「決まったのか?」

 星の使徒は俺達から少し離れた場所から俺達を眺めている。

「ああ。だけどお前達は反対なんだろう?」

 俺は星の使徒の質問に答えつつ、星側の意見を確認する。先程我々の総意としては反対とはっきり述べていたのだ。望んだからといって俺が変異種になれるとは到底考えられない。

 俺の疑問に、星の使徒はまたもや固まってしまう。前々から思っていたが、この固まっているあいだは、コイツにとって思考中という事なのだろう。俺の疑問に対しての最適解を導き出しているのだ。

「我々の総意としては反対だ。それは変わらない。だが、この個体だけの”感情”では賛成を示している。この個体は星の使徒のオリジナル。星の端末みたいなもの。星が人間を理解しようと作り出したものだ。そんなこの個体は、他の人間達に対するそれとは明確に違う感情を抱いている。だからこれからお前達には選択してもらう。重要な選択だ」

 星の使徒は長考の末、そう答えを導き出した。またしても俺達は選択を迫られることになるようだ。人生とは選択の連続。それを星に教えてもらったような気さえした。

「重要な選択って?」

 瀕死で声を出すのも億劫な俺の代わりに、真姫が尋ねる。その選択の内容とは?

「簡単な話。変異種の数だけ、崩壊していく人間の数が増えていく。だからそういうことだ。ここで錦暮人を変異種に変えた場合、最終的に人類は十億人を切ることになる。そういう選択だ。今までの人類が崩壊するという話とは、規模が違う。本当に文明そのものが怪しくなる数だ。それを踏まえてよく考えてほしい」

 星の使徒は、さらりと質問に答えた。

 十億だと? 俺一人が変異種になるだけでそんなに被害者が増えるのか?

「この計算はその変異種がまっとうに生き続けた際の、生涯における星の寿命の消費量を計算したものだ。一気に何十億もいなくなるわけではない。お前達が老いて死ぬまでにそれくらい死んでいくという話だ」

 星の使徒は補足する。

 しかしだから何だというのだ? 一気に死ぬわけじゃないとしても、これから生きる数十年のあいだに、俺達が生きているせいで死ぬ人間の数は変わらない。

 俺はボーっとした頭でそう考えながら、真姫の顔を見つめる。真姫も俺の視線に気づいたのか、じっと目を合わせる。見つめあうこと十数秒……頭の中では過去のさまざまな真姫の顔がフラッシュバックする。いつも見せてくれる笑顔。喧嘩した時に見せる怒った顔。任務で失敗した時に見せた泣き顔……それらが頭の中をぐるぐるとめぐり、やがて頭の中に彼女の声が響く。

「こんな化け物になった私を一人残して先に楽になるの?」

 彼女のこの言葉が、波紋のように静まり返った脳内に響き渡る。俺の思考に波風をたてる。そうだ選択だ。俺はさっき決めたじゃないか。真姫だけ残して先に死なないと、最後まで罪をかぶり続けると……だから!

「決めたよ。やってくれ」

 俺は掠れた声で合図する。

「本当に良いのか? 次々と現れる犠牲の嵐に、お前は、お前達は耐えられるか?」

 最後の最後に情なんて見せやがって……星の使徒に心配されるとは、俺も焼きが回ったもんだ。

「良いよ。もう今更善人ぶらない。俺は生きる。真姫と生きる。見知らぬ数十億の人間を犠牲にしてでも、俺は生きる。身勝手だと言われようと、なんと言われようと構わない。それは俺達の選択の代償だ。交換だ。何かを得るためには、何かを捨てなければならない。手は二つしかないのだから」

 俺はそう言って目を瞑った。もう限界だ。これ以上は喋れそうな気がしない。

「分かった。そこまで言うのならやろう。お前達にその覚悟があるのならそうしよう」

 そう言って星の使徒は触手を伸ばし、俺に触れた。触れた所から熱い何かが体内に入っていく感覚。これが命なのか? そう思った。やがてその熱が全身に回った時、頭の中で何かがざわつく感覚がした。

 何か、知らない感覚器官が植え付けられているようだ。もしかしたらこれが星の寿命を吸収する感覚なのかもしれない。これで俺は人間をやめる。正確には人間の変異種だが、実際のところ、もう人間とは呼べないだろう。俺は真姫と同じ変異種になる。

 思えば真姫にだけ人間をやめさせておいて、自分だけ人間の皮をかぶり続けているのはフェアじゃない。それでは彼女と対等ではない。それは失礼というものだ。だけど俺はもうすぐ真姫と同じになる。この世界に十人もいないであろう変異種の仲間入りを果たす。無意識に地球の生命力を吸い続ける、世界の害虫になり下がる。

 これは進化ではなく退化と言って差し支えない。星からしたら燃費が悪いったらない。

 俺は自然と体が宙に浮き始めた。まだ目は閉じたままだが、体が浮いている感じがした。地面から離れた。俺は何かに支えられて宙に浮いている。そして青白い光が照らしている。閉じた瞼の隙間からでも分かるぐらいの強烈な光だ。

 そして自身の左腹部に何かが入っていく感触。自身の欠損した血と肉が戻ってきているようだ。寒さを引き連れて痛みが遠のく。入れ替わりに暖かさが入り込んでくる。体の修繕が進んでいることを実感した。

「暮人? 暮人?」

 やがて体が再び土の上に戻って来た時、真姫が俺の名前を呼ぶ。体がゆすられる。

 俺はゆっくりと目を開ける。視界一杯に真姫の心配そうな顔が映り、その後ろには世闇が広がる。耳を澄ませば虫の鳴き声と風の音、小動物の足音……ようやく普通が帰ってきたような気がした。

「真姫……俺は大丈夫。もう大丈夫だから」

 そう言って立ち上がる。覚束ない足取りでゆっくりと星の使徒の元に歩き出す。

「本当に良かったのか? 俺を変異種にしてしまって」

 俺は最後の確認を取る。

「選択をしたのは君らだ。我々はそれの手助けをしたまで」

「どうして俺達に選択肢を与えた?」

 あの日と同じ質問をする。俺と真姫が過去に飛ばされたあの日と同じ質問だ。あの時のコイツの回答はなんだったか? あんまりはっきりとした理由では無かった気がする。確か同情に近い理由だったはずだ。

「簡単なこと。情が移ったんだ。お前たち人間が何か選択を間違える時は、大抵これが原因だろう?」

 そう言った星の使徒の声はどこか嬉しそうだった。