窓から橙色の陽射しが差し込む。
千冬が他の使用人達と継母達の夕食の準備をしていると玄関から明るい賑やかな声が聞こえる。
あの様子だとまだ清二が千冬と会ったことは知られていないようだ。
しかし安堵など出来るはずがなく時間が経てば必ず知られてしまう。
お茶碗を持つ手が震えてしまい、事情を知っている使用人達は不憫そうな視線を千冬に向けている。
使用人も特に千冬を庇ったり悩みを聞いてくれるわけではない。
祟り神の呪いが宿るといわれている瞳の娘が使用人として働いていると知ると大抵の使用人が辞めていく。
現在、嶺木家で働いているのは高い給料が目当ての使用人だけ。
憐れむような視線を送られても継母達のように虐げてくることはないのでつらいと感じることはない。
今の千冬はつらさよりも紫紺色の瞳を見た清二がどのような判断を下すのかという不安が勝ってしまい、台所には張り詰めた緊張感が漂う。
「依鈴、新しいお着物が買えて良かったわね」
「はい、お母さま。今度の日曜日に清二さまと会う約束をしているから、その時に着ていこうと思うの」
「依鈴も女学校を卒業すればいよいよ結婚か。盛大に祝わなければな」
継母達と仕事に行っていた父は同じ時刻に帰宅したのが愉しげな会話でわかった。
そんな幸せに満ち足りている三人に一人の使用人が動揺した様子で駆け寄ってくる。
「だ、旦那さま。時田家のご当主からお電話です」
「時田?」
宗一は顔をしかめ、電話機が設置されている部屋へ向かっていく。
「もしもし?」
「おい!嶺木!一体どういうことだ!」
急な怒鳴り声に宗一は思わず耳から受話器を離す。
電話の相手は時田家の当主、時田大和。
宗一とは学生時代の同級生で親交があり自分達の子を結婚させ、より家を繁栄させようと依鈴と清二を婚約させた。
あまり電話などよこさない大和に宗一は顔を訝しげながら再び受話器を耳元に寄せる。
「何の話だ」
「とぼけるな!お前の家には紫紺色の瞳をもつ娘がいるそうじゃないか!」
「……!な、なぜそれを」
屋敷の外に出ないよう千冬に強く言いつけていたはずなのに、どうして大和が知っているのか訳がわからないようだ。
「今日、嶺木家に行った清二が確かに見たと言っている!中庭に面した廊下で寝たきりのはずの娘、千冬がいたと!」
「見間違いでは……」
「この期に及んで白を切るつもりか!もういい、清二とそちらの娘との婚約は破棄させてもらう!」
「お、おい!待て……!」
宗一が弁明を図ろうとしたが、そこで電話が切られてしまった。
呆然とする宗一は徐々に怒りが沸点に達していく。
襖を勢いよく開け、廊下を歩いていた使用人に強く言い放つ。
「千冬を呼べ!」
居間には呼びつけられた千冬の他に、依里恵と依鈴、そして宗一がいる。
千冬の正面に座っている宗一は腕を組み、額に青筋を立て眉を吊り上げている。
そんないつもと違う父の様子に継母達も何事かと顔を見合わせていた。
「今日、屋敷で清二君に姿を見られたそうだな」
「っ!」
ギロリと睨まれ千冬は肩を震わせた。
殺気立った眼差しに他人から見れば本当に血の繋がった親子なのかと疑ってしまうほどに。
「何ですって!貴女、言いつけを守らなかったの!?」
「い、いえ……!そういうわけでは……」
屋敷の外には出るなという約束は守った。
そのことだけは伝えようとしたが二人は聞く耳をもたない。
「言い訳をしないで!お父さま、もしかして先ほどのお電話は清二さまから?」
「いや、電話の相手は当主からだったのだが……」
宗一の言いにくそうな表情に継母達は固唾をのんで言葉の続きを待っていた。
今回の騒動の原因をつくってしまった千冬も一寸も動かず静かにしていたが、わざわざ時田家の当主が電話をしてくるということはと少し考えれば結果はすぐにわかることだ。
「依鈴と清二君の婚約は破棄にしたいと」
「そ、そんな……」
父の言葉を聞いた依鈴は顔を青ざめさせ、徐々にその大きな瞳が潤んでいく。
千冬が謝罪しようとした矢先には一筋の涙が頬を伝っていた。
