「もう平気なのか?」

 俺はベッドで横になる真姫に声をかける。

 場所は制星教会本部に設置されている医務室。先ほど適合手術を受けた真姫は、今夜はここに入院という形になる。体にダメージが残っているわけではないが、念のためということらしい。

「全然平気。痛みもないしね。ただ何をされたのかは分からないけど」

 真姫は思っていたよりも元気そうだった。ベッドから上半身を起こして窓の外を見ている。

 この医務室は、四階の崩星対策室やら待機室があった場所から随分高くに設置されていて、高さ十四階。ここより上となると、制星教会のトップが居座る会長室が十五階にあるだけとなる。

 真姫に倣って窓から外を眺めると、もうすでに日が沈み、夜もふけていた。街を照らすネオンの明かりが煌々と輝くビルの合間を、大量の車が走り去り、その脇の歩道を残業帰りの疲れたサラリーマン達がゆっくりと歩く。

 いつも通りの街並み。

 その街の喧噪が、電気が消された医務室の張りつめた空気感をより際立たせている。

「崩壊病って……病気じゃないんだね」

 真姫が静かに語りだす。

「麻酔を打たれる前に一通り説明を受けたの。崩壊病は病気ではなく、星の使徒と呼ばれる者による呪いみたいなものだって。どうして体が崩れていくのかは不明で、今のところ治す手立てもない。私達の仕事は、不意に現れる星の使徒を撃退することだって」

「ああ。そうだ」

 俺はそれしか言えなかった。実際に説明としては正しい。酷く正しい。それ以上の説明は無いだろう。

「ねえ。どうして暮人はここに入ろうと思ったの?」

 やっぱりそうなるか。そうだよな。そういう話の展開だったもんな。だから嫌だったんだ、真姫を制星教会に入れるのは。俺の動機に絶対話が回ってくると分かっていたから。

 何て言えばいい? 十年前のあの教室で真姫の命を選択したために、崩壊病が発生したと正直に言えるか? そんなの言えるか? その贖罪のために制星教会に入ったと、本当に伝えられるのか? 間接的にお前を助けなければ良かったなどと言えるか?

「やっぱり言わなきゃダメか?」

 俺がなんとか絞りだしたのは、そんな言葉だった。本当にしょうもない、縋るような言葉。

「言って。絶対言って。私は何を言われても大丈夫だから」

 そう力強く宣言する真姫の横顔を、街明かりが照らす。どうする俺? でもこのまま隠し続けるのも不可能だ。

 そろそろ潮時か……

「分かった話すよ。どうして俺が制星教会に入ったのか、どうして俺が真姫を避けていたのか」

 覚悟を決め説明に入る。俺も真姫も自然と表情に力が入る。

「俺が制星教会に入った理由は簡単だ。贖罪だよ」

「贖罪?」

「ああ。話は十年前に遡る。俺たちがまだ小学生だった頃のことだ。真姫は憶えていないだろうが、十年前の夏の日の教室。夕日が差し込む時間帯、当時一緒に教室に残っていた俺と真姫が帰り支度を始めた時だった」

 俺は滔々と語りだす。十年前のあの選択を、後悔を、後悔と思ってしまった自分への嫌悪感を。

「突然真姫が苦しみだし、意識を失った。唐突だった。俺は誰か呼ばないとと思って教室から出ようとしたが、鍵も掛かっていないのに何故か開かなかった。そうこうしているうちに、教室内が一瞬光ったかと思うと、意識を無くした真姫の真横に、今でいう星の使徒が立っていた。そして俺に告げた。この娘の命は今尽きようとしている。我々の力で蘇生は可能だがどうする? ってね」

「え……星の使徒? 十年前に? どういう事?」

 真姫は理解が追いついていないのか、混乱している様だったが俺はもう止まらない。ずっと胸に秘めていた想いがとめどなく溢れてくる。

「俺は迷わず答えた。真姫の蘇生をお願いした。だから真姫は今ここにいる」

「それは……ありがとうだけど、それがどうして贖罪になるの?」

「問題はその後だ。星の使徒は俺に二択を迫った。この娘を蘇生させると、世界は崩壊に近づく。それでもこの娘の蘇生を選ぶかと……当然答えはイエスだった。当時の俺は迷わなかった。当時の俺は余りに簡単に究極の二択を選んだ。真姫の命か、世界の命、その選択を俺は十年前にしてしまった。それからは真姫も知っての通り、崩壊病の登場だ」

