「でもあの声を聞いてしまったら無理だった。耐えられなかった。あんなに泣き叫ぶ暮人を見たのは初めてだったから……あの時私は意識がなかったから知らなかったけど、私のためにあんなに泣いてくれたんだ、あんなに泣かしてしまったんだと思ったら、中々このドアを開けれなくて……あまりにもこの幼い暮人が気の毒で、可哀想で、あの子から当時の私を奪う、それも今の私が奪う権利があるのかなって。そう考えていたら、今の君が来ちゃったの」

 そう言って俺を見つめる真姫の表情は柔らかかった。

「たぶんあの子、私が意を決して扉を開けるまでずっとあのままよ。ここはそういう空間だと思うから」

 確かに彼女の言う通り、俺もこれほど長い間泣いていた記憶はない。ここはあくまで、俺と真姫が選択をやり直せるように仕組まれた場所なのだろう。

 ドアの向こうでは、ずっとあの日のシーンが繰り返されている。真姫は倒れ、俺は泣き叫ぶ。そろそろ終わらせてあげたくなる。

「私決めたから」

 真姫は覚悟を決めた顔で、俺を見据える。

「どっちに決めた?」

 俺は不安ながらも確認する。

「私は死なない。絶対に生きて、暮人と共に生きていきたい」

 そう宣言した彼女の動きを真似て、教室のドアに手をかける。

「準備は良い?」

「勿論!」

「「いっせーの!!」」

 俺達は同時にドアを開ける。

 まるで子供のころに戻ったかのように、無邪気に、それでいて強い覚悟を決めて。

 俺達が教室のドアを開け、中に入ると同時に当時の俺は泣き止んで俺達をジッと見つめる。

「なっ!?」

 俺は予想外の動きに動揺した。どうせ中に入っても、壊れたビデオテープのように同じシーンを繰り返すだけだと思っていたから……まさか幼い俺が泣き止んで、あまつさえこっちを凝視してくるとは思わなかった。

「もう決まったの?」

 子供の俺は真っすぐな瞳を俺達に向ける。

「え?」

 真姫もうろたえる。

「お姉さんが死ぬのか生きるのか、もう決まったの?」

 子供の俺は再び尋ねてくる。物凄く純粋な瞳で、物凄く残酷な二択を迫ってくる。これもアイツの演出か?

「ええ、私は決めた。私は生きる。他の要因で死ぬことはあるのかも知れないけれど、今この瞬間には死んでやれない。私は暮人を残して先に死ねない。こんなにも私のために泣いてくれる人を残して死ねない」

 真姫は堂々とした態度で、高らかにそう宣言した。

「それって生きる理由を他人に求めるってこと?」

 子供の俺がさらに謎を重ねる。しかしあまりにも当時の俺とかけ離れている。子供が口にするような台詞じゃない。

「そうよ。何か悪い? 人間なんてそんなもんよ? 私達に夢を見すぎじゃない?」

 真姫はやや突き放すように答える。

「お兄さんはそれでいいの?」

 最後の確認だとでも言いたげな表情で、俺を指さす。

 俺がそれで納得するかって? 何を今さら……

「当たり前だ。俺だって真姫を生きる理由にしている。真姫を選んだ瞬間から、俺は真姫のために生きているようなもんだ。人間は共依存の生き物だ。お前には分かりにくかったか? お前がその形状になってからおよそ十年。人という単位で見たら、俺達の方が先輩なんだぜ? だからいい加減、この悪趣味な子芝居を終わらせろ」

 俺はそう言って、子供の俺の姿をしている星の使徒を指さす。

 指をさされた少年は、一度口角を上げると、そのまま体がぐにゃりと歪み、見覚えのある星の使徒本来の姿に戻っていた。

「お前たちの選択は変わらないのだな? 良いのか? 本当に世界は崩壊するぞ?」

 正体を現した星の使徒は、脅しともとれる発言を繰り返す。そんなに死んでほしいのなら、問答無用で俺達を消せば良いだろうに……だけどそれは出来ないと吐かすのだ。

 一体どっちが我儘なんだ?

