この扉の先に眠った希空がいる。震える皺が増えた右手を左手で押さえつけながら、静かに扉を開く。

 重たく息苦しい空気の中、台の上にまっさらな白い布が被さっている。

 体の輪郭に沿って、紆余曲折をしているのが見てとれる。希空が...

「僕は、外で待っているから。話したいことは話しておいで」

「はい。ありがとうございます」

 先生は扉を開けて廊下へと戻っていく。ここにいるのは、僕と希空の2人だけ。

 昨日だって、僕の病室で2人きりだったはずなのに、全く状況が違うことが辛い。

 楽しそうに話していた君の声は、もう僕の耳には届かない。君の息遣い、動くたびに服の擦れる音すら、聞くことができない。

「希空・・・辛かったよね。痛かったよね。君は最後に何を思ったの?」

 目が潤む。今にも爆発してしまいそう。

「顔を見せておくれ、希空・・・」

 顔の位置にかけられた白い布をゆっくりと捲っていく。徐々に露になる彼女の顔。

 クッと喉の奥が鳴る。飲み込んだ唾液が喉の奥に詰まった。

「希空・・・希空!!!」

 水を大量に蓄えていたダムが、欠落するように僕の目からも大量の涙が溢れ出す。

 一度に溢れてしまい、服の袖で拭っても拭っても止まることがない。もはや、止まる気配すらない。

 僕が目にした彼女は、もはや彼女の原型を留めてすらいない。

 彼女の面影は全くなかった。先生に彼女だと告げられていなかったら、僕はここで寝ている彼女を希空と認識することすらできなかったのではないだろうか。

 白く綺麗な長い髪の毛は、希空の血だろうか?ところどころ赤く染まっているのが、痛々しい。

 見ていられなかった。あんなに綺麗な顔立ちをしていた彼女が脳裏に浮かんでくる。しかし、それですら数ヶ月前のもの。

 悔やんだ。悔やみきれない抱えきれない想いが、僕の中で永遠と渦巻いている。

 何度も何度も僕は、この数ヶ月の自分を呪い後悔し続けるだろう。この命が動き続けるその日まで。

「ごめん・・・ほんっとごめんよ。希空・・・僕が情けないせいで・・・僕のせいだ・・・」

 いくら嘆き悲しんだところで、僕を慰めてくれる人はいない。唯一僕を慰めて、心の支えであった人は僕の目の前で痛々しい姿のまま眠っている。

「ぼ、僕はこの先どう残りの余生を・・・過ごしていけばいいんだ。生きていても・・・」

 ふと、彼女の手に光っている何かを見つける。握りしめられている"それ"をゆっくりと彼女の手をガラスに触れるように、優しく一本一本指を引き剥がしていく。

「これは、コスモス・・・?」

 銀色とピンクに光るコスモスがチェーンに繋がれている。これは、ネックレス...

 急いで、携帯をポケットから取り出し、画面を顔に近づける。黒く光のない画面に命が宿るように光が灯る。

 表示された日付は、12月25日。今日は、クリスマス。年に一度の子供たちが待ちに待った日。日本中のカップルが、凍える雪を溶かすほどの熱を高めあう日。

 1年でもっとも綺麗で、夢と希望が詰まった大事な日。

「ねぇ、希空。君は僕に・・・これを渡そうとしてくれたの?」

 返答はない。体がちょっとでも動く気配すらない。

 でも、僕にはわかる。これは、彼女が僕のために選んでくれたクリスマスプレゼントなのだと。
 
 それも、僕らの思い出深い『コスモス』の花と共に。僕らの出会いは、コスモスが僕らを囲むように咲いているあの丘の上だった。