あれから一か月が経過した。

 あの日俺達を捕らえられなかった制星教会は、可能な限りの人員を動員して俺達を探していた。そうなることを見据えて、岬町から遥か南にある人口二百人程の小さな村に逃げてきたのは正解だった。

 岬町の制星教会のメンバー達は、桐ヶ谷を含めその大半を失った。怒り狂った真姫によって崩壊させられたためだ。それからどうやって立て直したのかは知る由もない。

 俺は変異種に変えられた反動からか、今はほとんど寝たきりとなっている。星の使徒に復活させられた時は、体が自由に動いていたが、やはりどこか無理があったのだろう。普通の進化の過程ではないのだから。

 真姫に面倒を見てもらいながらの一か月間。二人でぼんやりと打ち捨てられた古民家で暮らす。田舎にはこういった使われていない古民家が結構あり、それがホームレス達の住処になっているとどこかで聞いたことがあるが、まさか自分たちがそうなるとは思ってもみなかった。


 少し頭がクラクラしてきた……もう一度寝よう。





 あれから半年が過ぎた。

 体はほとんど全快し、この小さな村での生活も満喫し始めていた。

「そろそろ起きろよ」

 俺は同じ布団で眠る真姫を揺り動かす。

 近所の村人たちと共同でやっている畑仕事の時間だ。

「暮人……おはよー」

 真姫は眠そうな眼を擦り、体を伸ばす。

 俺達の逃避行生活は思っていたよりも上手く行っていた。お金は銀行口座が使えなくなる前に全額下ろした。お金なら結構な蓄えがあった。制星教会の給料はかなり高額だ。命を張るのだからそれでも少ないと思う時もあったが、それでも贖罪のために働き続けた俺は、特に使うあてもなく貯め続けていた。

 そのお陰か、今のところ何も働かなくても暮らしていけている。農作業をするのは、完全に人付き合いのためだ。人口が少ないこの村では、ご近所さんと上手くやらなければ生きてはいけない。

「先にご飯にしよう」

 真姫はそう言って冷蔵庫を開けて中を確認する。

 俺はテレビをつけてニュースを見始めた。

 ニュースでは遂に崩壊病についての真実が公にされていた。そして当然制星教会の存在も明るみにされた。星の使徒という存在についても情報開示がなされ、世界的なパニック状態となっている。崩壊病と制星教会の存在だけならまだしも、星の使徒の存在は相当なパニックを巻き起こした。

 それは当然だろう。人類を崩壊させる化け物、人類以外で初の人型の化け物、そんなのがどこからともなく現れ、襲ってくるのだから恐怖でしかない。

 情報番組では、コメンテーターや専門家を名乗る人々がそれぞれの立場からポジショントークを展開し、視聴者はその内容に一喜一憂し、最終的に国が悪いという結論に落ち着く。

「酷いコメディーを見てる気分だな」

 俺はテレビを見ながらそう呟いた。

 まだ俺達の存在は明かされていない。今のパニック状態で俺達のような変異種の存在まで開示してしまったら、世界中がブレーキの効かない状態になる。パニックは実体を伴った障害として世界のあり方を捻じ曲げてしまうだろう。

「おまたせ。どう? 世界は相変わらず?」

 朝食を持ってきた真姫は、机に配膳をしてそのまま座る。

 彼女も今では元の明るい調子を取り戻しているが、数か月間はずっと塞ぎこんでいた。仕方がないこととはいえ、元同僚達を皆殺しにしてしまったのは他でもなく真姫だ。

 崩壊病で知った顔が亡くなるだけで、精神に負荷がかかっていた彼女が、自分の手で人を殺して平気なはずがないのだ。

 俺が寝たきりの間も、俺の世話をする以外はほとんど何も話さなかった。彼女から表情は消え失せ、目は虚ろ。食欲もあんまりないのか、ほとんど食べていなかったように思う。どんどんやつれていく彼女を寝たきりの俺が必死に励ます。そんな数か月間……いつもの調子を取り戻したのなんて、ほんの一か月前ぐらいからだろう。

「ああ。俺達のことは公表されていない。でもいずれは来るかもな」

 俺は真姫に答える。

 これは憶測なのだが、それでも考えとかなければならない。俺達を追っているのは今のところ制星教会だけだが、それがいずれは警察や自衛隊。最後には全国民から追われることになるかも知れないということを。

「もしそうなったらその時に考えましょう。今はこの、のんびりとした時間を満喫したい」

 真姫はそう言って食べ始める。今日の朝食はトーストにサラダ、目玉焼き、ウィンナー。お手本のようなメニューだ。

 口いっぱいにパンを頬張る彼女を見ながら、俺は近い将来のことを考える。いずれはこの村にも制星教会の魔の手が伸びてくるだろう。その時どうする? こんな人口の少ない村でしらみつぶしに探されたら逃げようがない。ましてや全国放送で指名手配でもされてしまえば一巻の終わりだ。

 俺も真姫も親族には敢えて何も言わないで姿を消した。もう二度と会えないと分かってはいたが、変に事情を説明するよりも何も知らないまま消えた方が、まだお互いにとって安全だと思った。だから真姫の知り合いや、俺の祖母から俺達の居場所がバレることはない。そして会うことも出来ない。これは仕方がないことだと割り切っている。


「そろそろ行こうか?」

 俺は食べ終わった食器を台所に置き、出発の準備をする。ここから畑までは歩いて十分程だ。

「ちょっと待ってよ!」

 真姫は慌てた様子で食器をかたずけ、靴を履いている俺の元へ駆け寄る。

 俺は笑いながら玄関を開け、外に出た。空は雲一つない晴天で、周囲にあるのは雑草ばかり。道は村の中心にある太い道路だけがなんとか舗装されているだけで、そこから枝分かれした細い道は砂利道だ。

 砂利道の脇には用水路が伸び、この暑苦しい夏の日差しに涼しさを提供してくれている。この道を真っすぐ行けば共同の畑だ。

「暑いね~」

 真姫はそう言って手で顔を扇ぐ(あおぐ)。今はもう七月。あの日山の中で変異種に生まれ変わったのが昨年の十二月。もう半年。

 よくぞ半年ものあいだ、平和に暮らせていたと思う。問題はこの生活をあとどれくらい続けて行けるかだ。

 俺達の家から畑に向かう道すがら、村の中央の舗装された道が見える。いつもの光景だ。年配のおばさま方が、朝っぱらから楽しそうに談笑し、村にほんの数人しかいない子供達は用水路で水遊びをしている。いつもの光景。何も異常はないはずだった。そのはずだった。しかし……。

「真姫、今日は畑に行くのはやめといた方が良いかも知れない」

 村の中心部を歩く見覚えのある顔を見て、俺は真姫にそう告げた。