「あの、その、申し訳――」
「リオニー嬢の傍を離れなければよかった」

 それは独り言のような言葉だった。
 苛ついているようだが、怒りの矛先は私ではないような気がする。
 たぶん、彼は自分自身に腹を立てているのだろう。
 表情や視線、発する空気から察してしまった。
 なんて言葉をかけていいものか、わからなかった。今は彼の発言を待つ。

「魔法学校の生徒がたくさん行きそうな場所は避けていたのに」
「わたくしと一緒にいるのを目撃されたら、恥ずかしいから?」

 聞くのを我慢していたのに、ついつい疑問を口にしてしまった。
 アドルフは傷ついたような表情で私を見る。

「それは違う! 魔法学校の者たちがリオニー嬢を見たら、興味を持ってしまうと思ったからだ」
「ああ、そういうことでしたか」

 ランハートもリオルとそっくりだと驚いていた。いちいち絡まれていたらキリがないので、配慮してくれたのかもしれない。
 ありがたい話だが、正直、私は誰にも紹介したくない婚約者なのだと思い込み、少しだけショックを受けていたのだ。あらかじめ、説明してほしかったと思う。

「それだけではなくて」
「なんですの?」

 小首を傾げつつ、アドルフに質問を投げかける。
 目が合うとアドルフは頬を赤く染めつつ、視線を逸らした。
 すぐに話しそうになかったので、予想を立ててみる。

「婚約者としての義務を果たしているところを、クラスメイトに見られるのが恥ずかしかった、とか?」
「それは違う! こうしてリオニー嬢と会うことを、義務だとか思っていない!」
「でしたら、監督生としての立場がなくなるとか?」
「なくならない!」
「うーーん」

 いったいアドルフはなぜ、私を同級生に会わせたくなかったのか。謎が深まる。

「同級生を避けていた理由(わけ)は」
「理由は?」

 アドルフは顔を赤くするだけでなく、汗も掻いていた。
 彼がここまで追い詰められたような様子を見せるのは初めてである。
 魔法学校に入学した当初の私が見ていたら、大笑いしていただろう。
 今は、どうしたのかと心配になるばかりだ。

 ハンカチを取り出し、アドルフの額の汗を拭いてあげる。
 一学年のときは私よりも背が低かったのに、この二年でずいぶん伸びた。
 今では見上げるくらい、背が高くなっている。
 アドルフは私の行動に驚いたからか、体を仰け反らせる。

「あの、アドルフ。そのように体を傾けられては、汗が拭けません」
「あ、汗?」
「ええ。びっしょりと汗を掻いております」

 アドルフは額に手をやり、ハッとなる。汗を掻いている意識もないほど、余裕がなかったようだ。

 アドルフにハンカチを手渡してから、再びベンチに腰かける。

「それで、理由をお聞かせいただけますか?」
「理由、理由は――」

 意を決したのか、アドルフは力強い瞳で私を見つめる。
 そして、驚きの理由を口にした。

「同級生がリオニー嬢に出会ってしまったら、好きになると思ったから」
「はい?」

 彼はいったい何をいっているのか、という追及を「はい?」の一言に込める。
 アドルフは耳まで真っ赤にさせていた。

「あの、おっしゃっている意味が、よくわからないのですが?」
「そうだと思っていた。リオニー嬢は、自分の魅力に気づいていない。だから、ランハート・フォン・レイダーにあのような行動を――!!」

 何やらぶつくさ言っていたようだが、早口かつ低い声だったので聞き取れなかった。
 同級生に会わせたくない理由はよくわからないものだったが、これ以上追及しても、納得する答えなんぞ聞けないだろう。
 この問題については、頭の隅に追いやることにした。

「リオニー嬢、すまない。飲み物を落としてしまった」
「よろしくってよ」

 ガラス製のコップを落としたのは芝生の上だったので、割れていなかった。
 拾おうと立ち上がったが、アドルフが素早く回収した。

「新しいものを買わないと」
「いいえ、大丈夫。もう帰りましょう」
「具合は?」

 そう聞かれ、思い出す。
 先ほど、私はアドルフへの恋心に気づき、青くなったり、赤くなったり異変を露呈していたのだ。
 いろいろあったせいで、すっかり忘れていた。
 意識してしまい、まともに顔も見られないような状況だったが、リオルやランハートの出現で緊張が解れた。
 かと言って、ふたりに感謝なんてしたくないのだが。

