――僕は別に君に自分から明日を閉じるようなことはするなって言わない。でも、1ヶ月だけは待ってほしい。その1ヶ月の間に、僕は君にあげられるものはできるだけあげる。楽しいも、嬉しいも……。だけどもし、その1ヶ月で君の気持ちが変わらなかったんだとしたら、自由にしていい。そう、約束してほしい。

 まるで魔法の言葉かのように、私の耳の中にその言葉が急に流れてきた。本当に自然とだった。

 カフェで沢山の料理を食べたあの時に、汐斗くんと私はその約束したんだ。1ヶ月は待ってほしいと。その後なら、自由にしていいからとにかく1ヶ月は待ってほしいと。だから、私は今、明日を閉じたらこの約束を破ったことになるんだ。汐斗くんを本当の意味で裏切ることになるんだ。どんな刑罰になるか分からない。ただ言えるのは、私にとって一番の罪を犯したことになるんだ。

 その言葉が、私の足をピタリと止める。邪魔するものなんてなにもないはずなのに、自分だけの世界にいるはずなのに、なんで私は何かに足を止められてしまったんだろう。自分で止めたみたいじゃないように感じる。自分の体は進みたい方向に進むはずなのに、これ以上進まない。

 ――自分の進みたい方向に進む?

 なんとなく、分かった気がする。私は、心の中ではまだ、明日を閉じようとは思っていないんだ。汐斗くんとも約束したし、必ずしも生きていて悪いことばかりではなし、私を認めてくれる人だってこの世界には沢山いるんだから。見えてることろにも、見えてないところにもいるんだから。

 私の人生はまだあるべきものなんだから。

 私は、自分の世界に進むために、ゆっくりと落ちないようにゆっくりと後ろに下がった。

 ――今はまだ、しちゃだめなんだ。

 私は心を落ち着かせるために大きく深呼吸した。私は自分がいなきゃいけない――前の世界だけを見つめる。

 なんとか、踏みとどまることができた――汐斗くんの言葉のお陰で。2回も汐斗くんは私を助けてくれた。汐斗くんって一体何なんだろうか。

 私にとって、どんな存在なんだろうか。

 でも、私にとってなくてはならない存在……それだけは確かだ。

 私はそのまま心を空っぽにして、自転車を漕いで家に戻った。その後も、心は透明だったけれど、いつも通り過ごした。勉強をして、ご飯を作って、また、勉強をして……。

 自分の体がまるで風船みたいに思える。何なんだろうか、私は。

 今日は切りがいいところまでいったので、汐斗くんと電話する予定の5分前に終わらせた。スマホを開くと、どうやら唯衣花からラインが来ているみたいだった。私はそのラインを開く。

『今日はお見舞いに来てくれてありがとう。あの後も寝たら、いつも通りよくなったよ。体調はもうバッチリ! だけど、お母さんから念のため土日は寝てなさいって言われちゃったから、大人しく寝てるけど、元気になったよって報告だけしたくてラインしたよ。あのりんごのおかげかな(笑)』

 ラインにしては少し長い文章がそこには書かれていた。体調はどうやらよくなったらしいので私は少しだけ口角が下がった。りんごにそんな大きな効果ないだろ少し大げさだなと思いながら、お大事にとくまさんが言っているスタンプを送信した。でも、よくなってよかった。本当に心配だったから。

 そして、次に汐斗くんに電話する。でも、少し今日は汐斗くんと電話するのが怖かった。いつもよりかかるまで時間がかかった。

『もしもし、今日も何も変わりないか?』

 今日もいつも通り、この言葉から入る。私はあのことを言うべきかどうかを少し悩んだ。

「うん、まあ公園も行ったし色々あったから少し疲れちゃったかな。あと、唯衣花が倒れちゃったのが心配だったけど、今来たラインによると、体調はよくなったらしいよ」

 私はあのことは報告せずに、そのことだけを報告した。

『おっ、唯衣花よくなったのか。僕も心配してたからよかったよ。まあ、公園行ったりして疲れたのはお互い様だな』

「えっ、汐斗くんでも疲れるんだ」

『そりゃ、人間だからな。っていうか、変な偏見、やめてくれよー』

「あー、ごめんごめん」

 ほんの数時間前までの姿はああいうものだったのに、今は自然な笑顔が漏れてしまう。汐斗くんが楽しいを与えてくれている。いつも、電話するときはそうだ。1ヶ月で沢山っていう約束をしてくれたから……。