「ああ構わない。最初から俺の意志は決まっていた。今回は真姫の意志を確かめたかったんだろう?」

 俺は隣にいる真姫の手をそっと握り、綺麗な横顔を見つめる。途中で俺の視線に気がついた真姫と目が合う。どこまでも透き通るような真姫の瞳に、吸い込まれそうと錯覚した。

「それと気になっていたことがあるんだけど」

「なんだ?」

 真姫の意外なタイミングでの疑問に、星の使徒もやや驚いているように感じた。コイツにも驚くなんて感情があるんだな。

「本当に世界が崩壊するの?」

 真姫の質問はシンプルでもっとも的を得ていた。

 実際、世界が崩壊すると言われてもざっくりとし過ぎていて、いまいちピンとこない。

「お前たちにはそれぞれ、未来の岬町を見せたはずだが?」

 確かに見た。見させられた。だが、あれが現実にやって来るのかなんとも疑わしい。

「見たよ。見たけど、いきなりあれだけ見させられたって、唐突過ぎて……もしも私がここで死を選択したら、本当に世界は助かったの?」

 俺はまさか真姫がそれを聞くとは思わなかった。世界を犠牲にしてでも生きると決断した彼女からしたら、もっとも避けたい話のはずなのに。それでも彼女は聞き出そうとしている。

「世界が完全に助かるという保証はない。前にも言った通り、お前以外にも何人か、星の寿命を吸い続けている人間がいる。そいつら次第だ」

「それは後何人残っているの?」

 真姫はこの際に全てをハッキリさせようとしているのか、ガンガン質問を繰り出す。

「分からない。しかしお前を入れてもあと数人程度だろう。けれどまもなく死を選ぶはずだ」

「どういうこと?」

 俺は嫌な予感がした。おそらく今目の前にいる星の使徒が、一番古い使徒。最初の星の使徒だというのは間違いない。そして初めて等身大の俺達を目の当たりにして、俺達に選択肢を与えてしまった。

 そして後の変異種にも同じような境遇を用意し、試しているとしたら? 星の使徒が、地球が、人類というものを試しているとしたら? この崩壊病騒ぎで、人間たちがどういう動きをするのかを観察しようとしているとしたら?

「簡単な話しだ。お前たちと似たような境遇を用意し、選択させている。他の個体からの連絡待ちだが、おおよそ死を選ぶだろうと思われる。自殺するだろうと」

 やっぱりそうだ。コイツは俺達人類を試していやがる。

「もしも他の変異種が死んだ場合は、どうなる?」

「それでも崩壊病は無くならない。前にも言ったが、人類は急速に数を増やしすぎた。その数の修正は行わなければならない。だが、もしも仮に他の変異種が死んで、そこの少女が生き残ることを選んだ場合、世界は崩壊しない。だが、緩やかに一億人程には崩壊してもらう」

 星の使徒は無遠慮に、簡単にそう吐き捨てた。

 一億人? 一億人と言ったか? 嘘だろ? 日本の人口とそんなに変わらないぞ?

 それだけの数が犠牲になるというのか?

「じゃあ絶対にさせないが、真姫も死を選んだ場合はどうなる?」

 俺は一応の可能性を聞き出す。さっきから微動だにしない星の使徒に尋ねる。

「その場合であれば、今の人口の増え方が変わらなければおよそ一万人程で済む」

 それでも一万人。この崩壊病という悲劇が、あと一万回は繰り返されるということか。
 
「以上を踏まえてもう一度聞くぞ? 本当に死ななくて良いのか?」

「お前!」

 俺は頭に血が昇り、星の使徒に殴りかかりそうになるが、握っていた手を真姫に強く引かれる。

「いいの暮人」

「でも!」

「いい。私は平気……」

 そう言って真姫は深呼吸をする。

 真姫は良いと言ったが、コイツ……「死ななくて良いのか?」だと!? ふざけるなよ! 人をなんだと思っていやがる! やっぱりコイツは星の使徒だ。いくら話せるからって、コミュニケーションを取れるからって関係ない!

「答えるわ。私は死なない。例え一億人を犠牲にしようとも、私は生きる。生きて暮人の横にずっと居続ける。もう何度問われたって変わらない!」

 星の使徒は真姫の答えを聞いた後、しばしの沈黙の後、触手を左右に広げ始める。

「分かった。お前達にはもう尋ねない。選択させない。我々はある意味子供たちであるお前達の意見を尊重する」

 そう言って伸ばした触手で、左右から俺達を囲っていった。