長く伸びる一直線の通路をぼんやりと歩く。
今にも消えてしまいそうな、薄暗い蛍光灯がリノリウムの床を奇妙に照らす。
涙は、全て出し切ったのか一滴も溢れくることは無くなった。正確には、枯れてしまったというのが正解かもしれない。
涙だけではなく、心もどこかに置いてきた...そんな空っぽな感覚。
未だに、現実なのか脳が理解できていない。
「もうすぐで着くよ。覚悟はできているかい?」
覚悟は病室を出た時からできている。どんな姿であろうと、彼女から目を背けることだけはしたくはない。
もう散々してきたのだから。今更、罪滅ぼしになるとは思っていない。
ただ、自分の目で確かめないといけない気がしたんだ。
「はい」
ここが、病院のどの位置に位置づけられているのかはわからないが、自然の光が入り込んでくる隙間がないほど暗い。
薄気味悪い場所。進んでいくたび、『死』の香りが一段と強まっていく気がする。
殺伐とした、言葉では表現するには難しい。息を吸うだけでも足がふらつくような空気感に、足が普段よりも二倍近く重く感じる。
『霊安室』と書かれた部屋が見えてくる。あの部屋の先に希空が眠っていると考えるだけで、胸が締め付けられる。
霊安室の前に置かれたベンチの上で、絶望に満ちた表情で座っている夫婦。
小さく縮こまった肩が、カタカタと揺れている。女性の方は、ハンカチで目元を抑えながら、肩を大きく上下に揺らす。
今にも壊れてしまいそうな嗚咽が、僕の耳にまで届いてくる。
そっと泣いている女性の方に手を当てる男性。歯を食いしばり、声を殺して涙を流す姿は僕の心には痛々しすぎた。
釣られて泣いてしまいそうになるのをグッと堪えるのに、僕は精一杯だった。
涙は枯れたはずなのに、油断したら今にもまた出てきてしまいそう。
この2人は、希空の両親であることは間違いない。あの事故で亡くなったのは、希空だけだったのだから。
僕らの足音に気がついたのか、真っ赤に瞼を腫らした希空の母親が僕らを見据える。
その目力に足が自然と立ち止まる。息を吸うのですら、やっとのこと。
「先生・・・それと、あなたは?」
「僕は夜瀬・・・」
「あぁ、わざわざありがとうございます。娘とお付き合いされていた太陽くん・・・のお父様ですよね」
「・・・・・はい」
悲しみなどこれぽっちも感じなかった。前までの僕なら、間違いなくどん底に落とされた気分にでもなっただろう。
でも、今の僕にとってどん底は希空がこの世界からいなくなってしまったこと。
それに比べれば、こんな些細なこと...どうだっていいんだ。他の人の目に映る自分が、どれだけ年老いて見えようと僕にはもうどうでもいい。
希空を失った僕の世界に、再び色が戻ってくることはないのだから。
「たい・・・」
「先生!いいんです」
本当のことを希空の両親に告げようとする先生を制し、2人の前に歩みを進める。
「この度はお悔やみ申し上げます。申し訳ありませんが、息子の太陽はあまりのショックに塞ぎ込んでしまい、部屋から出られない状態でしたので、代わりに私がきたのですが・・・」
自分で言ったのに、胸がチクリと痛むのはどうしてだろうか。
「そうでしたか。まだ彼も若いので受け止めきれないですよね。大人である私たちでさえ、こんななのに・・・」
涙が出そうになった。自分の大切な娘を失ったというのに、他人の僕の心配までしてくれる希空の両親の言葉に。
「希空さんのお顔を拝見してもよろしいでしょうか」
「はい、ぜひお願いします」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる。僕の目の前に座っている2人には、絶対に僕の病気のことだけは知られてはならない。
残り数ヶ月しか生きられない僕のことを思って、これ以上この人たちの心を抉ることだけは許されないのだ。
このことは墓場まで持っていくと、この時心に深く刻み込んだ。
