喋る黒猫とうそつきの麦わら

 旅をしている。長い長い旅だ。
 どこを目指しているのか、何を探しているのか。僕自身にもわからない。
 ただもうずっと何かを探して旅をしている。

 今はどこまでも続く線路の上をずっと歩き続けていた。もっとも電車はこない。それもそうだろう。もはや廃線になって何年も経つ。積まれた石の間からも雑草を覗かせていた。

 空を見上げてみる。帽子のつばの先に、太陽が覗いていた。強い日差しが、降り注いでいる。暑い。とにかく暑い。
 あたり一面、草と木しかない。青臭い夏の匂いだ。

 何となく石ころを蹴飛ばしてみる。遠くで高い金属をはじく音が響いた。ちょうど線路の先にでも当たったのだろう。
 同時に「わわわっ」と甲高い声が響いた。

 ――声が響いた? こんなところで? 誰もいそうにないただ続く草むらの中で?

「もう。こんなところに石飛ばしたの、誰。神様にしかってもらいますよ」

 聞こえてきたのは若い女の子の声だ。
 そしてぼうぼうに生えた草むらの中から、その声の主は姿を現していた。

 リボンのついた麦わら帽子の下から、野暮ったい長い黒髪の三つ編みを左右にぶら下げている。
 その下には白い半袖のプルオーバーブラウス。ふわりと膨らんだ袖がアクセントになっていた。その上にプリーツの入ったエプロンのようなジャンパースカート。

 縁の太いメガネがまたいっそうに彼女の田舎くささを増している。

 年の頃は十三、四歳といったところだろうか。中学生くらいだろう。少なくとも僕よりかは一つか二つは年下だろうけども、それほど離れてはいないだろう。
 ただ背はかなり低い。そのせいもあって、最初は完全に草むらに埋まっていた。僕自身もそれほど身長が高い方ではないけれど、さらに輪をかけて小さい。

 ただたぶんメガネを外したら、かなり可愛い子だろうとは思う。大きなくりっとした瞳と長いまつげが何よりも目を惹いたから。

「あれ……ほんとに、どなた、ですか?」

 彼女はきょとんとした顔を浮かべて、少し首をかしげる。
 それから少し照れたように頬を赤らめて視線をそらす。

「まさかこんなところに他に人がいるとは思わなくて。ごめんなさい」
「いや、僕の方こそ人がいるなんて思わなくてごめん」

 素直に頭を下げると、彼女はさらに深々と頭を下げる。

「私こそごめんなさいっ」
「いやいや僕こそごめんなさい」
「私の方こそごめんなさ――」
「君達二人して永遠に謝りあっていておかしいね。まったく」

 不意にその声は響いた。若い、いやむしろ幼いだろう女の子の声だ。
 思わず僕は辺りを見回してみるけれど、その声の主の姿はどこにも見えやしない。

「はぁ。全く。君はどこをみているんだい。ボクならここにいるだろう」

 その声はかなり下の方から聞こえてきていた。
 眺めてみるとそこには一匹の黒猫が彼女の足下にちょこんと座っている。

「え……この黒猫が……!?」
「そうだよ。ボクだよ。君は言われないと誰が話しているかもわからないぼんくらなのかい?」
「……いやいやいやいや。猫が喋る訳が無いじゃないか。何か僕はおかしなものでも見ているのか……!?」
「訳が無いっていっても、いまここでボクが喋っているだろ。それとも君は何かい。君の目は自分で見たものを信じられないくらいの節穴なのかい」

 黒猫はしっぽを大きくぱたぱたと振りながら溜息をもらす。
 猫がしっぽを大きく振るのはいらいらしている時だっけかと、声には出さずにつぶやく。




「もう。ミーシャ。そんなこといったらだめだよ。ごめんなさい。この子はミーシャっていいます。ちょっと口が悪いんだけど、悪い子じゃないから」
「口が悪いって、思った事を素直に口にしているだけだけどね。ボクには君の方が信じられないよ、有子(ゆうこ)
「わーーー。有子って言わないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」

 麦わら帽子の少女は慌てて大きく手をふる。

「はいはい。ありすね。で、お客人が呆然としているみたいだけど」

 黒猫の言葉にはっとしたように僕に向き直ると、あわててぱたぱたと手を振るう。

「ご、ごめんなさい。えっと私は三月(みつき)ありすといいます。ありすと呼んでください」
「……有子じゃないの?」
「わーーー。だめですだめですってばっ。その名前で呼んだら。それは世を忍ぶ仮の名前なんです。本当はありす、ありすなんですっ」

 大慌てで大きく手を上下に振るいながら、思いきり力説していた。
 どうやら彼女は自分の名前が好きではないのか、あだ名で呼ばせたいらしい。

「まぁ、僕はそれでもかまわないけどね。いちおう自己紹介しておくと僕は四月一日(わたぬき)謙人(けんと)
「わたぬき? それって四月一日(しがつついたち)って書く四月一日(わたぬき)さん?」
「まぁそうだけど。こんな珍しい苗字よく知ってるね」

 僕は感心して息を漏らす。だいたいよくて綿貫(わたぬき)、たいていは「なにそれ」と言われるのがいいところだ。あまり一般に知られている苗字ではない。

 まぁとあるアニメのおかげで一部の界隈には知られているようなので、もしかしたら彼女もそういう界隈の子なのかもしれないとは思う。

「ミーシャ、きいた!? 四月一日さんだって。まさか本当に現れるなんて思わなかった」
「もちろん聴いたさ。でも彼がその本人かなんてわからないけどね。ボクにはただの少年にしか見えない」

