だから、私はもうそろそろ自ら天国に行こうと思った。勉強だけに高校生活を使うみたいな何の楽しみもない人生なんてもうおさらばしたい。天国という自由な世界で鳥のように自由に、そして大きく羽ばたきたい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 こんな何もできない私に期待してくれて、色々私の為に努力してくれたお母さん、お父さん。

 でも、それが逆に私を苦しめていた。苦しい紐を解く方法はこれぐらいしか――自分から明日を閉じるぐらいしかない。

 だから、どうか許して。

 でも、別にお母さんのこともお父さんのことも私は決して嫌いなわけじゃない。それだけは分かってほしい。ここまで育ててくれて本当にありがとう。自分があの時、本当はもう少しレベルの低い高校に行きたかったんだって言えなかったのが悪いんだし、そうすればきっと優しい2人なら分かってくれたはずなのに。言えなかったとしても、私がもっと勉強できればよかったのに。だから、2人のせいじゃない……。全部全部自分のせいだ。こんな自分が嫌なだけだから、分かってほしい。

 本当はこんなことしちゃいけないって私だって分かってるよ。

 生きているってことが何なのか分からないぐらいになっちゃったから、もうこうするしかないんだ。

 この世界から何事もなかったかのように消える。

 だから、私は今日、学校の屋上から身を投げることにした。

 もう、迷いはなかった。それが私に残された道だった。その道はもう目の前にあった。

 別に怖くなんかない。怖いものなんて何もない。

 生きていたって、楽しみなんかないんだから。その先の道に光なんてものは存在しないんだから。

 別にスタイルがいいとか、かわいいとかじゃないから私を好きな人だってきっといないし、私が消えたことで悲しむ人なんて親と少し関わりのあった友達ぐらいしかいない。私がいないことで世界が大きく変わることなんてない。些細な出来事だったということで片付くだろう。

 ――それに何か叶えたい大きな夢だってあるわけじゃないんだから。

  私は最後に、どこまでも続いていて、私の心なんかよりも何倍も美しく透き通っている雲なんか1つもない絵に描いたような青い空を見上げた。私は本当はこうなりたかったんだな。でも、叶わなかったんだな。

 普段よりも近くに感じられる風が、私の髪の毛をそっと揺らす。その揺れた髪に手を触れる。

 私の人生は17年で終わっちゃったな。

 あっという間の人生だった。でも、ある意味長かったな。

 本当に人生の扉を閉めちゃっていいのかな――いや、そんなことを考えちゃだめだ。私はそう決めたのだから後戻りはしたくない。

 でも――

 私はこれ以上悩むと、もしかしたらもっと生きていたいという気持ちが出てしまうかもしれない……そう思って、決断をした。私はフェンスに足音を立てないようにしながらゆっくりと近づく。

 これが終われば私を締め付けるものなんてなくなる。目をつぶって落ちればいつの間にか、気づかないうちに人生は終わっている。最後に風を感じてから、私は覚悟を決める。

 よし――

 さようなら――



「あれ、心葉? こんなところで何やってるんだ?」

 ……?

 その声が私のしようとしていたことを一旦止める。 

 私を止めた声。耳の奥まで響く。

 今までで一番ドキッとしたかもしれない。

 私はそっと振り向く。

 声の主は――私と同じクラスの汐斗(きよと)くんだった。

 クラスの皆の悩みを聞いてくれたり、クラスの色々な小さな変化にも気づいてくれたりする、いわば先生みたいな存在だ。私との関わりは2年生になってからのこの3ヶ月間でほとんどなかったけれど、相手も名前ぐらいは覚えてくれていたようだ。

 流石(さすが)に誰かに見られてるのに、ここから飛び下りることなんてできない。今ここから飛び下りたら汐斗くんが犯人だと思われてしまうかもしれないし……それだけは避けたい。

 私は汐斗くんになんと言えばいいのか分からず、言葉に詰まってその場から動くこともなにか喋ることもできないでいる。すると、汐斗くんが何かを言った。

「あのさ、暇だったりしない? 友達と遊びに行こうとしたのに、その友達が急に用事ができちゃったみたいでさ……僕、暇なんだよねー」

 私にそっと近づく。こういう話しをしてくるってことは、私がここから身を乗り出そうとしてたとは思ってなかったってことだろうか。確かに、まだあの状態ではただここから見える美しい景色を見ていただけとも十分に思える。そこはよかったと思い、眉を開く。

