文化部活塔の一番奥までの廊下を歩く。
 人の気配はどんどんなくなって行く。

 関係者以外は近づかないのか、その部室はひっそりと佇んでいた。不気味だけど、おごそかな雰囲気さえある。

 『文芸部』のプラカードの掛かった、部屋の前まで辿り着くと、オレは深呼吸をし、意を決してドアをノックした。

 ……。

 何の反応もない。困った。
 オレはそれでも、文芸部のドアに向かって「すみませーん」と呼びかけてみる。

 ……。

 ――反応なし。

 本を図書室まで、持ち帰るのが面倒だったオレは、思い切って文芸部のドアノブを捻って見る。

「⁉︎」
 
 なんだ、開いてるじゃん。

 オレはもう一度「すみませーん」と小声で叫びながら、ゆっくりとドアを開けて、文芸部の部室の中に恐る恐る入った。

 ――部室に入った瞬間、少し悪寒を感じた。

 でもきっと気のせいだ。この部屋には、西日が溢れている。
 日陰でもないのにこの残暑の中、寒いわけがないんだ。
 部室は雑然としていて、人の気配はなかった。
 誰もいないのだろうか? 再度「すみませーん」と声を上げてみたが、反応はない。

 オレは持っていた残りの本を、テーブルの上に置いた。
 そのテーブルには、他にいくつもの本が散々としていて、原稿用紙なんかもある。

 ――文芸部らしい。

 
 その中で、一冊の古びた本がオレの目に止まった。

 西日に照らされてか、その本は茜色に輝いている。オレは吸い込まれるように、その本を手にしようとした。
 
「ダメだよ」
 
 後ろから声がし、オレは慌てて振り向いた。色素の薄い儚げな、男子生徒が立っていた。
 肌色も薄ければ、髪の毛の色も薄いし、黒目部分の色も薄いのだ。薄いというか、瞳の色に関しては、少々青みががってさえいた。日本人離れしているというか……

 それにしても、いつから部屋にいたのだろうか? 入って来る気配など、全く感じなかった。

 あまりに儚げなので、最初は幽霊かなにかじゃないかと考えてしまった。

 思わず、男子生徒の足を確認する。

 ちゃんと足はある、見える。

 幽霊ではないようだ。足先にはちゃんと影も伸びている。
 
 だけどオレは、喉が渇いて張り付くように感じた。声が上手く出ない。

 文芸部の部員だろうか?

 彼の胸ポケットに、視線をずらす。
 生徒手帳の色はミドリ――三年生だ。
 
 
「……あ、あの」
「ダメだよ」
「え?」
「勝手に触っちゃ」
「す、すみません」
 
 先輩だと分かり、オレは本能的にへりくだった態度になっていた。

「その本ね」
「え?」
「なんだと思う?」

 本の表紙には、なにも書かれていない。裏表紙なのかもしれないが。
 タイトルも表記してないなんて、考えてみれば変な本だ。

「願いが叶う本だよ」
 


 ……。

 ……。

 ……え?

 オレは言葉に詰まった。
 なにを言ってるんだろう、この人。
 そんなもの……あるわけないだろ。

 その先輩に、からかわれているのだと気が付くのに、オレはしばらく時間を要した。

「……は?」
「本当だよ」

 先輩は美しく整った顔を崩して、ニンマリと笑った。

「……えっと……そうですか」
「信じてない?」
「そ、その……」
「本当なのに。でも()()()()()のない人には、使えないんだ。君、残念だったね」

 先輩はさらに笑う。爬虫類のようだと思った。
 電波系ってやつか?

「って言うのは、ウソ」
「……」

 ……そりゃ、そうだろ。なんだろ、この人?

「何でも叶うわけじゃない」
「へ?」
「叶うのは『恋』の願いごとだけ。……ロマンチックでしょ?」
「……」

 
 ――やっぱり変な人だ。

「だから、今の君には使えない。残念だったね」
 
 オレは、ただただ唖然としてしまって、先輩はオレの持って来た本に目をやると、この本いいよねと、その本についても語りだした。
 
***
 
 どのくらいの時間が経っただろう。
 先輩に、古書受取書類に判を押して貰った時には、すっかり日は落ちていた。


つづく