「ごめん、お待たせ! 待った?」
 学校も無事に終わり、麻仲は制服のスカートをバサバサと揺らしながら、全速力で走って来てくれた。そんなに時間が押しているわけでもないのに、こうして急いで来てくれる麻仲の優しさが嬉しかった。
「全然! むしろ、今日も来てくれてありがとうね」
 やり直し前の今日、ファストフード店に行ったところを、今回は近くのカフェに入ることにした。
 夜ご飯は高羅と食べることは事前に伝えていたため、麻仲は快く了承してくれる。
 この一ヶ月、崩しに崩した貯金は、今日で底をつきそうだったため、私は安価なカフェラテを、麻仲はチョコバナナパフェを注文した。
 しばらくシフトを入れておらず、バイト先には申し訳ないなと考えていると、麻仲が「ねぇ」と声をかけてきた。
「彼氏との話! 結局好きだったとは聞いてたけど、詳しく聞いてなかったからさ! 今日もデート行くんでしょ? どういう経緯でそうなったのか、教えてよ!」
 麻仲が目を輝かせて聞いてくる。そういえば、メッセージのやり取りでも、簡単にしか説明していなかった。
 あの日のことを思い出すと、顔が熱くなる。そんなよそよそしい雰囲気を、麻仲は敏感に察知したのか、ニヤニヤと笑っていた。
「えっと……そもそも高羅は私のことが好きで付き合ったわけじゃなかったみたいで……」
「はあ!? 何それ! 信じられない!」
 話の序章を口にしただけで、麻仲は先程の幸せそうな笑顔はどこへ飛んでいったのやら、眉を釣り上げて叫ぶ。相変わらず声が大きくて、私はすぐに人差し指を唇の前に立てた。
「もう、麻仲! 落ち着いて、最後まで聞いてから叫んで!」
 怒り口調になりながらも、麻仲らしさに思わず笑ってしまった。
 周囲の視線に気づき、「ごめん」と本気で焦った様子で、口元に両手を当てて塞ぐところも、本当に好きだ。
 馬鹿みたいに何度も繰り返すやり取りも、麻仲とだから楽しい。
 麻仲と一緒にいるから笑うことができるんだ。
 それから私は、高羅と話したことを最初から最後まで麻仲に伝えた。ただ、やり直しのことは、どうしても麻仲には言えなくて、その部分の出来事は省く。
 その他にあった胸がきゅんとする恋バナに関して、余すことなく共有する楽しみは、女子特有の部分もあるのかもしれない。
 麻仲は首を何度も縦に振りながら、時に釣り上げていた眉を下ろして目を輝かせたり、顔を紅潮させ、一緒に「きゃー!」と、控えめな黄色い声を上げて盛り上がっていた。
「いやぁ、本当に最後まで聞いて良かった〜」
 幸せそうな麻仲の表情を見て、私まで嬉しくなる。
「でしょ? だから人の話は最後まで聞いてって言ってるのー」
 あはは、と陽だまりのようにほっこりとした空気が、二人を包んでいる気がした。
「お待たせしました。カフェラテとチョコバナナパフェになります」
 店員さんがタイミング良く注文したものを運んできてくれたことにより、麻仲はより一層嬉しそうに目を輝かせていた。
 幼い子供のように、純粋で真っ白な、友達思いの麻仲の瞳は、いつ見ても水晶のように透き通っている。
「いただきます」と、麻仲が細長いスプーンで上に乗ったソフトクリームを掬い取り、口を開ける。スプーンを抜き取ってすぐに、麻仲の頭上に花が咲き誇ったかのような、幸せな笑みを浮かべて頬に手を添えていた。
 見ているこちらまで、幸せな気分になってくる。
 私もふわふわのカフェラテを持ち上げ、ゆっくりと飲んだ。
 甘くて鼻から抜けていく仄かなコーヒーの香りが堪らない。
 すると麻仲が私の顔を見て笑った。一瞬何かと思ったが、麻仲は自身の鞄から手鏡を取り出して見せてくる。
 そこには、サンタの髭がついた私が映り込んでおり、思わずまた笑ってしまった。
 だが、よく見ると麻仲の唇の周りにも、チョコレートがついており、ちょっとした黒髭のようになっている。