 でも、これから私はどうすればいいんだろうか? 例えば、私が誘いを断って汐斗くんがすんなり屋上からいなくなったとしても、もう今日は身を投げる気分にはとてもじゃないけどなれない。それに、家に帰ったとしても今日は勉強できる気分にもなりそうにない。だったら……。

「別に…………いいよ」

「おー、そうか。じゃあ、来てきて! 今から近くのカフェ行こう!」

 私は何もする気分になれないなら……と思い、汐斗くんの誘いにのった。汐斗くん、テンションが高いな。というか、汐斗くんはなぜ屋上に来ていたんだろう。この高校の屋上はいつでも入ることができるけど、生徒が屋上に来るのはせいぜい昼休みに心地よい太陽の下でお昼を食べたい人が来るぐらいだ。だから、なんで今、汐斗くんがここに来たのか少し疑問に思ったけれど、逆になんで心葉はいたのと聞き返されても困るので、特に聞くことはしなかった。

 教室にカバンなどが置いてあるので、私がそれを取ってから、汐斗くんは私を高校から徒歩数分のカフェに連れて行ってくれた。特にその間はお互いに何かを話すこともなく、ただ黙って歩いていた。私みたいな人なんかと何か喋るのは少し難しかったのだろうか。それとも、外の景色を楽しんでいたとかで元々話す気はなかったんだろうか。

「いらっしゃいませ」

「あー、2名です」

「かしこまりました。開いているお好きなお席へどうぞ」

 何度もここに来ているのか、店員さんにそう言われると、すぐさま窓側の方の席に行った。それから、私と汐斗くんは対面になるように座る。

 というか、こういうところに来るのはいつぶりだろうか。高校に入ってからは勉強しかしてなかったから本当に久しぶりなような気がする。多分もう一生こんなところに来ることはないんだろう。だからこの空間が特別に感じる。

 さっきまで自ら人生を閉じようとしていたことを少し忘れ、ほんの少しだけ、分かるか分からないかぐらいの微妙な範囲だけど心がオレンジ色になった気がする。

 汐斗くんは2つあるメニュー表のうち1つ私に渡してきた。それを開くと、写真付きで様々なパフェだとか、パンケーキだとか興味を引くものが沢山載っていた。

「あー、好きなもの選んで。僕が奢るから」

「いや、それはなんでも悪いよ……」

 それは先輩とかの立場の人が言う言葉だ。流石に特別仲がいいわけでもない同級生に奢ってもらうわけにはいかない。
 
「僕さ最近、工芸作品でさー、まあ小さな賞だけど入選して少し賞金をもらったんだよね。その賞金があるから全然気にしなくていいよ。というか、むしろ奢りたいぐらい」

 たしか、汐斗くんは工芸部に入っていて、将来は何か美術作品に携わる仕事をしてみたいって2年生の始めの自己紹介で言っていた気がする。実績もあるみたいだし、大きな夢を持っているし……なんだかすごいなと素直に思ってしまう。私もこういう人になりたかった。

「じゃあ……お言葉に甘えて。でも、実は私、こういうところほとんど来なくて……だからどういうのがいいのか全然分からないんだけど、オススメってある?」

 せっかく奢りたいとまで言うのなら、汐斗くんの思うようにさせてあげたいが、ただ1つ問題がある。ほとんどこういう場所に来ないからなのか、さっきからメニュー表を見てもこういう場所で何を頼んだらいいのか全然分からない。もちろん、人それぞれでいいんだろうけど、どれを頼んだらいいか見当がつきそうにないのだ。だからそう聞くのが少し恥ずかしかったけれど、場違いなものを選んだらもっと恥ずかしいので、そう聞いた。

「そうなんだ。食べられないものとかは特にはない? コーヒーとかも大丈夫そう?」

「うん、基本的には大丈夫」

「じゃあ、僕が適当に頼んじゃおう」

 汐斗くんはそう言うと、テーブルにあった呼び出しベルで店員さんを呼んだ。 

 さっき私に食べられないものはないか気にしてくれたところに甘い恋愛小説を読み終えた後みたいに少しキュンとしてしまったのは気のせいだろうか。

「はい、おまたせしました」

 店員さんがやってくると、汐斗くんは広げたメニュー表を指差ししながら注文を始める。

「えっと、まずホットのブレンドコーヒーが2つで。パフェがこれとそれで……、パンケーキはこれとそれ、最後にサンドイッチがこれとあれでお願いします!」

 汐斗くんは最近はやっている音楽のようにリズムよく、軽快に注文していく。

 ……えっ。

「かしこまりました。ホットのブレンドコーヒーがお2つ、――」
 
 店員さんが特に表情を変えることなく汐斗くんの注文したものを1つずつ順番に、そして丁寧に読みあげていく。それが終わると、店員さんは少々お待ちくださいと言い、その場を後にした。

