「泣き顔よ」
「……そう答えるだろうと、思っていた」
 
 カエルがそう答えた瞬間、私の頭の上に乗っていた黒くくすんだトンガリ帽子が、金色に輝きだし、ついには美しい王冠に姿を変えた。
 
 目の前の城の扉が、ゴゴゴゴと音を上げながら、ゆっくりゆっくり開いていった。
 
***
 
 ここは……
 
 目の前に荘厳な雰囲気の、大きく不思議な広間が広がっていた。いつか動画で観た、ヴェルサイユ宮殿の内部のようだ。

 天井は奥まで大変高く、星空を思わせる美しい天井画が描かれている。天井の梁は黄金色に装飾されていて、まばゆいばかりのクリスタル製と思われる、星を集めたようなシャンデリアがぶら下がっていた。

 壁面にはアーチ状の額に囲われた、荘厳な絵画が飾られている。

 その絵画には、美しい花々や、ヒツジや双子の子供、ライオンや一角獣やタマゴのお化け、そして白い騎士と赤い騎士、黄色いチョッキを着たカエルのなどが、描かれていた。

 中でも私の目を引いたのは、中央の奥に飾られていた「黒と白の二匹の猫の絵」だ。

 この絵……。

 それにしても、これだけ華やかな建物内なのに、そこには誰もいなかった。

 私は慎重に、広間を見渡していった。
 
 ここが終着点なはず。
 
 でも私の探している「願いが叶う本」は、見当たらなかった。
 
 急に頭が重くなり、その重さに耐えられず、私の首はグニャっと曲がる。
 王冠は黒い猫に変化し、私から飛び降りた。
 
 この黒猫……どこかで……

「ようこそ、ナイトパーティーへ」
「本はどこ?」
「せっかちだね……でも、ここまで辿り着いた君になら、もう、分かっているんじゃないのかい?」
「……?」
「本の正体に」
「……」
 
 今まで私が探してきた場所、そしてこの場所、登場したキャラクター、それらが示す一つのものは……

「鏡ね」

 私は小さなころ読んだ、少女が鏡を通り抜けて異世界に迷い込む、ある物語を思い出していた。

「フッ……そうだよ。『願いを叶える本』とは『欲望を映す鏡』さ。女子トイレの洗面台の鏡に始まり、プールの水面……」

「視聴覚室、演劇部室、音楽室は? 鏡なんてないわよ」

「視聴覚室のスクリーンは映像を映し出す。映像なんてもの所詮は偽物、幻。演劇部では、本当の自分ではない偽者を演じる。それに音楽室のグランドピアノの漆黒の蓋は、実に鮮やかに虚偽を映し出すよ。文芸部は現実ではない『物語』を作り出す、まさに偽物の創作場。そんな数々の『偽物』を貯蓄している図書室……本物を忠実に映しはするが、決して本物にはなり得ない『鏡』さ。……ああいった場所にはね『偽物のパワー』が溜まるのさ。そういったパワーは、現実と空想の間をあやふやにし、人間たちとボクたち委員会を、繋げる道を作る」
 
「それじゃ、もしかして鏡に映ることで、願いが叶うというの?」

「ボクたち『願い叶えの本製作委員会は』現在、『恋』を題材にした白紙の本に、そういったさまざまな君たちの妄想……いや、夢を沢山写しとっていく活動をしているのさ、一ページ、一ページにね」
 
 ……“本を開く”とは、鏡に願いを映すという意味だったんだ。
 
「願いを叶えるのは、活動に協力してくれた人間たちへのお礼……といったところだね。文化祭の演劇上演をきっかけに、芸能界へスカウトされて、スターと恋に落ちるなんて……なんとも愉快で、ご都合主義で笑える話だろう? 傑作だよ!」

「……人間の欲望を、利用しているということ?」

「だって人間ほど呆れるほど尊大で、馬鹿馬鹿しい欲を、沢山持っている生き物はいないもの。人間だって、それで『ありえない夢』が叶うんだ。礼を言われたって、恨まれる筋合いはないよ」

「……」
「さあ、君はどうするの?」
「……」

「別にやめたいなら、それでもいい。僕らはまた、別の人間を探すだけだ。君なら分かっていると思うけど、『鏡』に映し出されるのは……自分の『真』に願うことだけだ」

 それは例えば、金持ちになりたいだとか、美人になりたいだとか、頭脳明晰になりたいとか、地位が欲しいとか……そんな表層的な願いは、どんなに頭に思い浮かべても、映らないということだ。
 
 私の……私の本当に願うこと……
 もし……今、鏡の前に立ってしまったら……本を開いたら……
 
 私は百花の“泣き顔”を愛している。
 百花の“不幸”を愛している。
 百花だけを愛している……。
 
 でも彼女は“女”の私を、一番に愛することはないだろう。
 
 どうして私の“願い”はこんなに醜悪で、おぞましくて、いたたまれないものなんだろう。酷い……酷すぎる。

 でも、その“願い”でしか、私は決して救われないのだ。
 
「さあ、本を『開く』? 『開かない』?」


つづく