「それではまず崩壊病について話そうか」
俺は何を今さらと思った。
崩壊病についてなら嫌という程知っている。あれは病気ではなく呪いだ。世間的には原因不明、その仕組みも不明の不治の病。
「実は世界中の機関で、崩壊病についての研究が進められている。ニュースでは報じられていないが、SNSなどではもうすでに日本だけではないということが、密かに拡散され始めている」
確かにニュースで海外の崩壊病について聞いたことがなかったが、世界中が同じ状態ということか。だとしたら研究が進んでなにか解決の糸口も見つかるかもしれない。
「そして研究の結果、崩壊病は星の使徒が触れた瞬間から始まる抜糸という結論が出た」
「抜糸?」
「そうだ。手術した後に手術に使った糸を抜いたりするだろ? あれだ」
「でもそんな糸どこにも……」
うろたえる俺と真姫。あれが抜糸? 人が崩れていく様が抜糸?
「正直俺も初めて聞かされた時は驚いた。人間の体を成り立たせているのは細胞だ。約三十七兆個の細胞が組み合わさって人は存在している。そして崩壊病は、その細胞同士を結び付けているもの、研究では”星の寿命”と呼んでいたか? それを引き剥がす病だ」
俺は一瞬思考が停止する。
星の寿命? それが俺達人間の細胞を縫い合わせる事で、人は人として存在していると?
そして崩壊病はその星の寿命を人の体から抜き去る病?
今までの常識が覆る。これが真実なら、これまでの人類生物学の歴史がひっくり返ってしまう。
「ちょっと待ってくれ! 星の寿命ってどういう事だ?」
俺は新たに登場したワードに説明を求める。
いきなり星の寿命とか言われても分からない。
「そこで今人類が直面している危機について話そう。それが星の寿命の説明にもなるはずだ」
桐ヶ谷はさらに声のトーンを落とす。
「星の寿命=地球の寿命だ。要するに星が死にかけているんだよ。今まで散々言われてきた環境破壊などではなく、単純に星の命が足りないんだ」
「それってどういう事ですか? 急に星の命が足りないと言われても」
さっきまでずっと静観していた真姫が口を出す。
正直頭の中が混乱してきた。星の命が足りないと言われても、そんなものどうしろと?
「最新の研究で分かったのが、全ての生物に星の寿命が使われているということだ。細胞の結びつきによって存在している生き物全てに共通している。そしてもっとも複雑な構造をしている我々人類が、急速にその人口を増やしているため、星のリソースが足りていないらしい。俺も実際に研究しているわけじゃないから、聞いただけだがな。そして地球の核の動きが鈍化してきているという観測結果も出ている。これは偶然ではないだろう」
そこまで説明したところで、医務室のドアがノックされる。
「入って良いぞ」
桐ヶ谷はそう言って立ち上がる。
「続きはまたの機会にしよう」
俺にそう耳打ちして医務室の扉を開き、病人を中に入れる。
「私達も行きましょう」
真姫は立ち上がり出口に向かう。
俺も後に続いて医務室を出る。途中で桐ヶ谷にすれ違いざま、他言無用だと念を押された。
そんなの言われるまでもない。誰が喋るか。というより他人に話したところでバカにされるだけだ。到底信じて貰えないだろう。
「何か言われた?」
先で待っていた真姫はエレベーターのボタンを押す。
「他言無用だってさ」
「そりゃそうでしょ」
俺たちは開いたエレベーターに乗り込み、四階の待機室に向かう。
途中で邪魔が入ったせいで聞き出せなかったが、あの患者の遺体が流し込まれていた金属の窪み。あの形状は間違いなく弾丸だ。
つまり俺達が必死に星の使徒に放っている弾丸は、崩壊病被害者の遺体だ。星の使徒を消滅させるには、被害者の遺体が必要というわけだ……胸糞悪い話だ。
「はぁ……やってられないな」
俺はため息をついて、四階の崩星対策室を通過して待機室へ。
「真姫は休んでなよ」
俺はパソコンを立ち上げ、そう促す。
今回はいろいろありすぎて疲れているだろう。
俺だって正直ヘロヘロだ。
普通の任務でさえ疲れるのに、こっそり尾行したり桐ヶ谷から難しい説明を受けたり……
今日一日を遡っていくと、あることを思い出す。
あの時、森林公園で星の使徒と対峙した時、あの星の使徒はもうすでにターゲットを崩壊病にしていたはずだ。それなのに俺に迫ってきた。
正人を失った時だって、正人を崩壊病にしてからは俺がいくら撃っても迫ってこなかったのに……何故?