『そんなこと言ったら、心葉は動物とかにめっちゃ好かれそうだな』

「えー、そんなことないよー」

 確かに、唯衣花にもそんな偏見を持たれたことがあるが、私が前に動物園で触れ合いできる場所でうさぎと触れ合おうとしたが、私がなでると、嫌だったのかすぐに逃げてしまった。

『そうかー。で、今日はなんか言っときたいことはないか? 苦しかったこととか?』

 また、いつもの言葉が来た。ここで言わなきゃいけないんだろうか。もし、言ったら怒られるのではないか、見捨てられるのではないか……私のことを次こそ本当に嫌いになってしまうのではないか。そういうことを考えてしまって、言うべきか悩んでしまい、少しの間、お互いに無言の時間が流れる。この世界が、一瞬、なくなった。

『別に小さなことでもいいんだぞ。吐き出せば、楽になるってこともあるから……もしあるんだとしたら、遠慮なく言っていんだぞ。もちろん、最後まで聞くから』

 この、私が作った沈黙で、私の心境がどういうものなのか、少しだけ悟られてしまったみたいだ。汐斗くんのことだからここで私が大丈夫、何もないと言ったら汐斗くんは無理には問いかけてはこないんだろうけど、いつか聞いてくる可能性は高い。だったら、汐斗くんがこう言ってくれてるんだし、吐き出したほうが楽になるのではないか。また、自分で明日を閉じようと思ってしまうかもしれないし。でも、本当にどんなことでも言っていいんだろうか。これは人を傷つけることにならないんだろうか。

「あるんだけど、それはもしかしたら汐斗くんを傷つけることになっちゃうかもしれないよ……」

 私の声がさっきまでとは違い、震えている。親友でも言っていいことと言っちゃだめなことがあるように、これは言ってもいいことに当てはまるんだろうか。明日の扉を開きたい――そんな君に。

『別にいいぞ。僕が傷つくだけで、心葉が自分を少しでも取り戻せるのなら。僕の負う傷より、複雑な気持ちを持つ心葉の傷のほうが大きいはずだから。安心して言ってみろ』

 なんだか、その言葉に安心してしまった。少しだけ、そんな言葉が言える汐斗くんにやきもちを焼いてしまった。ずるいじゃないか、汐斗くん。

 そういう言葉を私に言ってくれたから、私の心をさっきまで縛っていた紐を少し解いて、汐斗くんに自分のことを何の偽りもなく、正直に話すことにした。

「あのさ、今日さ、小テストでいつも通り勉強したのに、低い点数を取っちゃったんだよ。その原因は公園行ったりして疲れてるだとか、いくつかると思うけど最近勉強時間は同じでも楽しみすぎたりとか、他のことをやってるからそれが頭の中に入っちゃったから、きっと覚える為に使ってた脳の部分が小さくなって……。それで、やっぱ楽しむことをしてはいけない自分が嫌になって、また、自分から明日を閉じようとしちゃったんだよ。でも、なんとか、汐斗くんの約束だったり、皆のことを思い出してとどまることはできた。とはいえ、汐斗くん、ごめんなさい。また、明日を閉じようとしちゃって……」

 涙が出そうだけれども抑えた。今日は何度も涙が出てきそうになってしまう。でも、今泣いたら、汐斗くんの方がこんなことを知って泣きたいはずなのに、私が泣いたらおかしい。だけど、この後のことの言葉が怖い。急に電話を切られるんじゃなかとか、暴言を吐かれるんじゃないかとか、嫌いになってしまうんじゃないかとか……。

「心葉、聞いてくれ」

 でも、汐斗くんの声は、ゆっくり音楽を奏でるかのようなそんな声だった。どんなことを、汐斗くんは今から喋るんだろうか。怖かった気持ちが少し、落ち着いた。

『心葉、君は頑張ったな。偉いよ』

 ――えっ? 私が頑張った? 偉い?

