルートに進んでいることに気づいたのだ。
王になびかない愛妾と、気を引くため国家予算を湯水のように使う王。これはまさに、原作ゲームの中で語られていた二人の関係ではないか。
(まさかと思うけど、本編のソウビも今の私と同じだった可能性ない?)
冷たい汗が頬を伝う。
(ただヒナツを拒絶していただけなのに、『王の気を引くためのわがまま』と解釈された可能性は?)
「どうした、ソウビ?」
ヒナツは面白がるように、私の顔を覗き込んでくる。酷く無邪気な、からかうような表情で。
けれど私には、それに構っている余裕はなかった。
(ヒナツの浪費をやめさせるには、気に入ったふりしてプレゼントを受け取るべき? でも、それはそれで調子に乗って、更なる高価なプレゼントを用意し始める可能性は? どうするのが正解なの!?)
この物語の傾国となり、彼とともに民衆に殺害される未来しか、私にはないのだろうか。
「……チヨミには?」
わななく唇から、私は何とか言葉を絞り出す。
「チヨミがどうした?」
「私へのものと同じだけ、チヨミにも贈り物をしたかと聞いてるの」
チヨミの名を出した途端、ヒナツは白けた表情となった。
「いや? だがそれがどうした」
「とある国では、男は複数の女を持つことを許されるけど、贈り物は平等でなければならないそうよ。それが出来ない男は、カスだって」
ヒナツが少しムッとした表情になる。けれどこちらも未来がかかっている。
「あなたがチヨミを大切にしてないのを見ると思うの。それはいずれ私がたどる道だと。今の地位に就くための立役者たる女一人すら大切に出来ない男なんて、信用できない」
「……」
私の機嫌を取る目的でも構わない。ヒナツが少しでも今よりチヨミに関心を持ち、優しくなってくれれば、運命を変えられるのではと期待したのだ。
寵姫に夢中のあまり国を傾けた愚かな王、そんなものにならずにいてくれるのではないかと。
そしてもう一つ。私の言葉は気を惹くための言葉遊びなどではなく、本気で嫌がってるのだと気付いてほしくて。
けれどその思惑もあっさりと裏切られてしまった。
「チヨミをやたらに意識しているな。ソウビ、ひょっとして嫉妬か?」
「!?」
(今の言葉のどこをどう受け止めれば、そんなお花畑な結論に至るのよ!!)
言葉は届いているはずなのに、気持ちが伝わらない。
(やってられない!!)
私はベッドから立ち上がり、扉へと向かう。
「ソウビ? どこへ行く?」
私は彼の問いに答えることなく、部屋を後にした。
■□■
大量の貢物が床を埋め尽くす部屋に一人残され、ヒナツは笑った。
「クク……。毛を逆立てて威嚇する猫のようだ。愛らしいものよ」
そう言っておどける彼の瞳に、鋭利な憎悪が宿っていたことを、彼自身もまだ気づいていなかった。
■□■
私は自室を飛び出すと、チヨミの部屋へと駆け込んだ。
「ソウビ? どうしたの?」
「チヨミ……」
『ガネダン』プレイ時は、私の分身でもあった存在、ゲームの中で最も長い時間共にいたキャラ。その心やすい雰囲気に触れた瞬間、張り詰めていたものが崩れ落ちた。
私は彼女に駆け寄ると、その首に腕を回ししがみつく。
「ソウビ!?」
「チヨミ、どうしたらいい? ヒナツを受け容れるわけにはいかないし、拒絶しても喜ばせてしまう。私どうすればいい? わからないよ……!」
「……」
チヨミの優しい匂いが鼻腔をかすめる。それは、母親に甘える幼子の気持ちを、私の中に喚起させた。じわ、と心が緩む。
(せっかくこの世界に来られたのに、頑張ってもテンセイと結ばれず、傾国からの殺害ルートしかないなんて!)
鼻の奥がツンと沁みる。彼女の胸にすがって少し泣かせてもらおう、そんな考えが頭をよぎった時だった。
「何しに来たんだ、てめぇ」
不機嫌な少年の声が飛んで来た。
「! タイサイ、いたの!?」
私を怒鳴りつけたのは、濃紺の髪を持つ少年騎士。攻略キャラの1人であり、チヨミの義弟タイサイだった。
タイサイはチヨミから私を引きはがすと、アイスブルーの瞳で鋭く睨んだ。
「ヒナツに愛され過ぎてアタクシ困ってますぅ、って? それは姉さんへの当てつけか?」
「タイサイ、やめて!」
憎々しげに顔を歪ませる義弟の腕に触れ、チヨミは苦言を呈す。
「ソウビは前王のお姫様よ? それに王を呼び捨てなんて、不敬だわ。口の利き方に気を付けて」
「ふん、ヒナツは元々うちの使用人だ。それにこいつはそんなヒナツの情婦だろうが」
(なっ!)
