時刻は朝。場所は高層ビルが建ち並ぶ岬町。出勤に登校と、人が最も世話しなく街を歩き回る時間帯。そんな中、人混みを掻き分けながら歩いていると、ポケットの携帯がけたたましく鳴り響く。
携帯をポケットから取り出し、画面を開く。日付は四月十七日。
着信相手は……正人か。ということは、またアイツらが出現したのか?
「こちら暮人、どこに出現した?」
「そのまま真っすぐ行った先に車を用意してるから急げ!」
「了解!」
俺は電話を切ると勢いよく走りだす。出勤途中のサラリーマン達は、急に走り出した俺に不審な眼差しを向けるが、構わない。今はそれどころではない。
左右を高層ビルに挟まれた道を、人々の間を縫うように走る。
「行くぞ!」
俺が路駐されている車に飛び乗った時には、すでに正人がアクセルを踏もうとしていた。
「ここから十分ほどだ」
正人はそれだけ口にして、そのまま黙り込んでしまった。
俺は不思議に思う。いつもならもっとお喋りなはずだ。何か焦っている?
正人は俺の先輩兼相棒だ。
十年前から密かに人類を蝕む病”崩壊病”。この病は奇病中の奇病。そして難病中の難病。死亡率百パーセントの悪魔の病。そしてその対策として国によって設立されたのが、俺たちが所属している制星教会。正人はそこの先輩にあたる。
正人は、まだ入って間もない俺にいろいろと教えてくれた。制星教会のあり方や、敵の存在。そして崩壊病について……
崩壊病。最初にこの病の被害者が出た時、人類は恐怖に震え、大騒動となった。なにせ罹った者はその病名の通り、体の先端から崩壊していく。見た目のインパクトとしては最大だ。
しかし、今では人類が崩壊病に慣れている。
簡単な話だ。この病は人から人へ感染しない。それも発症人数が少ない。ここ十年で千人も死んでない。
罹ったらまず助からない治療法が無い病だとされているにも関わらず、そこまでパニックにならない原因はこの辺りだろう。
「見えて来たぞ!」
正人はそう言って車の速度を落とし、停車する。
俺は正人に続いて車を降り、周囲を観察すると、そこはひとけがあまりない団地だった。
歩き出した際、不意に頭痛が俺を襲う。
いつものことだ。たまに襲ってくる。貧血に近い。
そしていつも幻覚を見る。
夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ俺。そこに佇む青白い人型の化け物。
「真姫……」
「大丈夫か? 暮人」
気がつけば俺は頭を押さえてうずくまり、ある少女の名前を口にしていた。正人が心配そうに覗き込んでいる。
「ああ、すまない。急ごう」
俺は立ち上がり走りだす。
ここまで近づけば流石に分かる。
近くにアイツらが降り立っている。
また誰かを消し去ろうとしている!
「そこの建物の先、右に曲がったところ。歩道からすぐそばの敷地内にいるぞ!」
正人はそう言いながら、さらに走る速度をあげる。
やっぱりおかしい。いつも以上に焦っている。ここになにかあるのか?
俺たちが建物の角を右に曲がった時、アイツらが目に映る。
いや、正確には”アイツ”がだけれど。
俺たちの目の前には青白い人型の化け物。
今まで何度も見たことがある。その体長は二メートルと三メートルの間。頭はあるが顔はなく、当然喋りもしない。ただただ青白く、手足のようなものはあるけれど、そこまでくっきり部位が別れていない。あくまでも人型なだけだ。
そして青白い人型の化け物の先には、四十代ぐらいの女性が化け物を凝視しながら震えて座り込んでいる。
普通の人間には、あの化け物”星の使徒”は見えない。見えるのは、俺達のように制星教会で特殊な手術を受けた人間か、星の使徒に狙われた人間だけだ。
「……正人?」
震えていた女性は俺たちを見て、そう呟く。
正人の名前を知っている?
俺はその瞬間、背筋が凍る。
おいおい冗談だろ?
だから焦っていたのか!