 わけがわからない。その心葉って、私のことじゃないんだろうか。それとも、私がこんなこと言ったから、汐斗くんの心を壊してしまったんだろうか。

「どういうこと? 私、自分から――」

「いや、そのことについてはあれかもしれない。でも、心葉は自分で止めた。明日を閉じたい気持ちに勝った。それに、僕との約束を守った。頑張ったし、偉いよ。そんな、心葉が――。いや、何でもない。でも、心葉、今日も生きてくれてありがとう」

 たぶん、この世でそんなことを思ってくれるのは汐斗くんぐらいなんだろう。そんな風に思えて、それを言葉にできるなんて。

 ――今日も生きてくれてありがとう。

 そんなことを言うのなら、私だって、今日も汐斗くん、助けてくれてありがとうと言いたい。でも、この状況だから少し言いづらい。

 でも、汐斗くんはそんな、心葉がの言葉の後、一体何を言おうとしたんだろうか。本当になんでもないことなのか、それとも今言うべきことではなかったのか。

『あのさ、心葉は勇気を絞って、自分のことを告白してくれたじゃん? だから、僕も少しいいかな? あまり心配はしてほしくないけど、心葉には少し言っておきたい』

 私の告白に心を動かされたのか、今度は汐斗くんが告白したいことがあると言い出した。あまり心配はしてほしくない――つまり、あれのことだろうか。さっき、汐斗くんは私の話をまるで親のようにちゃんと気持ちを考えて聞いてくれた。だから、私にも聞くという義務がある。なので、私はいいよと言った。

『じゃあ。さっきも言ったけど過度に心配はしないでほしい。最近、僕の体調があまりよくないんだ。何か、吐き気がしたり、時々倒れてしまいそうになったり……。まあ、大丈夫だと思うけど、もしかしたら……そうかも知れないってことは頭のどこかに入れておいてほしい。病院はなんか工事が入ってるらしいから、今すぐには行けないけど、1週間後ぐらいには行くつもりでいる……。ごめんね、なんか心配させちゃって。でも、心葉が言ってくれたのに、自分が言わないのは少しおかしいと思って』

 そうなのか、汐斗くんは自分の体に少し異変が出ている……本人は過度に心配しないでほしいと言っているけど、やっぱり心配だ。でも、本人の意志を尊重しなければいけない。こんなにも優しくしてくれる汐斗くんを病気が襲うなんて酷い。早く、少しでもよくなってほしい。こんな私の願いなんて神様は聞いてくれないんだろうけれど。

「もし、私にできることがあったらいつでも言ってね。力になれるか分からないけど、できるだけ力になるから」

『ありがとう。あのさ、この話は一旦置いておいて、明日休みだし、午後はカフェで一緒に勉強しない? 前と同じカフェで。もちろん、今回は飲み物だけで』

「うん、いいよ。一緒に勉強したい。分からないところ、教えてくれる?」

『うん、いいよ。じゃあ、今日はおやすみ』

「色々ありがとう。うん、おやすみ」

 汐斗くんとの電話が今日も終わる。今日は、夜空に浮かぶぼんやりとした月を見上げた後に、眠りについた。

 

 昨日の約束通り、お昼を適当に家にあるものを食べてから、汐斗くんと勉強するために、この前のカフェに向かう。今回は休日なので、私服姿になるから少し高めの私服をチョイスした。見られるのなら、そこらへんでお母さんが適当に買ってきてくれたバーゲンのTシャツよりも、少しおしゃれな方がいい。別に、汐斗くんに服装を褒めてほしいとかそういうわけではないけれど、私は少しだけ期待してしまった。

