「終わった? そんなわけないじゃないですか! 月鈴様への贈り物が引きも切らず押し寄せるせいで、物置だけで何部屋解放したと思ってるんですか!」
「わ、わかったから声を落としなさい。怪我に障るわよ」
「怪我なんてしておりません。お仕えする方に身を挺して庇われた我が身の不甲斐なさを思えば、身を粉にしてお返しせずにはいられませんもの!」
そこまで言い切って傷に響いたのか、翠花は顔を顰めた。椅子に座っていなさいと窘めれば渋々従う様子は、まるで駄々っ子だ。
気迫だけなら仁王立ちしていてもおかしくない翠花だが、やはりあの時の怪我が響くようで、重労働は避けるようにと薬師の診断を受けている。
しかしお喋りの勢いは何も変わらず──寧ろ思うように動けない分、口で補おうとするせいか、鬱屈したものが漲っていて力強い。
「それより月鈴様、ご実家から文が届いたんですって? また何を企んでるのやら」
「ああ、父からよ。義母の商館は香麗様のご実家と太い繋がりがあったものだから、今回の騒ぎで共倒れ。義妹の婚儀も白紙ですって」
「あらまあ」
お気の毒に、ととってつけたように続けた翠花の唇は綺麗な三日月型を描いていた。
「私の栄達を聞いてもう一花咲かせようと企んだようだけど、流石に泥棒猫の縁者を救国の仙女に連なるものにはさせないと啖呵をきったと父は書いてるわ」
「へえ! あの旦那様が!」
ちょっと見てみたかったですね、と笑う翠花にこれは私も同意した。
あの唯々諾々と流されるばかりの父が毅然と立ち向かう……想像するのは難しかったが、もしかしたら父のそんな姿は母だけが知っていたのかもしれない。
そう思えば、父のことも少し許せるような心持ちになった。
扉の向こうで衣擦れの音が聞こえる。
これは宇辰様の足音だ。
「近頃の貢物ときたら、皇帝ではなく兎の仙女に捧げるのが流行りだな」
ここに連なる部屋の有様を見てきたのか宇辰様が笑う。
いたたまれなくて俯くと、宇辰様に顔を上げさせられた。さらりと肩を滑る髪が自分のものではないようにきらきら輝く。
「臆することは無い。胸を張れ。皆の前で月を呼び戻す舞を見せた仙女だろう」
「あ、あれは兎が……」
わかっていて言うのだから宇辰様も人が悪い。
あの時。泉から次々に現れた兎達に翻弄されていた動きが儀式の舞と勘違いされていたらしく、「仙女が楽と舞で月を呼び戻す」という噂が真実のものとなってしまった。
そして極めつけが──この髪である。
泉に満ちた妙薬のせいなのか兎の悪戯なのかはさて知らず、黒いばかりの私の髪は、あれから妙薬と同じ銀色に染まってしまった。
銀の髪に赤い瞳。これではいくら否定しようとも紛うことなき兎である。
「そなたこそが兎の仙女──建国伝説の護り兎だと示す証だ。二度と取って代わられぬようにと加護を与えてくれたのだろうな」
宇辰様は髪をひと房手に取ると、その流れる様を楽しむように梳いては離しを繰り返す。
「前の黒髪も夜空のようで好ましかったが、この輝きは月鈴にだけ宿るもの。永遠に輝ける月華の象徴だ」
──月よ、永遠に我が隣にあれ。
宇辰様が身を屈めて、流れる黒髪が私を覆い隠す。
黒の海原に白銀が踊るようにきらめいた。
こうして──この国の夜空と月が二度と離れることはなかったと、後の歴史書は語ったそうだ。
「わ、わかったから声を落としなさい。怪我に障るわよ」
「怪我なんてしておりません。お仕えする方に身を挺して庇われた我が身の不甲斐なさを思えば、身を粉にしてお返しせずにはいられませんもの!」
そこまで言い切って傷に響いたのか、翠花は顔を顰めた。椅子に座っていなさいと窘めれば渋々従う様子は、まるで駄々っ子だ。
気迫だけなら仁王立ちしていてもおかしくない翠花だが、やはりあの時の怪我が響くようで、重労働は避けるようにと薬師の診断を受けている。
しかしお喋りの勢いは何も変わらず──寧ろ思うように動けない分、口で補おうとするせいか、鬱屈したものが漲っていて力強い。
「それより月鈴様、ご実家から文が届いたんですって? また何を企んでるのやら」
「ああ、父からよ。義母の商館は香麗様のご実家と太い繋がりがあったものだから、今回の騒ぎで共倒れ。義妹の婚儀も白紙ですって」
「あらまあ」
お気の毒に、ととってつけたように続けた翠花の唇は綺麗な三日月型を描いていた。
「私の栄達を聞いてもう一花咲かせようと企んだようだけど、流石に泥棒猫の縁者を救国の仙女に連なるものにはさせないと啖呵をきったと父は書いてるわ」
「へえ! あの旦那様が!」
ちょっと見てみたかったですね、と笑う翠花にこれは私も同意した。
あの唯々諾々と流されるばかりの父が毅然と立ち向かう……想像するのは難しかったが、もしかしたら父のそんな姿は母だけが知っていたのかもしれない。
そう思えば、父のことも少し許せるような心持ちになった。
扉の向こうで衣擦れの音が聞こえる。
これは宇辰様の足音だ。
「近頃の貢物ときたら、皇帝ではなく兎の仙女に捧げるのが流行りだな」
ここに連なる部屋の有様を見てきたのか宇辰様が笑う。
いたたまれなくて俯くと、宇辰様に顔を上げさせられた。さらりと肩を滑る髪が自分のものではないようにきらきら輝く。
「臆することは無い。胸を張れ。皆の前で月を呼び戻す舞を見せた仙女だろう」
「あ、あれは兎が……」
わかっていて言うのだから宇辰様も人が悪い。
あの時。泉から次々に現れた兎達に翻弄されていた動きが儀式の舞と勘違いされていたらしく、「仙女が楽と舞で月を呼び戻す」という噂が真実のものとなってしまった。
そして極めつけが──この髪である。
泉に満ちた妙薬のせいなのか兎の悪戯なのかはさて知らず、黒いばかりの私の髪は、あれから妙薬と同じ銀色に染まってしまった。
銀の髪に赤い瞳。これではいくら否定しようとも紛うことなき兎である。
「そなたこそが兎の仙女──建国伝説の護り兎だと示す証だ。二度と取って代わられぬようにと加護を与えてくれたのだろうな」
宇辰様は髪をひと房手に取ると、その流れる様を楽しむように梳いては離しを繰り返す。
「前の黒髪も夜空のようで好ましかったが、この輝きは月鈴にだけ宿るもの。永遠に輝ける月華の象徴だ」
──月よ、永遠に我が隣にあれ。
宇辰様が身を屈めて、流れる黒髪が私を覆い隠す。
黒の海原に白銀が踊るようにきらめいた。
こうして──この国の夜空と月が二度と離れることはなかったと、後の歴史書は語ったそうだ。