「いってくる」
 「はい。いってらっしゃいませ」
 仕事へ向かう灯璃を見送るため使用人達と共に玄関に立つ千冬。
 「お前達、千冬のことを頼んだぞ」
 「かしこまりました」
 灯璃は一度こちらを見て微笑みかけると外に止めている自動車に向かって歩いていった。
 本来なら家事に取りかかりたいところだが今日は無理はしないと約束をした。
 (使用人の皆さまには申し訳ないけれど、約束を破るわけにはいかないから)
 とりあえず部屋に戻ろうと踵を返すと。
 「千冬さま、雑誌をお読みになりますか?」
 「刺繍のご用意もありますよ」
 詩乃をはじめとした使用人たちが千冬を取り囲む。
 千冬が退屈しないように世の女性が趣味としていることを色々と提案をしてくれる。
 「あ、ありがとうございます」
 少しだけ気圧されながらも、頷く。
 雑誌も読んだことはないし、刺繍というのも興味がある。
 部屋でただ、ぼんやりしているよりも何かしていた方が性に合う。
 千冬が興味を示してくれたことが嬉しかったのか使用人達は、顔をほころばせながら準備を始める。
 こうして誰かに奉仕をしてもらうことに、いつか慣れるだろうかと思いながら千冬は部屋へ歩き出した。

 その頃、自動車に乗り込んだ灯璃は妖特務部隊の副隊長であり秘書の鬼崎蓮司から嶺木家の報告を受けていた。
 「千冬さまは嶺木家のご令嬢でありながら紫紺色の瞳をもつという理由で不遇な扱いをされてきたようです」
 灯璃から嶺木家の調査を頼まれていた蓮司は一晩で調べ上げたようで助手席には資料が束になっている。
 情報収集に長けている蓮司はどんな情報屋よりも腕が立つ。
 灯璃はそんな彼を信頼して仕事を頼んだのだ。
 「当主である嶺木宗一の前妻、千鶴さまは千冬さまを大事にしていたそうですがお亡くなりになられた後から急激に生活が変わったようです」
 「変わった?」
 蓮司はまっすぐ前に視線を向けたままハンドルを握り話を続けた。
 「はい。かつて恋人だった依里恵との再婚がきっかけです。政略結婚で宗一を取られた恨みを娘の依鈴と共に、千冬さまにぶつけることで晴らしていたそうです」
 そこで、すべての辻褄が合う。
 千冬のあかぎれだらけの手にほっそりとした首許と腕に灯璃は疑問を抱いていた。
 今までの食生活などに問題があるのではと思っていたが蓮司の報告で確証を得た。
 (息をするように謝り、ほとんど自分の意思を伝えようとしないのは嶺木家の人間が原因だろう)
 橋から飛び降りて死のうとするまで彼女を追いつめていたのかと怒りが込み上げてくる。
 腿の上に置いていた拳をぐっと強く握りしめた。
 「仕事が終わり次第、嶺木家にいく。連絡をしておけ」
 「か、かしこまりました」
 初めて聞く灯璃の冷酷な声に蓮司はゾクリと背筋が凍ったのだった。