「姉さんを苦しめるただの悪女だよ。優しくしてやる必要がどこにある!」
(くっ……)
返す言葉もない。確かに、ヒナツを大切に想ってるチヨミに、さっきの言葉は無神経だったと言わざるを得ない。
けれど、こっちだって命がかかっているのだ。未だ軌道修正の兆しは見えない、傾国ルートまっしぐらだ。弱音くらい吐かせてほしい。
それに、本来攻略キャラである彼の思わぬ冷たい態度に、ちょっとカチンときた。
ゲーム中はチヨミとして生きていたため、タイサイの素直じゃない言動はツンデレと称されるものだった。きつい物言いの中にも愛情がしっかり感じられる、それがタイサイだったわけだ。
けれど今の私は悪役のソウビ。タイサイの冷たいセリフは、ツンデレではなくガチのもの。
私にすれば、これまで自分を慕ってくれていたキャラがてのひらを返したようで、少々面白くなかった。
冷ややかなアイスブルーの瞳を睨み返し、私は口を開く。
「……レ野郎」
「は?」
「このシスコンツンデレ野郎!! うっせぇんだよ!! ちょーっとガネダン人気投票で一位取ったからって調子乗んなコラァ!!」
完全に鬱憤爆発の八つ当たりだ。
私の突然の剣幕に、タイサイが目を丸くする。
「え? シス? ガネダ? 投票? 何?」
「ぬるま湯のような義弟の地位に甘んじてないで、とっととチヨミに告白でもなんでもしてしまえ!! バーカバーカ!」
「はぁああぁあああ!?」
告白と言うワードを耳にした途端、タイサイの頬が分かりやすく真っ赤に染まった。
「ちょ、お前!! 何言って、ワケわかんな、はぁああぁああ!?」
「告白?」
チヨミがタイサイの目をまっすぐに見据える。
「タイサイ、私に何か隠しごとをしているの? 良くないことじゃないでしょうね?」
「いや、ちがっ。おいソウビ、てめぇ!!」
「えぇ、実はコイツ、チヨミのこと」
「あーっ! あーっ! あーっ!!」
存外素直な少年は、耳まで真っ赤にして私に掴みかかってくる。
「てめぇ、ソウビ、ふざけんなよ! マジぶっ飛ばすぞ!!」
おぉ、ずいぶん強気に出るじゃないか。しかしあまりに分かりやすい反応に、つい面白くなってしまう。
「ぶっ飛ばされる前に、全部バラしちゃおうかな。チヨミの似顔絵こっそり描いて、それを枕の下に入れて寝てることとか」
「おまっ、なんっ、いつ……っ!! なんでそれ知ってんだぁああ!!」
『ガネダン』プレイヤーでタイサイルート攻略した人間なら、皆知っている。攻略に必須のイベントではないが、人気のエピソードだ。ゲーム発売からそれほど日は経っていないにもかかわらず、これをネタにした二次創作作品は多い。まだ彼のルートをプレイしていない私ですら、SNSで情報を得ている。いわゆる、受動喫煙と言うやつだ。
挙動不審な義弟を心配し、チヨミがタイサイの顔を覗き込む。
「タイサイ?」
「なんでもないから! 姉さんには関係ないから!! ちょっとあっち行ってろよ!」
「……っ」
タイサイの剣幕に、チヨミが胸を突かれた顔つきとなる。
「あ~あぁ、チヨミがしょんぼりしちゃった。可愛い弟が、自分に隠し事をするなんて、ショックだよね。チヨミ可哀相、タイサイのせいだ~」
「どう考えても、お前のせいだろうが!」
「これはもう、枕の下から愛情いっぱいの似顔絵引っ張り出して来て、チヨミに見せるしかないねっ♪ それで、大事だよって気持ち伝えよう?」
「てめぇ、マジ殺すぞ!!」
パニックのあまり語彙力を無くしているタイサイに、私は悪役らしい笑みを浮かべる。
「口の利き方に気をつけな、少年」
「くっ……!」
悔しそうに歯噛みするツンデレの姿に、多少は溜飲が下がった。
(はっはっは、こちとら中身はれっきとした社会人ぞ? 十代の少年なんて可愛いもんだわ)
とはいえ、ちょっとやりすぎた気もする。少年のみずみずしい初恋をいじって面白がるなんて、大人がしてはいけないことだ。
大声出してすっきりしたことだし、少しフォローを入れておこう、そんなことを考えた時だった。
「こいつ、本当に王家の姫君かよ。品性のかけらもねぇただのならず者じゃねぇか」
……なるほど? まだ闘志は死んでないようだな?
