「わたくしは襲撃を受けるような心当たりはまったくございません」
「ではなぜ、襲われたのだ?」

 意地悪な質問である。心当たりがないものに、理由付けなんてできるわけがない。

「ここから先はわたくしの個人的な推測なのですが、申してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」

 ぎゅっと拳を握り、脳裏を過ったありえない推し量った犯人の動機を述べる。

「アドルフ様はかつて、ミュリーヌ王女殿下の結婚相手候補だったと伺いました。ミュリーヌ王女殿下の様子を見る限り、アドルフ様への未練があるように思えて――」
「ミュリーヌ王女が婚約者であるお前を邪魔に思い、殺すために襲撃させた、と?」
「いいえ、ミュリーヌ王女が黒幕であるとは決めつけておりません」
「ほう、どうしてそう思う?」

 たとえば、ミュリーヌ王女の様子を見た臣下の誰かが忖度し、私を殺すために画策してきた可能性もある。

「しかし、ロンリンギア公爵家の誰かでなく、隣国側の者達が犯人だというのは、大胆な推理だな」
「アドルフ様が隣国の外交官に呼び出されたあとに、襲撃されたものですから。おそらく、外交官が話した内容は、ミュリーヌ王女殿下との結婚について、だったのでは?」

 アドルフのほうを見ると、こくりと頷く。
 なんでもミュリーヌ王女殿下と結婚したさいに、ロンリンギア公爵家が受ける多大な益について、こんこんと説明されたらしい。
 それでも、アドルフは首を縦に振らなかったようだ。

「結婚話を断って三分ほど経ったあと、リオニーの婚約指輪にかけていた守護魔法が発動した。思い返してみると、俺が断ったから襲撃を命じたように思えてならない」
「しかしそれだけでは、隣国側に証拠だと示すことは難しいだろう」
「では、こちらをご覧くださいませ」

 ロンリンギア公爵の執務机に、先ほど犯人から引きちぎったカフスを置いた。

「これは――?」
「犯人から奪い取ったカフリンクスですわ」

 カフスには証拠となる家紋などは刻まれていない。けれども触れた瞬間、これは使えると判断したのだ。

「この変哲もないカフスが、どう証拠になると言うのだ」
「こちらのカフスは、〝錫(すず)〟でできたものです」
「錫、だと?」
「ええ」

 金、銀に続く高価な金属として有名な錫だが、見た目は銀と変わらない。

「錫は隣国の一部地域でしか採れない、大変貴重な品です。さらに、我が国では取り引きしていない物となっています」
「錫は……そうだな。たしかに、我が国では取り引きされていない。しかしながら、錫の見た目は銀と変わらない。どうして錫だと気付いたのだ?」
「錫は、金属の中で唯一、病を患うからです」
「金属が病になる、だと? そんなの、聞いたことがないが」

 ロンリンギア公爵は訝しげな表情で私を見つめるが、アドルフはその理由に気付いたようだ。
 執務机に駆け寄り、錫のカフスを手に取って確認している。

「たしかに、これは――」
「見せてみろ」

 アドルフはカフスの裏面を向けた状態で、ロンリンギア公爵の手のひらに置いた。

「カフスの端のほうが、ボコボコと突起し、色がくすんでいる。これが、錫の病です」

 錫は寒さにめっぽう弱い。低温に晒されると、じわじわと病に侵食されていくように変色し、最終的にはボロボロに朽ちてしまう。
 隣国よりも北のほうに位置する我が国に持ち運ぶと、錫はこのような状態になってしまう。これが、病の正体だ。

「隣国から我が国へやってくるさいには竜に乗り、大きな山を越えなければなりません。空の上で氷点下にさらされた錫は、そのような状態になってしまうのです」

 これが、長年我が国と隣国の間で錫の取り引きがなかった理由である。
 錫の特性については、錬金術の授業で聞いていたのだ。偶然、それが役に立ったというわけである。

「なるほど、病を発症した錫のカフスを付けた男に襲撃された、か。これはたしかな証拠になりうるな」

 ロンリンギア公爵は隣国に抗議するという。それを聞いてホッと胸をなで下ろした。
 抗議どうこうよりも、私に関する疑いが晴れたので、それが何よりも嬉しかった。

「今晩は泊まるように。明日の朝に、改めて報告しよう」
「承知いたしました」

 襲撃されたあとなのでロンリンギア公爵家に残るのは恐ろしいが、隣国の者が本気で命を狙うのならば、どこにいても一緒だろう。
 まだ、ロンリンギア公爵の睨みが利いている屋敷にいるほうがマシなのかもしれない。