 いや、期待しちゃだめだ。他のことに頭を使ってはいけないんだ、そう思って、私はそのことを考えるのをやめた。

 本当はもう少しお化粧したりしたかったけれど、それが私の成績を下げる原因になるし、また明日を閉じようとしてしまう要因にも繋がってしまうんだと思い、髪を気に入っている髪ゴムで結んでいくだけにとどめておいた。

 電車に乗っても、やはり勉強は欠かせない。休日の昼間ということもあり、電車の中は空いていたので、席に座ることができた。私の前に座っている私と同じぐらいの年齢の人は何か本を読んでいるみたいだった。カバーで隠されているのでどんな本なのかは分からないけど、最近、というかここ数年ちゃんと本を読んでいない。読んだとしても、入試の過去問に出てくる小説の一部を問題を解きながら読むぐらいだ。
 
 ――私もいつか、あんな風に生きることができるだろうか。

 勉強をしているといつの間にか、カフェの最寄りの駅についていた。カフェに着いたときにはもう汐斗くんは席についていた。席は半分ぐらいはまだ開いてるから、勉強をしていても特別邪魔になることはなさそうだった。さらに、この店の入り口には勉強での使用歓迎と書かれていたので、のびのびと勉強できそうだ。

「おう!」

 そうやって私に挨拶してくる。声はいつも通りだけれど、少しだけ顔色を見ると私が気にしているからそう見えてしまうのかもしれないけど、少し悪いようにも思える。でも、昨日汐斗くんからは過度には心配しないでほしいと言われているから、私は顔色悪いよ、大丈夫? ではなく、体調はどう? と聞いた。

「あー、昨日話したようにちょっとあれだけど、ぼちぼちかな。そんなに気にするようはないからね。気にするなら自分の心配をしなよっていうね」

「うん、分かった」

 会話はいつも通りだ。だから、少し悪くたとしてもそこまで体調が悪いとかそういうのではないんだろう。私はお米5キログラムと大して変わらないんじゃないかと思うぐらいの勉強道具が入ったカバンを椅子に置き、汐斗くんと対面になるようにして、座った。

「じゃあ、先ず頼んじゃおう」

「んー、じゃあ私は前少し気になってた、このオレンジティーで。なんか。期間限定みたいだから」

 私はメニュー表から前にたときは飲まなかったけれど、少し気になっていたオレンジティーにすることにした。元々期間限定には弱いけど、家からほとんど出なくなったあの時から更に期間限定に弱くなった気がする。だから、例えばお母さんがハンバーガーを買ってきてくるけど何がいいかと聞かれたときは、決まって期間限定のものをお願いする。

「いいね。じゃあ、僕は、また前回と同じコーヒーでいいかな」

 2人が飲み物を決めた後に、汐斗くんは呼び出しベルを鳴らし、その2つを注文した。

「そう言えば、心葉の私服姿を見るの初めてかも。気分悪くしたら申し訳ないけど、心葉、遠足とかもあれだったしね。すごく似合ってるよ。褒め方おかしいけど、その姿で学校来てほしいぐらい」

 確かに、遠足は私は勉強のために参加していない。ただ、お母さんには仮病を使った気がする(だからといって行事の日に限って何度も仮病を使うと流石に怪しまれるので、体育祭とかは参加した)。そういうこともあってか、汐斗くんに私服姿を見せたことはなかったかもしれない。

 でも、似合ってるという単純な言葉が、私の顔を自然とゆるくしていく。

「ありがとう。少し独特な褒め方もあったけど嬉しい」

「そうだよな、結構独特な褒め方だよなー」

 私は少しくすっとなってしまった。また、今日も、汐斗くんが私を楽しくさせてくれた。

 でも、やっぱりと思い、私はここに来た目的である勉強を始める。いつの間にか気づかないうちに、飲み物も来ていたようで、私は来ていた飲み物に手をかけた。そして、それをこぼさないようにして飲む。

「あちっ!」

「ん? 大丈夫?」

「うん、大丈夫。私、猫舌だから」

 どうやら私にはまだ熱かったようで、ふーふをしてから再び飲んだ。これなら、大丈夫だ。少し子供みたいだなっ、と私とは違う科目を勉強していた、汐斗くんが少し笑っていた。でも、味はやはり期間限定を裏切らない、そんな味だった。余韻の残る小さなプレゼント付きで。

