あの後、よほど婚約を破棄されたことがつらかったのか依鈴は夕食をとらず、自室にこもってしまった。
 いつもなら継母達の近くに控え、言いつけられた用件をこなすのが日課だった千冬だが、ぐったりとしている姿を見て使用人達は流石に不憫だと思ったようだ。
 御膳立てなどは自分達が行うから台所で調理器具の後片付けをしておいてほしいと言われ、その言葉に甘えることにした。
 最初は遠慮したがこんな身体の状態であちこちに動いていたら継母達をさらに苛つかせ、皆にも迷惑がかかるだろう。
 千冬を勝手に休ませさせると使用人達も叱られるため、裏方の仕事を任せたのだ。
 しかしその優しさは先ほどの出来事の傷を癒すことはない。
 酷な水仕事のせいで両手はあかぎれだらけ。
 冷たい水が染み込み、痛さを感じて思わず洗っていた鍋から手を離す。
 いつもなら堪えられていた継母達からの虐めが呪いのように心と身体を締めつけていた。
 このまま、ここで暮らしていけば確実に殺される。
 きっと使用人達はそんな場なんて誰も見たくない。
 もし死ぬ運命なのだとしたら誰にも迷惑をかけず静かに眠りたい。
 そう思った時、千冬は自分の張り詰めていた糸がプツリと切れた感覚を覚える。
 (お母さまのところに逝きたい……)
 千冬は水を止め手を拭くと誰にも気づかれぬよう、何も持たず身一つで静かに屋敷をあとにした。