高校生になってから初めての夏休みが終わっても、相変わらずクラスに馴染めていないような虚しさを感じる。はぶられてるとかいじめられてるとか、そんなんじゃなくて。

朝、教室に入る前に、大きく息を吸ってスイッチを入れる。

教室中に響き渡るほどの大きさで、普段より一オクターヴ高めの声で「おっはよー」って言って、私の存在を認識させる。

返事を返してくれる人は大体決まってるけれど、別にそんなの期待しているわけじゃないから気にしない。これは私なりの儀式。

席に着くと、いつも誰かが私の机の周りに集まってきて、私はようやく安心する。

退屈な授業は家で前日に教科書に目を通しているからなんてことない。いつも通り先生の言ったことをノートに取り、タイミングを見計らって手を挙げてアピールしておけば良い。

授業は真面目に取り組み、休み時間になれば友達に明るく振る舞い、放課後は暗くなるまで友達や先輩達とコンクールに向けて懸命に練習をする。

そんな充実した学生らしい景色の断片を切り取ってSNSにアップロードすることも忘れない。文字を考えるのが面倒だから、写真や動画ばかりだけれど。

いつも通り演じているキラキラした一部始終は、どこかの誰かにとっては必要なものらしく、いつも投稿した直後は通知が鳴り止まない。

初めは鍵垢で投稿していたんだけど、クラスメイトのカヨちゃんに「鍵垢とか闇深いと思われるからやめとけ」って言われてから、勢いに任せて解除してみた。

そしたらものの2、3日で一気にフォロワーが増えてしまって、なんとなく後には引けなくなってしまった。

知らない人が私の日常を覗いていると思うと、ちょっと引いてしまうけど、よく考えればこれは造りものの私であって、決して本当の自分じゃないって、いつの間にか割り切れるようになった。

誰かが押してくれる”いいね”が増えれば何かを達成したような気分になって、それが私の生活の一部分になるのにそう時間は掛からなかった。