 二人はなぜか僕の苗字で盛り上がっているようだった。

「あの四月一日さん。お願いがあるんです」
「はぁ。なんでしょう」

 盛り上がっているありす達と対象に、僕の感情はすっと冷めていく。彼女達が何を言っているのか、さっぱりわからない。

「私と一夜を共にしてください!」
「ぶっ!? げほっげほっ!? なにいってんの、君!?」

 唐突なお願いに思わず吹き出して咳き込んでしまう。冷めかけた感情が一気にほてりだしていく。

「何って、私と一夜を共にしてください、と言いました」
「ば、馬鹿な事いってるんじゃないよっ。なんで初対面の男にそんなこと言ってるのさ、君は!?」

 慌てて声を張り上げるが、目線の先でミーシャがごろごろと転がりながら大笑いしているのが見える。

「あはははっ。あーーーはっはははっ。いや、これはいい。うん、まぁ、そうだね。そうなるよね。いや、さすが有子。天然にもほどがある」
「わーーーっ。だから有子と呼ばないでって、いってるのにっ。ありす。ありすって呼んでよぅ。それに何、天然って。私天然なんかじゃないよっ」
「まぁ、いいや。じゃあ、ありす。ちょっと耳を貸して」

 ミーシャは言いながらも大きく跳躍すると、身軽にありすの肩に飛び乗っていく。
 それから何やら彼女の耳元でささやいていたようだ。

「だからね。君がいう一夜を共にするっていうのはね……ぼそぼそぼそぼそ」

 ミーシャが言葉を紡ぐたびに、ありすの顔が真っ赤に染まっていく。耳の後ろまで紅色が差していた。

「わーーっわーーーっわーーーーーっ。違います違いますっ。そういう事じゃありませんっ。そういう意味じゃないですからっ。ちょ、ちょっと付き合っていただきたい儀式があるだけなんですっ。村の祭事ですっ。イベントですっ。夜に行われるお祭りの話ですっ」

 大きく両手をばたばたと振るいながら、慌てて自分の台詞を否定する。

「この村で行われる祭事の一つに三月(みつき)四月一日(わたぬき)のペアで行う春渡(はるわた)しっていうものがあります。本当は三月の終わりに春を迎えるために行うのですが、今年はとうとう村の四月一日さんが誰もいなくなってしまって、お祭りが出来ていないんです。だから今年はまだ春が来ていなくって。でも、いま四月一日さんがここに来てくれたことで春渡しの祭事が出来そうだから。だからもし急ぎの用事がなければお祭りを手伝って下さいませんか?」

 ありすは真剣なまなざしで告げる。
 僕は旅をしている。長い長い旅だ。
 だけどその目的も行き先も僕にはわからない。何のためになぜ旅をしているのか。
 それを探して旅をしているのかもしれない。
 だから急ぎの用事は何一つない。

「わかった。数日くらいの話なら話はきいてもいい」

 僕は彼女の問いかけにうなずいていた。

「けど春渡しって、もう春どころか夏といった方が正しいくらいだけど」
「大丈夫です。ちょうど夏祭りも始めるところだったから、その前に儀式だけやってしまえば。春は無事きた事になりますから」

 ぱたぱたと手をふりながら、ありすはお気軽な声で答える。

「そんなんでいいの? まぁ僕として何でもかまわないんだけど」
「いいんですいいんです。そうと決まれば、一緒に村に行きましょう。こっちです!」

 草むらの中をかき分けながら、ありすは道を指し示す。
 同時にミーシャがため息をもらしながらつぶやく。

「やれやれ。ありすはもう少し考えた方がいいとボクは思うけどね」
「善は急げっていうじゃない。さぁ、四月一日さん。いきましょう!」

 ありすは草むらの向こう側へとつききっていく。
 白い服が草で汚れないのかなと思いつつも、僕はありすの後を追いかけるように続いていた。

 でもこの時僕は知らなかった。
 このことが僕の旅の意味を全て変えてしまうことを――――
 さきほどの草むらから抜けて、いちおうは道らしき道を歩いていた。
 ただ舗装はされておらず、むしろ獣道に近い。あまり人通りも多くはないのだろう。

「私は実は魔女なんです」

 道中の世間話の中で、ありすはろくでもない事を告げていた。

「……魔女っていうと、あのほうきにのって空を飛んだり、魔法を使ったりする、あの魔女のこと?」
「そう。それですそれ!」

 我が意を得たり、とばかりに指先を立ててこちらへと向けてくる。
 むちゃくちゃうさんくさいんだけど、と思いつつも、すぐ隣に喋る黒猫がいるのだから彼女が本当に魔女であっても不思議はないかもしれない。

「だから私は魔法が使えるんです。まだまだ修行中の身ですけどねっ。今日も修行の一環で線路脇に生えている薬草を採りに来ていたんですよ」

 言いながら彼女は手にした籠編みのバスケットを少し上に掲げる。
 ちらっと見えた感じだとよもぎ等が入っていたようにも思える。よもぎの旬は春先だったと思うので、食べるにはもう(とう)が立っていて少々青臭いかもしれない。

