あれから一か月が経った。

 真姫が適合手術を終えて一か月。俺と真姫の成績はパッとしなかった。というよりもハッキリ言って悪い。俺たちがいる制星教会には実働部隊が、俺らを含めて十ペア存在しているが、その中で下から二番目。一番下は精神を病んで入院中のため稼働していないペアなので、実質最下位だ。

 新人二人だからと桐ヶ谷も荒木達も、他のメンバーも何も言わない。逆にそれがもどかしかったが、仕方ないと言えばその通りだろう。新人ペアでなんとかなるほど簡単ではない。

 しかしいつまでも新人だからと甘えたことは言っていられない。原因は俺と真姫の両方にあると言っていい。

 真姫は初めて星の使徒を見た瞬間に意識を失ってしまい、俺はそのまま真姫を抱えながら戦うが倒しきれず、狙われた人を助けることが出来なかった。

 俺は俺で、そうして失敗を繰り返すたび、犠牲者を目の当たりにするたびに吐き気と頭痛が襲ってきて、満足に動けなくなっていた。


「お前大丈夫か?」

 それからさらに一か月が過ぎたある日、荒木が崩星対策室で座り込んでいる俺の前に現れる。この大丈夫はどういう意味だろうか? 任務の失敗が続いていることなのか、それとも俺が今吐き気と頭痛に襲われている事に対してなのだろうか?

「どういう……意味ですか?」

「お前だってまだ新人みたいなものだろう? 真姫ちゃんを導きながらちゃんとやれんのかってことだ」

 荒木は俺達ペアについて何か言いたいらしい。

 見ていてもどかしいのは分かるが、こっちは体調が悪いんだ。今は勘弁してくれ……

「なんなら俺が真姫ちゃんと組んでやろうか? その方があの子もやりやすいだろう?」

 ああ。そういう事か。

 真姫が正式にここのメンバーになってからというもの、妙に声をかけてきたり世話を焼いたりするなと思っていたが、コイツ……真姫に気があるのか?

「それは……」

「それはお断りします!」

 俺が答えるよりも先に、待機室で着替えていた真姫が口を出す。

 答えながら崩星対策室に入ってきた真姫は、荒木をキッとにらみ、俺の横の席に座る。

「暮人、大丈夫? 少し寝る?」

「俺なら大丈夫。いつものやつだ。しばらくじっとしてれば落ち着く」

 真姫は安心したようにほっと溜息を溢す。

 そんなに心配かけてたのか……これからはもっと上手く隠さないとな。

「それで、荒木先輩はどういうつもりで言ったのですか? 私は暮人のパートナーです!」

 今度は荒木に向ってやや攻撃的な物言いだ。

「君が暮人のパートナーなのは百も承知だ。だが実際、俺と組んだ方が君の評価だってよっぽど……」

「私は自身の評価なんて興味無いです。被害者を出してしまっているのは私達の実力不足で、それは謝って済むことでは無いとは思っています。しかしそれと評価は別の話です。それに、どうして私ばかり気にかけるのですか? 同じく評価が悪いというなら、ペアである暮人だって同じです。私だけ誘う意味が分かりません」