「枕の下」
「だーっ!! しつけぇんだよっ!!」
しばらくこのネタで遊んでやろう、そう思った。
■□■
控えめなノックの音が、謁見室の澄んだ空気を震わせる。
「入れ」
ヒナツの言葉を受け、恭しく頭を下げ入室して来たのは大臣だった。
しかつめらしい顔つきの中年男を前に、ヒナツは面倒くさそうに欠伸をした。
「王よ、少しよろしいですかな?」
「なんだ」
「ソウビ様のことにございます」
ヒナツの頬がピクリと引き攣る。
「ソウビがどうした。俺はあれを諦める気はないぞ」
ヒナツは王らしく、尊大に笑って見せる。
「王家とのつながりを示すに良い道具だと思っていたが、あの抵抗ぶり、反抗的なまなざし、面白くてたまらん」
そう、自分はソウビに振り回されてなどいない。冷たくあしらわれることすら楽しんでいる。そうやって度量の大きさをことさらに示そうとした。
だが、大臣の眉間には深いしわが刻まれたままだった。
「『簒奪王』と呼ばれているとしても、ですか?」
「なに?」
「王よ、あなたのあだ名です。巷では『簒奪王』と呼ばれているとか」
ヒナツの顔から、笑みが消えた。
「簒奪!? 俺は前王を殺した奸臣を倒し、皆に望まれて王になったんだぞ? 前王から地位を奪ったわけではない!」
並の者なら思わず震え平身低頭する、ヒナツの傲岸不遜な怒号。しかし大臣は怯まず言葉を続けた。
「ソウビ様の態度が一因とか」
「ソウビの?」
「前王の娘であるソウビ様が、ヒナツ王を拒絶している。これはヒナツ王が王座にあることを、王の血筋が認めていない。つまりヒナツ王は正当な後継者ではなく、その地位を簒奪したも同然ではないかと」
「……」
ヒナツが玉座から立ち上がる。腰の剣を鞘から抜くと、それは光を跳ね返し鋭く光った。
ヒナツの双眸に爛々とした憤怒の炎が宿る。
悪鬼の表情で一歩、また一歩と階段を下りてくる王を前に、忠臣は気配を察し後ずさった。
「申し訳ございません! 出過ぎた真似をいたしました……!」
「下がれ」
普段の朗々とした声ではない。
「この剣が、お前の頭と胴を生き別れにする前に去れ」
ヒナツの声は地獄の底から響くような、昏く憎悪のこもったものだった。
「はっ、失礼いたします」
慌てふためきながら部屋を飛び出していく大臣の背に、殺意に近いものを宿したヒナツの視線が刺さる。やがて扉が閉まると、ヒナツは忌々し気に舌打ちした。
「『簒奪王』か……」
ヒュッと白刃が風を切る。
「盗賊の頭であれば気の利いた二つ名かもしれんが……、一国の王がこの名で呼ばれるのはまずいな」
怒りに震える王はこの時、気付いていなかった。細く開いた扉のすき間から、ラベンダー色の髪を持つ少女が覗いていたことに。
「いやぁ、ソウビは今日も美しいな。笑う顔も見てみたいが、冷たい横顔でさえ彫像のように整っているのが素晴らしい。ははは、罪な女よ」
(また勝手に部屋に入って来た……)
ヒナツはノックの後、いつも返事も待たずに入室する。私の意思を尊重する気など、はなからないのだ。訪れるタイミングも気まぐれなため、予測がつかなかった。
(チヨミの所に逃げたいけど、最近入り浸りすぎちゃったしなぁ……)
部屋にいればヒナツが来る。なのでここ最近は、朝起きて食事と身支度を終えるとすぐに、チヨミの部屋に逃げ込んでいたのだ。
さすがの図々しいヒナツも、妻の部屋から側室を連れ出すことはためらわれたのだろう。私にとって彼女の部屋はシェルターだった。
けれど私が長時間チヨミを束縛したせいで、彼女の王妃としての仕事が溜まってしまったらしい。
(悪いことをしちゃったな。しばらく訪問は遠慮しよう……)
勿論、この件についてタイサイからはめちゃくちゃキレられた。しかし、これは弁解のしようがない、反省。
(待てよ?)
私は一つの案を思いつく。
(チヨミの仕事の手伝いをしに行けばいいんじゃないかな?)
そうすれば私はここから逃げられる。チヨミは仕事が減る。
WinWinの関係とも言えるのではなかろうか。
(よし! そうと決まれば……)
この世界の王妃の仕事がどんなものかは知らないけれど、これでも私の本当の姿は会社勤めの社会人だ。
口説き文句らしき言葉を並べているヒナツをそこへ残し、チヨミの部屋へ移動しようと立ち上がった時だった。
ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、勢い良く扉が開いた。
「失礼いたします! 王、こちらにおられますか!?」
甲冑を身に着けた兵士が、息せきって駆け込んできた。
「騒々しいぞ」
不機嫌な声を上げるヒナツに、兵士はピッと背筋を伸ばし敬礼をする。
「はっ、失礼いたしました! しかし、急ぎお伝えせねばならないことが!」
「なんだ」
「カニス卿が反旗を翻し、ウツラフ村を占拠しております!」
(えっ!)
兵士の口から飛び出した名称には、聞き覚えがあった。
(これは、ガネダンの第五章で起きたイベント!)
ヒナツが王座に就いたことを快く思わない貴族たちによる反乱。
王都に近い村を占拠し陣を張った彼らは、村人に対し高圧的な態度を取る。
家や食料などを提供させられ、理不尽な命令をされる民たちが、ヒナツに助けを求めるイベントだ。
庶民出身の王は自分たちの味方だと、民はヒナツに期待を寄せる。けれどヒナツはソウビに溺れ、この訴えを聞き流し放置。
業を煮やしたチヨミが仲間を率いて討伐に向かうが、民はヒナツに失望してしまう。
民に慕われて王となったヒナツは、この一件で民の信頼を失い、そして……。
(ソウビは国中の憎悪を集め、殺害される最期へとつながる!)
「いやぁあああ!!」
「ソウビ!? おい、貴様! ソウビが怯えてしまったではないか!!」
「も、申し訳ございません!」
ヒナツは兵士を怒鳴りつけると、私を強引に抱きしめた。
「ソウビ、怯えずともよいぞ。カニス卿のことは知っているが、大したことが出来るやつではない」
ヒナツの指が私の髪を梳く。耳元に彼の吐息がかかる。
「放っておいても民が自ら蜂起しやつを叩き出すだろう。お前は俺の腕の中でただ心安らかにその時を待っておれば……」
「そういうところだー!!」
私は大声を上げ、ヒナツの腕を力づくで振りほどく。
(いや、ゲームでこのシーン見たけどね? 実際目の前でやられるとヒくね!?)