「崩壊病の発生はおよそ十年前……」

 真姫が最後に答えを口にした。俺が真姫を選んだその瞬間から、星の使徒達による人類の崩壊が始まっていた。そのスイッチを押したのは間違いなく俺なんだろう。

 実際、どうして真姫が生き延びると世界の崩壊に繋がるのか分からない。それは今でも分からないけれど、ただ一つ言えることは、崩壊病の犠牲者延べ千人余り。彼らを殺したのは俺だ。直接的にとか間接的にとか、そういう話ではない。殺したのは俺だなんだ。

「ああ。それからニュースで崩壊病の犠牲者の話が出るたびに、当時の記憶が蘇るんだ。だから……」

「だから気まずくなって私と距離を置いた?」

 俺の言葉尻を真姫が引き継ぐ。

 その通りだ。彼女の言う通り。俺はニュースで犠牲者を知るたびに、真姫を選んだ自分の選択を問いただしていた。間違ってしまったのかと一瞬でも思うたびに、強烈な自己嫌悪に陥る。

 だから距離をとった。だから離れた。忌まわしい記憶から逃れるために。逃れられると思って。

「じゃあ私は、本当は生きていてはいけない人なのね……」

 真姫は静かに俺がもっとも恐れていたことを口にする。こうなるのが目に見えていたから、話したくなかったんだ。

 そもそも信じてもらえるか分からない話のうえに、信じてくれたらくれたで、今度は真姫が自責の念に襲われる。どう説明したって上手くいかない。どう話したって拗れる。

「それだけは言わないでくれ!」

「え!?」

 真姫は突然大きくなった俺の声に驚く。

「真姫が、自分自身が生きてちゃいけないなんて思わないでくれ。真姫がそう思ってしまったら、この十年間ずっとその考えを否定していた俺はなんなんだ? 頼むからそんなこと言わないでくれ。そんな風に思ってほしくなかったから、俺は今まで黙っていたんだ」

 俺と真姫はそのまま黙り込む。医務室に響くのは街の喧噪だけ。俺は部屋に佇む静寂を打ち払おうと口を開けるが、何も言葉が出てこない。

「そう……よね。ごめん。変なこと言って」

 数分後、真姫がそれだけボソッと呟く。

「良いよ。もう。そう思っちゃうのも分かるから」

 俺もなんとかそれだけ答える。

「今夜はここに泊まりだっけ?」

「うん。暮人はどうするの? 帰っちゃうの?」

 俺は話題を強引に変える。真姫もそれに乗っかる。あからさまに声のトーンがおかしい。でも気にしない。何も言わなくても俺たちの合意は取れている。

「そうだな……真姫はどうして欲しい?」

「出来ればここにいて欲しい。まだ不安なの」

 そう言って真姫は俯く。

 不安なのは当たり前だ。ついさっきまで一般人だったのが、崩壊病の真実を聞き、たった今俺の話を聞いたばかり。不安にならない方がおかしい。だから答えは一つ。

「分かった。実は俺も、今日は家に帰りたくないんだ」

 俺はそう言って真姫のとなりのベッドに座る。

 もし俺が帰った後、見えるようになった彼女の前に星の使徒が現れたら? また十年前の星の使徒が接触して来たら? そう思うと俺に真姫を残して帰るという選択肢は無かった。

「良かった。同じ部屋で寝るなんて何年ぶりだろう?」

 真姫は何が面白いのか笑いながら、ベッドに横になる。俺も隣のベッドで横になり、ふと疑問が湧いてきた。

 星の使徒とは意思疎通が取れない。これはこの十年間の調査の末に出た答えだった。

 だったら……十年前に俺に二択を迫ったあの星の使徒は、一体何だったのだろう?