有子(ゆうこ)の魔女話がまた始まったか。ボクはもうその話はうんざりだよ」
「わわっ。だから有子って呼ばないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」

 ミーシャが溜息交じりにつぶやくと、すぐにありすがいつも通りの嘆願(たんがん)を始めていた。たぶんこのやりとりは何度となく繰り返されてきたのだろう。

「はいはい。ありすね。で、君ももういい年なんだから、その話はそろそろ終わりにしてもいいと思うんだけど」
「そ、そんなことないもん。私は魔女だもん。で、ミーシャが相棒の黒猫なの」

 ありすは嬉しそうにミーシャの方をにこにこと微笑んでいる。

「相棒ねぇ。強いていうならボクは相棒というより、君の先生だと思うけど。今日だって一夜を共にする意味を教えてあげただろ」
「わーーーっわーーーっわーーーっ。その話はもう忘れて。忘れてください。はい、忘れます。忘れました。はい、何の話だったかなー」
「まぁ、いいけどさ。ボクが黒猫だからっていうだけで、魔女っていう設定なのは安直すぎないか」
「設定じゃなくて、私は魔女なの」

 ありすは口を膨らませながら、少し怒っているふりをしていた。
 ただそれほど本気で怒っている訳ではないのは、僕の目にも明らかだった。

「これは設定なの?」
「ちがいますっ」
「そうだね」

 僕の問いに二人が同時に答える。ただありすはそのあと黙っていたけれど、ミーシャは後の言葉を続けていた。

「中二病という言葉があるけれど、有子はまさに中学二年生だからね。ちょうど真っ最中というところかな」
「なるほど。そういう事か」

 納得してうなずくと、すぐにありすがぱたぱたと手をふって割り込んでくる。

「違います違いますっ。本当なんですっ。本当なんですってば。あと、有子って言わないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」
「はいはい。ありすね」

 ミーシャは完全に受け流していて、実際にありすと呼ぶつもりはなさそうだった。
 喋る黒猫が現実にいるのだから、ありすが本当に魔女だったとしても、もはや驚くには値しないかもしれない。それでもあまりに多くの不思議に囲まれてしまうと、僕には少しついていききれないとも思う。

 だからありすの魔女がただの設定であり、自分が自分以外の何かになりたくて背伸びしている女の子なのであれば、それはそれで微笑ましいとは思う。

 僕だって自分が何者なのかもわからない。だからこうして旅をしている。
 いまこうしてここにいる僕は、本当の僕なのだろうか。わからない。
 そもそも僕とは何なのだろう。ありすより少し年上の少年。中学卒業後には学校にもいかず、一人ただ旅を続けている。

 お金には困っていなかった。今は亡き両親が残してくれた莫大な財産がある。
 いちおう今は年の離れた兄が僕の保護者という事になっている。

 父が経営していた会社は兄が継いだが、それ以外の財産は文句の付け所もなく法律通りに分配してくれていた。
 たぶん僕はこのまま働かなくても贅沢をしなければ一生を暮らしていけるだろう。
 両親もそして兄も遺産からすれば質素な暮らしをしていて、おかげで僕は特に贅沢にも慣れていない。

 だから、旅をしている。

 兄は僕がそうしたいなら、そうしてみるのもいいと告げた。定期的に連絡を入れることを条件に、僕に自由にさせてくれている。

 だから、旅している。

 だけど僕は何のために旅をしているのか、それすらもわからない。

「それでありすは魔女ってことは、どんな魔法が使えるの?」

 僕の何気ない問いかけに、ありすの表情が明るく染まる。

「そう。そうなんですっ。私は魔法が使えるんです。魔法でいつか世界をみんな幸せにするのが夢なんです。また大した魔法は使えないけど」

 再び手をぱたぱたと上下に動かしながら、バスケットの中からよもぎを取り出してくる。この手をぱたぱたさせるのは彼女の癖だろう。

「そのためにまず薬草とりなんです。ちょっとこの時期だともう苦みが出ちゃうかもしれないけど、まだぎりぎり使えるかなーって」
「使うって何に使うの?」
「草餅作ったり、よもぎ蒸しにしてよもぎ風呂にしたり」
「……普通だ」
「魔女の儀式ですよ?」

 ありすは楽しそうにくるりと振り返る。
 僕へとにこやかに微笑みかけると、それからまた背を向けて歩き出す。

「さてと、もう少しですよ。いきましょう」

 ありすはどこか嬉しそうに道の先へと急ぐと、その後ろをゆっくりと黒猫のミーシャがついて行っていた。

謙人(けんと)。別に有子のことは、有子でいいんだよ。彼女につきあってありすと呼ぶ必要はない」
「ん。でも本人がそう呼ばれたいなら、それでいいかなとは思うけど。そんなに長いつきあいになる訳でもないし」

 ミーシャの言葉に僕は軽く胸の前で手を広げて見せる。

「確かにその方が有子は喜ぶとは思うがね。それで二人が親密な関係になるなら、それもいいかもしれないな」
「特に親密な関係になる予定はないんだけどさ」
「ボクとしてはぜひ有子と仲良くしてもらいたいがね。この村には人が居ない。有子にとっては友達、あるいは恋人になれる相手は必要だからね」