 汐斗くんはなんだか宿題が早く終わったときのように満足そうで、嬉しそうな顔をしてこっちを見てくる。

 というか……!

「私、そんな食べられません!」

 私は汐斗くんに訴えかけるようにそう言う。見た感じ私はどちらかというと細身だというのは汐斗くんにも分かるだろうし、お弁当も皆が使ってるものが同じぐらいってこともお昼を食べている場所が近いからそも知ってるはずだ。なのに、この八山(はちやま)汐斗という少年はこんなにも注文してしまったのだ。実は私が裏では大食いユーチューバーをやってる思われている? それとも、汐斗くんが実は大食い?

「ふふっ。わざと沢山頼んじゃった」

 汐斗くんは笑っているが、そういう問題ではない。こんなに食べられそうにないのに、なぜこんなにも汐斗くんは頼んでしまったんだろうか。もしかしたら、私に恨みとかでもあるんだろうか。

「いや、でも、心葉がこんな訴えてくるなんて思わなかったなー」

「えっ……?」

 私は遊ばれているんだろうか。

 でも、たしかに私はあまりクラスの中でも目立つタイプではないし、けっこう無理難題なものも私の性格的に引き受けてしまうことが多い。だから、普段なら私はそのまま何も言うことはなかったはずなのに、なぜだか言ってしまった。素直な気持ちを伝えてしまった。

 なんでかは私には分からない。

「まあ、もう頼んじゃったんだし、少しでも楽しんでよ」

「うん、分かった」

 確かにもう頼んでしまったものをキャンセルするわけにもいかないし、だったら楽しむしかない。でも、なんでこの人は本当にこういうことをしたんだろうか。

「じゃあ、来るまでの間、ちょっと話してもいい? 2年の最初に自己紹介した内容を少し覚えてるぐらいであまり心葉のこと知らないから」

「別にいいけど……」

 自分から話すのはあまり得意ではないけれど、誰かと沢山話したりしたいという気持ちはあるので、特に迷うことなくそう言う。

「ありがとう。じゃあ、中学時代はどんなことしてた? なんかいつも心葉って勉強してるイメージだけど、中学校の時もそうなのかなーって単純に気になって」

 確かに私は高校生では休み時間でもほとんど参考書を見たりして勉強しているので、そのイメージが汐斗くんにもついてしまってるかもしれない。でも、中学のときは――。これを言ったら私に対するイメージが変わってしまうんじゃないかとも思ったけれど、この優しい汐斗くんなら今から言うこともしっかりと受け止めてくれるだろうそう思ってそれを言う。

「中3の始めぐらいからはほとんど勉強に費やしたけど、その前はそんなことなくてあんまり勉強してなかったから成績はそこそこだったかな。もしかしたら、勉強少女とか思われてるかもしれないけど、昔はどこにでもいそうなただの中学生だったよ。これは本当に。だって、普通に友達と近くのショッピングモールでお買い物したり、どこかにご飯を食べに行ったり……そんな感じだったもん」

 もしかしたら、私に対する見方が変わって、汐斗くんは何か態度を変えてくるかもしれないと言い終わって思ったが、そんなことはなく、そうなんだと相槌を打ってくれた。やっぱり彼は優しく受け止めてくれた。

「なんでそこまで勉強を頑張るのかはなんか理由があるんだろうけど、たまには休むことも大切だよ」

 汐斗くんの言葉の言う通りだ。それを私も分かってるし、そうしたい。でも、私にはそれができない。だけど、私は言い返すことはできない。

「じゃあ、心葉って兄弟とかいる?」

「兄弟はいないかな。私とお母さんとお父さんの3人暮らし。お母さんとお父さんはホテル関係で働いてるんだけど、ちょっと人手が足りないところに行ってて数日前から1ヶ月ぐらい遠くにいることになったんだ。だから、今は実質1人暮らしかな」