「いや、俺は君のことを思って……」

 美人系の真姫のきつめの口調に、荒木もやや動揺している。

 真姫ってこんなにハッキリ言う子だったっけ? 俺が避けている内に随分変わったんだな……

「もうやめて啓二。さっきからなんのつもり?」

「沙也加……」

 俺たちが言い争っている間に、荒木のパートナーの姫路さんが黒いロングコートを身に纒い、姿を現した。

「この子たちはこの子たちのペースでやっている最中なの。邪魔しないであげなよ」

 姫路さんはそう言って荒木の手を取る。そしてなぜか真姫を一瞥すると、荒木の手を引き、ロングブーツの固い足音を響かせながら崩星対策室を後にした。

「ふぅ……ちょっと緊張しちゃったね」

 真姫はさっきまでとは別人のように笑う。

「まさか真姫があんな風に食ってかかるとは思わなかったよ」

「だってなんかあの人、前から私を舐めるように見てくるから気持ち悪くて」

 そうだったのか。さっきの口調から真姫を狙っているなとは思っていたが、そんなあからさまな態度を取っていたとは。

「それより暮人は平気? 任務で失敗するたびにそうなっているけど」

 真姫はさっきよりも心配そうに話題を変える。

「ごめん真姫。目の前で正人が死んだ時からそうなんだ。目の前で崩れていく人を見ると、体が震えだして、だんだん吐き気と頭痛が激しくなって……」

 まるでPTSDだなと説明しながら思う。

 PTSDは強烈なショックや精神的ダメージがもととなる精神的な疾患で、災害や戦争、殺人現場を目撃など、理由は人によって様々だが、いずれも中々治らない面倒な症状だ。俺の場合は確実に正人の死だろう。

 ただでさえ崩壊病の被害者を見るたびに罪悪感が押し寄せてくるのに、よりにもよって死んだのが正人だ。

 崩壊病によって身近な人を失ったのは初めてだった。その時の恐怖や罪悪感は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

「ちょっと待機室で休まない?」

 そう言って立ち上がり、俺の手を引っ張る。

「一人で歩けるって」

「いいから!」

 密着する真姫に内心ドギマギしながらも、俺は大人しく従って待機室に入る。

「何してんの?」

 真姫は俺をベッドに寝かせるのかと思いきや、自分がベッドに腰掛けている。

 意味が分からない。

「うん? 早くこっちに来て、ここに頭を乗っけて」

 そう言って真姫は自身の太ももをポンポン叩く。

 まさか膝枕する気か? なんで? 

「マジ?」

「マジ」

「普通に恥ずかしいんだけど」

 そもそも膝枕と言いつつ、なんで太ももに頭を乗っけるんだ? これじゃあ太もも枕じゃないか。

 なんて思いつつも、アニメやドラマで見る膝枕で、本当に膝に頭を乗っけているのを見たことがないな……

 混乱した俺の脳内で、そんな下らない思考が展開される。いやいやそんな事はどうでもいい。確かにこの待機室はプライベートな空間だが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

「良いから早くこっちに来る!」

 しびれを切らした真姫は俺を引っ張り、強引に頭を自身の太ももに押しつける。

 抵抗しようともがくが、真姫は信じられないほどの力で俺の頭を押さえつける。

 何が彼女をここまで膝枕に駆り立てるんだ?

「はぁ」

 俺は抵抗を諦め、凄まじく恥ずかしいながらも真姫の膝枕を堪能する。

 最初は嫌だったが、徐々に心地よくなるのが不思議だ。自然と吐き気と頭痛が引いていく気がする。

「どう? 結構落ち着くでしょ?」

 真姫はそう言って上から俺に覆いかぶさる。

 膝枕をしようとしているのか、押しつぶしたいのかハッキリして欲しい。そう思いつつも、全身が真姫の匂いに包まれている気がして、安心感がより増してくる。

「ああ」

 俺はもうそれ以上声が出せなかった。全身に残る緊張が解け、緩やかに体が溶けていくような気さえした。

「ねえ暮人」

「うん?」

「ちょっと気になってたことがあってね」

 なんとなく真姫の纏う空気が重くなった気がした。

「私達が失敗するたびに、被害者がでてしまうよね?」

「ああ……そうだな」

 急になんなんだ? 真姫がそんなことを言い出すのは珍しい。

「あの遺体ってどうするのかな?」

 その言葉を聞いた瞬間、ハッとする。

 確かにそうだ。俺たちが失敗するたび、被害者は崩れていく。それは知っている。後から駆けつける現場処理班は、ただ現場の処理をしているだけだと思っていた。

 しかし言われてみれば、いつも現場に着いた際に、真っ先に崩れていく遺体を回収している。

 そして回収された遺体を、現場の処理が終わるよりも先に持って帰っている気がする。

 何故今まで違和感を抱かなかったんだ?