 ミーシャは口元のひげを揺らすと、しっぽをピンと立てていた。

「とりあえず恋人になる予定もないんだけど。まぁ友達くらいなら」
「ふふ。まぁ有子をよろしく頼むよ。君は有子とも歳も近いようだし、たぶんいい関係になれると思うから」
「考えとく」

 僕は少し照れくさくなって、ミーシャを置いて少し早足で歩き始める。ミーシャはその後をゆっくりとついてきているようだった。

「あー、ほら。二人とも、はやくー! もうすぐ村につきますよー!」

 道の先で少し先にいっていたありすが振り返って、こちらに向けてぶんぶんと手を振っていた。
 村はかなり寂れた感じだった。
 いくつかの家はもう無人になってしまっているのか、荒れたままになっている。どこの村でも問題になっている過疎化という奴だろうか。
 人の気配もあまりしない。途中では一人も他の人と出会わなかった。

「もうこの村からもだいぶん人が少なくなりました。子供は私を含めても数人しかいないし、大人も数えられるくらいしか残っていません。このまま消えていく運命なのかもしれません」

 ありすは少し寂しそうに言うと、村の中を見回していく。

「それでも私はこの村が好きです。私が生まれ育った場所だから」

 ありすはバスケットを胸に囲うように抱きしめると、それから目線の先の方に人影を認めて、今度は大きく手を振っていた。
 僕もそちらへと顔を向けてみる。

 年の頃はほぼありすと同じくらいだろうか。もしかしたらありすよりかは少し年上、僕と同じくらいかもしれない。髪の毛を左右で結んだおさげの少女がこちらを見ていた。

 Tシャツにデニムのオーバーオール。元気そうな可愛らしい女の子だ。

「あー、ありすちゃん。だれだれ、その人どっからきたと!?」

 少し方言まじりで話す少女ににこやかな笑顔でありすは答える。

「こずちゃん、やっほー。うん。さっき線路の辺りで拾ってきたの」
「いや、捨て猫じゃないんだし、拾われてはいないけど」

 憮然とした顔で答えるが、しかしありすは気にした様子もなく僕の方を見かける。

「そしてなーんと、四月一日(わたぬき)さんだよ。四月一日さん」
「えーーー。じゃあ春渡りできるやん。それはよかね!」
「そうなの。だから春渡しするために、村に連れてきちゃった」

 こずちゃんと呼ばれた少女はにこやかな笑顔をこちらへと向けてくる。

「あ、うち、文月(ふづき)(こずえ)。こずえって呼んでね」

 こずえは言いながら手を差し出してくる。どうやら握手を求めているようだった。

「僕は四月一日(わたぬき)謙人(けんと)。短い間だろうけどよろしく」
「ケントくんね。外人みたいな名前やん。よろしくー! ずっとこの村にいてくれてもいいけんね!」
「ずっとは勘弁してくれ」
「えー。そげんこと言わんと、寂しいやん」

 こずえはからからと笑いながら僕とありすの二人を交互に目をやると、うんうんと一人うなずく。

「それにしても、二人ちかっぱお似合いやんね。ばりかわいか」

 唐突にろくでもない事を言い出していた。

「いや別に僕はありすと付き合う訳ではないんだけど」
「えーー。だって二人、春渡しするっちゃないと。そりゃ別にお祭りの中での話やけど、そういう儀式やんね」
「……そうなのか?」
「うん。そやね。三月(みつき)四月一日(わたぬき)の二人が一晩一緒にいる訳やけんねー。ま、去年までは四月一日のばあさまと、ありすちゃんの二人だったから、そういうんは無かったっちゃけど。本来はそういう儀式やけん、この村に沢山人がいたころは、そういう事も多かったってきいとうよ」

 こずえは楽しそうに、そしてどこか意地悪な瞳で僕の方を見つめている。
 なるほど、これは僕達をからかっているんだな、と声には出さずにつぶやく。

「も、もうっ。こずちゃん、そういうんじゃないよ。ただ四月一日さんがいて、春を迎えられるって。それだけだよ」
「あーね。だいたい春渡しっていうても、もう夏の初めっちゃけどねー」
「そこはあんまり気にしないでいいと思う。どうせ去年までも四月一日さんはばあさまだったじゃない」
「あーね。ほんとは男女でやる儀式やけんね」

 二人は何がおかしいのか、きゃいきゃいと笑いながら話し続けていた。女子三人が集まると姦しいと書くけど、二人でも十分賑やかだねと思う。

「ま、とにかく。僕はその春渡しとやらが終わるまで、手伝いにきただけだよ。他に特にどうこうするつもりはないから、よろしく」
「それは残念。ありすちゃんも奥手やけん。ケントくんがリードしてくれたらと思ったっちゃけど」
「も、もう、こずちゃん。何を言ってるの」

 ありすが慌てて止めに入るが、それを防ぐかのようにミーシャが口を挟んだ。

「ふむ。まぁ、有子(ゆうこ)(いわ)く一夜を共にしてほしいらしいから、そこは大丈夫だろう」
「わーーーっ。言わないで、言わないでっ。それは言ってません。違いますー! というか、有子って言わないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」
「うん? いまなんて言ったと?」
「こずちゃんも聞き返さなくていいからっ。と、とにかくっ。別に謙人さんとそういうんじゃないし。ただ春渡しが出来るなぁってそれだけだからっ」

