翌週の日曜日になると、環は白薔薇会主催の‟ガーデンティーパーティー″に招待をされた。環は当然パーティーというものに縁がなく、招待状が届いた時には背筋が凍ったものだ。

 本来であれば迷わず断りたいところであったが、開催場所をみると綾小路邸と記載があるではないか。

 環はぐぬぬ、と眉を顰めて考え込んだ。綾小路雅の活発な態度を思い起こして、背筋が凍る。だが、これはおそらくは絶好の機会なのだろう。環は自身に鞭を打ち、参加の意思表示をしたのだった。

「環様、ごきげんよう!」
「ご……ごきげんよう、時子さん」

 綾小路邸は帝都の西側に門を構えている。洋風邸宅は、九條家に匹敵するほどに立派だった。

 敷地の中に入るなり、ほうとため息をつく。当主が好んでいるのか、庭園には色とりどりの薔薇が植えられていた。

『ひょえ~、随分と気合入ってんなあ~』

 庭先には豪奢なワンピースを身に着けた令嬢たちですでに賑わっていた。環の影の中に身を潜めるマダラも、あっけにとられている。
 ふんだんにあしらわれたフリル、きらりと光沢のあるブローチ、上品にも日傘をさしている者もいる。

(人が多いよ……はやく帰りたい……)

 時子に連れられるままに敷地の中を進むと、令嬢たちの視線が環へと集結する。

(こわい……! いじめられる!)

 やはり、先日の夜会でかましてしまった玲子への失言が響いてしまっている。こそこそと耳打ちする声が聞こえ、環はぶるりと震えあがった。

「た、環様……あまり、その、気負わないほうがよろしいかと……」
「は、はい……」
「た、たしかに先日の件はわたくしも驚いてしまいましたが、あれは、玲子様のお体を思ってのこと……だったのでしょうし。それにしても、環様は学に明るいのでございますね」

 時子は両手を合わせ、顔を青々させている環を宥めた。

「女学校時代は、立派な花嫁になるよう先生方から指導を受けていたものですから、学問に関しては、殿方の専門分野だとばかり思っておりました」
「えっと……その、私はべつに」

 ただ家に引きこもって学術書を読みふけっていただけだ。環は尋常小学校にも通っていなければ、女学校になどもっぱら縁もゆかりもない。周の婚約者を名乗っているが、それこそ花嫁修業の‟は‟の字も経験がないのだ。

「……それにしても、環様は九條邸で過ごされていらっしゃるのでしょう? その……何かお変わりはございませんでしょうか」

 続々と来訪する令嬢たち。その誰もが黒塗りの自動車から、使用人を連れて颯爽と降りてくる。環にとってはまるで別世界だった。周囲で挨拶が交わされる中、時子はこっそりと耳打ちをした。

「どういう意味、でしょうか……」
「いえ……あの、九條家は由緒正しく、素晴らしい血筋であると、存じ上げております。ただ……十年前に起こった惨事は、ご存じでしょう? 周氏をのぞき、一家が火事でお亡くなりになった……あの事件を」

 環ははっと息をのんだ。当の本人に仔細は聞かずにいるが、九條家の鬼たちは、なぜ殺されてしまったのだろうか。
 誰に? なんの目的で?

 深入りすべきではないと理解しているが、周の言葉が脳裏に染み付いてしまって離れない。もし、鬼族をよく思わない存在がいるのならば、今も虎視眈々と周の寝首をかく機会を狙っているかもしれない。

「それが理由であるのかは分からないのですが、周氏の婚約者であった方々はみな、邸宅から不気味な気配がするといって、去られてしまっているのです」
「あ……ああ」

 考えを巡らせていたが、そこで現実に引き戻される。その不気味な気配とは、妖のことだ。

「周氏は見目の麗しい貴公子のようなお方……ですが、お屋敷は亡霊たちにより呪われているのではないか……とも噂されていたもので」
「えっと……それに関しては、なにも問題は、ないです」
「そうなの、ですか? でしたら、安心いたしましたが……。呪われたりはしていないかと、少々心配しておりましたので」
「あ、はは……」

 環は誤魔化しながらに笑うしかなかった。

「ほら、近頃の令嬢失踪事件もなかなか解決には至っていないようですし、警察でも、めぼしい証拠が出てこないようで。もしかすると神隠しやモノノケの仕業なのではないかって、一部ではもちきりなのですよ」

 時子は重々しい顔つきで述べた。環にとっては頭上に鉛が落ちてくるような感覚があった。

「昔から、逢魔時にはひとり歩きはするな、人ならざるものに攫われる――と言われておりますけれど、それが本当ならば怖いですよね……」
「……」

 なんと虚しいのだろう。妖ものがすべて明確な悪意をもっているわけではないというのに、どうしてここまで恐れられなくてはいけないのだ。

 人間の方がよほど怖いではないか。環はぐっと唇を噛みしめ、黙り込んだ。

「って、ほら、雅様がようやくお見えになりましたよ」
「え……?」
「公爵家の方々は、いつも、あちらの二階バルコニーでお茶を楽しまれるのです。ああ、今日も見目麗しい……」

 時子がうっとりしている隣で、環はそわそわと落ち着かない。あのような格上の世界。ただでさえ、公爵家とそれ以外のものたちで区切られてしまっているというのに、どのように接触をしたらよいものか。

「ごきげんよう、雅さん」
「……ごきげんよう。ですが、わたくしはあれほど延期にしようと申し上げましたのに。よくもまあそう呑気にお茶などしていられますね、玲子さん」

 今日の雅も機嫌が良いとはいえないようだ。あのような強気な令嬢に、陰気な環が太刀打ちできるわけがない。さあああ、と環の顔は真っ青になる。

「みなさまをご不安にさせてはいけないでしょう。それに、瑠璃子さんはきっと帰ってきてくださいますわ」
「だから、わたくしはお茶を楽しむような気分になどなれないと言っているのです!」
「雅さん、どうか、警察を信じて待ちましょう。わたくしたちが暗い顔をしてばかりいてはなりませんよ」

 雅はきっと鋭く睨み飛ばし、ふてぶてしい態度で椅子に腰かけた。

(あっ!)

 ──ともすれば、雅の足元に小鬼がいるではないか。
 いったいどこからやってきたのか、雅の足首にしがみつき、体をよじ登っている。当然、雅本人にもそれ以外の者たちにも見えているはずなく、環のみぞ知るところではあったが。

『放っておいても問題はねえだろ。まっ、多少のいたずらはするだろうけどな』
(いっ、いたずらって……大丈夫かな)

 小鬼はやがて雅の頭の上にたどりつき、満足げに腰を下ろす。しばらくあの場から離れるつもりはないらしい。
 環は小鬼の存在が気になって仕方がなかったが、やがて運ばれてくるお茶菓子に舌鼓を打ったのだった。