「それにしても、小娘、お前はなかなか肝が据わっているな。襲撃を受けながら、確かな証拠を確保していたとは」

 私の負けず嫌いが、ここでも出てしまったようだ。普通のお嬢様は、ここまで食い下がることなどできないだろう。

「小娘、名前はなんだったか?」
「リオニー、です」
「覚えておこう」

 ロンリンギア公爵は手を振って邪魔者を追い払うように、私達に下がるよう命じた。
 アドルフは私の手を握り、私室へと導いてくれた。
 丁寧に長椅子を勧め、ホットミルクを作ってくれるという。

「ホットミルクまで作れるのですね」
「従僕相手に紅茶を淹れる練習をさせていたら、夜眠れなくなったと抗議されてな。料理長からよく眠れる飲み物を教えてくれと言ったら、ホットミルクのレシピを伝授してもらった」

 紅茶には興奮作用がある物質が含まれている。そのため、夜に飲むと眠れなくなることがあるようだ。
 小さな鍋にミルクティー用に置いてあったミルクを注ぎ、魔石|焜炉(コンロ)で温める。蜂蜜をたっぷり垂らし、カップに注いでくれた。

「お口に合うといいのだが」
「ありがとうございます」

 蜂蜜の甘さが優しい、おいしいホットミルクだった。ようやくここで、心が落ち着いたように思える。

「それにしても、よく錫について知っていたな。もしや、リオルから聞いたのか?」
「え、ええ。そうなんです」
「やはり、そうだったか」

 なんとか誤魔化せたようで、胸を撫で下ろす。

「リオニー、せっかくの降誕祭パーティーだったのに、怖い思いをさせてしまい、申し訳なかった」
「いいえ、お気になさらず。私はこうして、助けていただきましたので」

 アドルフは私を抱きしめ、本当にすまなかった、と重ねて謝罪した。


 それから私が一晩泊まる部屋に案内される。
 離れにある客室だろうと思っていたのだが、アドルフの私室の隣だった。

「客間は親戚達で埋まっているから、ここを使うといい」

 そこは天蓋付きの寝台が置かれた寝室である。

「こちらは――どなたかのお部屋でしたの?」

 客用という雰囲気ではない。アドルフの隣なので、家族のために用意された部屋だろう。
 
「ここは、その」

 アドルフは顔を逸らし、俯く。
 もしや、グリンゼル地方で療養している、薔薇の花束と恋文を贈っていた相手のためにしつらえた部屋だったのか。

「アドルフの大切な方のために、用意した部屋ですの?」
「まあ、そうだな」

 やはり、と思ったのと同時に、胸が苦しくなる。
 私なんかがここで休んでもいいものか――なんて思っていたら、想定外の説明を受けた。

「リオニーが結婚後、ここを使えるように、以前から用意していた」
「わたくしの、お部屋?」
「ああ」

 結婚し、離婚するまでは、私を正式な妻扱いしてくれる、というわけなのか。
 
「ありがとうございます。嬉しいです」
「まだ未完成だが、眠るだけならば問題ないだろう。自分の家だと思って、寛いでほしい」
「はい」

 アドルフの部屋とは続き部屋になっているようで、好きなときに行き来できるらしい。

「結婚するまで、この部屋を通って俺がやってくることはない」

 今晩はエルガーを番犬として、寝室に置いてくれるらしい。少しの物音でも目覚めるというので、頼りになる用心棒だろう。

「ヴァイグブルグ伯爵家には早打ちの馬を送っておいたから」
「感謝します」

 父は不在で、リオルは帰宅しない私を心配なんてしないだろうが、アドルフの心遣いが嬉しかった。

「侍女に湯を用意させた。隣が浴室となっている。好きに使うといい」
「ありがとうございます」

 何かあったときは、すぐに呼ぶように、とアドルフは私の手を握りながら言う。
 その温もりを感じながら、こくりと頷いたのだった。

「では、また明日」
「ええ」
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」