「では、別荘まで送ろう」
「……」

 リオルとアドルフが鉢合わせしてしまったら大問題である。
 けれどまあ、先ほど睨みを利かせていたので大丈夫だろう。たぶん。

「よろしくお願いします」

 そう言葉を返すと、アドルフは明らかに安堵した表情を見せる。
 差し出された手に、指先を重ねる。
 具合が悪かった私を慮り、ゆっくりゆっくり歩いてくれた。
 婚約したばかりの頃は、足早に進むときもあった。最初は憤っていたものの、それがアドルフのごくごく普通の歩く速度だと知ったのはずっとあとだった。
 彼はこの二年間で変わった。三学年となり、大人の男性のようになりつつあった。
 魔法学校を卒業したら私たちは結婚をして、そのあとは――。
 胸がちくりと痛む。
 アドルフが毎週のように薔薇と恋文を贈っていたなんて、聞かなかったらよかった。
 けれども、知らなかったらアドルフに深く干渉し、彼の本質を垣間見ることはなかっただろう。

「あの、アドルフ」
「なんだ?」
「子どもは何人欲しいのですか?」

 そう問いかけると、アドルフは歩みを止める。
 顔を真っ赤にさせた上に、信じがたいという表情で私を見つめていた。

「わたくし、何かおかしなことを申しましたか?」
「い、いや、その、なんていうか、そういう話は、結婚してからするものだと思っていたから」
「別に、結婚することは決まっているのですから、いつ聞いてもおかしくはないのでは?」
「そ、そうだな」

 私の指摘を受け、アドルフは真剣に考え始める。

「俺は弟妹(きょうだい)がいなかったから、いたら楽しいだろうな、と思っていた」
「おふたり、もしくはそれ以上、欲しいのですか?」

 そう問いかけた瞬間、眉間にギュッと皺が寄る。

「いや、出産は女性の体への負担が大きい。魔法で痛みを軽減できても、目に見えないダメージは残ると、医学書に書いてあった」
「ええ」

 出産は命がけだ。母を亡くした私は、特にそう思っている。
 今、健康で生きていられることに、心底感謝していた。

「子どもはひとりでいい。男でも女でも、養子であっても、爵位が継げるように国王陛下へ陳情するつもりだ」

 彼ははっきり、養子と口にした。
 暗に、子どもが産める体でなくても大丈夫、と示しているのだろう。
 それはきっと、将来結婚するであろう、彼の想い人に対する配慮なのかもしれない。
 ずっとここで療養していると聞いた。きっと、子どもを産める体力はないのだろう。

「これは大事な話題だったな。結婚する前に話せて、よかったと思っている」
「わたくしも」

 アドルフと肩を並べ、別荘に戻る。
 リオルと遭遇することもなく、無事、送り届けてもらった。 

 ◇◇◇

「リオルーーーーー!!」

 部屋で本を読んでいると執事から聞いたが、訪ねるとソファの上でぐっすり眠っていた。

「リオル、起きなさい! リオル!」
「うーーん、何?」
「何、ではありません。あなた、どうして出歩いていましたの? あれほど、家で大人しくしているように言ったのに」
「うるさ。耳にキーンと響く」
「あなたが悪いのですよ!」

 リオルはのろのろと起き上がり、のんきに背伸びをする。
 そして、外出の理由を語った。

「いや、澄まし顔の姉上を見にいっただけなんだけれど」
「あなたという子は……」

 彼に関しては、何を言っても無駄なのだろう。
 がっくりと肩を落としてしまう。

「一緒にいたのがアドルフ・フォン・ロンリンギア?」
「違います。彼はクラスメイトです」
「なんでクラスメイトを、熱烈に抱きしめていたの? 意味がわからないんだけれど」
「そ、それは! あなたがいたから、隠すためです!!」
 
 もう、これ以上話すことはない。回れ右をしようとした瞬間、リオルが待ってと引き留めてきた。

「姉上、僕は今日、王都に戻るよ。なんていうか、実家じゃない場所は落ち着かないから」
「落ち着かないってあなた、今までぐっすり眠っていたではありませんか」 
「さっきのは仮眠」