 真っ赤になってぶんぶん手を振るうありすに、ミーシャは大きくあくびをしてみせていた。あまり抗議の声は聴くつもりがないのだろう。
 逆にこずえは興味津々な表情で、ありすへとぺったりとくっついて何やら小声で話し合っていたようだった。

「でも……じゃなかと?」
「ち、ちがうよぅ。だからほんとにそういうんじゃなくて」
「えー。でも。ちょっとくらい……やろ」
「ま、まぁ。そりゃあ全く思わなかったとは言わないけど、けど。そういうんじゃなくて」
「だったらよかやん。問題なか」
「もう。こずちゃんってば」

 二人のやりとりは半分くらいしか聞こえていなかったから、何を言っているかはよくわからない。ただ何かしらありすが恥ずかしがっている事だけはわかった。

「で、とりあえず僕はどうしたらいい?」
「あ、ごめんなさい。謙人さんをほったらかしでした」

 ありすはいちど頭を下げると、それからこずえの方へと向き直る。

「じゃあそういう訳だから、私は謙人さんを案内してくるね。こずちゃんまたね」
「はいはい。いってらっしゃい。ケントさん、また後で話ばしようね」

 こずえは大きく手を振るうと、そのまま来た道の先へと向かっていく。そちらの方に用事があるのだろう。

「とりあえずまずはうちかな。四月一日さん、すみませんけど、もう少し私についてきてくださいね」
「わかった」

 僕は素直にうなずくと、村の更に奥の方へと向かっていく。

 いくつか家屋はあるが、散発的で数は決して多くはない。この様子なら村にはさほど人数もいないだろう。
 学校のような施設も近くには見当たらない。もしかしたらかなり遠くまで通っているのかもしれないけれど、電車は廃線になってしまっているのでこの村からの通学も大変そうだ。

 ミーシャは後ろからゆっくりとついてきていた。
 そういえばこずえもミーシャが話している事に特に驚いてはいないようだった。この村では当然の事として受け入れられているのだろうか。
 ちらりとミーシャの方へと視線を送る。
 ミーシャは僕が見ているのに気がついたのか、耳をぴんと立ててこちらを見つめてくる。

「ボクの顔に何かついてるかい?」
「……とりあえず、ひげと猫耳がついてる」
「そりゃ猫なのだから、それくらいついてるだろう。君はひげと猫耳がついていない猫を見た事があるのかい?」
「ないけど」
「そうだろうね。もっともその君の小さな脳みそでは、猫の形もろくに覚えられないのかもしれないけど」

 辛辣な言葉を吐きつつ、ミーシャは少し声に出して笑っていた。
 おそらくミーシャにとってはこれもコミュニケーションの一つなのだろう。それなら僕も受け入れていこうと思う。
 まずは軽く言い返してみる。

「たぶん君よりかは大きいと思うけど」
「実サイズの問題ではないさ。どれだけ有効活用しているかが大事なんだ。それだとくじらがこの世で最も賢い事になってしまうからね」

 ミーシャはひげを揺らしながらつぶやくように告げる。

「君には口では敵いそうにないなぁ」
「猫に口げんかで負けてどうするんだ。君の口は大口あけて食事をとるためだけにあるのかい」
「そうはいってもね。僕はもともと言い合うのは苦手なんだ」
「へぇ。平和主義なのだね。ま、それは悪くない。でも時には戦う事が必要になる時もあるのだから、普段から戦えるようになっておくのは大事と思うけどね」

 ミーシャはどこか上機嫌で話していた。
 大した話はしていないのだけど、彼女にとっては何かしら有意義な会話だったのかもしれない。

「とはいっても、口喧嘩する事はそうそうなさそうだけど」
「四月一日さーん、つきましたよー。さ、はやくはやくー!」

 向こうからありすが呼ぶ声が聞こえてきていた。
 大きいけれど古ぼけた家の前でありすが手を振っている。

「ありすが呼んでいるようだ。さて、いこうか」

 ミーシャの声に僕はうなずくと、少し小走りでありすの待つ家へと駆け寄っていく。
「ただいまー」

 ありすは大きな声をあげながら扉を開ける。鍵はかかっていないようだ。

有子(ゆうこ)。おかえり』

 扉のさらに向こう側から女性の声が聞こえてくる。ありすの家族だろうか。
 そしてさすがに家族にはありすと呼んでとは言わないようだ。有子と呼ばれていても特に何も反応はしていない。

 さらに家の奥の方から二人が話す声がここまで聞こえてきていた。

『あのね。お母さん。ちょっとお願いがあるの』
『あら、何かしら』
『お友達をね、何日かうちに泊めたいんだけど』
『あら。いいけど。でもお友達ってこずえちゃん?』
『ううん。違うお友達』
『こずえちゃんじゃなかったら誰かしら。あかねちゃんかしら。それとももしかしたら、かなたちゃんなの』
『ううん。どっちも違うよ』
『あら、でもこの村の子供っていったら、もうそれくらいよね』
『うんと。もうそこにきてもらっているから、会ってもらってもいいかなぁ』
『そうなの。じゃあ行きましょうか』

 どうやら話はついたようだけれど、何だか不穏な話をしていたような気がする。

四月一日(わたぬき)さん。お待たせしましたっ。私のお母さんですっ」

 戻ってきたありすが、奥からきた若い女性を両手を向けて紹介していた。
 ありすの母にしてはかなり若い感じがする小柄な女性だ。長い髪を後ろで一本に束ねており、料理をしているのかエプロンをつけたままだ。
 どう見ても二十代前半にしか見えないその女性は、僕の姿を認めるなり「あらあら、まあまあ」とおっとりとした口調でつぶやく。