王である彼が破滅すれば、寵姫の私も道連れなのだ。
「ヒナツ、今すぐ兵を出して! 民を守ってカニス卿を捕まえて!」
「その必要はない」
「なぜ!?」
ヒナツは顎に手をやり、余裕の微笑を浮かべる。
「ウツラフ村の民は、奸臣フリャーカの軍を討つ際に戦力となってくれた心強い民だ。彼らは自分の力で解決できる。わざわざ兵を差し向けては、彼らの力を信用していないことになるぞ?」
「ちっがーう! 王が自分たちの村のことを気にかけてくれたという事実が大事なの! だから一刻も早く……」
「ははは、ソウビは聡明な女だが、荒事については分かっておらんな」
ヒナツは困った子どもをあやすような目で私を見ている。
「だが、そこも可愛らしいぞ、ソウビ」
(完全に私を、世間知らずと見下してる目だ……!)
ヒナツは私に向かって大きく両手を広げる。
「さぁ、我が腕の中へ来い、愛しきソウビよ。嵐が過ぎ去るまで抱きしめていてやろう。この世で最も安全な場所でお前を守ろう」
(ぶっ飛ばすぞ!)
自分の立場に陶酔しきっている姿が、ひどく腹立たしい。
「王よ……」
おずおずと口を開いた兵士に、ヒナツは冷淡な眼差しを向ける。
「まだいたのか。言ったとおりだ。放っておいてもあの村の民は自力で何とか出来る」
「しかし民は、王に救援を求めておりまして……」
「考えてみろ、今の俺は王だ。王に何かあれば、また国が荒れる。最前線で剣を振るうのは王の仕事じゃない」
それはそうだ。王は最前線に立つべきではない。
「だけど、兵を派遣するくらい……」
私の言葉を遮り、ヒナツは信じがたいセリフを口にした。
「それに兵を動かすにも金がかかる。そんな金があるなら、麗しのソウビをより一層美しく彩りたい」
(最悪かー!!)
今のはどう考えても、私がヘイトを集める結果になるやつだ。兵士の口から国中に広まっちゃうやつだ。ふざけるな。
「……もういい」
「ソウビ?」
声を震わせる私に、ヒナツは手を伸ばしてくるが、私はそれを振り払った。
(ここは原作ゲームの主役サイドに合流するしかない!)
このままヒナツの側にい続ければ、間違いなく殺されてしまう。
「私、チヨミの所へ行ってくる! 」
「ソウビ!? なぜチヨミだ!?」
説明するのも面倒くさい。どうせ何を言っても無駄なのだから。
私は彼に何も告げず、部屋を飛び出した。
■□■
「あっ……」
寵姫から袖にされた王から、伝令の兵士は気まずげに視線を逸らす。
「しっ、失礼いたします!」
鬱憤をぶつけられる前に、兵士は再び敬礼をすると、その場から立ち去った。
「……ふん」
王が愛妾からないがしろにされる姿を、目撃されてしまった。
「やはりこのままではまずい、か」
前王の娘を側に置くことは、彼が王の地位にあり続けるのに必要だった。だが、王の威厳を損ない続ける女では、デメリットの方が多い。
「さて、どうしたものか……」
その時、控えめなノックの音が耳に届いた。
「入れ」
尊大な口調で答えると、扉が細く開く。ラベンダー色の髪を両サイドに高く結い上げた少女が、おずおずと顔をのぞかせた。
「ラニ?」
そこにいたのは前王のもう一人の娘、ソウビの妹のラニ。ヒナツに名を呼ばれると彼女はぴょこんと入室し、ドレスの裾をつまみ愛らしくお辞儀をした。
「失礼いたします。ヒナツ王にお伝えしたいことがあり、思い切ってまいりました」
ソウビとお揃いの菫色の瞳が、まっすぐにヒナツへ注がれていた。
「ヒナツがそんなことを……」
伝令の内容とヒナツの対応を説明すると、チヨミは息を飲み、そして悲し気に睫毛を伏せた。
「――困った人」
「チヨミ、なんとかならないかな」
「そうね……。最高司令官たる王の命令なしで国の兵は動かせないから……」
チヨミがキッと表情を引き締める。
「私が行くわ」
「チヨミ!」
さすがはヒロイン! そして主役! 凛々しい! かっこいい!
「なにを考えてるんだ、姉さん!」
濃紺の髪の少年騎士が、異を唱える。
「反乱軍のいる場所へ一人で乗り込む? 考えなしにもほどがある!」
デレのこもったツンをぶつける義弟に、チヨミは悪戯っぽく微笑む。
「あなたも来てくれるよね、タイサイ」
「それは……。姉さんに何かあったら寝覚めが……」
少年は薄く頬を染めプイッとそっぽを向く。
「アルボル家の名に傷がつくからな! 仕方なくだ!」
(きゃ~っ! 初々しいツンいただきました~!)