「正人! 来ちゃダメ!」
「母さん……今助けるから!」
俺達は一斉に腰にぶら下げていた拳銃を構える。
星の使徒に通常の攻撃は一切効かない。効果があるのは、この制星教会から支給される拳銃だけだ。
俺たちが拳銃を構えるのと同時に、星の使徒は全身から触手を無数に伸ばし、正人の母親へ向ける。
「やめろ!」
俺と正人が同時に発砲し、命中するが、それだけでは星の使徒の触手は止まらない! ダメージはあるが、もっと弾丸を撃ち込まないと撃退できない!
「くそ!」
正人は発砲しながら星の使徒に向かって走りだす。
「おい正人! 何してる!」
絶対に星の使徒に近づいてはならない。出来るだけ距離をとって、拳銃で確実に仕留める。
これは制星教会に入って真っ先に教わることだ。近づけばどうなるかなんて明白。間違いなく助からない。
正人は星の使徒が伸ばしてきた触手をスライディングで躱すと、そのまま母親のもとへ一気に距離を詰める。
「クソ! こっちだ!」
俺も星の使徒に接近しながら発砲し続けるが、殺しきれない!
星の使徒は俺には目もくれず、一番近くにいる正人たちに触手を伸ばす。正人も必死に近寄る触手に発砲するが、数が多すぎる。消し飛ばしたあとからドンドン迫ってくる。
「正人!」
俺もアイツを殺すのを諦め、正人たちに向かって伸びる触手に照準を合わせる。
「暮人……」
その時、正人はこの場に似つかわしくないほど落ち着いた表情を浮かべた。
「後は任せる。悪いな」
何かを悟った顔で、俺の方へ自身の母親を蹴り飛ばす。
「キャ!」
突然蹴り飛ばされた母親は悲鳴を上げ、地面を転がる。
俺は急いで正人の母親を保護し、後ろに下がらせ、再び拳銃を向ける。
「正人! アンタいったい何を!」
俺の背後から必死な声が聞こえる。彼女にも分かっているのだ。正人が何をしようとしているか。
「母さん、今までありがとう」
そう言って正人は再びにっこり笑う。
ああ。知っている。俺はこの笑顔を知っている。幾度となく見てきた笑顔。
今まで助けられなかった人達が、最後に見せる笑顔だ。全てを悟ったような悲しい笑顔。
俺と彼女が同時に正人に向かって駆け出したとき、星の使徒の触手は正人を捕らえた。
「クソ! 死ねよ! 早く!」
俺は拳銃の残りの弾丸を狂ったように放ち続ける。弾丸が当たるたび、星の使徒の体が崩れていくのが見える。しかしもう意味がないことも知っている。星の使徒の触手が人に触れた時点でアウト。俺たちの負けだ。
「正人!」
俺の後ろでは母親が泣き叫ぶ。星の使徒はゆっくりと正人から触手を離すと、徐々に薄くなっていき、やがて消えていった。
俺は思考が停止する。
また犠牲者を出してしまった。それも今回は相方? ふざけるなよ俺! 何をしていた?
正人を見るとすでに体が末端から崩れ始めていた。崩壊病の発症だ。これを治すことは出来ない。そして患者はすぐに崩れ去る。
「正人……」
俺はただただ呆然と正人を見守るしかない。それ以外にやれることはもうない。
「暮人、母さん。悪いな。先に逝く」
正人は覚悟と諦めが混じった顔を俺達に向ける。
「……本当はまだまだやりたい事、あったのにな……」
「正人! 諦めるな! 今から教会に行けばもしかしたら……」
俺は無我夢中で叫び散らかす!
こんなところで失ってたまるか! 俺たちはこの不可思議な病気を、あの化け物を消し去ろうと誓ったじゃないか!
「暮人。分かっている……だろう? もう無理なんだ。あの触手に触れた時点で、何をやっても無意味……最後のお願いだ。母さんを頼む……」
「正人? おい!」
正人はそれだけなんとか言葉にすると、それっきり動かなくなった。
彼の体は徐々に粉になっていき、いつの間にか駆け寄っていた正人の母親は、崩れていく我が子を抱きかかえて、泣き続けている。
なんだこれは? なんの悪夢だ?