「初めまして。有子の母、三月(みつき)奈々子(ななこ)です」

 挨拶と共に深々と頭を下げていた。
 その様子をみて慌てて僕も頭を下げる。

「すみません。初めまして。僕は四月一日(わたぬき)謙人(けんと)と言います。よろしくお願いします」
「あら。四月一日(わたぬき)さんなの。こうなると四月一日(しがつついたち)と書いて四月一日さんよね。あらあらあら。それはそれは。さてさてどうしましょうね」

 奈々子さんは頬に手をあてて何やら考え込んでいるようだった。

「有子と同じくらいの年よね。少し四月一日さんの方が年上だったかしらね。でもそのくらいの方がちょうどいいのかしら。けっこう顔立ちも整っていて、お母さん的には悪くないのだけど。お父さんが何というかかしらねぇ」
「あの……何の話をされているんですか」

 ありすの母の言う事がよくわからず、思わず問いかけてしまう。
 しかし奈々子さんは気にした様子もなく、僕の方をじっと見つめていた。

「うん。とりあえずお父さんにきいてみましょうね。そうしましょう。あなたー、ちょっときてー」

 家の奥の方へと奈々子さんは大きな声で呼びかけていた。

『どうした我が最愛の妻よ。いまいくから待ってろ』

 野太い声が奥から響いてくる。
 そしてそれからすぐに一人の男が姿を現していた。

 恐らく身長は百八十センチは下らないだろう。きりりと整った顔立ちは、どことなくありすの面影を感じさせるが、それ以上にしっかりとした筋肉のついた体つきはかなりの威圧感を覚えさせる。

「おう。待たせたな。妻よ。どうした」
「有子がね。お友達をおうちに泊めたいんですって」
「なんだ。そんなことか。いいぞいいぞ。何日でも泊まってけ。ま、どうせこの村の中はみんなどこも鍵もしてないから入り放題だしな」

 がははっと笑い声を上げながら告げる。こちらの姿は目には入っていないようだ。

「ですって。よかったわね。有子」
「うんっ。ありがとう。お父さん、お母さん」
「おう。いいってことよ、我が最愛の娘よ。で、その友達とは誰のことだ。こずえちゃんか、それともあかねちゃんか。それとももしかしてかなたちゃんなのか」
「あ、紹介するね。四月一日さん、こちらが私のお父さんです」

 ありすは言いながら両手で大男を指し示す。

「……初めまして。四月一日謙人です」

 僕は思わず息を飲み込んだあと、簡単な挨拶をすませて頭を下げる。

「おう。友達とはお前の事だったか。初めましてだな。俺は三月(みつき)(けん)、有子の父だ。これからも娘と仲良くしてやってくれ……って、ちょっとまてぇぇぇぇぇ!? 四月一日だぁ。つか、こいつそもそも男じゃねぇかっ」

「はぁ。まぁ男ですけど」

 今まで気がつかなかったのだろうか、とも思うが、ありすの父はそんなことはお構いなしに僕の前までつかつかと歩み寄る。

「泊められるかっ。男などお払い箱だっ。ええい、妻よ、塩もってこい。塩」
「もったいないからだめです。お塩だってただじゃないんですよ」

 淡々と告げる奈々子さんに、健さんは言葉を詰まらせる。
 しかしすぐに思い直したかのように口を開く。

「ちっ。仕方ねえ。なら、塩は諦めた。てめー、人の娘に手を出そうたぁ、いい度胸じゃねえかっ。どたまかち割るぞ。ごらぁ」

 健は声を荒げると、拳を握りしめる。筋肉質の体をしているだけに迫力もそれなりにある。
 ただすぐに殴りつけてくるような様子はなく、胸の前で拳を握りしめて揺らしていた。

「いえ、特に有子さんに手を出すつもりはありませんし、そもそも僕自身、何でここにいるのかもよくわからないのですけど」
「なんだと、ごらぁっ。てめぇ、うちの有子に魅力がないっていうのかっ。有子は世界一可愛いんだぞ、この野郎。ええっ」
「……面倒くさい人だなぁ」

 思わず本音を漏らしてしまう。
 しかし健さんはそれを気にした様子もなく、こちらをじろじろと値踏みするかのように凝視していた。
「ふん。ま、しかし、四月一日(わたぬき)ねぇ。有子(ゆうこ)、こいつは春渡しをするつもりで連れてきたのか」
「うん、そうだよ。だって今年はまだ春渡しできていないもの」

 ありすはにこやかな顔で告げる。

「春渡しったって、もう実際には夏だろ。今年はやんなくていいんじゃないかとお父さん思うんだけどな」
「だめ。やるの。絶対。こんなチャンス滅多にないんだから」

 娘に一言で言い切られて、(けん)さんは言葉に詰まる。

「いや、しかし、なぁ。今まではばあさまだったけど、今回は」
「もう、いいからお父さんはあっちいってて。やるの。絶対」
「いや、しかし……」

 口ごもりながらも、娘に背中を押されてずるずると奥の方へと向かっていく。

家人(かじん)がうるさいにぎやかなおうちだけど、ゆっくりしていってね。私は謙人(けんと)さん、大歓迎よ」

 奈々子(ななこ)さんが朗らかな笑顔で告げる。
 別に僕はありすの家にお邪魔するつもりは全く無かったんだけどなぁと思いつつも、野宿するのに比べれば格段に好ましいのは確かだ。

