「信じられないな。呪の理を無視している」
「分かっていますよ。そう簡単には信じられないだろうことは。……秀真、こちらへ」
「はい。華月様」
衝立の後ろから、現れた秀真は、華月の手招きに導かれて、おずおず彼の前にやって来た。何をされるのか分かっているのだろう。少し顔が赤い。
華月が軽く秀真の肩を叩く。
……と。
たったそれだけで、ぽんと何かが弾け飛んだ音が轟き、華月はあっという間に、いつもの娘「華月」へと変化していた。
「……華月……なんだな」
気味の悪い沈黙を振り払うように、紅琳は呼び掛けた。
「本当に、女になってるな」
「ええ。驚きでしょう? 私も未だに信じたくありませんよ。まあ、幸い満月は明後日ですから、直ぐに男に戻れますけど」
「ならいいけど」
呆然と答えていたら、華月が自分の着物を直していた。
女身化して、身体が縮んだらしい。
(うーん。あり得ない)
何てモノを見せられてしまったのか。
「私の本当の名は、蒼 慶果」
「……慶果」
「ええ」
「慶……果?」
「貴方がお探しの、後宮で放蕩三昧中の皇帝です」
――華月が、蒼国の皇帝?
(……嘘だろ?)
気を許して、今まで散々皇帝の悪口を吐いてしまったではないか。
慶果=華月は、紅琳が頭を下げる隙も与えず、堰を切ったように、喋り続けた。
「ああ、本当に困ったものです。この国の主がこんな術に翻弄されているなんて、公にすることは出来ませんし、誰にも知られる訳にもいきません。緊張の余り、政務にも身が入らないし、女身化が怖いから、一人後宮の隅に潜んでいるしかない。だから、出来損ないの皇帝とか、泰楽帝そのものだとか、莫迦にされてしまうのです。挙句、用済みとばかりに、殺されそうになって」
「それは……また」
酷い話だ。
華月が、誰かに狙われているのは、皇帝だから。
どうりで、手の込んだ術を仕掛けてくるはずだ。
「特に最近、立て続けに、狙われていますよ。自分の居所は、少人数の臣にしか伝えないよう務めて、装飾品から食事に至るまで、徹底的に管理していたつもりでしたが、通行時に後宮の庭を突っ切っただけで、術を仕掛けられるなんて……想定外もいいところです」
……成程。
池で魚釣りをしているだけで、血相変えて走ってきた秀真にも深い理由があったのだ。
「私は秘密裏に手を尽くし、解呪法を探していました。不本意でしたが、皇帝になったのも半分はその為です。しかし、結局、分からず仕舞いで……。せめて、己の後継に希望を託せれば良いのですが、女人に触れて自分が女になってしまうようでは、未来永劫、子すら為すこともできません」
「それは大変だな。いや、大変ですね。陛下」
紅琳はようやく隙をみて、拱手した。
(とんでもないことになったな)
だけど、こんな出鱈目な展開、誰が想像できるだろう。
「紅琳様。嫌ですよ。敬語はやめてください。私と貴方の仲ではありませんか。今更、気持ち悪いです」
「それは、あんたの方だろう? どうして皇帝が敬語なんだよ」
「色々あって……。後宮に潜んでいるうちに、身についてしまったんです。勿論、政務をしている時は、改めています」
華月が唇を尖らせながら、紅琳を見上げる。
(皇帝の威厳って?)
突っ込もうとしたものの、疲れたのでやめた。
「……で、先程の話ですけど」
華月はすべて吐露して、すっきりしたのか、普段より倍、饒舌だった。
「貴方はご自身のことを無能と言ってましたが、しかし、私は貴方に触れても、女にならなかった。これが特別でなくて、何が特別なんでしょう?」
「さあな。あくまで憶測だけど、親戚だからじゃないのか? 血の繋がりがあると、呪術も効果ないとか? 私はあんたの叔母だから」
「しかし、私は母にも触れてみましたが、女身化して、隠れるのに難儀したのです」
「偶々なんじゃ?」
「そんな偶々があって堪りますか。呪術には何らかの法則が働いているはずです。貴方に触れても、女にならない理由が。それを探ってみたら、この術も破れるかもしれない」
「どうかな? 単純に、あんたが私を女だと思ってないだけのような気もするけど?」
「それは絶対、ありえません。私はいつだって、貴方のことを……」
……と。そこまで言って、秀真の存在に気づいた華月は、咳払いして誤魔化した。
「ともかく、貴方は私の妃ですから。当面、大人しく後宮に留まって下さいね」
にっこりと命じられてしまい、紅琳は鳥肌が立った。
冗談ではない。
(私は実験材料にでもされるのか?)
紅琳は、これから自由に生きていくつもりだったのだ。
(それが……。どうして?)