「面白いから記念に写真でも撮ろう」と、指摘することもなく私はスマホを取り出し、黒髭とサンタのツーショットを撮ると、麻仲はようやく自分の顔の状態にも気づき、手を叩いて笑いながら、お手拭きでゴシゴシと口を拭いていた。
「あ、そうだ、これ」
 私は持っていた紙袋を取り出し、向かい側に座る麻仲の前に置いた。
「ん? 何これ」
 麻仲が不思議そうに紙袋の周りを見た後、隙間から中身を覗き込む。
「この前、昔の家について教えてくれたよね。私、あの後家に行ってさ。別の人が住んではいたんだけど、たまたま見つけたタイムカプセルを返してもらったんだ」
 開けても良いことを伝え、麻仲は紙袋を自分の膝の上に乗せて開けた。瓶は既に捨てており、中身だけを大切にクリアファイルに入れ、保管していたのだ。
 麻仲はそれを取り出し、読み始める。
 優雅なピアノの音が私たちの間を流れていった。
 麻仲の視線が左右に揺れる。左右を繰り返していくうちに視線が少しずつ下がってきて、瞼が閉じるように思えた頃、麻仲はボロボロと涙をこぼしていた。
「もう、何よこれ。やっぱり理想の家族じゃん〜」
 しゃくり泣きをする姿を見て、私もじわりと涙が滲み出てきた気がした。
 手紙を丁寧に畳み、麻仲は手で何度も涙を払う。
「本当、理想の家族だったみたい……。麻仲、ありがとうね。麻仲が教えてくれなかったら、私あの家に行かなかったかもしれないから……」
 麻仲は首をブンブン横に振る。
 返してもらった紙袋を、そっと鞄の横に置いた。
 麻仲が「聞いたことがある内容を話しただけだよー」と涙ぐみながら、精神を落ち着かせるためにパフェを口にかき込む。
 ぴんと立っていた角はどこへいったのかと思われるほど、パフェに乗ったソフトクリームは溶けていた。
「でも、私の中で区切りをつけることができたから。もう大丈夫」
 私が言うと、麻仲は半信半疑な表情で私を見つめた。
「本当に言ってる?」
 あれだけ色々聞いていたのなら、そう思うのも無理はない。私はカフェラテを一口飲んでから頷いた。
「うん。だから麻仲に、お礼の品でも渡そうと思って」
 私はまた別の小さな紙袋を取り出して、麻仲に渡した。
 麻仲は驚いた様子で「お礼なんて、うちらの間にそんな文化あったっけ?」と嬉しそうな思いを誤魔化すかのように冗談っぽく言ってみせてくる。
「お礼と、もうちょっとで誕生日だからそれも含めて」
 私がそう言うと、開けても良いかと尋ねられたため、了承した。そしてすぐに紙袋の中身を覗き、手を伸ばす。
 中から出てきたのは、透明な袋に入った小さな箱だった。その箱には、小さな白い花がたくさん描かれている。
「え! カモミールティー? 絵美がこんなの選ぶの珍しい! なんか、高校生になったって感じがするね」
 麻仲は少し意外そうな表情をして、袋ごと天井に持ち上げてみたり、裏に書いてある説明書きを読もうとしていた。
 確かに、これまで送っていたプレゼントは実用的で可愛らしい文房具がほとんどだったため、そう思うのも無理はないだろう。
「まあね、ちょっと女子高生らしくオシャレなものも必要かなって。それに、麻仲の誕生花がカモミールだから。本当はちょっとした花束みたいにしてあげたかったんだけど、時期が違ったからなくてね」
 へぇ、と納得した様子で頷きながら、麻仲は大事そうに、それを紙袋に入れ直した。
 私はカフェラテを一気に飲み干す。結露が滴り落ちた。
「ありがとう、絵美。でも別にお礼とかいらないから、誕生日当日かそれ以降でも良かったのに」
 麻仲も、ほぼ液体状のソフトクリームをすくい上げ、口に持っていく。チョコレートと混ざり合った白だった。
「確かにね。でも予定合わせるのも大変だから、早めに渡したくてさ」