妹の泣いている姿を見るのは初めてで自分はなんてことをしてしまったのだろうと事の重大さを思い知る。
「依鈴……!辛いわよね、可哀想に」
依里恵は優しく嗚咽を出しながら泣いている妹を抱きしめる。
背中を擦る手を止めると怒りと憎しみに歪んだ顔で近くに座っていた千冬を睨みつけた。
「何をしたか分かっているの!?貴女は一人の大切な未来を壊したのよ!」
こんな時、父は千冬を守ろうともしない。
それだけ紫紺色の瞳を嫌い、政略結婚のため別れることになった継母に負い目を感じているのだろう。
もう赤の他人も同然だった。
「申し訳ありません……」
両手を添え畳に額をつけて謝罪をすると依里恵はスッと立ち上がり、いつもより大股でこちらへ向かってくる。
頭を下げていた千冬は歩く音だけでこれから自分の身に起こることに危機感を覚える。
しかし勝手に頭を上げるのは許されないのでそのまま動かずにいた。
手が左肩に触れ、力強く身体を起こされたかと思えば、その手が次は千冬の首を絞めつける。
「うっ……、ぐ……」
声にならない声を出し感じたことのない苦しさに身体をもがく。
そんな千冬を見て継母は一瞬嬉しそうに口角を上げるとすぐに表情を戻し、恐ろしいほど淡々とした口調で言い放った。
「明日から今までよりたくさん虐めてあげる。覚悟しなさい」
ああ、自分は殺されてしまう。
眼差し、声、空気、全てですぐにわかった。
今よりもさらに扱いや言動が酷くなるのを想像するだけで背筋が凍る。
首を絞められ意識が朦朧とした瞬間、やっと手が離され、千冬はその場にドサリと倒れ込んだ。
「ごほっ、ごほっ……!」
苦しさから解放され何度も咳き込む。
依里恵は立ち上がると今もなお、泣き続けている妹の肩を抱き寄せながら居間から出て行く。
宗一もぐったりとしている千冬を助けることなく一瞥だけすると続けてその場をあとにした。
千冬はさらに目の前が絶望で暗闇に包まれたような気がして、いつぶりかわからない涙を流した。
千冬が他の使用人達と継母達の夕食の準備をしていると玄関から明るい賑やかな声が聞こえる。
あの様子だとまだ清二が千冬と会ったことは知られていないようだ。
しかし安堵など出来るはずがなく時間が経てば必ず知られてしまう。
お茶碗を持つ手が震えてしまい、事情を知っている使用人達は不憫そうな視線を千冬に向けている。
使用人も特に千冬を庇ったり悩みを聞いてくれるわけではない。
祟り神の呪いが宿るといわれている瞳の娘が使用人として働いていると知ると大抵の使用人が辞めていく。
現在、嶺木家で働いているのは高い給料が目当ての使用人だけ。
憐れむような視線を送られても継母達のように虐げてくることはないのでつらいと感じることはない。
今の千冬はつらさよりも紫紺色の瞳を見た清二がどのような判断を下すのかという不安が勝ってしまい、台所には張り詰めた緊張感が漂う。
「依鈴、新しいお着物が買えて良かったわね」
「はい、お母さま。今度の日曜日に清二さまと会う約束をしているから、その時に着ていこうと思うの」
「依鈴も女学校を卒業すればいよいよ結婚か。盛大に祝わなければな」
継母達と仕事に行っていた父は同じ時刻に帰宅したのが愉しげな会話でわかった。
そんな幸せに満ち足りている三人に一人の使用人が動揺した様子で駆け寄ってくる。
「だ、旦那さま。時田家のご当主からお電話です」
「時田?」
宗一は顔をしかめ、電話機が設置されている部屋へ向かっていく。
「もしもし?」
「おい!嶺木!一体どういうことだ!」
急な怒鳴り声に宗一は思わず耳から受話器を離す。
電話の相手は時田家の当主、時田大和。
宗一とは学生時代の同級生で親交があり自分達の子を結婚させ、より家を繁栄させようと依鈴と清二を婚約させた。
あまり電話などよこさない大和に宗一は顔を訝しげながら再び受話器を耳元に寄せる。
「何の話だ」
「とぼけるな!お前の家には紫紺色の瞳をもつ娘がいるそうじゃないか!」