頭が真っ白になり、体から体温が奪われる感覚。
制星教会の者として星の使徒を殺し、崩壊病に襲われる人を助けたことも多々ある。しかしそれ以上に、助けられなかったケースの方が多い。そして失敗する度に、俺にのしかかる後悔……そして罪悪感。
人が崩壊していく光景は見慣れてしまったはずなのに、それでも自身の内から溢れ出す、ドス黒い感情。
自分の知っている人が被害に遭うのは初めてだ。それも相棒の正人。先輩で、仲間で、仲の良い友人……俺の事情を唯一理解してくれた人。
そんな彼を失うなんて……
俺のせいだ。俺が悪い。俺が十年前、あんな選択をしなければ。
再び脳裏に浮かぶのは、頭痛の際に見るあの光景。
夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ俺。そこに佇む青白い人型の化け物。
まだ小学生だったあの時の俺の選択で、世界が崩壊へと突き進んでいる。
それを唯一理解してくれていた正人が、ゆっくりと崩れ去っていく。
俺は一生この光景を忘れない。崩れ去る俺の相棒と、それを必死に抱きかかえて泣き叫ぶ母親……これは俺が引き起こした。
俺への罪だ、罰だ。
それでも、あの選択が間違っていたとは今でも思わない。あの選択によって一人の少女は確かに今も生きているのだから。
そしてあの日から俺は、罪の意識を持ち続けている。俺が制星教会に所属したのも贖罪だ。
こうして目の前で崩壊病の被害者を見るたびに、ニュースで崩壊病の犠牲者を聞くたびに、俺の心に暗い影を落とす。
俺は放心したまま立ち尽くす。
呆然と立ち尽くしている俺に、不意に声がかけられた。
「もしかして……暮人? こんなところで何をしているの?」
かけられた声に振り向くと、見覚えのある少女がそこに立っていた。
年は俺と同じ十八歳。薄紫のニットワンピースに黒のストッキングを合わせ、茶色いブーツを履き、同じく茶髪に染めた長い髪を風になびかせながら立っている。
その良く整った綺麗な顔を、俺に向けている。
ああ……こんな偶然があるだろうか? この瞬間にこんなところで出会うのか?
どうしてこのタイミングでお前がここに来るんだ?
「真姫……久しぶりだな」
俺が掠れた声でそう呼ぶのは、十年前のあの教室で意識を失っていた少女だった。
携帯をポケットから取り出し、画面を開く。日付は四月十七日。
着信相手は……正人か。ということは、またアイツらが出現したのか?
「こちら暮人、どこに出現した?」
「そのまま真っすぐ行った先に車を用意してるから急げ!」
「了解!」
俺は電話を切ると勢いよく走りだす。出勤途中のサラリーマン達は、急に走り出した俺に不審な眼差しを向けるが、構わない。今はそれどころではない。
左右を高層ビルに挟まれた道を、人々の間を縫うように走る。
「行くぞ!」
俺が路駐されている車に飛び乗った時には、すでに正人がアクセルを踏もうとしていた。
「ここから十分ほどだ」
正人はそれだけ口にして、そのまま黙り込んでしまった。
俺は不思議に思う。いつもならもっとお喋りなはずだ。何か焦っている?
正人は俺の先輩兼相棒だ。
十年前から密かに人類を蝕む病”崩壊病”。この病は奇病中の奇病。そして難病中の難病。死亡率百パーセントの悪魔の病。そしてその対策として国によって設立されたのが、俺たちが所属している制星教会。正人はそこの先輩にあたる。
正人は、まだ入って間もない俺にいろいろと教えてくれた。制星教会のあり方や、敵の存在。そして崩壊病について……
崩壊病。最初にこの病の被害者が出た時、人類は恐怖に震え、大騒動となった。なにせ罹った者はその病名の通り、体の先端から崩壊していく。見た目のインパクトとしては最大だ。
しかし、今では人類が崩壊病に慣れている。
簡単な話だ。この病は人から人へ感染しない。それも発症人数が少ない。ここ十年で千人も死んでない。
罹ったらまず助からない治療法が無い病だとされているにも関わらず、そこまでパニックにならない原因はこの辺りだろう。
「見えて来たぞ!」
正人はそう言って車の速度を落とし、停車する。
俺は正人に続いて車を降り、周囲を観察すると、そこはひとけがあまりない団地だった。
歩き出した際、不意に頭痛が俺を襲う。
いつものことだ。たまに襲ってくる。貧血に近い。
そしていつも幻覚を見る。
夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ俺。そこに佇む青白い人型の化け物。
「真姫……」
「大丈夫か? 暮人」
気がつけば俺は頭を押さえてうずくまり、ある少女の名前を口にしていた。正人が心配そうに覗き込んでいる。
「ああ、すまない。急ごう」
俺は立ち上がり走りだす。
ここまで近づけば流石に分かる。
近くにアイツらが降り立っている。
また誰かを消し去ろうとしている!