 ひとまず王都に戻るというので、ホッと胸をなで下ろした。

「姉上たちは竜車で来たんでしょう?」
「ええ」
「訓練生の竜車に乗るとか、怖いもの知らずだよね。信じられない」
「補助する教官はきちんといましたから」
「それでも、落下の危険はゼロではないのに」
「まあ、そうですけれど」

 私はアドルフのおかげで、教官の竜車に乗っていたなんて言えなかった。

 ◇◇◇

 その後、アドルフへのお詫びとして、クッキーを焼いた。
 ここ最近バタバタと忙しかったので、こうしてクッキーを作るのは久しぶりである。
 今日は時間があるので、少しだけ手が込んだクッキーを作ろう。
 小麦粉とコンスターチを合わせて作る、絞り出しクッキーだ。
 このタイプのクッキー生地は他のものと比べてやわらかく、型抜きができない。そのため、袋に入れて絞り出すのだ。
 まず、バターをクリーム状にホイップし、粉砂糖を入れて混ぜる。あまり混ぜすぎると、焼いたあとに崩壊しやすくなるという。そのため、撹拌はほどほどに。
 これに卵白を少しずつ加え、小麦粉とコンスターチをふるいにかけながら投入。これも混ぜすぎたら食感が悪くなるので、ほどよい感じに。
 生地は紅茶味とベリー味、プレーンの三種類にしてみた。
 星口金を入れた袋に生地を入れ、油を薄く塗った鉄板に絞っていく。
 十五分ほど焼いたら、絞り出しクッキーの完成だ。
 よく冷ましてから、缶に詰めていく。
 ランハートにもお詫びとして渡したいが、前回のようにアドルフに見つかったら面倒な事態になる。
 彼には別荘の菓子職人が作ったベリー・マフィンを持っていこう。

 リオルが王都に帰っていく様子を見送ったあと、身なりを整える。
 お風呂に入って香水などの匂いを落としておく。
 魔法学校の制服に着替え、お詫びのクッキーとマフィンを持って別荘を出る。
 太陽が傾きつつあった。あっという間に一日が過ぎていく。
 小住宅に戻ると、アドルフが小難しい表情で本を読んでいた。

「リオル、戻ったか」
「うん」

 何を読んでいるのかと覗き込むと、〝小熊騎士の大冒険〟という子ども向けの児童書だった。

「それ、どうしたの?」
「寝台の下に落ちていた。誰かが忘れたのだろう」
「そのシリーズ〝熊騎士の大冒険〟のほうが面白いよ」
「小熊から読むのではないのか?」
「それは、熊騎士の大冒険の子ども世代の話だから」
「そうだったのか!」

 思いのほか、面白かったという。その昔、リオルが読んで「子ども騙しだ」なんて言っているのを思いだし、笑いそうになった。

「あ、そうそう。これ、姉上から預かってきた。手作りクッキーらしい」

 クッキー缶を差し出すと、アドルフの表情がパッと明るくなる。
 さすが、クッキー暴君といったところか。

「今日のお詫――いや、お礼だって」
「そうか」

 もうひとつの箱に視線が向く。ジロリと睨んでいるようにも見えた。

「これはランハートのだけれど、うちの菓子職人が作ったマフィンだから」

 缶の蓋を開き、中身を見せる。手作りクッキーでないとわかったので、アドルフはうんうんと頷いていた。
 本当に、彼はクッキーが大好きなのだろう。

「リオル、明日はどうするんだ?」
「ランハートと遊ぶ約束をしている。アドルフは?」
「人に会いに行く」

 胸がドクンと脈打つ。明日、アドルフは想い人に会いにいくのだ。
 ランハートとの予定は、薔薇と恋文を贈っていた想い人の調査であった。
 彼を尾行したら、相手が誰なのかわかるわけだ。

「リオル、あまりはしゃぎすぎるなよ。発見したら、教師に報告するからな」
「わかっている。アドルフも――」
「なんだ?」

 楽しんできて、というシンプルな一言が出てこない。
 きっと彼への恋心が妨害しているのだろう。

「なんでもない。夕食は?」
「まだ」
「だったら、一緒に食べにいこう」

 二日目の夕食は、教師陣特製の鶏の丸焼きとスープ、パンだった。
 どれもおいしくて、楽しい夕食の時間となった。