体が熱い。血が湧き上がる。喉が渇く。全身がこわばり、少しふらつく感覚。ここまで怒りを覚えたのは初めてかもしれない。まさかあの日の選択をこんな奴にどうこう言われるとは思わなかった。

 他の制星教会のメンバーに言われるならまだ良い。良いというより、仕方がない。彼らは俺の選択の結果、前線で体を張り続けているのだから。

 だがコイツは違う。星野厳正は違う。一度も前線に顔を出さず、指示すら出さない。それらの管理は全て桐ヶ谷に押し付け、自身は安全なところでブクブクと私腹を肥やしていただけの男だ。こんな奴に選択の重さを説かれるとは思いもしなかった。

「前線で戦うわけでもなく、その選択の当事者ですらないお前が、選択の重さを語る資格は無い! その資格があるのは崩壊病の被害者と、一緒に戦っている制星教会のメンバーと真姫だけだ! 断じてお前ではない!」

 俺はそれだけ言い終えると、肩で息をする。全身に無駄な力が入っていたせいで、ただでさえ痛んでいる体はさらにボロボロだった。関節という関節が軋むように痛い。

「暮人大丈夫?」

 真姫は俺を案じながら、その視線は厳正に向けられている。

「暮人君。君の言いたいことはそれだけか? 確かに私は現場で戦っているわけではないし、選択の当事者でもない。だが君達をここで殺さないで、どうやってこの状況を収めるつもりだ? 我々には情報が必要だ。君達のような特殊なケースは確実に調べなければならない!」

 厳正は再びあの残忍な笑顔を浮かべる。

 おそらくコイツは、崩壊病などどうでも良いのではないだろうか。そう思えた。

 下手したら崩壊病で死んだ自身の息子さえも、研究材料程度にしか思っていないのかも知れない。彼自身の知識欲を満たすための道具としてしか、俺達を見ていない気がする。

「アンタの主張は分かったが、こっちもこっちで主張を変える気はない。俺達は生き延びるし、お前達に体を好き勝手弄られるつもりも毛頭ない。俺は自分の選択の重さを理解している。理解しているからこそ、ここでその選択を変えることはできない。ここで変えるのは、関わった全ての人に対する侮辱だと俺は思うから」

 自身の選択で多くの人の運命が捩じれた。狂った。それは分かっている。だが、今になってその選択を後悔し、方針を変えることは出来ない。今までに死んでいった者達はもう帰ってこない。だったらせめて、貫き通すべきだ。自分が選んだ道で罪を背負うべきだ。ここでそれらを投げうってしまうのはあまりに無責任だ。

「俺のこの考えを偽善だと思うなら好きに罵ればいい。だが亡くなっていった多くの者達は戻ってこないし、俺達は生き延びる。何人の人を犠牲にしてでも俺は真姫を選ぶ。俺達はお互いを選ぶ」

「なんだそれは。とんだ我儘ではないか! 自分達さえ良ければ後はどうでもいいと?」

「どうでも良いとは思っていない。俺はただ、見知らぬ数千より見知った一人を選んだまでのこと。アンタがここで私腹を肥やしている間にも、世界中で餓死している人間は大勢いる。それと何が違う? 俺達はこの両手が届く範囲の人間しか救えない。だから俺は選んだ。それだけのことだ」

 俺は自身の中に蠢いていた思想を全て吐き出した。周囲からすれば言っていることが滅茶苦茶なのは分かっている。とんだ悪人にも見えるだろう。だがそれでいい。もともと善人である自覚はない。

「屁理屈をこねるな! 現実を見ろ! 今お前達を犠牲にしないというのなら、対案を出せ!」

 星野厳正は強い口調で命令する。

 屁理屈か……確かにそうかもしれない。だけどそれがどうした。これは正解不正解の話ではない。答えは無い。これは選択の問題だ。

「屁理屈と言うのなら好きにするがいい。俺の言葉は確かに屁理屈だろう。無責任だろう。だが、お前こそ責任という言葉に逃げるな! 安易に結論を下そうとするな! 対案? そんなものがあるわけが無いだろう? 相手は人間ではない。星が相手なんだ。俺達が出来ることなど限られている! 一つの案がダメなら次の案を。対案を出すべきはアンタだ! 別の案を出して次の道を提示するのが、お前達施政者の仕事だろ!」

 俺は頭に血が昇り、滅茶苦茶なことを口にする。対案を出せと相手に責任転嫁までしている。だけど仕方ないだろう? それだけこっちは必死なんだ。こんなところで最愛の人を亡くしてたまるか!

「生意気な小僧だ! ならいっそ力づくでも……」

 星野厳正がそう言って拳銃を真姫に向けた。その瞬間、この真っ白な謹慎部屋の中央、俺達と厳正の間の空間が青白く歪んでいく。見覚えのある光景。まさかこのタイミングでこの場所に出現する気か?

「人間同士醜いな」

 そんな台詞とともに現れたのは星の使徒。それも話せる個体。十年前に俺達に選択権を与えた個体だ。

「なっ!? なぜここに……」

 星野厳正は突如現れた敵に対して言葉を失う。その声は震え、手に持っている拳銃を構えることすら忘れてしまっている。

「それに……言葉を介するだと?」

 固まった厳正がやっと絞りだした言葉はそんなものだった。そうだろうな。コミュニケーションが取れる星の使徒など驚きでしかないだろうな。

「我々の中でもこの個体くらいだ。話すのは。それよりもさっきから聞いていれば、醜い争いだな。人間同士で。星が泣いているぞ?」

 星の使徒は前に会った時よりも若干饒舌になっている。よっぽど厳正の言葉が気に食わなかったのだろうか? 星の使徒はそのまま厳正の方を向き、威嚇のつもりか触手を構えた。

「お前達人間は増えすぎた。そこの娘が死んだところで星の寿命を少しばかり伸ばす程度。大差ない。どのみちお前達は崩壊するしかない」

 星の使徒は残酷な結末を告げる。

 人類が完全に絶滅することは無い。それは俺達も、おそらく制星教会だって分かっていることだ。しかし、人類の崩壊という言葉は重すぎた。人が崩れていくというのは衝撃的過ぎたのだ。確かに人類は生き残るだろう。だがその数を減らしてだ。それを人類が滅ぶといえるのかどうかという話だ。

「何を他人事のように! もとはと言えばお前達が……」

 驚きのあまり固まっていた厳正は、再び拳銃を構える。

「いや違う。お前達が増えすぎたために行われている、星の救済処置だ。このまま人類が増え続け、星の寿命を消費し続けてしまえば、確実に星が”枯れる”枯渇する。そうなればいよいよ終わりだ。お前達の言うところの崩壊病は、星がお前達を救うための処置だ。これはそういう規模の話しだ。この娘一人殺したところで、大勢に変わりない」

 星の使徒は、さんざん真姫に死ぬように仕向けていた癖に、ここにきて大した意味が無いと告げる。

 意図が読めない。コイツも最終的な選択は俺達に託してはいたが、どちらかというと真姫に死んでほしかったのではないのか?

「し、しかし……」

 厳正はそのまま言葉を失う。

「それにこの少年達は、我々が選択を与えた子らだ。お前の一存で殺すなど許さん。それは星の意志に反する。我々は人という種族の選択の果てが見たいのだ。そのための崩壊病。そのための救済措置だ。それを忘れるな!」

 星の使徒はそれだけ言い終えると、徐々にその存在を崩していき、やがて塵となってこの真っ白い空間から姿を消した。