「……!な、なぜそれを」
屋敷の外に出ないよう千冬に強く言いつけていたはずなのに、どうして大和が知っているのか訳がわからないようだ。
「今日、嶺木家に行った清二が確かに見たと言っている!中庭に面した廊下で寝たきりのはずの娘、千冬がいたと!」
「見間違いでは……」
「この期に及んで白を切るつもりか!もういい、清二とそちらの娘との婚約は破棄させてもらう!」
「お、おい!待て……!」
宗一が弁明を図ろうとしたが、そこで電話が切られてしまった。
呆然とする宗一は徐々に怒りが沸点に達していく。
襖を勢いよく開け、廊下を歩いていた使用人に強く言い放つ。
「千冬を呼べ!」
居間には呼びつけられた千冬の他に、依里恵と依鈴、そして宗一がいる。
千冬の正面に座っている宗一は腕を組み、額に青筋を立て眉を吊り上げている。
そんないつもと違う父の様子に継母達も何事かと顔を見合わせていた。
「今日、屋敷で清二君に姿を見られたそうだな」
「っ!」
ギロリと睨まれ千冬は肩を震わせた。
殺気立った眼差しに他人から見れば本当に血の繋がった親子なのかと疑ってしまうほどに。
「何ですって!貴女、言いつけを守らなかったの!?」
「い、いえ……!そういうわけでは……」
屋敷の外には出るなという約束は守った。
そのことだけは伝えようとしたが二人は聞く耳をもたない。
「言い訳をしないで!お父さま、もしかして先ほどのお電話は清二さまから?」
「いや、電話の相手は当主からだったのだが……」
宗一の言いにくそうな表情に継母達は固唾をのんで言葉の続きを待っていた。
今回の騒動の原因をつくってしまった千冬も一寸も動かず静かにしていたが、わざわざ時田家の当主が電話をしてくるということはと少し考えれば結果はすぐにわかることだ。
「依鈴と清二君の婚約は破棄にしたいと」
「そ、そんな……」
父の言葉を聞いた依鈴は顔を青ざめさせ、徐々にその大きな瞳が潤んでいく。
千冬が謝罪しようとした矢先には一筋の涙が頬を伝っていた。
妹の泣いている姿を見るのは初めてで自分はなんてことをしてしまったのだろうと事の重大さを思い知る。
「依鈴……!辛いわよね、可哀想に」
依里恵は優しく嗚咽を出しながら泣いている妹を抱きしめる。
背中を擦る手を止めると怒りと憎しみに歪んだ顔で近くに座っていた千冬を睨みつけた。
「何をしたか分かっているの!?貴女は一人の大切な未来を壊したのよ!」
こんな時、父は千冬を守ろうともしない。
それだけ紫紺色の瞳を嫌い、政略結婚のため別れることになった継母に負い目を感じているのだろう。
もう赤の他人も同然だった。
「申し訳ありません……」
両手を添え畳に額をつけて謝罪をすると依里恵はスッと立ち上がり、いつもより大股でこちらへ向かってくる。
頭を下げていた千冬は歩く音だけでこれから自分の身に起こることに危機感を覚える。
しかし勝手に頭を上げるのは許されないのでそのまま動かずにいた。
手が左肩に触れ、力強く身体を起こされたかと思えば、その手が次は千冬の首を絞めつける。
「うっ……、ぐ……」
声にならない声を出し感じたことのない苦しさに身体をもがく。
そんな千冬を見て継母は一瞬嬉しそうに口角を上げるとすぐに表情を戻し、恐ろしいほど淡々とした口調で言い放った。
「明日から今までよりたくさん虐めてあげる。覚悟しなさい」
ああ、自分は殺されてしまう。
眼差し、声、空気、全てですぐにわかった。
今よりもさらに扱いや言動が酷くなるのを想像するだけで背筋が凍る。
首を絞められ意識が朦朧とした瞬間、やっと手が離され、千冬はその場にドサリと倒れ込んだ。
「ごほっ、ごほっ……!」
苦しさから解放され何度も咳き込む。
依里恵は立ち上がると今もなお、泣き続けている妹の肩を抱き寄せながら居間から出て行く。
宗一もぐったりとしている千冬を助けることなく一瞥だけすると続けてその場をあとにした。
千冬はさらに目の前が絶望で暗闇に包まれたような気がして、いつぶりかわからない涙を流した。