ゴールに設定していた駅に着いて、目の前に広がる光景に圧倒された二人は立ち竦んだ。
透き通るような青空に、もくもくと膨らんだ白い雲がトッピングされている。その下には煌めく太陽の光を反射して、キラキラと輝く水面が果てしなく広がっている。
絵に描いたように美しい景色はこの一瞬限りのもの。そう思うと余計に広大な自然の美しい儚さを感じて、できる限り目に焼き付けようと眩しい空と海に視線を向けた。
ぎゅっと胸を締め付けられるような切ない痛みと、はぁとため息を吐き出したくなるようななんとも言えない感情。たぶん、こういうのを「エモい」っていうんだ。
如月は手に持っていたカメラを構えて、その景色を閉じ込めた。残りは一枚。自然と隣に立つ矢沢にレンズを向けていた。
それに気づかない矢沢はまっすぐな瞳で前を向いている。青春の色を忘れないように、瞬きを忘れて虜になっている。
少し震える指先でシャッターボタンを押した。時が経つにつれてどうしても薄れてゆく記憶の中で、その姿だけはいつまでもはっきりと覚えていたいと思ったから。
撮られていることにシャッター音で気づいた矢沢は照れたようにはにかんだ。
「俺なんか撮らなくてもいいだろ」
「いいの、俺が撮りたいものを撮るんだから」
彼の言葉を引用すれば、矢沢は一本取られたというように悔しそうな表情をしてぐと押し黙る。
「……貸して、二人で撮ろう」
「あ、さっきので全部無くなっちゃった」
「はぁ、お前ってやつは……」
矢沢はフィルムカメラの最後が自分だということを知って、なんとも言い難い感情に片手で顔を覆った。
自分ばかり翻弄されているのは、普段と何にも変わらない。非日常に包まれているというのにそんな当たり前を見つけて、それを嫌だと思わない自分にため息が出た。
「じゃあ、スマホで撮ろう。ゴールしたし、今から解禁」
そう言って、スマホの電源を入れる如月。
二人の姿と風景が画面にうまく入らないなと試行錯誤している如月の手から奪い取った矢沢がスマホを構えた。
馴染みのある操作なのにどこか懐かしく感じながらシャッターを切れば、どこまでも続く青に包まれてにっこりと笑う二人の姿が収められた。
この旅も終わりかと残念に思いながら矢沢もスマホの電源を入れて数秒、怒涛の通知で画面が埋まっていくのを見つめてサッと血の気が引いた。
――母さん。
――母さん。
――母さん。
ほとんど全て母親からの連絡。鬼のように怒っている姿が容易に想像できて、矢沢は現実逃避するように目を閉じた。
――あ、俺、終わったかも。
チーン、とどこか遠くでりんの鳴る音が聞こえた気がした。
そんなとき、千里眼でも持っているのかと疑いたくなるような絶好のタイミングで――矢沢にとっては最悪だったけれど――母親からまた電話がかかってきた。
出るかどうか悩んだ結果、後回しにする方が怒りのゲージがどんどん溜まっていくだろうと判断して、嫌々通話ボタンを押す。それと同時に耳から離しているというのに大音量で聞こえてくる母親の声。
「蒼、あんたどこにいるの!」
怒りの中から覗く心配の色を見つけて、申し訳ないという感情がどんどん増殖されていく。
矢沢が母親に平謝りしている隣で、如月は母親から届いていたメッセージを見てくすりと笑った。
『あおくんに迷惑かけてない?』
なんにも言っていないのに誰といるのかを分かっている母親は、きっと矢沢が一緒なら大丈夫と信頼しているのだろう。
「まーくんもいるよ」
そんなメッセージに何て返そうかなと悩んでいれば、不意に呼ばれた懐かしい渾名。スマホを見ていた顔を上げて彼を見れば、じんわりとあたたかいものが胸に広がる。
いつからだろう。大人になった真似事をしたくなって、苗字で呼び合うようになったのは。
あおくんとまーくん。
いくら身体が成長したって、二人の中身も関係性も何も変わってないっていうのに。
「分かってるって!」
まだ叱られ続けている矢沢の手からスマホを奪い取る。
「おばさん、俺があおくんを連れ出したんだ。ごめんなさい」
『まーくん、大丈夫なの? 事故とかに遭ってない?』
「あおくんがいるから大丈夫」
これまでずっと隣にいて、何だって乗り越えてきたんだ。だからこれからもきっと、大丈夫。二人でいれば、大丈夫。
そう思いながら答えれば、目の前に立つ唯一無二の存在がへなへなとその場にしゃがみこんだ。その耳は夕焼けに負けないぐらい赤く染まっている。
電話を切って、それを認めた如月はくすくすと笑った。探していた青春の答えはすぐ傍にあったから。こんな遠くに来なくてもよかったんだ。
「青春の答え、見つかったよ」
「そう、何だった?」
「秘密」
満面の笑みで如月は答える。
矢沢はそんな彼を見つめてしかたないなあと言いたげに息を吐いた後、ふわりと笑った。その笑顔を見ただけで、矢沢にも青春の色がどんなものなのか分かった気がしたから。
――青春はいつも隣で笑ってる。
記憶の中、澄み切った蒼い色がいつだってそこにはあった。
【完】