 そのプレゼントを糧に更に勉強を進める。今は数学の虚数とかをやっている。私はある問題を見て手が止った。さっきまでは基礎問題だから解けていたが、急に難易度が上がったのか、どう解けばいいのか分からない。どうやら、私の今考えている方法では解けそうにない。

「ん? どうした? 分からないところでもあったか? 一応僕、理系だから教えられるかもよ」

「じゃあ、ここ教えてくれる?」

「ん?」

 声までかけてくれたし、そう言ってくれるならと思い、私が汐斗くんに分からないところの問題をお願いすると、問題を見始め、数秒経った後にあー、そういうことねと理解したような顔をした。私には一ミリも分からかなかったのに、いとも簡単に汐斗くんには解けてしまったようだ。流石、汐斗くんだ。尊敬してしまう。

「ここは、ねー、ノート少し書いてもいい」

「あー、全然」

 汐斗くんは答えは教えずに、解き方をノートに書いてくれた。あーと私は納得してしまう。そうやるのか、分かりやすい。納得だ。私は早速、汐斗くんが教えてくれたやる方でそれを解いてみると、見事に答えに載っているものと一致した。私が悩んでいたのが恥ずかしいぐらいだ。

「まあ、段々慣れていけばいいんだよ。すぐに分かる必要はないから。人生と同じだね」

 私が今思っていることを読んだのか分からないけれど、私の考えを上書きしてくれた。

 数学の今やりたかった部分までやることはできたので、次はまた月曜日にテストがある英単語の勉強を始めることにした。前回は勉強したのにも悲惨な点数だったから、今回はいい点を取らなければならない。だから、英単語の勉強量をいつもの1、5倍ぐらいにして望みたい。早速、英単語帳を開いたが、今回も覚えにくそうなものばかりだ。それが私の頭をパンクさせようとしてくる。

 でも、私はノートに何度も書き続ける。だけど、数分経てばそれはすぐに忘れてしまうのが、私の現実だ。だからといって、書かなければ、私は覚えることができない。

 今回は前回以上に難しいかもしれない。それが私を焦らせる。また、あんな点数を取らないかと。涼しい店内なのに私の腕から汗が流れてくる。



「あのさ、心葉、一旦いいかな?」

「ん?」

 本当はやっているところで声をかけてほしくはなかったけど、その声を流石に無視することはできない。だから私は一旦手を止めた。でも、なんだろうか。変なことしただろうか。

「僕、今もそうだけど、前のも含めて思ったことがるんだよ」

 汐斗くんの顔はいつにもなく真剣な顔だ。

 ――思ったこと?

「心葉ってさ、点を取らなきゃなとか、覚えられないなとか自分を追い詰めすぎてるから本来の力を出せないんじゃないかな? いつも心葉が勉強してる時って、自分を閉めちゃってる気がするんだよね。もちろん、それを変えたからといって点数が上がる保証ができるわけでもないけど、もう少し落ち着いて、自分を信じてみればいいんじゃないかな。そうすれば、もしかしたら――」

 私は汐斗くんの言葉にはっとなった。私の瞳が大きく開く。心が狙撃される。全体がなにかよく分からない空気に包まれる。

 汐斗くんの言っていることに、私は強く共感したのだ。もしかしたら、私の原因はそこなのかもしれないと。

 私のこの生活が始まった中学3年は親が私の持っている学力よりも上に学校を選んだし、期待も大きかったから。だから、私はどうしても合格しなければいけないということに縛られていたし、自分で迫る壁を作って怯えていたんじゃないだろうか。それに、もし合格できなかったときの恐怖も大きかったと思う。

 そして、高校生で始め方にあった成績には入らないみたいだから親には見せなかったけれど、新入生の入学テストではかなりの酷い点を取ってしまったし、その後の小テストでもかなり悪い点を取ってしまった。だから、私は4月が終わり頃には受験期と同じぐらいの勉強をしなきゃいけないんだと思って、それをやっていた。もし、このまま成績が上がらずに留年したらどうしよう。大学に行けなかったらどうしようとそう毎日毎日考えてしまい、それも中学3年生と同じような苦しみとか壁とか、縛り付けをしていたんだと思う。