「ありがとうございます。短い間だと思いますが、お世話になります」

 言いながら深々と頭を下げて、ひとまず受け入れておく事にする。
 奈々子さんは優しそうな人だったし、お父さんの健さんも言葉ほどは怖い人でもなさそうだった。数日の間、厄介になってもそれほど困る事はなさそうだ。

「有子、謙人さんを客間に案内してあげて。あそこなら普段は使っていないから、ちょうどいいと思うし」

 向こうの部屋にいるらしいありすに向けて奈々子さんが声を上げる。

「はーい。今行きます。お父さんは、このまま引っ込んでてねっ」
「いや、しかし、なぁ」

 向こう側でまだ健さんはぼやきを漏らしていたようだった。
 すぐにありすが再び姿を現す。健さんはそのまま隣の部屋に押し込まれているようだ。

「四月一日さんお待たせしました。こっちです」

 ありすは少し先の部屋を指さすと、すぐに背を向けて歩き始めていた。
 その後ろを悠々とミーシャがついていっている。
 仕方なく僕もその後について歩いた。

「この部屋を使ってくださいね」

 案内された部屋はタンスや本棚があるものの、特に変わった様子もないごく普通の畳の部屋だった。

「布団は押し入れに入っていますから、そちらを使ってください」
「ありがとう」

 ありすの言葉にひとまず礼を返す。
 背負っていた荷物を部屋に下ろして、それから部屋の中にあった座椅子に腰掛けさせてもらう。

「ひさしぶりに一息ついたよ。昨日は泊まるところもなくて野宿だったからね」
「そうだったんですね。まぁこの辺はこの村以外には何もないですからね。よくいらしてくださいましたねっ」

 ありすはぽんと手を打つと、にこやかに微笑んでいる。
 その隣でミーシャが箱のようになって座ってくつろいでいた。

「しかし、こんなところに一人で旅してくるとは物好きもいたものだね」
「それは自覚してる」

 ミーシャの言葉に自嘲ぎみにうなずく。
 高校にも行かずに旅をしているなんて、変わり者もいいところだろう。僕以外にいるとも思えない。それも徒歩の旅だ。自分でも馬鹿みたいだとは思う。

 でも僕にはやりたい事も特になかった。兄のように優秀でも無かったから、会社勤めをしようとも思えない。
 もしかしたらただ未来から逃げているだけなのかもしれない。それでも旅をする事で何かを見つけられたらとも思う。それが何なのかは、僕自身にもわからなかったけれど。

「ま、何もないところだけどゆっくりしていってほしい。たぶん村の人達が話し合って、三日後の夏祭りの前、つまり明後日に春渡しをすることになるんじゃないかな」
「わかった。それならここにはそれまでの三日間、世話になるよ」

 春渡しは夜通し行うらしいから、さすがに終わってすぐ旅立つという訳にもいかないだろう。それに村の夏祭りにも少しは興味がある。

 小さな村だけに特にこれといったものはないだろうけれど、そんな経験を積むのも悪くはないだろう。
 僕が心の内で思うと、ありすは嬉しそうな笑顔を向けていた。

「はいっ。ぜひ楽しんでいってください。あと村の皆さんにも紹介しますから」

 この村はどう見ても過疎が進んでいるようだったから、来客も普段はほとんどないのだろう。客人が珍しいのかもしれない。

「いや特に紹介してくれなくてもいいんだけど」
「ええーっ。だめですだめです。春渡しの主役なんですから、ちゃんとみんなに知っていてもらわないと。それに」

 ありすは言いながらちらりとミーシャの方へと視線を移す。
 しかしミーシャは全く気にした様子もなく大きなあくびを漏らしていた。

「せっかくですから、この村を好きになってもらいたいです」

 真剣な眼差しを向けるありすに、僕はこれ以上首を振るう事は出来なかった。

「わかった。なら紹介してもらうよ」

 あまり好きな訳では無かったが、特別に人付き合いが苦手という訳でもない。挨拶程度なら問題ないだろう。
 とはいえ、あまり得意という訳でもない。正直誰とでも仲良くなれるというタイプでもなかった。

 ありすはかなり人なつこい感じだったし年下だからか、すぐに慣れたけれど、さすがに年上の人とはすぐに仲良くするのは難しい。

 そういえばさきほどのこずえも人なつこい子だったなと思う。
 出来ればみんなあれくらいフレンドリーな人ばかりだと助かるのだけど。

 そしてそう願う僕の願いは、ある意味では受け入れられていた。


「じゃ、まずはあかねちゃんちからです」

 言いながら少し離れた家を指さす。
 見た限りありすの家とあまり変わりは無い。むしろどの家もそれほど変わらない。村の古くからある家の様式なのだろう。
 すぐに家の方へとむかって、玄関の扉を勝手に開ける。

「あかねちゃーんっ。ありすだけどー」

 ありすは言いながらもそのまま中に入っていく。

「はいはいはい。有子(ゆうこ)ちゃん、いらっしゃい」
「わーーーっ。あかねちゃん、有子って呼ばないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」
「あっと、そうだったわね。ありすちゃんね」