 私が笑ってそう言うと、麻仲も微笑んで、最後まで残されていた、スライスバナナをスプーンに乗せた。
 綺麗になくなったパフェグラスを見て、麻仲は言う。
「なーんか、嬉しくて明日も絵美に会いたくなってきたんだけどー! ねぇ、どこか行こうよ」
 珍しくそんなことを言うものだから、私の方が驚いて目を丸くしてしまう。そんな可愛いことを言うような人だっただろうか。「どうせまたそのうち会えるでしょ、またね」がいつものパターンで、会った日のうちに次の約束が決まるような間柄ではないのに。
「珍しいね。でも私、今月もうお金ないや」
「良いよ。何かあれば奢るし、まずお金をかけなくても、遊ぶところくらいいくらでもあるでしょ。公園とかさ」
 麻仲は口元についた汚れを拭きながら話す。奢るだなんて、まさか麻仲の口から出てくるとは思わなかった。
 申し訳なさが出てきて、少し考える。
 沈黙の代わりに、ピアノのメロディが流れていた。
「……うん。そうだね。いいよ、遊ぼう」
 そう言うと、麻仲は驚いた表情で勢いよく立ち上がった。
「本当に!? 言ったね? 絶対明日も遊ぶんだからね?」
 興奮気味な麻仲を抑えるように、座るよう手をひらひらと動かして伝える。だが、今度の麻仲は焦った様子もなく、落ち着いて座り直した。
「わかってるよ。じゃあその代わりと言ったらなんだけど……明日そのカモミールティーの感想教えてくれる?」
 私は渡した紙袋を指さして聞いてみる。不思議そうな顔をする麻仲だったが、二つ返事で了承してくれた。
 きっと今夜にでも、のんでくれるだろう。
 そんな約束事を交わしてからは、またいつもと同じように、くだらない話を延々と続けた。
 施設での話や、学校の話、彼氏の話など、麻仲と話していると話は尽きない。
 この時間が永遠に続けば良いのに、なんて考えてしまう。
「そろそろデート行くんだよね」
 麻仲がちらりとお店の掛け時計を見てそう言った。私も時間を忘れて話していたため、時の流れの早さに驚かされる。
「うん。あー、まだ麻仲と話したいなぁ」
「まあ、明日も会えるし! 今日は楽しんできな?」
 麻仲は嬉しそうに笑った。私も同じ顔を見せて微笑む。
「そうだね。楽しんでくる」
 私たちは荷物を持ち、立ち上がった。お会計を済ませ、店を出る。 
 外は完全に真っ暗で、街灯の明かりに紛れながら、星が点々と光っていた。駅から出てきた人々が、住宅街の方へと向かって流れを作り歩いている。
「また、明日ね」
 麻仲が手のひらを見せて、私の方へと伸ばしてくる。私もその意図に応えるように、勢いよくハイタッチをする。
 パチンと音が弾けた。
「うん。またね」
 改札を通った麻仲の背中がどんどん離れていく。私はその背中を目に焼きつけるような思いで見つめた。
「明日、カモミールティーの感想を聞けると良いな」
 人混みに塗れて、完全に見えなくなった麻仲の姿を、目を閉じて思い浮かべる。
 耳の周りに見えない膜が張られたように、人々の話し声が段々と消えていく。
 幼い頃の彼女の声が聞こえてきた。同時に、ぼんやりと浮かんでくる、たくさんの表情。
 焦った顔。怒った顔。泣いている顔。喧嘩した時の憎たらしい顔。お互い謝ろうとした気まずい顔。そして別れ際に手を振る、麻仲の優しい笑顔。
「よし」
 覚えている。また明日も、きっと会える。
 私は改札近くの待ち合わせ場所で、部活終わりの高羅を待った。
 今日はバイトということで、施設にも夜遅くなることに対しては許可を取り済みだ。
 許可をわざわざ取るようになるなんて、私もかなり成長したものだ。
 スマホがブブッと音を立てて振動する。見ると、『もうすぐ着くよ』と彼からメッセージが入っていた。
 何とも言えない高揚感が増す。
『お疲れ様! 待ってるね』
 可愛いスタンプを添えて、私はそう送った。