「んっ・・・あれ私・・・」
ゆっくりと瞼を開くと、そこがどこなのか一瞬でわかってしまう。
白を基調とした部屋模様。こんなに白で埋め尽くされた場所は、私はひとつしか知らない。
レース状のカーテンが、空いた窓から流れ込む微風に揺られる。まるで、どこかに閉じ込められたおとぎ話の姫様のような感覚。
「希空!」
毎日聴き慣れている声。
「ママ・・・」
私の右手を痛いくらいに握りしめる母の乾燥しきった手のひら。カサカサしている手が、私の手を温かく包み込んでくれる。
「よかった・・・よかった。目を覚まして本当によかった・・・」
「大袈裟だよ、ママ。ただの熱中症だよ」
「・・・ごめんね。希空が目を覚ましたら、先生を呼ぶことになってるから呼んでくるわね」
「あ、わかった。ついでに自販機でコーラ買ってきてよ」
「わかったわ。少しの間待っていてね」
「はーい」
私が目を覚ましたことがそんなにも嬉しかったのか、母の目には大粒の涙が溜まっていた。
今にも溢れてしまいそうなほど、溜まりに溜まったその意味を私は良く分かっていなかったんだ。
この後、私の心が崩壊してしまうなんて思ってもいなかった。
"コンコン"
病室のドアが優しく3回ノックされる。
「どうぞ〜」
白衣に身を包んだ眼鏡が似合う30代くらいの男性が母と共に病室に入ってくる。
高身長、おまけに顔もなかなかのイケメンで思わず見惚れてしまう。好きとか恋愛的感情ではなく、一種の憧れみたいなもの。
(きっとこの先生は病院以外でもモテるだろうな)
勝手な憶測を見立ててしまう私。母も初めて出会った時は、そう思ったに違いない。あとでこっそり聞いてみることにしよう。
「こんにちは、希空さん」
外見にそぐわない低音のハスキーボイスに思わず、ドキッとしてしまった。
「こ、こんにちは」
緊張して声が裏返ってしまったのが恥ずかしい。
「僕は、この病院で医者をさせてもらっている立花です。よろしくね」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします?」
どうして私は、先生に自己紹介されているのだろうか。そもそもただの熱中症なら、こんな私1人だけの病室なんて用意されるはずがないのに、なんで気が付かなかったんだ。
心臓の音がうるさいくらいに鼓動し、口の中の水分が消え去っていく。水分を欲しているのか、口の中がパサつく。
母が手にしているコーラについつい目がいってしまう。
「ママ、コーラちょうだい!」
「あぁ、そうね」
手渡された冷え切った缶のコーラ。缶の表面に付着した水滴が私の手の熱を冷ましていく。
プルタブを人差し指で開けようとしたが、爪が長すぎて上手く開けられない。
「どれ、僕が開けてあげるよ。貸してごらん?」
先生に手渡すと、一瞬にして"カチャン"という軽快な音が病室に響く。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
先生から手渡されたコーラのふちに唇をつけ、斜めに傾ける。少量のコーラが小さな穴から私の口へと流れ込んでくる。
コーラ独特の表現のできない風味に、シュワシュワと口の中で弾ける炭酸が口を満たす。
喉を通るたびにシュワっとした爽快感に全身が包まれるかのよう。
「んー! コーラ美味しい!」
「美味しそうに飲むね〜。僕も飲みたくなってきたよ」
「先生も後で飲んでください!」
「飲みたいんだけどね、あまり炭酸は得意じゃなくてね」
「あ、そうなんですね。勿体無いな〜」
「僕も勿体無いと思うよ」
優しく微笑む先生の笑顔は、私に向けられたもの。でも、違和感があるのはなぜだろう。
心の底から笑っているのではなく、泣いている小さい子を安心させるために見せる笑顔のように見えてしまう。
その笑顔が今は、私の心に不安を募らせていく。
「先生・・・私ってどこか悪いんですか?」
煌びやかに咲いていた花が、萎れていくかのように先生の顔色が変わり果ててしまう。
聞いてはいけないことを口に出してしまったのかもしれない。
「・・・希空さんには、辛い話かもしれないけれど、聞いてもらえるかい?」
不安と緊張が入り混じった感情が、自分の顔に浮き上がっているのがわかる。
口の中に溜まった唾液を無理やり喉へと流し込む。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて胃へと落ちていく。
「はい・・・」
背中は既に汗でびっしょりと湿っている。母に視線を移すと、事の顛末を知っているのか普段の底抜けた明るさを持つ彼女はいなかった。
代わりに私たち3人の間には、絶妙に気まずい空気だけが流れる。
1枚のドアを隔てた廊下には、賑やかなくらい病院に似つかわない声が飛び交っているというのに、この場所だけは隔離されてしまっているかのような静けさ。
「希空さん」
沈黙を破ったのは、先生の苦しそうな声だった。
「はい」
大きく息を吸い込み、心を落ち着かせる。当然、落ち着くわけがないが、さっきよりはマシになった。
「希空さんは、日光乾皮症です」
「ニッコウカンピショウですか?」
「はい。この病気は国内でも数人しか患者のいない難病となっています。主な症状は・・・」
俯く先生の目には、悲しみを含んだ瞳が静かに揺れていた。
「主な症状は・・・この先の人生で希空さんは、太陽の下を・・・歩くことができなくなります」
言葉を失った。空いた口がずっと塞がらなかったんだ。
私はこの日から、大好きだった太陽の下を歩くことができなくなってしまった。
だって、それは私の命を蝕んでいく行為だったから。
