私が家に帰ってきたのは、家を出てから1時間以上経過した頃だった。

 家の前まで送ってくれた彼には、感謝しかない。別れ際に連絡先を交換したので、後でお礼を言っておこう。

 家に入ると、リビングから生活音が漏れて聞こえてくる。多分、ママが食器を洗っている音と、パパがテレビを見ている音。

 一応帰ってきたことを報告するために、リビングの扉を開けて『ただいま』とだけ伝える。

「え、どこか出かけてたの?」

「うん。ちょっとコンビニにノートを買いに」

「全然気づかなかったわ。てっきり上からすごい物音がしたから、2人で遊んでいるのだと思ってたわ」

 すごい物音...急に私の中に不安が垂れ込める。その音を出していた者は、1人しかいないのだから。

「あ、そうだ。日曜日。私、花火大会に行ってくるね」

「未來ちゃんとでしょ?わかってるよ」

「ううん。未來じゃないよ」

「珍しいわね。希空が未來ちゃん以外の女の子と花火大会行くなんて」

「女の子じゃないよ。同級生の男の子」

 言った後に後悔をした。後悔をしても、もう手遅れなことに違いはないのに。

 食器を洗っていた手をピタリと止めるママ。

 ソファーに寝転がってテレビを眺めていたパパ。

 2人して目の色を変えたように、こちらを凝視してくる。瞬きをすることすら忘れたかのように目がキマってしまっている。

「え、ちょっと待って。男の子って言った?」

「お、おい。希空。嘘だよな?男と2人で花火なんて。冗談と言ってくれよ」

 驚いている点では同じだが、感情は全く違っている2人。

 朗らかな笑顔で嬉しさが滲み出ているママと、この世の終わりかのような絶望を顔に貼り付けているパパ。

 あまりにも対照的な2人の顔が面白くて、笑ってしまいそうになる。

 テレビから漏れ出す音が、ノイズ音に聞こえてくるくらい2人以外に気が回らない。

「そういうことだから、ママ当日浴衣の着付けお願いします!」

 両手を顔の前で合わせて拝むようにママを見つめる。

「もちろんよ。とびっきり可愛くしていこうね!」

「ありがとうママ」

「なぁ、希空。そんな可愛くしていかなくても・・・変な虫が寄り付かないように父さんも花火大会に・・・」

「ちょっとあなた!うるさいわよ。そんなにぐちぐちいじけてたら、娘に嫌われるわよ」

「で、でも・・・希空が・・・」

「希空だってもう高校生なのよ・・・あ、希空。未來ちゃんのところに行ってていいわよ。パパは私がしっかり叱っておくから」

 (あぁ、あの状態になったママを止めるのは誰にもできないので、これは逃げるのが正解かもしれない)

 そーっとリビングの扉を閉める。1枚のドア越しに聞こえるパパのメソメソした声と、ママのハキハキした声。

 普段は、パパも楽観的でハキハキ話す人なのに、今日はダメだったらしい。

 それほど、大事な一人娘が男の子と2人で出かけるのは、心配なのだろう。

 でも、嬉しい。裏を返せば、私は2人に大切にされている証拠だから。

 "ドンッ"

 上から鳴る音に、体がビクッとなってしまう。

 そうだった。私の戦いはこれからだった。上にいる彼女と話をつけるのが、私の最重要任務だ。

 連なる階段を一段一段踏み締めながら、戦いに供える心の準備をしていく。

 さぁ、何から話せばいいんだろう。