「えっ、そうなの? 今は一人ってことか。大変だったりする?」

「いや、別に家事とかは困ってないから……特には大丈夫かな」

「それならよかった」

 特に嘘をついたりとか隠すことなく、自分の家の家族構成を伝えた。今言ったように親がどちらも出張中なので今は実質1人ぐらしの状態だけど、元々家事とかは好きだったりするのでだいたいのことはできるから別に困ることも特にはない。ただそれにより勉強時間がなくなることが少し困るぐらい。

「おー、来たよ!」

 汐斗くんと話していると、いつの間にか汐斗くんが勝手に頼んでしまったパフェやパンケーキ、サンドイッチなどがテーブルに並べられた。まるで誰かの誕生日パーティーかのようだ。一体これ全部合わせると野口英世が何枚いるんだろうか。その前に、やっぱこの量を見てしまっては全部食べきれるか心配だ。でも、来てしまったものをもうキャンセルすることはできないし、それにこれは汐斗くんの奢りなので、残すことはできない。

「少しだけテンション上がってない?」

 ちょこんと突くような質問に私は少し動じてしまう。

「実は食べられないかもとかは思ってるけど、お恥ずかしながら少しテンションが上がってるかも……」

 こんなにもお姫様とかそういう身分の高い人ぐらいしかお目にかかれない宝石のような輝きを見てしまったら、テンションが少なからず上がってしまうのは当たり前なのではないか。

 だからと言って、今日やろうと実行していたことをやめようとは思わない。だって、あくまで一瞬少し楽しかったというだけで、この楽しさが長く続くわけでもない。また、生きていても明日からは勉強に縛られるだけだ。だったら、あっちの世界に行ったほうがましだ。たぶんこれが私にとって最後の晩餐になるのかもしれない。最後の晩餐がこんなにも豪華なのは少しずるいかもしれないけど。

「じゃあ、好きに食べていいよ。食べられなかった分は僕が全部食べておくから」

「じゃあ、いただきます」

 きちんと手を合わせていただきますをしてから、まずメロンパフェから食べ始める。普段はここまで丁寧にいただきますなんてしないけれど、今回は汐斗くんのおごりなので、失礼にならないようにそうした。

「どう?」

 ……。

 ……。

 ちょっとやばいかもしれない。これは、これは……。

「おいしい……!」

 普通に美味しい。なんか素直に美味しい。本当に最後の晩餐がこれでよかったかもしれない。汐斗くんがもう一日だけ私を生きさせてくれてよかったかもしれない。

 ――パシャ
 
 何の音? と思って汐斗くんの方を見ると、私が食べているところの写真を堂々と撮っていたのだ。

「ふふ、心葉の笑った顔。インスタにあげていい? 俺のフォロワー、まだ全然いないからそんな見られないよ」

「いや、もちろんだめ!」

 私は汐斗くんの質問に即興で断った。私の顔なんて需要ないだろうし、そもそもフォロワーの数に関係なく誰かに見られるのが恥ずかしい。 

「それぐらい分かってるよ。でも、少し幸せそうな顔が見られてよかった」

 でも、今、私、そんなに幸せそうな顔をしてたんだろうか。そんなに、満ち足りてるような顔をしてたんだろうか。自分ではもちろん自分の顔を見ることはできない。だけど、今、私の顔を見ることのできる汐斗くんは私の顔を『幸せそうな顔』と言った。もしかしたら、自分では気づいていないだけで、今、そんな気持ちなのかもしれない。

 確かに、今、私はさっきまでなら今すぐにでも人生を終わらせたいとか思っていたけれど、もう少し――数日ぐらいならまだ生きていてもいいかもと思えてきてるような気もする。

「もう心葉を映した写真は撮らないから、自由に食べて」

「うん、じゃあ」

 なんだろう、この気持ち。

 なんだろう、今までに感じたことのない感じ。

 私の世界がほんの少しだけ開かれたような……そんな感じがする。

 私の食べる手が早くなっていく。

 なんか心が少しだけ柔らかくなっている気がする。

 何かが私のもとで起きてるんだろう。

 でも、それが何かは分からない。

 だけど、言えることがあるんだとしたら、汐斗くんにほんの少しだけだけど、私を締めている紐がゆるくなったよ……そう言いたい。