大好きな義姉に頼られて、嬉しさを隠しきれない彼の様子に、口元がついほころぶ。
だがタイサイは私の視線に気づくと、キッとねめつけて来た。
「おい、性悪! 姉さんに無理難題押し付けやがって! そんなに姉さんが目障りか!?」
性悪って言われた……。
「押し付けるつもりはないよ。私も同行する」
「はあ!?」
呆れ果てた様子で、タイサイは顔を歪める。
「バカか、お前! 温室育ちが戦場に出て一体何ができると言うんだ!」
「だって、押し付けるなって言うから」
「出来るんじゃない? 前王の血を引く姫様なら」
割って入って来たのは、若葉色の髪の魔導士だった。
「ユーヅツ……。だ、だけどこいつは城の中で大切に育てられてきて、クーデターの時だってあっさり牢に放り込まれていた、戦場とは無縁の人間だぞ」
「王家の人間は、血統的に魔力が強いんだ」
へぇ、そうなんだ。
「出来るんだよね、ソウビ?」
急にユーヅツから話を振られ、私はきょとんとなる。
「なにが?」
「……」
ユーヅツはにこやかな笑顔のまま固まる。
「……治癒魔法とか」
「まほ、う?」
しばしの沈黙。
「えっ!? 魔法使えるの、私!?」
「ダメじゃねぇか!!」
驚く私に、タイサイの鋭いツッコミが入った。
「つか、てめぇ、魔法使えねぇのについて来るとか言ってたのかよ! アホか!!」
「ぐっ……」
いや、ほら、ゲームでは普通にあるじゃん? 主人公サイドは信じられない少人数で戦場に出たり、そこに一般人が混じっていたり。だから、大丈夫かなぁ、と。
「待って、タイサイ」
チヨミが私の正面に立った。
「ちょっと私がソウビを見てみる」
「チヨミ?」
チヨミは瞼を伏せて胸の前で手を組む。その体を、白い光が包んだ。
(きれい……)
神々しい姿だった。まさに正統派ヒロインと言った風情だ。
やがて彼女は静かに目を開くと声を上げた。
「これは……!」
チヨミが組んでいた指をほどく。彼女を包んでいた光が消えた。
「すごいわ、ソウビ。貴女からかなり強い魔力を感じる。魔法は使えるはずよ」
「そうなんだ! すごい!」
感嘆の声を上げた私に、遠慮のない言葉が飛んでくる。
「だから、なんでてめぇが驚いてんだよ!!」
「いや、だって魔法なんて使ったことないし」
「てめぇ、どんだけ甘やかされて育ったんだ……」
その時、私の肩に手がかかった。
「? ユーヅツ?」
「チヨミ、タイサイ、君たち二人はテンセイと合流して出陣の準備をしていてくれる?」
物静かな魔導士の瞳が、こちらを見た。
「ボクはその間に、ソウビが初級の治癒魔法を使えるように特訓しておくから」
へ?
「わかった! 頼むね、ユーヅツ」
説明はいらぬとばかりに、チヨミはさっさと部屋を出ていく。
「任せたぞ! 死なせない程度にな!」
意味ありげな笑いを浮かべたタイサイも、チヨミの後を追った。
「うん。任せて」
「え? ちょっと?」
にこやかに二人へ手を振る魔導士に私は戦慄を覚える。
「今、死なせない程度にって言ってたけど、どういう……」
「無駄口を叩いている暇はないよ、ソウビ。ことは一刻を争うんだ」
静かで優しい口調。柔和な微笑み。けれどなぜか私の肌は粟立っていた。本能が危険を察していたのだろう。
「じゃ、特訓を開始するね」
出陣の準備が整うまでの小一時間、私は彼から魔法の使い方を徹底的に叩き込まれることとなった。
それはもう、情け容赦のないスパルタ式で。
■□■
私たちは、救援の要請のあったウツラフ村へと向かっていた。
「ソウビ、大丈夫?」
虚ろな目でフラフラ歩く私を、チヨミが気づかわし気に振り返る。
「ダイジョブデス……」
「心配はいらないよ、チヨミ。ソウビには元々魔力が充分にあった。やり方を教えたから初級の魔法をいくつか使えるくらいにはなったよ」
「ユーヅツ、私が心配しているの、そこじゃないんだけど……」
ふと気配を感じて、目を向ける。
「……」
タイサイと視線がぶつかったが、彼はすぐに目を逸らしてしまう。
(? なんだろ?)
ふいに、大きな影が私に近づく。振り返るとそこにいたのはテンセイだった。
「ソウビ殿、足元がふらついておられます。自分が貴女を抱いて運びましょうか?」
(テンセイ!!)
テンセイが私を抱いて運んでくれる? お姫様抱っこ? それはぜひともお願いしたい!