今にも消えてしまいそうな、薄暗い蛍光灯がリノリウムの床を奇妙に照らす。
涙は、全て出し切ったのか一滴も溢れくることは無くなった。正確には、枯れてしまったというのが正解かもしれない。
涙だけではなく、心もどこかに置いてきた...そんな空っぽな感覚。
未だに、現実なのか脳が理解できていない。
「もうすぐで着くよ。覚悟はできているかい?」
覚悟は病室を出た時からできている。どんな姿であろうと、彼女から目を背けることだけはしたくはない。
もう散々してきたのだから。今更、罪滅ぼしになるとは思っていない。
ただ、自分の目で確かめないといけない気がしたんだ。
「はい」
ここが、病院のどの位置に位置づけられているのかはわからないが、自然の光が入り込んでくる隙間がないほど暗い。
薄気味悪い場所。進んでいくたび、『死』の香りが一段と強まっていく気がする。
殺伐とした、言葉では表現するには難しい。息を吸うだけでも足がふらつくような空気感に、足が普段よりも二倍近く重く感じる。
『霊安室』と書かれた部屋が見えてくる。あの部屋の先に希空が眠っていると考えるだけで、胸が締め付けられる。
霊安室の前に置かれたベンチの上で、絶望に満ちた表情で座っている夫婦。
小さく縮こまった肩が、カタカタと揺れている。女性の方は、ハンカチで目元を抑えながら、肩を大きく上下に揺らす。
今にも壊れてしまいそうな嗚咽が、僕の耳にまで届いてくる。
そっと泣いている女性の方に手を当てる男性。歯を食いしばり、声を殺して涙を流す姿は僕の心には痛々しすぎた。
釣られて泣いてしまいそうになるのをグッと堪えるのに、僕は精一杯だった。
涙は枯れたはずなのに、油断したら今にもまた出てきてしまいそう。
この2人は、希空の両親であることは間違いない。あの事故で亡くなったのは、希空だけだったのだから。
僕らの足音に気がついたのか、真っ赤に瞼を腫らした希空の母親が僕らを見据える。
その目力に足が自然と立ち止まる。息を吸うのですら、やっとのこと。
「先生・・・それと、あなたは?」
「僕は夜瀬・・・」
「あぁ、わざわざありがとうございます。娘とお付き合いされていた太陽くん・・・のお父様ですよね」
「・・・・・はい」
悲しみなどこれぽっちも感じなかった。前までの僕なら、間違いなくどん底に落とされた気分にでもなっただろう。
でも、今の僕にとってどん底は希空がこの世界からいなくなってしまったこと。
それに比べれば、こんな些細なこと...どうだっていいんだ。他の人の目に映る自分が、どれだけ年老いて見えようと僕にはもうどうでもいい。
希空を失った僕の世界に、再び色が戻ってくることはないのだから。
「たい・・・」
「先生!いいんです」
本当のことを希空の両親に告げようとする先生を制し、2人の前に歩みを進める。
「この度はお悔やみ申し上げます。申し訳ありませんが、息子の太陽はあまりのショックに塞ぎ込んでしまい、部屋から出られない状態でしたので、代わりに私がきたのですが・・・」
自分で言ったのに、胸がチクリと痛むのはどうしてだろうか。
「そうでしたか。まだ彼も若いので受け止めきれないですよね。大人である私たちでさえ、こんななのに・・・」
涙が出そうになった。自分の大切な娘を失ったというのに、他人の僕の心配までしてくれる希空の両親の言葉に。
「希空さんのお顔を拝見してもよろしいでしょうか」
「はい、ぜひお願いします」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる。僕の目の前に座っている2人には、絶対に僕の病気のことだけは知られてはならない。
残り数ヶ月しか生きられない僕のことを思って、これ以上この人たちの心を抉ることだけは許されないのだ。
このことは墓場まで持っていくと、この時心に深く刻み込んだ。