「暮人? どうしたの?」
「え?」
「急にボーっとして、変だよ?」
気づけば真姫が、パソコンに向って座る俺の前に回り込んでいた。
顔が近い。
俺はまじまじと彼女の顔を眺める。
目が離せない。
凄まじく綺麗な顔だ。
「ああ、悪いちょっと考え事してた」
俺は慌てて誤魔化す。
考え事してたのは事実なので、誤魔化すと言っても嘘ではないが。
「ふーん。もしかしてさっきの話?」
真姫もさっきの話が腑に落ちないのか、妙に乗り気だ。
「いやそれもあるんだけど、今回の星の使徒、なんで俺に迫って来たのかなって」
真姫はそのまま腕を組んで黙り込む。
「さっきの桐ヶ谷さんの話が本当なら、星の使徒は人に使っている星の寿命を解き放とうとして現れているんだよね? たぶん」
真姫はしばらく悩んだ末にそう言い出した。
確かにそうだろう。さっきの桐ヶ谷の話はおそらくまだまだ全体の序盤の話で、そこから推測をするなら星の使徒は、俺達人類から星の寿命を解放しに来ていると思って良い。
「たぶんな。じゃあもしかして、俺に迫ってきたのって」
「一回に一人ではダメな段階にきてるってことかな?」
真姫の推論は恐ろしく解釈が飛躍している気もするが、そう考えると納得がいく。ということは、これからの相手は全部複数人を襲うと考えて良いのか?
俺はそんな嫌な考えを必死に頭から追い出し、報告書を完成させる。
「ねえカフェ行こうよ」
俺が悪戦苦闘しながら報告書を仕上げ、背もたれに背中を預けていると、真姫はもう疲れが吹き飛んだのか、ニコニコしながら俺の腕に抱きついてきた。
そういえば元々カフェに行く途中だったっけ? 今日という一日が濃すぎて失念していた。
制星教会のビルを抜けると、もうすっかり夕方。周囲の街灯に明かりが灯され、このビルに囲まれた岬町を彩る。
街の喧噪を聞いていると、さっきの星の寿命の話が頭に湧いてくる。
この街を行く人々全てに星の寿命が使われているとしたら、それは確かに足りなくなるだろうと思ってしまう。浅い考えだがそう感じる。もし桐ヶ谷の言っていたことが本当だとして、真姫の言う通り、星の使徒が一度に数人ずつ襲うようになったとしたら、この世界はどうなる?
今目に見える範囲で起こっていることだけでこれなのだ。
これが本当に世界中で起こっているとしたら?
俺の過去の選択が、世界を本当に崩壊に導いているとしたら?