だけど……。
「気持ちはすごく嬉しいけど、テンセイにはこの村で活躍してもらわなきゃいけないから」
限界ヲタクの私でもさすがに空気は読む。この状況は理解しているつもりだ。
「それにこれ、一時的に集中しすぎて、頭の中が真っ白になってるだけ。だから大丈夫」
「それならばよろしいのですが」
「……マジか。あの短時間で魔法使えるようになったのかよ、コイツ」
「? タイサイ、何か言った?」
「なんもねーよ、話しかけんな」
やがて私たちはウツラフ村の入口へと差し掛かる。そこへ出迎えるように立っていたのは、反乱の首謀者カニス卿とその追随者たちだった。
「これはこれは、簒奪王の一味ではないですか」
豪奢な服を身に着けた老人が、蔑みの目をこちらへ向ける。
「カニス卿。これは一体どういうことですか?」
戦装束に身を包んだチヨミが、怯むことなく一歩前へ出る。
「挙兵するだけならまだしも、ウツラフ村の人々に迷惑をかけるのはやめなさい!」
凛としながらも慈しみを感じさせる、チヨミの声。
「あなたたちが一方的にここを拠点と定めたため、村人が疲弊していると聞きました。速攻、ここから立ち去りなさい! 今、矛を納めれば、今回のことは……」
だがチヨミの声を遮り、老人は吐き捨てるように言う。
「黙れ、アルボルの娘! 直接私に口をきける立場だと思っているのですか!?」
老人の剣幕に息を飲むチヨミ。だがそこは彼女を愛する義弟が黙っていなかった。
「てめぇ! 姉さんは今や王の妃だ! てめぇこそ何様のつもりだ!」
タイサイの啖呵を、カニス卿は鼻で嗤う。
「はて? 王の妃?」
カニス卿はわざとらしく目の上に手をかざし、私たちをゆっくりと見回した。
「私の前には、卑しい身分でありながら王座を奪った男の、みすぼらしい女房がいるだけで……」
カニス卿の目が私のところで止まった。
「え?」
「ん?」
老人のニヤついた笑いが凍り付き、その嫌味な仕草が崩れる。
そして。
「ソ、ソウビ様ぁあああ!?」
「ぇあ!? は、はい!」
私と目が合った途端、カニス卿は明らかに動揺し、側にいる者たちと何やら相談をし始めた。
「え? 何? なんか私を見てびっくりしたみたいだけど」
「恐らくですが」
テンセイが身をかがめ、私の耳元で囁く。
「カニス卿のこの反乱における大義名分は、前王への忠誠です」
ふむ。
「ところが前王のご息女である貴女が、こうして反乱の鎮圧軍に加わってしまった」
おぉ。
「我々と戦えば、貴女に弓を引くことになる。そうなれば、あちらの大義名分は揺らいでしまう。それでどうすべきか困っているのではないかと」
なるほど。
こちらと戦って困ることになるのなら、とっとと矛を収めて帰ってくれないかな。そんなことを考えていた時だった。
カニス卿が愛想笑いをべったりと顔に貼り付け、私に語りかけて来た。
「そ、ソウビ様? なぜあなた様ともあろうお方が、そのような卑しい者どもと共におられるのですか?」
すごい、リアルに揉み手をしてる人、初めて見た。
「どうぞこちらにおいで下さい。我々はあなた様と戦う気など毛頭ございません。私どもはあなた様に本来の立場である女王の座に戻っていただきたく、行動を起こしたに過ぎないのです」
「私を女王に?」
「えぇ、さようにございます」
(あれ?)
原作の流れとは変わってしまうけれど。
(じゃあ、彼に従えば、私は傾国からの殺害ルートを逃れられるってこと?)
これまでずっと私を悩ませていた、数ヶ月後に殺される過酷な運命。この老人の手を取るだけで、それから解放される。そう思うと心が揺れた。
「さぁ、ソウビ様」
カニス卿は猫なで声で、ニッタリと私に笑いかけてくる。提案はかなり魅力的だが、この笑い方はどうにも信用できない。
「カニス卿、ひとつ聞いてもいい?」
「えぇ、ソウビ様の仰せであれば、なんなりと」
「もし私があなたの保護の下、女王になることを受け入れたら」
私が一歩前に出ると、カニス卿は嬉しそうに目を細めた。
「テンセイはどうなるの?」
「へ?」
「……」
私の質問に、カニス卿は笑顔のまま固まる。テンセイも戸惑ったように私を見た。
「テンセイ、ですか。近衛騎士団長の?」
「そう」
「ま、まぁ、簒奪王の一味ですから極刑は免れないかと」
(簒奪王の一味……、極刑……)
私は更に一歩、彼に近づく。
「それって、チヨミも?」
私が自分の側へ来ると思ったのか、カニス卿の両口端が大きく吊り上がった。
一歩また一歩とカニス卿に近づく私を、皆は固唾を飲んで見守っている。カニス卿は、私が城で不当な扱いを受けているとでも思ったのだろう。
「えぇ、えぇ。そこにいる不届き者どもは全員そうなりましょうね」
相好を崩し、私に向かって恭しく手を差し伸べてくる。
けれど私はその鼻先で、くるりと裾を翻し背を向けた。
「じゃ、あなたには従えない」
「は!?」
私は靴音を立てながら、元の位置へと戻る。そしてチヨミの手を取った。
「彼らは私の大切な仲間だから。極刑と聞いて、あなたと手を組むわけにはいかない」
「ソウビ……!」
チヨミの指が私の指と絡み、しっかりと結び合う。私たちは顔を見合わせ微笑み合った。
「お、お待ちください!」
カニス卿が慌てた様子で声を上げる。
「ソウビ様! 貴女は本来の地位に戻れるのですよ!? 私どもと組めば、あんな下賤の者の愛妾などと、いいようにされなくて済むのですよ!?」
ぐっ、ちょっと揺らぐな、それは。殺害ルートも免れるし。
だけど……。
「テンセイや大切な仲間の身柄と引き換えに手に入れたいものじゃない」
「ちょちょ、ちょーっとお待ちを!!」
狼狽した様子で、カニス卿は背後に並ぶ貴族仲間とまた何やら相談を始める。やや経って、彼はぎこちない笑顔をこちらへと向けた。
「わかりました、ソウビ様のお仲間につきましては不問と言うことで!」
「……そんな簡単に?」
「勿論ですとも!」
カニス卿が大袈裟なほど首を縦に振る。
「我々は前王への厚い忠誠を今も胸に抱いております。その血を引くソウビ様のお言葉にはただ従うのみ!」
「チヨミをぞんざいに扱うのもやめてくれる? 大切な友達なの」
「ははーっ! それがソウビ様のお望みであれば!」
「そう……」
つまりだ。
彼らと組めば、地位をいいことにやりたい放題のヒナツを、王座から下ろすことができる。
更に私が女王となれば、夫としてテンセイを指名できるのではなかろうか。
(あれ? 問題は全て解決? これってチャンスなのでは!?)
