「荒木さん? 何を言ってるの……」

 真姫は信じられないといった表情で、頭を下げた荒木を見る。彼女は震えながら立っていた。

「分かっている。これが身勝手なお願いということぐらい。だけど俺はもう疲れたんだ。生きるのに疲れた。もう崩壊病について、星の使徒について、お前達について何も考えたくない。最初はどんな目に遭わせてやろうかと考えてこの村まで来たが、仲睦ましそうに、幸せそうに歩いているお前達を見て、俺の中で何かが崩れていった。俺から何もかも奪っておいて、そんな幸せな顔が出来るのかって」

 やつれた顔の荒木は、徐々に人間らしさを取り戻していくような気がした。話ながら、元の彼に戻っていくような感覚。

「そういう負の感情と共に、お前達にはなんとか逃げおおせて欲しいという気持ちも芽生えた。矛盾しているだろう? だけどこれが俺の本当の気持ちだ」

「だったらどうして、荒木さんが死ななくちゃいけないんですか!」

 真姫は珍しく怒鳴る。久しぶりに本気で怒っているのを見た。

 彼女からしたら許せないのだろう。その生きるという行為すらも、大きな代償を払わなくてはいけなかった彼女からしたら、殺してくれなんてもってのほかだ。

「確かに私達が荒木さんの全てを奪ったかもしれない! それは分かってる。だけどそれと、荒木さんを私達が殺すのは全くの別の話! 死ぬなら勝手に一人で死んでください! でも、選べるなら、生死を選べるのなら、可能な限り生きてください! 私達には平凡に生きる権利すら無かったんです!」

 真姫は言うだけ言って深呼吸をする。言われた荒木はそのまんま黙ってしまった。

 真姫の言葉は強烈だったが、それが間違っているとは思えない。俺達側からしたら真姫の言っていることが全てだし、荒木側からしたら、彼が言っていることが全てなのだろう。

 正解はない。そもそもどっちに転んでも被害者が存在している時点で、正解も不正解もない。あるのは視点の違いだけだ。

「荒木さん。貴方の言いたいことも、貴方の気持ちも良く分かるし、理解も出来る。でもどうして死ななくちゃいけないんだ? 俺達に逃げおおせて欲しいという願いと、荒木さんの死が繋がらない」

 少し冷静さを取り戻した荒木に、俺はそう語りかける。このまま彼を殺すわけにもいかないが、勝手に死なれたらそれはそれで寝覚めが悪い。

「ああ。冷静に考えてみればそうなのかもしれないな。だけど俺は怖くなったんだ。お前達が捕まって、国民の、人類の敵にされるのを見るのが。殺されるのが。今はまだなんとか平穏を保ててはいるが、いずれそれも無くなる。これ以上のペースで崩壊病が広まれば、星の使徒の情報以上のものを、国民は欲しがる。原因は? というところにまで話が進む。そういう国民の圧力が高まった時、国はお前達を晒すだろう。俺はそれが見たくない。だから死のうと思ったのかもしれない。無茶苦茶なのは理解しているが、理性と感情は別なんだ」

 つまり荒木は、捕まって人類の敵として処分される俺達を見たくないから死にたいと? 本人も自分で言っているが、随分とふざけた理由だ。納得なんて出来るわけがない。だけど……そうか。

 俺達の安否を気にしてくれる人間が、一人でも残っていたんだな。

「荒木さん。俺達はこの村を出るよ。そして誰にも見つからない遠くでひっそりと暮らす。もうこの文明社会の中に、俺と真姫の居場所は無いということは分かった。荒木さんの言う通り、いずれ国も本気で俺達を探し始める。だからその前に、俺と真姫は別のところで生き延びる。だからもう二度と会うこともない」

「一体どこに逃げるつもりだ? そんな場所、この世界のどこにも……」

 荒木は信じられないものを見るような目で俺を見る。

「今は分からない。だけど逃げ続けるさ。最悪追いつかれたら、俺達は自衛のために人を殺すかもしれない。それを避けるためにも俺達は逃げ切る。逃げおおせる。だから、もう二度と会わないということは、荒木さんが俺達の死に際を見る事もない。だから生きてくれ」

 俺はそう言って荒木に手を差し出す。いろいろあったが、最後の最後になって俺達の心配をしてくれたのは結局彼だったのだ。彼には死なずに生き延びて欲しい。決して自殺なんてしないで欲しい。これは俺達の本心だ。

「だから……俺達はもう行くよ」

 俺と真姫は最低限の荷物だけ持ち、荒木一人を残して家を出る。部屋の中で立ち尽くす荒木は、何ともいえない表情のまま、ただ立ち尽くしていた。俺はそんな彼を一度だけ振り返り、軽く頭を下げてそのまま玄関のドアを閉めた。

「どっか遠くに行こう」

 俺は隣を歩く真姫に声をかける。

「うん。とりあえずここから離れよう。他の捜索隊が荒木さんを探してここまで来るかもしれないしね」

 浮かない顔をした真姫を隣に座らせ、車のエンジンをかける。この村の近くで購入した軽自動車は、ここぞとばかりにエンジン音を響かせる。田舎の移動には車は必須だと真姫が言っていたが、その理由がよく分かった。

 田舎の生活は勿論、逃亡生活にも必須だろう。

 俺はいつもより若干スピードを上げて走りだす。向かう先は特に決めていない。携帯の地図も見ない。カーナビも見ない。気ままに田舎道を突き進む。この国の何処にも隠れられそうな場所が無いことは分かっている。

 だけど上手くいけば逃げられるかもしれない。海外に逃げるという手もあるが、空港で捕まってしまうのがオチだろう。

「どうする?」

「とにかく南に行きましょう?」

 真姫が指し示す方角に向けて、俺達は当てのない旅に出るのだった。