 今も、今度いい点数をこの小テストで取れなかったどうしようかと、自分を責めている。追い込んでいる。

 ――全部、勉強をするときにはそういう共通点があった。

「そうかもしれない。だから私の成績は伸びなかったのかも。自分の力を出せなかったのかもしれない」

 本当にそうかも知れない。だって、中学1、2年生のときはもちろん少しはやっていたけれど、ほとんど勉強をやっていなかった。でも、こんなに勉強してないのにこんなに(その当時の私にとって)いい点数が取れるのって何度も思った。その時の勉強は何も苦しめるものはなかった。ただ、したいように勉強していただけだ。

 だから、私は自分に余裕を持たせて勉強すれば、もっと点数が伸びるのかもしれない。

「うん、じゃあ試しにやってみる。少し怖いけど、落ち着いて……」

 私は試しに次の小テスト範囲のまだ勉強してない部分の英単語30個を15分ぐらいで暗記してみることにした。それからいつも通り、自分でテストしてみる……それを落ち着いてやってみることにした。だから、もし、これでも変わらなかったらとか考えるのも禁物だ。

 ――よし。

 私は大きく深呼吸した後に、英単語を暗記し始めた。この15分間は本当に集中して取り組むことができた。目の前にある英単語だけを考えることができた。だから、汐斗くんがどんな表情で私を見守ってくれてるのとかを見ることはできなかったけれど、汐斗くんはきっと、優しく見守ってくれている。

 時間になる。15分がたった。感覚としては難しい単語なのに、いつもよりも覚えられた感じはする。私はすぐに自己テストするのではなく、少し時間を置いてから覚えてるかを確認することにしたので、それまでの30分ぐらいは他の勉強をやった。こっちもさっきとは違う何かを感じた。自分が自分じゃないみたいに。

 30分ぐらい経ったところで、いつもみたいに自己テストをしていく。いつもと同じ量を、いつもと同じ時間で。いつもと同じ条件なのに、書けている気がする。覚えることができている気がする。

 解き終わって、簡単な見直しも終えると、次は丸付けの時間だ。いつもよりも、丸つけが気持ちい。

 このペンで丸をつけていく感触が気持ちい。

「汐斗くん、やったよ!」

 最後まで私は丸付けを終えた。私の自己採点の結果、いつもの2倍までは行かないけれど、いつもより確実に正解数は多かった。正直、ここまで効果があるとは思ってもなかった。もちろん、たった1回の結果だけで自分の心の状態が自分の本来の力を出せなくしていたとまでは結論づけられないけれど、もしかしたらそうなのかもしれない。

「おー、そうか! じゃあ、これからもこうやってやったほうが点数、伸びるんじゃないかな? 僕の家に来たときも落ち着いてたし、点数も取れてたから……。もちろん、テストとか、大学受験とかが近づいたときはまたそうしたくなるかもしれないけど、そのときは自分を信じて」

「うん、汐斗くん本当にアドバイスありがとう!」

 もしかしたら、これが汐斗くんが送ってくれるある意味一番の贈りものなのかもしれない。私の姿を見つけてくれたのかもしれない。

「よかったな。少しこの感じで続けて、小テストとかの点がよくなったりしたらそういうことよ。そしたら、今まで過ごせなかった分の青春を過ごすんだぞ」

「うん、もちろん」

 私は、集中できていたので、もう少しここで勉強を続けた。なんで、私は今まで気づけなかったんだろうか。どうして、自分を締め付けていたんだろうか。こうすれば私は本来の力を出すことができるのに。もしかしたら、普通のどこにでもいる高校生として楽しい青春を過ごせるかもしれないのに。

 最後に私は残っていたオレンジティーを一気に飲んでから、今日はそれぞれが飲んだ分を払ってお店を後にした。