厄介事に巻き込まれているという実感しかなかった。
「分かっていますよ。そう簡単には信じられないだろうことは。……秀真、こちらへ」
「はい。華月様」
衝立の後ろから、現れた秀真は、華月の手招きに導かれて、おずおず彼の前にやって来た。何をされるのか分かっているのだろう。少し顔が赤い。
華月が軽く秀真の肩を叩く。
……と。
たったそれだけで、ぽんと何かが弾け飛んだ音が轟き、華月はあっという間に、いつもの娘「華月」へと変化していた。
「……華月……なんだな」
気味の悪い沈黙を振り払うように、紅琳は呼び掛けた。
「本当に、女になってるな」
「ええ。驚きでしょう? 私も未だに信じたくありませんよ。まあ、幸い満月は明後日ですから、直ぐに男に戻れますけど」
「ならいいけど」
呆然と答えていたら、華月が自分の着物を直していた。
女身化して、身体が縮んだらしい。
(うーん。あり得ない)
何てモノを見せられてしまったのか。
「私の本当の名は、蒼 慶果」
「……慶果」
「ええ」
「慶……果?」
「貴方がお探しの、後宮で放蕩三昧中の皇帝です」
――華月が、蒼国の皇帝?
(……嘘だろ?)
気を許して、今まで散々皇帝の悪口を吐いてしまったではないか。
慶果=華月は、紅琳が頭を下げる隙も与えず、堰を切ったように、喋り続けた。
「ああ、本当に困ったものです。この国の主がこんな術に翻弄されているなんて、公にすることは出来ませんし、誰にも知られる訳にもいきません。緊張の余り、政務にも身が入らないし、女身化が怖いから、一人後宮の隅に潜んでいるしかない。だから、出来損ないの皇帝とか、泰楽帝そのものだとか、莫迦にされてしまうのです。挙句、用済みとばかりに、殺されそうになって」
「それは……また」
酷い話だ。
華月が、誰かに狙われているのは、皇帝だから。
どうりで、手の込んだ術を仕掛けてくるはずだ。
「特に最近、立て続けに、狙われていますよ。自分の居所は、少人数の臣にしか伝えないよう務めて、装飾品から食事に至るまで、徹底的に管理していたつもりでしたが、通行時に後宮の庭を突っ切っただけで、術を仕掛けられるなんて……想定外もいいところです」
……成程。
池で魚釣りをしているだけで、血相変えて走ってきた秀真にも深い理由があったのだ。
「私は秘密裏に手を尽くし、解呪法を探していました。不本意でしたが、皇帝になったのも半分はその為です。しかし、結局、分からず仕舞いで……。せめて、己の後継に希望を託せれば良いのですが、女人に触れて自分が女になってしまうようでは、未来永劫、子すら為すこともできません」
「それは大変だな。いや、大変ですね。陛下」
紅琳はようやく隙をみて、拱手した。
(とんでもないことになったな)
だけど、こんな出鱈目な展開、誰が想像できるだろう。
「紅琳様。嫌ですよ。敬語はやめてください。私と貴方の仲ではありませんか。今更、気持ち悪いです」
「それは、あんたの方だろう? どうして皇帝が敬語なんだよ」
「色々あって……。後宮に潜んでいるうちに、身についてしまったんです。勿論、政務をしている時は、改めています」
華月が唇を尖らせながら、紅琳を見上げる。
(皇帝の威厳って?)
突っ込もうとしたものの、疲れたのでやめた。
「……で、先程の話ですけど」
華月はすべて吐露して、すっきりしたのか、普段より倍、饒舌だった。
「貴方はご自身のことを無能と言ってましたが、しかし、私は貴方に触れても、女にならなかった。これが特別でなくて、何が特別なんでしょう?」
「さあな。あくまで憶測だけど、親戚だからじゃないのか? 血の繋がりがあると、呪術も効果ないとか? 私はあんたの叔母だから」
「しかし、私は母にも触れてみましたが、女身化して、隠れるのに難儀したのです」
「偶々なんじゃ?」
「そんな偶々があって堪りますか。呪術には何らかの法則が働いているはずです。貴方に触れても、女にならない理由が。それを探ってみたら、この術も破れるかもしれない」
「どうかな? 単純に、あんたが私を女だと思ってないだけのような気もするけど?」
「それは絶対、ありえません。私はいつだって、貴方のことを……」
……と。そこまで言って、秀真の存在に気づいた華月は、咳払いして誤魔化した。
「ともかく、貴方は私の妃ですから。当面、大人しく後宮に留まって下さいね」
にっこりと命じられてしまい、紅琳は鳥肌が立った。
冗談ではない。
(私は実験材料にでもされるのか?)
紅琳は、これから自由に生きていくつもりだったのだ。
(それが……。どうして?)
厄介事に巻き込まれているという実感しかなかった。