「そこの建物の先、右に曲がったところ。歩道からすぐそばの敷地内にいるぞ!」
正人はそう言いながら、さらに走る速度をあげる。
やっぱりおかしい。いつも以上に焦っている。ここになにかあるのか?
俺たちが建物の角を右に曲がった時、アイツらが目に映る。
いや、正確には”アイツ”がだけれど。
俺たちの目の前には青白い人型の化け物。
今まで何度も見たことがある。その体長は二メートルと三メートルの間。頭はあるが顔はなく、当然喋りもしない。ただただ青白く、手足のようなものはあるけれど、そこまでくっきり部位が別れていない。あくまでも人型なだけだ。
そして青白い人型の化け物の先には、四十代ぐらいの女性が化け物を凝視しながら震えて座り込んでいる。
普通の人間には、あの化け物”星の使徒”は見えない。見えるのは、俺達のように制星教会で特殊な手術を受けた人間か、星の使徒に狙われた人間だけだ。
「……正人?」
震えていた女性は俺たちを見て、そう呟く。
正人の名前を知っている?
俺はその瞬間、背筋が凍る。
おいおい冗談だろ?
だから焦っていたのか!
「正人! 来ちゃダメ!」
「母さん……今助けるから!」
俺達は一斉に腰にぶら下げていた拳銃を構える。
星の使徒に通常の攻撃は一切効かない。効果があるのは、この制星教会から支給される拳銃だけだ。
俺たちが拳銃を構えるのと同時に、星の使徒は全身から触手を無数に伸ばし、正人の母親へ向ける。
「やめろ!」
俺と正人が同時に発砲し、命中するが、それだけでは星の使徒の触手は止まらない! ダメージはあるが、もっと弾丸を撃ち込まないと撃退できない!
「くそ!」
正人は発砲しながら星の使徒に向かって走りだす。
「おい正人! 何してる!」
絶対に星の使徒に近づいてはならない。出来るだけ距離をとって、拳銃で確実に仕留める。
これは制星教会に入って真っ先に教わることだ。近づけばどうなるかなんて明白。間違いなく助からない。
正人は星の使徒が伸ばしてきた触手をスライディングで躱すと、そのまま母親のもとへ一気に距離を詰める。
「クソ! こっちだ!」
俺も星の使徒に接近しながら発砲し続けるが、殺しきれない!
星の使徒は俺には目もくれず、一番近くにいる正人たちに触手を伸ばす。正人も必死に近寄る触手に発砲するが、数が多すぎる。消し飛ばしたあとからドンドン迫ってくる。
「正人!」
俺もアイツを殺すのを諦め、正人たちに向かって伸びる触手に照準を合わせる。
「暮人……」
その時、正人はこの場に似つかわしくないほど落ち着いた表情を浮かべた。
「後は任せる。悪いな」
何かを悟った顔で、俺の方へ自身の母親を蹴り飛ばす。
「キャ!」
突然蹴り飛ばされた母親は悲鳴を上げ、地面を転がる。
俺は急いで正人の母親を保護し、後ろに下がらせ、再び拳銃を向ける。
「正人! アンタいったい何を!」
俺の背後から必死な声が聞こえる。彼女にも分かっているのだ。正人が何をしようとしているか。
「母さん、今までありがとう」
そう言って正人は再びにっこり笑う。
ああ。知っている。俺はこの笑顔を知っている。幾度となく見てきた笑顔。
今まで助けられなかった人達が、最後に見せる笑顔だ。全てを悟ったような悲しい笑顔。
俺と彼女が同時に正人に向かって駆け出したとき、星の使徒の触手は正人を捕らえた。
「クソ! 死ねよ! 早く!」
俺は拳銃の残りの弾丸を狂ったように放ち続ける。弾丸が当たるたび、星の使徒の体が崩れていくのが見える。しかしもう意味がないことも知っている。星の使徒の触手が人に触れた時点でアウト。俺たちの負けだ。
「正人!」
俺の後ろでは母親が泣き叫ぶ。星の使徒はゆっくりと正人から触手を離すと、徐々に薄くなっていき、やがて消えていった。
俺は思考が停止する。
また犠牲者を出してしまった。それも今回は相方? ふざけるなよ俺! 何をしていた?