 声と共に奥の部屋から、一人の女性が姿を現していた。
 ただありすがあかねちゃん等と親しげに呼んでいるから、同じくらいの年の人かと思っていたが、現れたのは僕よりももう少し年上だろう女性だった。
 たぶん年の頃は十八歳くらいだろうか。高校三年生くらいか、場合によってはすでに卒業しているかもしれない。
 おそらくは長い髪をアップにしてまとめている。そこから覗かせているうなじが、少し色っぽく感じた。

 あと。ありすと比べると、だいぶん大きい。
 身長もだけど、特に胸部が。
 ……僕も男だから、つい目がいってしまうのは仕方ないよね。

「それで何かしら。といっても想像はつくけどね。例の四月一日(わたぬき)さんのことかな」
「わー。こずちゃんから聴いてましたか」
「そうね。たぶん村のみんなもう知っていると思うわ。ありすちゃんが彼氏を村に連れてきたって、言いふらしていたから」
「わーっわーっわーっ。彼氏じゃないですっ。さっき会ったばかりです」
「そうなの? もう二人は完全に出来上がってるとか、何とか言っていたけど」

 少し頬に手をあてて、首をかしげる。

「もう。こずちゃん相変わらずなんだから」

 ありすはぶつぶつと口の中で文句をつけていた。
 まぁ実際彼氏でも何でも無いのだから、変な噂を立てられれば困るだろうとは思うが、とりあえず僕を放置して話を進めるのも出来ればやめてほしいとは思う。

 やることないおかげでつい二人を見比べてしまうじゃないか。目のやり場に困る。
 なおどこをとは聞かないでほしい。

「こずえは相変わらずおしゃべりのようだ」

 背中の方からミーシャの声が聞こえる。ミーシャは僕と一緒に家の外で待っていたようで、見ると少し離れたところで座り込んでいる。

「それで、そちらの男の子が話にあがっていた四月一日くんかしら」

 やっと女性の方から話を振ってくれたようだ。
 とりあえず頭を下げて、それから自己紹介を始める。

「はい。ご紹介にあずかりました四月一日(わたぬき)謙人(けんと)です。彼氏ではありませんけど」
「あはは。聞こえてたのね。でも」

 女性は僕の方へとにこやかに微笑む。

「可愛い顔してるね。けっこう好みかも。有子ちゃんの彼氏じゃないのなら、私がもらっちゃおうかな」

 彼女は僕のそばまでよると、すっと顔を近寄せてくる。軽く頬に吐息がかかり、何か背筋にぞくりとしたものが走る。

「わぁっ。な、なにを言ってるんですかっ。僕はまだ貴方の名前も知りませんよっ」

 年上の女性が近づいてくるのに慌てて動悸が激しくなる。

「わーーっわーーーっわーーっ。だめっ。だめだよっ。あかねちゃんっ。そういうのはだめっ。あと有子じゃなくて、ありすっ。ありすって呼んでよぅ」

 なぜかありすも慌てた様子で僕と彼女の間に割り込んできていた。

「ふふ。慣れてないって感じで初々しいね。私はあかね。稲穂(いなほ)(あかね)。よろしくね」
「……よろしくお願いします」

 内心、胸の鼓動を感じながらも平然を装って答える。
 ただこんな心の内も彼女にはお見通しだったのかもしれない。微かに口元にいたずらな笑みを浮かべていた。

「それで二人で春渡しをするつもりなのね」
「そうなのっ。春渡しするよ。私と四月一日さんで春渡しするの。私と四月一日さんで!」

 ありすはなぜか自分を強調しているようだった。自分の出番を奪われそうになっている事に慌てているのかもしれない。

「心配しなくても大丈夫よ。私は三月(みつき)じゃないもの。いま春渡しが出来るのは有子ちゃんだけだから。でも昔はこの村にも三月さんも沢山居たみたいなんだけど、こう人が少なくなっちゃったらね。伝統的なお祭りもなかなか難しくなっていくのかしらね」

 あかねさんは少し寂しそうに告げると、遠い目をして空を見上げる。

「でもまぁ秋の収穫祭になったら私の出番よね。その時は私が四月一日くんに相方を務めてもらおうかしら」
「さすがに僕もそこまではこの村にはいませんよ」

 慌てて否定する僕を尻目に、ふふっと口元に笑みをこぼす。

「いいじゃない。この村もいいところよ。あんまり人はいないけど、私と有子ちゃん。こずえちゃんと若い子も少しはいるしね。そして若い男の子はいないから、今なら好きな子を選べちゃうの。魅力的でしょ。あ、もし特殊な趣味ならかなたちゃんもいるけど、それはさすがにまずいかしら」
「わーっ。あかねちゃん、何言ってるの。四月一日さんに変な事いっちゃだめだよぅ。あと有子じゃなくて、ありす。ありすってよんでよぅ」

 ありすの必死な否定にもかかわらず、あかねはきいていなかったのか、くすくすと笑みを漏らしていた。

「そうね。有子ちゃんの大事なお相手だもんね。私が奪っちゃいけないわね。それに」

 あかねはちらりと僕へと横目で視線を送ると、どこか遠い場所を見るような瞳で空を見上げる。

「たぶんこの夏が最後だものね」

 何か寂しげな声に、なぜだか僕は焦燥を覚えて息を飲み込んでいた。