 アドルフの思いのほか優しい「おやすみ」に、くすぐったい気持ちになる。
 結婚したら、毎日言い合うのだろうか。そんな生活が、今の私には想像できなかった。

 お風呂に入りながら思う。
 アドルフはこれまで、想いを寄せる女性について匂わせたり、発言から察することができたりしなかった。
 事情を知らなければ、婚約者を過保護なまでに大事にする優しい男性である。
 私ひとりだけが、うじうじと見たこともない女性相手に嫉妬し、自分なんてと卑下していた。
 もう、そういうことは止めよう。今、この瞬間から。
 アドルフはきっと、結婚しても私を尊重し、大切にしてくれる。
 私も彼を尊重し、大切に思わなければならない。
 一日の汗と一緒に、卑屈で嫉妬深い醜い感情を洗い流した。

 初めて、ロンリンギア公爵家で一夜を過ごす。
 まさか、結婚するよりも先に、こういう機会が訪れるとは思っていなかった。
 ロンリンギア公爵家の女性陣を敵に回し、ミュリーヌ王女に出会い、思いがけない襲撃を受け、今に至る。
 今晩は眠れないのではないか、と思っていたものの、傍にエルガーがいる安心感からか、横になった途端に眠ってしまった。

 翌日――ロンリンギア公爵より呼び出しを受ける。調査の結果が出たらしい。
 途中報告のみかと思っていたが、仕事がかなり早い。

「犯人はミュリーヌ王女の侍女と付き合いがある男――ということだった」

 アドルフに振られてしまったミュリーヌ王女に同情し、私を亡き者にしようと画策したらしい。逃走のさいに展開された転移魔法は隣国にて高値で販売されている、魔法巻物(スクロール)を使ったものだったようだ。

「隣国側は罪を認め、ミュリーヌ王女は今後アドルフへ干渉しない、ということまで約束を取り付けた」

 今後、多額の賠償金が私に支払われるらしい。その代わり、事件について口外しないように、という条件が掲げられたようだ。

 アドルフは険しい表情で苦言を呈する。

「それは賠償金ではなく、口止め料では?」
「言ってやるな。相手が隣国の王族である以上、こちら側もあまり強く出られない」

 事件をきっかけに、隣国との友好関係が崩れたら大変だ。その辺の大人の事情は理解できる。

「まあ、侍女の男がどうこう言っていたが、今回の事件は王女殿下がけしかけた事件だろう。隣国側が罪を認めただけでも、儲けものだ」

 錫のカフスのおかげで、話を有利に進めることができたらしい。

「王女も喧嘩をふっかけた相手が悪かったな。取るに足らない女だと思って、粗末な方法でも仕留められると思ったのだろうが」

 ロンリンギア公爵は何を思ったのか、くつくつと笑い始める。

「外交官の焦った表情は、見物だったぞ。よくやった、小娘」

 昨日、名前をわざわざ聞いたのに、またしても小娘呼びである。きちんと覚える気がないのか。呆れたの一言であった。

「しばらく身辺に気を付けるように」
「はい」

 深々と頭を下げ、ロンリンギア公爵の執務室から出る。
 もう家に帰っていいというので、帰宅させてもらおう。

「アドルフ、ありがとうございました。わたくしはここで」

 中央街に出たら、乗り合いの馬車があるだろう。そう思っていたのに、アドルフに引き留められる。

「家まで送ろう」
「ええ、その、ありがとうございます」  

 アドルフはご丁寧にも、ロンリンギア公爵家の馬車で家まで送ってくれた。
 リオルに会ってから帰る、と言ったときには焦ったが、きっと夜更かしして昼まで眠っているだろうと伝えると、そのまま帰っていった。

 朝帰りした私を待っていたのは、チキンだった。

『帰ってくるのが遅いちゅり!』
「ごめんなさい。ちょっといろいろあって」
『もう、置いていかないでほしいちゅりよ!』

 襲撃された件を振り返ると、チキンを傍に置いておけばよかったと後悔が募る。
 これからはどこかにチキンを忍ばせておかなければならない。
 そう誓ったのだった。