正人を見るとすでに体が末端から崩れ始めていた。崩壊病の発症だ。これを治すことは出来ない。そして患者はすぐに崩れ去る。
「正人……」
俺はただただ呆然と正人を見守るしかない。それ以外にやれることはもうない。
「暮人、母さん。悪いな。先に逝く」
正人は覚悟と諦めが混じった顔を俺達に向ける。
「……本当はまだまだやりたい事、あったのにな……」
「正人! 諦めるな! 今から教会に行けばもしかしたら……」
俺は無我夢中で叫び散らかす!
こんなところで失ってたまるか! 俺たちはこの不可思議な病気を、あの化け物を消し去ろうと誓ったじゃないか!
「暮人。分かっている……だろう? もう無理なんだ。あの触手に触れた時点で、何をやっても無意味……最後のお願いだ。母さんを頼む……」
「正人? おい!」
正人はそれだけなんとか言葉にすると、それっきり動かなくなった。
彼の体は徐々に粉になっていき、いつの間にか駆け寄っていた正人の母親は、崩れていく我が子を抱きかかえて、泣き続けている。
なんだこれは? なんの悪夢だ?
頭が真っ白になり、体から体温が奪われる感覚。
制星教会の者として星の使徒を殺し、崩壊病に襲われる人を助けたことも多々ある。しかしそれ以上に、助けられなかったケースの方が多い。そして失敗する度に、俺にのしかかる後悔……そして罪悪感。
人が崩壊していく光景は見慣れてしまったはずなのに、それでも自身の内から溢れ出す、ドス黒い感情。
自分の知っている人が被害に遭うのは初めてだ。それも相棒の正人。先輩で、仲間で、仲の良い友人……俺の事情を唯一理解してくれた人。
そんな彼を失うなんて……
俺のせいだ。俺が悪い。俺が十年前、あんな選択をしなければ。
再び脳裏に浮かぶのは、頭痛の際に見るあの光景。
夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ俺。そこに佇む青白い人型の化け物。
まだ小学生だったあの時の俺の選択で、世界が崩壊へと突き進んでいる。
それを唯一理解してくれていた正人が、ゆっくりと崩れ去っていく。
俺は一生この光景を忘れない。崩れ去る俺の相棒と、それを必死に抱きかかえて泣き叫ぶ母親……これは俺が引き起こした。
俺への罪だ、罰だ。
それでも、あの選択が間違っていたとは今でも思わない。あの選択によって一人の少女は確かに今も生きているのだから。
そしてあの日から俺は、罪の意識を持ち続けている。俺が制星教会に所属したのも贖罪だ。
こうして目の前で崩壊病の被害者を見るたびに、ニュースで崩壊病の犠牲者を聞くたびに、俺の心に暗い影を落とす。
俺は放心したまま立ち尽くす。
呆然と立ち尽くしている俺に、不意に声がかけられた。
「もしかして……暮人? こんなところで何をしているの?」
かけられた声に振り向くと、見覚えのある少女がそこに立っていた。
年は俺と同じ十八歳。薄紫のニットワンピースに黒のストッキングを合わせ、茶色いブーツを履き、同じく茶髪に染めた長い髪を風になびかせながら立っている。
その良く整った綺麗な顔を、俺に向けている。
ああ……こんな偶然があるだろうか? この瞬間にこんなところで出会うのか?
どうしてこのタイミングでお前がここに来るんだ?
「真姫……久しぶりだな」
俺が掠れた声でそう呼ぶのは、十年前のあの教室で意識を失っていた少女だった。