「えっと、じゃあ……」
あなたたちと手を組んでもいい。そう答えようとした時だった。
「キャアアァアアッ!!」
絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「え? なに?」
扉が音を立てて開き、一軒の家から若い村娘が飛び出してくる。時を置かず兵士が姿を現し、娘の襟首を乱暴に掴んだ。
「いやです! 離してください!」
もがく村娘を乱暴にかき抱き、その抵抗さえ面白がるように兵士は笑う。
「話し相手になれと言っているだけだろう! 貴族の俺が下賤な女に興味を持つと思うか? うぬぼれるな!」
「話し相手なんてウソです! そう言って私の友人を傷つけたくせに!」
「いいからこっちへ来い!」
「お、おい! 馬鹿者! やめんか!」
カニス卿が悲鳴に近い声を上げた。兵士がこちらへ顔を向け、きょとんとなる。
「あれ? 伯父さん。そんなところで何を……」
「いいからその娘から手を離せ! お前もこっちに来い!」
焦るカニス卿に、チヨミは冷ややかに問いかける。
「カニス卿、あれはなんですか」
「だ、黙れ! お前には……!」
チヨミを怒鳴ろうとして振り返り、傍らに立つ私と目が合う。カニス卿が蒼ざめた顔に引き攣った笑いを貼り付けた。
「いや、あれは……、はは……」
勢いを無くしたカニス卿をチヨミは問い詰める。
「占領した貴族が、民に狼藉を働いているというのは本当だったのですね」
「いや、まさかそんな! 村の者たちも我々の高い志をくみ取ってくれて、大変協力的でして……」
その時、遠巻きに様子を見守っていた村人たちが、ぞろぞろと物陰から出てきた。
「ウソをつくな!!」
「これ以上、女たちに手を出すな! 食料を奪うな!」
「出ていけ貴族ども!!」
拳を振り上げ、村人たちは口々に怒声を上げる。
「~~~~っ!」
思わぬ反撃にギリギリと歯噛みしていたカニス卿が、私に向かって愛想笑いを浮かべる。
「ソ、ソウビ様! 違うのです、これは何かの間違いで……」
(いや、完全にアウトだろ)
呆れて黙りこむ私を見て、これ以上誤魔化せないと察したのだろう。カニス卿の顔が、醜く歪んだ。
「くっ! 兵士ども! 簒奪王の一味の襲撃だ! かかれ!!」
(キレた!?)
一瞬にして辺りは剣呑な雰囲気に包まれる。
すかさず私の前に、三つの影が躍り出た。
「ソウビ殿、どうぞお下がりください! ここは自分たちにお任せを!」
「どけ、邪魔だ、足手まとい! その辺に隠れてろ!」
「ソウビ、怪我人が出たら手当をお願いするよ。無理に戦おうとしないで。攻撃するのは身を守る時だけでいい」
「わかった!」
当たり前のように守ってくれる攻略キャラ3人に、少し胸が躍る。
(あ、でも、正規ヒロインのチヨミを守らなくていいのかな?)
当のチヨミはと言えば堂々としたもので、細身の剣を手にし、襲い来る反乱軍の正面にすっくと立っている。
「私たちも大切な民を斬り捨てたくはありません! 降伏を望む者は前に出てこないで!」
反乱軍の中にざわめきが広がる。
「この村での狼藉については、相応の罰を受けてもらいます。が、反乱への参加自体については、家同士の繫がりで断り切れなかったなど、やむを得ない事情があったとみなしましょう!」
(うおお、チヨミ凛々しい!!)
カニス率いる軍と、チヨミをリーダーとした私兵がついにぶつかり合った。
私は怪我人の治療をしながら、その様子に目を凝らす。
「せあっ! ハァッ!」
テンセイが大剣をひと振りするごとに、敵はあっさりと吹っ飛んでいく。重い一撃であるにもかかわらず、次の一撃へと移るスピードはとても速い。
(さすが近衛騎士団長のテンセイ、強い! かっこよすぎる!)
その姿は、まさに戦場を駆ける鬼。普段の穏やかな彼からは想像しがたい、荒ぶる獣の姿。布越しに伝わる筋肉のうねりなどまさに芸術品だ。
重量級のテンセイと対照的なのが、俊敏な動きで敵を翻弄するタイサイだった。
「はぁっ!」
スピード感のあるシャープな動き。
(さすが、人気投票一位は伊達じゃない!)
身軽な動きで敵の間をすり抜け、確実に仕留めていく。まだ少年らしい細身の体が、忍者のように軽やかに動く。
少し下がった位置から遠距離攻撃を放つのは、魔導士のユーヅツだ。
「ふっ!」
彼の魔法はなにげにエグい。国内随一の魔力を誇る彼の攻撃は、火力が他の者とは段違いだ。その技でもって、大勢を一瞬にして吹き飛ばしてしまう。彼一人で、魔導士部隊一つ分だと言われるのも大袈裟ではないようだ。
(しかし、ゲームでは見慣れた光景だけど、王妃自ら家臣数人と反乱軍に立ち向かうなんてかなり危ういなぁ)
物陰に身を潜め、仲間の戦う様子を眺めながら、そんなことを思っていた時だった。
「ソウビ様」
背後から投げかけられたしわがれ声に飛びあがる。
「カニス卿、いつの間に!!」
枯れ枝のような老人の手は思いの外力強く、私は背後からガッチリと捕らえられてしまう。魔法を発動させることも出来なかった。
「は、放して!」
「いいえ、それはなりません。ソウビ様には我らの元へ来ていただきます。我らが前王の遺志を継ぐ忠臣であることの証として!」
(は!?)