「ああ……正解を導く天秤が欲しい」
「暮人? なにか言った?」
急に独り言をもらした俺を心配するように、真姫が俺の手を強く握る。
十年前の選択の結果が、俺の手を握る。
手を握られて安堵する。
彼女に触れていると、俺の選択は間違っていなかったと思える。
だって……こんなに綺麗な笑顔が目の前にあるのだ。
俺の天秤だって、中々侮れない。
「何でもないよ。行こうかカフェ。早く行かなきゃ閉まっちゃう」
俺はそう言ってやや強引に真姫の腕を引っ張る。
「わかったから引っ張らないで! ペース合わせて!」
真姫が隣で騒がしい。
だけどこれで良い。
こういう日常は大事だ。
俺はこの幸せが長く続かないことを、頭のどこかで理解していた。
俺は何を今さらと思った。
崩壊病についてなら嫌という程知っている。あれは病気ではなく呪いだ。世間的には原因不明、その仕組みも不明の不治の病。
「実は世界中の機関で、崩壊病についての研究が進められている。ニュースでは報じられていないが、SNSなどではもうすでに日本だけではないということが、密かに拡散され始めている」
確かにニュースで海外の崩壊病について聞いたことがなかったが、世界中が同じ状態ということか。だとしたら研究が進んでなにか解決の糸口も見つかるかもしれない。
「そして研究の結果、崩壊病は星の使徒が触れた瞬間から始まる抜糸という結論が出た」
「抜糸?」
「そうだ。手術した後に手術に使った糸を抜いたりするだろ? あれだ」
「でもそんな糸どこにも……」
うろたえる俺と真姫。あれが抜糸? 人が崩れていく様が抜糸?
「正直俺も初めて聞かされた時は驚いた。人間の体を成り立たせているのは細胞だ。約三十七兆個の細胞が組み合わさって人は存在している。そして崩壊病は、その細胞同士を結び付けているもの、研究では”星の寿命”と呼んでいたか? それを引き剥がす病だ」
俺は一瞬思考が停止する。
星の寿命? それが俺達人間の細胞を縫い合わせる事で、人は人として存在していると?
そして崩壊病はその星の寿命を人の体から抜き去る病?
今までの常識が覆る。これが真実なら、これまでの人類生物学の歴史がひっくり返ってしまう。
「ちょっと待ってくれ! 星の寿命ってどういう事だ?」
俺は新たに登場したワードに説明を求める。
いきなり星の寿命とか言われても分からない。
「そこで今人類が直面している危機について話そう。それが星の寿命の説明にもなるはずだ」
桐ヶ谷はさらに声のトーンを落とす。
「星の寿命=地球の寿命だ。要するに星が死にかけているんだよ。今まで散々言われてきた環境破壊などではなく、単純に星の命が足りないんだ」
「それってどういう事ですか? 急に星の命が足りないと言われても」
さっきまでずっと静観していた真姫が口を出す。
正直頭の中が混乱してきた。星の命が足りないと言われても、そんなものどうしろと?
「最新の研究で分かったのが、全ての生物に星の寿命が使われているということだ。細胞の結びつきによって存在している生き物全てに共通している。そしてもっとも複雑な構造をしている我々人類が、急速にその人口を増やしているため、星のリソースが足りていないらしい。俺も実際に研究しているわけじゃないから、聞いただけだがな。そして地球の核の動きが鈍化してきているという観測結果も出ている。これは偶然ではないだろう」
そこまで説明したところで、医務室のドアがノックされる。
「入って良いぞ」
桐ヶ谷はそう言って立ち上がる。
「続きはまたの機会にしよう」
俺にそう耳打ちして医務室の扉を開き、病人を中に入れる。
「私達も行きましょう」
真姫は立ち上がり出口に向かう。
俺も後に続いて医務室を出る。途中で桐ヶ谷にすれ違いざま、他言無用だと念を押された。
そんなの言われるまでもない。誰が喋るか。というより他人に話したところでバカにされるだけだ。到底信じて貰えないだろう。
「何か言われた?」
先で待っていた真姫はエレベーターのボタンを押す。
「他言無用だってさ」
「そりゃそうでしょ」
俺たちは開いたエレベーターに乗り込み、四階の待機室に向かう。
途中で邪魔が入ったせいで聞き出せなかったが、あの患者の遺体が流し込まれていた金属の窪み。あの形状は間違いなく弾丸だ。
つまり俺達が必死に星の使徒に放っている弾丸は、崩壊病被害者の遺体だ。星の使徒を消滅させるには、被害者の遺体が必要というわけだ……胸糞悪い話だ。
「はぁ……やってられないな」
俺はため息をついて、四階の崩星対策室を通過して待機室へ。
「真姫は休んでなよ」
俺はパソコンを立ち上げ、そう促す。
今回はいろいろありすぎて疲れているだろう。
俺だって正直ヘロヘロだ。
普通の任務でさえ疲れるのに、こっそり尾行したり桐ヶ谷から難しい説明を受けたり……
今日一日を遡っていくと、あることを思い出す。
あの時、森林公園で星の使徒と対峙した時、あの星の使徒はもうすでにターゲットを崩壊病にしていたはずだ。それなのに俺に迫ってきた。
正人を失った時だって、正人を崩壊病にしてからは俺がいくら撃っても迫ってこなかったのに……何故?