ゆっくりと瞼を開くと、そこがどこなのか一瞬でわかってしまう。
白を基調とした部屋模様。こんなに白で埋め尽くされた場所は、私はひとつしか知らない。
レース状のカーテンが、空いた窓から流れ込む微風に揺られる。まるで、どこかに閉じ込められたおとぎ話の姫様のような感覚。
「希空!」
毎日聴き慣れている声。
「ママ・・・」
私の右手を痛いくらいに握りしめる母の乾燥しきった手のひら。カサカサしている手が、私の手を温かく包み込んでくれる。
「よかった・・・よかった。目を覚まして本当によかった・・・」
「大袈裟だよ、ママ。ただの熱中症だよ」
「・・・ごめんね。希空が目を覚ましたら、先生を呼ぶことになってるから呼んでくるわね」
「あ、わかった。ついでに自販機でコーラ買ってきてよ」
「わかったわ。少しの間待っていてね」
「はーい」
私が目を覚ましたことがそんなにも嬉しかったのか、母の目には大粒の涙が溜まっていた。
今にも溢れてしまいそうなほど、溜まりに溜まったその意味を私は良く分かっていなかったんだ。
この後、私の心が崩壊してしまうなんて思ってもいなかった。
"コンコン"
病室のドアが優しく3回ノックされる。
「どうぞ〜」
白衣に身を包んだ眼鏡が似合う30代くらいの男性が母と共に病室に入ってくる。
高身長、おまけに顔もなかなかのイケメンで思わず見惚れてしまう。好きとか恋愛的感情ではなく、一種の憧れみたいなもの。
(きっとこの先生は病院以外でもモテるだろうな)
勝手な憶測を見立ててしまう私。母も初めて出会った時は、そう思ったに違いない。あとでこっそり聞いてみることにしよう。
「こんにちは、希空さん」
外見にそぐわない低音のハスキーボイスに思わず、ドキッとしてしまった。
「こ、こんにちは」
緊張して声が裏返ってしまったのが恥ずかしい。
「僕は、この病院で医者をさせてもらっている立花です。よろしくね」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします?」
どうして私は、先生に自己紹介されているのだろうか。そもそもただの熱中症なら、こんな私1人だけの病室なんて用意されるはずがないのに、なんで気が付かなかったんだ。
心臓の音がうるさいくらいに鼓動し、口の中の水分が消え去っていく。水分を欲しているのか、口の中がパサつく。
母が手にしているコーラについつい目がいってしまう。
「ママ、コーラちょうだい!」
「あぁ、そうね」
手渡された冷え切った缶のコーラ。缶の表面に付着した水滴が私の手の熱を冷ましていく。
プルタブを人差し指で開けようとしたが、爪が長すぎて上手く開けられない。
「どれ、僕が開けてあげるよ。貸してごらん?」
先生に手渡すと、一瞬にして"カチャン"という軽快な音が病室に響く。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
先生から手渡されたコーラのふちに唇をつけ、斜めに傾ける。少量のコーラが小さな穴から私の口へと流れ込んでくる。
コーラ独特の表現のできない風味に、シュワシュワと口の中で弾ける炭酸が口を満たす。
喉を通るたびにシュワっとした爽快感に全身が包まれるかのよう。
「んー! コーラ美味しい!」
「美味しそうに飲むね〜。僕も飲みたくなってきたよ」
「先生も後で飲んでください!」
「飲みたいんだけどね、あまり炭酸は得意じゃなくてね」
「あ、そうなんですね。勿体無いな〜」
「僕も勿体無いと思うよ」
優しく微笑む先生の笑顔は、私に向けられたもの。でも、違和感があるのはなぜだろう。
心の底から笑っているのではなく、泣いている小さい子を安心させるために見せる笑顔のように見えてしまう。
その笑顔が今は、私の心に不安を募らせていく。
「先生・・・私ってどこか悪いんですか?」
煌びやかに咲いていた花が、萎れていくかのように先生の顔色が変わり果ててしまう。
聞いてはいけないことを口に出してしまったのかもしれない。
「・・・希空さんには、辛い話かもしれないけれど、聞いてもらえるかい?」
不安と緊張が入り混じった感情が、自分の顔に浮き上がっているのがわかる。
口の中に溜まった唾液を無理やり喉へと流し込む。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて胃へと落ちていく。
「はい・・・」
背中は既に汗でびっしょりと湿っている。母に視線を移すと、事の顛末を知っているのか普段の底抜けた明るさを持つ彼女はいなかった。
代わりに私たち3人の間には、絶妙に気まずい空気だけが流れる。
1枚のドアを隔てた廊下には、賑やかなくらい病院に似つかわない声が飛び交っているというのに、この場所だけは隔離されてしまっているかのような静けさ。
「希空さん」
沈黙を破ったのは、先生の苦しそうな声だった。
「はい」
大きく息を吸い込み、心を落ち着かせる。当然、落ち着くわけがないが、さっきよりはマシになった。
「希空さんは、日光乾皮症です」
「ニッコウカンピショウですか?」
「はい。この病気は国内でも数人しか患者のいない難病となっています。主な症状は・・・」
俯く先生の目には、悲しみを含んだ瞳が静かに揺れていた。
「主な症状は・・・この先の人生で希空さんは、太陽の下を・・・歩くことができなくなります」
言葉を失った。空いた口がずっと塞がらなかったんだ。
私はこの日から、大好きだった太陽の下を歩くことができなくなってしまった。
だって、それは私の命を蝕んでいく行為だったから。