その言葉にカチンときた。
ヒナツは私を、王家につながるものの証として欲しがっている。
そしてこの人は、前王の遺志を継ぐ者の証として、私を欲しているのだ。
「結局あんたたちも、ヒナツと同じってことね」
老人が眉をつり上げた。
「我々をあの盗人と同列とおっしゃるか!? それは侮辱にございますぞ、ソウビ様! さぁ、駄々をこねずこちらへ!」
「くっ、離して……!」
その時だった。
ガッという鈍い音の後、私を縛めていた枯れ枝のような指から力が抜ける。
「カハッ……」
(え……?)
どさりという音を立て、老人がその場に倒れ伏す。そこに立っていたのは、剣を携えたヒナツだった。
「……ふん」
「ヒナツ!?」
私の声に、村人や鎮圧軍の兵士たちが歓喜の声を上げる。
「おおおー! ヒナツ王だ!!」
「我らと共に剣を振るう者、ヒナツ王が来られたぞー!!」
生ける軍神の登場で、人々の顔は希望に輝いた。
「ヒナツ、来てくれたんだ……」
「……」
ヒナツは私を一瞥すると、一言も発せず横をすり抜ける。
(ヒナツ?)
彼の視線の先では、チヨミが壁際に追いつめられ、敵兵士からの攻撃を細身の剣で必死に凌いでいた。
「くっ、う……!」
「あっ、チヨミ!!」
ヒナツの立てる靴音が、歩みから早足へ、そして駆けるものへと変わる。
「どけ!!」
雄々しい怒号と共に、ヒナツは夜走獣のごとき身軽さで人々の間をすり抜ける。あっという間にチヨミの元へ駆けつけると、彼女を襲う敵兵を真っ二つにした。
「怪我はないか、チヨミ」
「え、えぇ。ありがとう、ヒナツ」
ヒナツはチヨミの手を引き助け起こす。そして立ち並ぶ敵兵をジロリとねめつけた。
「あ、あぁ……」
返り血に身を染めたヒナツのひと睨み。それは敵対してはならない相手であることを、知らしめるに十分だった。
反乱軍の兵士たちはすっかり戦意を失い、及び腰となる。
「なにをしている!」
カニス卿に賛同した貴族の1人が、叱咤の声を上げた。
「奴さえ倒せば、王座を本来の持ち主に返すことが出来るのだぞ! むしろ、好都合ではないか! こちらは数の上では圧倒的なのだぞ!!」
貴族はサディスティックな笑みを浮かべる。目障りな成り上がり者が、血反吐を吐いてぼろ雑巾のようにされる未来を夢想したのだろう。
「行け! 兵士ども! 囲んで切り刻んでやれ!!」
「お……おぉおおおおお!!」
一度失いかけた戦意を奮い起こし、兵士たちが一斉にヒナツに躍りかかる。
けれど。
「ぉらぁああああっ!!」
ヒナツの動きは人間業とは思えないものだった。舞のように地を蹴りつけ剣を振るい、確実に敵の数を減らしてゆく。その身を濡らす血は全て、敵のものだ。
(強い……!)
私には武術に関する知識などまるでない。それでも彼が、途方もなく強いことだけは理解できた。
「俺が王であることに不満のあるやつ……」
燃えるような赤毛に赤い戦装束、そして全身を濡らす返り血。
その中で、にやりと笑った口元だけが眩しいほどに白い。
「出てこい! 俺はここだ! 俺の首はここだ!! 来てやったぞ!!」
轟く声は獣の咆哮。その圧倒的な存在感を前に、抵抗しようなどと考える者は、もはや誰もいなかった。
「ひ、ひいいぃいい!!」
貴族たちが泡を食って逃げ出す。自分たちを率いていたはずの人間の情けない背中。それを見た瞬間、兵士たちは敗北を悟った。
「逃げろ! 殺される!!」
「バケモノだ! あいつは人間じゃない!!」
「どけ! うわぁあああ!!」
一斉に村から脱出しようとする兵士たちに、農具を持った村人たちが襲い掛かる。
「逃がすか!! こんちくしょうが!」
「我らもヒナツ王と共に!!」
追いすがる村人たちを振り払おうと、兵士たちも逃げながら武器を振り回す。
「民を守るぞ! 投降した人間もだ!」
テンセイの声に、鎮圧軍は頷く。
「姉さん、視界に入ると気が散るから隠れてて」
「心配してくれてるんだ。タイサイ、ありがとう」
「みんな、攻撃力を上げるよ、はぁあっ!」
ユーヅツのスペック上昇の魔法を浴びた者たちが、気勢を上げて敵を追う。
もみくちゃの乱戦の中、緋色の軍神がまっすぐに駆けていく。反乱軍の扇動者たちに向かって。
「おらぁあああっ!!」
不謹慎にも、彼を美しいと思ってしまった。
ヒナツの姿は、敵を焼き尽くす炎そのものだった。
(やっぱり、民衆に望まれて王の座に就いただけのことはあるんだ)
少しだけ、胸が高鳴っている。これは初めて目の当たりにした戦のせいだろうか。
(嵐のような圧倒的な強さ……)
ヒナツの剣を振るう姿が、いまだ目に焼き付いている。
(ただの色ボケじゃないんだ)