「暮人? どうしたの?」
「え?」
「急にボーっとして、変だよ?」
気づけば真姫が、パソコンに向って座る俺の前に回り込んでいた。
顔が近い。
俺はまじまじと彼女の顔を眺める。
目が離せない。
凄まじく綺麗な顔だ。
「ああ、悪いちょっと考え事してた」
俺は慌てて誤魔化す。
考え事してたのは事実なので、誤魔化すと言っても嘘ではないが。
「ふーん。もしかしてさっきの話?」
真姫もさっきの話が腑に落ちないのか、妙に乗り気だ。
「いやそれもあるんだけど、今回の星の使徒、なんで俺に迫って来たのかなって」
真姫はそのまま腕を組んで黙り込む。
「さっきの桐ヶ谷さんの話が本当なら、星の使徒は人に使っている星の寿命を解き放とうとして現れているんだよね? たぶん」
真姫はしばらく悩んだ末にそう言い出した。
確かにそうだろう。さっきの桐ヶ谷の話はおそらくまだまだ全体の序盤の話で、そこから推測をするなら星の使徒は、俺達人類から星の寿命を解放しに来ていると思って良い。
「たぶんな。じゃあもしかして、俺に迫ってきたのって」
「一回に一人ではダメな段階にきてるってことかな?」
真姫の推論は恐ろしく解釈が飛躍している気もするが、そう考えると納得がいく。ということは、これからの相手は全部複数人を襲うと考えて良いのか?
俺はそんな嫌な考えを必死に頭から追い出し、報告書を完成させる。
「ねえカフェ行こうよ」
俺が悪戦苦闘しながら報告書を仕上げ、背もたれに背中を預けていると、真姫はもう疲れが吹き飛んだのか、ニコニコしながら俺の腕に抱きついてきた。
そういえば元々カフェに行く途中だったっけ? 今日という一日が濃すぎて失念していた。
制星教会のビルを抜けると、もうすっかり夕方。周囲の街灯に明かりが灯され、このビルに囲まれた岬町を彩る。
街の喧噪を聞いていると、さっきの星の寿命の話が頭に湧いてくる。
この街を行く人々全てに星の寿命が使われているとしたら、それは確かに足りなくなるだろうと思ってしまう。浅い考えだがそう感じる。もし桐ヶ谷の言っていたことが本当だとして、真姫の言う通り、星の使徒が一度に数人ずつ襲うようになったとしたら、この世界はどうなる?
今目に見える範囲で起こっていることだけでこれなのだ。
これが本当に世界中で起こっているとしたら?
俺の過去の選択が、世界を本当に崩壊に導いているとしたら?
「ああ……正解を導く天秤が欲しい」
「暮人? なにか言った?」
急に独り言をもらした俺を心配するように、真姫が俺の手を強く握る。
十年前の選択の結果が、俺の手を握る。
手を握られて安堵する。
彼女に触れていると、俺の選択は間違っていなかったと思える。
だって……こんなに綺麗な笑顔が目の前にあるのだ。
俺の天秤だって、中々侮れない。
「何でもないよ。行こうかカフェ。早く行かなきゃ閉まっちゃう」
俺はそう言ってやや強引に真姫の腕を引っ張る。
「わかったから引っ張らないで! ペース合わせて!」
真姫が隣で騒がしい。
だけどこれで良い。
こういう日常は大事だ。
俺はこの幸せが長く続かないことを、頭のどこかで理解していた。