謙人(けんと)さん。それじゃあ行きましょうか」

 ありすがにこやかな声で語りかけてくる。
 いつも通りの三つ編みと大きな黒縁メガネ。リボンのついた麦わら帽子。
 そして夏の定番の白いワンピース。
 僕とありすは二人遊びに出かけていた。
 かつて交わした約束を守るために。

「とはいってもこの村でいく場所なんて限られているんですけどね」

 ありすは言いながら振り返る。
 にこやかな笑顔が太陽の日差しと共に降り注いでくる。

「どこでもいいよ、ありすと一緒なら」

 思わず素直な想いを口にしていた。

「わ、わわわっ。謙人さん。恥ずかしいですよぅ」

 ありすは顔を真っ赤に染めていた。
 それから少しだけうつむいて、またすぐに振り返る。顔を見られたくないのかもしれない。

「……でも嬉しいです。こんな日がきてくれる事をずっと待っていたんです」

 ありすは言いながら、前に向かって歩き出す。

「やっぱりいくならあそこですよね」

 ありすは告げる。
 そしてそれがどこであるかは、もう僕にはわかっていた。
 少し遠いけれど、歩いて向かった先で土手を上がっていく。
 一面のひまわり。太陽に向かって花を咲かせていた。
 あの時は本当に広いと思ったひまわり畑。
 もちろん今みてもかなりの広さがあるとは思う。
 でもかつて感じたほどの遠さではなかった。

「そうだ。謙人さん。あの時の場所に行ってみませんか」

 ありすの告げたあの時の場所とは、おそらくは迷子になってありすと二人で約束を交わした(ほこら)のある場所だろう。

「あれから一度も行ってなかったんです。でも今は謙人さんがいるから」

 ありすは僕との思い出を大切にしていてくれたのだろう。
 もういちど訪れるのは僕と一緒に。そう考えていたのかもしれない。

「そうだね。行ってみようか」

 僕はうなずく。
 それと共に足下から声が響く。

「やれやれ。君達はまた迷子になろうというのかい」

 ミーシャがいつの間にか足下にやってきていて、ひまわりの間から顔を覗かせている。

「やだなぁ。ミーシャ。もう私も大きくなったから、迷子になんてならないよ」
「そうかい。君は今でもよく迷っていると思うけどね。今も道に迷っているだろう」

 ミーシャは言いながらゆっくりとしっぽを振るっていた。

「そ、そんなことないよっ。もう道に迷ったりしないもん」
「僕が言っているのはそういう事ではないんだけどね。ま、いいや。とにかく僕としてはお勧めしない。ま、でも最後に決めるのは有子(ゆうこ)だ。君の好きにするといいさ」

 ミーシャは言うが早いか、そのまままたひまわりの間に消えていく。
 沢山のひまわりの草に隠れて、すぐに姿が見えなくなる。

「わわわっ。有子って言わないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」
「はいはい。ありすね」

 ありすとのいつもの問答。声が聞こえるのだから、そんなに遠くには行っていないのだろう。しかしミーシャの姿はもうひまわりに隠れて見えない。

「全くミーシャったら。何を言っているのかな。もう迷子になる歳じゃないよ。私」

 ありすは一人ぷんぷんと怒っているようだった。
 もっとも本気で怒り心頭と言う訳でもないだろう。すぐに表情を戻して、ありすは僕の方へと向き直る。

「じゃあ謙人さん、行きましょう」
「いいの? ミーシャはお勧めしないっていってたけど」

 なんとなく不安を感じて、僕はありすへと聞き直す。
 しかしありすはそんな不安なんて感じてはいないようで、再び前を向いて歩き出していた。

「いいんですいいんです。ミーシャはいつも私にいじわる言うんですから」

 いつもの会話の一環だと思っているのだろう。
 確かに少し皮肉屋なミーシャは意地の悪いことを言う事もある。でも今のはそんな感じには思えなかった。
 けれどありすはすでに先に歩き始めていたので、僕はその後ろをついて歩き始めた。
 ひまわり畑はとても広かった。子どもの足で歩くのはかなりしんどいだろう。だけど今はもう僕もありすも大きくなっている。大人ではないかもしれないけれど、かつてのような子どもでもない。
 僕達はもう十分に大きくなっていて、思っていたよりもすぐにたどり着きそうだった。

「もう少しですね」

 ありすは言いながら振り返ろうとする。
 その瞬間、何かにつまづいたようで途端にバランスを崩して倒れかける。

「わ、わわっ」

 慌てた声を漏らすが、しかしどこにも捕まるようなところはない。
 僕はすぐに手を差しのばして、ありすを支えようと手を伸ばす。
 ありすは僕のその手をつかんで、なんとかバランスをとっていた。

「えへへ。ありがとうございます。転んじゃうところでした」
「どういたしまして」

 僕は礼を返すと、それから手を離そうとしてしかし離せなかった。
 ありすがしっかりと僕の手を握っていたままだったから。

「……また転んじゃうと危ないから、このまま握っていてもいいですか?」
「わかった」

 ありすの言葉に僕はすぐにうなずいていた。
 転んでしまうと危ないから。
 そんな言葉は言い訳に過ぎない事は僕にもわかっていた。
 そして僕自身も離したくないと思っていた。
 触れてしまった手は温もりが伝う。僕とありすの体温が一つに混ざり合うかのような気がしていた。
 このまま手をつないでいたい。そう願っていた。
 手をつないだまま歩いていた。しばらく進んでいった時、不意にありすが僕の事を呼ぶ。

「謙人さん」
「なに、ありす」
「これって、デートでしょうか?」

 突然の問いに僕は一瞬面食らうものの、すぐにまっすぐに答える。

「そうだね。デートだよ」
「だったら。私と謙人さんは……その。彼氏彼女になったと思っていいんでしょうか」

 ありすの問いに少しだけ答えに詰まる。
 一般的な定義でいえばどうなのだろうか。恋人同士になったと思っていいのだろうか。
 特に告白もしていない。はっきりした形を作ってはいない。
 それではいけない気がした。
 僕は握った手をいちど離してありすへと正面に向き直る。

「ありす」
「は、はいっ」

 ありすは僕から何を言われるのかと、少しおびえているようだった。
 もしかしたら違うと答えられるのを恐れているのだろうか。
 もちろんそんなことは言わない。僕はまっすぐにありすを見つめ、そしてもういちど手を差し出す。

「僕はたぶん初めてあったあの時から君に恋をしていたんだと思う。僕は君が好きです。だから僕と付き合って下さい」
「は、はいっ。私でよかったら……」

 ありすが答える。

「僕はありすじゃなきゃ嫌なんだ。ありすだからそうしたい」
「はい……」

 ありすは涙目になりながらも僕の手を取る。
 手のさきのぬくもりが僕の心も温かく変えていく。
 曖昧だった二人の関係をはっきりと形づけた瞬間だった。