ここは日ノ本の中でも、ひときわ活気がある街。
そんな街でも、ここ最近はやけに皆ひっそりとしている。
長いことこの場所に身を置いているあっしとしては、少し変な気分になる。


あっしら遊女は、夜に商売をして生計を立てている身。
空が明るくなった頃に、やっとの思いで床につくことができる。

殿方の相手をして、たいして美味しくもない酒を飲んで、やっと横になることを許してもらえる。


もっとも、ここいらでよく寝られると思ったら大間違い。
あっしらが眠りに着こうとすると同時に、壁の向こうの人々が目を覚まして、活動しだす。

八百屋とか、魚屋とか、その辺の殿方たちが、
大きな声を上げてなにかをしている。

あっしはその辺のことは、よく知らないのだけれども、
きっと野菜などを売るのには、
あれくらいのことをしなくてはいけないのであろう。

あっしは化粧や着物を着て、ただそこに座っていることで、
殿方を呼び寄せる。

そこであれほどの大きな声なんてものを出すということはないし、むしろ出さない方がいい。

ただ静かに、おしとやかに。
そうやって目線を誘うことが、あっしらの役割。

そこまで体力がいる訳でもないし、脚が少しだけ痺れることがあるけれども、声がかれることはない。

そう考えてみると、なんだか少しだけ変な気持ちになる。


あっしらの商売と比べてみると、
あっしらは贅沢な身分なのかもしれないなぁ……なんて。

けれども、この季節になってくると、
その活気もいささか少ない感じがする。

それもそのはず、ここ最近はお天道様の様子がおかしい。

いくらなんでも暑すぎはしないかと……。

朝、太陽が出てきたと同時に、
気が狂いそうになってしまうほどの暑さが襲ってくる。

あんなにも威勢のいい声をあげてらっしゃる殿方も、これではなにもできまいて……。


いうまでもなく、あっしらだってこの暑さには参っている。

お日様が高く昇ればのぼるほど、暑苦しいったらありゃしない。

寝苦しくて寝苦しくて、たまったもんじゃない。
深い眠りに落ちるなんてこともできなくなってくるし、
なんなら途中で目が覚めてしまい、そのまま眠れなくなってしまう。

そんな体のままで、夜に仕事をしなくてはならない。

これでは体がもたなくなってしまう。

夜になってくれればだいぶよくなるとはいえ、着物を何枚も重ねていては、なにかと大変なことに変わりない。

特に殿方に御酌しているときなんて、ほんとうに困ってしまう。
化粧ははがれてしまうから、すぐに直さないといけないし。

着物の中なんて、もっと大変なことになっている。
かといって、その場で着物を脱いでしまうというわけにもいかない。

我慢しなくてはいけないけれども、やはり大変。



こんな時には、あっしらはなにか別のことを考える。

たとえば……そう、物語。



随分と前に書かれた歌物語には、こんな作品に目を通す
どこの段だかはあまり覚えていないけれども……
「雪の積るぞわが心なる」という和歌が記されているところがある。

いまふうになおすのならば、

「降りしきっている雪がつもることは、あっしらにとってはにはむしろ都合よい」
とでもなるだろうか。

たしか、雪が積もっているせいで、帰れない誰かがいるとして、
それはとても都合が悪い気がするけれど……

それでも、あなたと一緒にいることができてうれしい。

そんな意味を込めて詠まれた和歌だったと思う。

こんな作品に目を通していると、
日本人というのは、なんともまあ趣のある方々だと、しみじみ感じる。

白い雪に閉ざされた中でも、こんなにも相手を想ふことができる。
その純粋な心は、あたり一面に舞っている雪よりも白いことだろう。
あっしにも、そんな才能が……そしてそんな心がほしかった……。

これもなんだか不思議な話かもしれないけれど……
暑くて何も手がつかない日に、雪の日のことを思ふ。

今の季節だと、雪ではなく雨になってしまう。

雨だと、多少濡れてでも殿方は、いそいそと帰ってしまう。

あっしの袖が濡れていることには、
きっとお気づきにすらなっていないだろう……。

いや、あっしのことすらも記憶には残っておらなんだろう。

世の中というのは不思議なもので、もう一度お会いしたいと思ふ殿方ほど、一見さんになってしまう。

そうならないのは、そういう殿方ということ。
やはりお天道様というのは、どこかにいるのかもしれない。

あっしの心の中は、物語の雪が目立つくらいに、汚れちまっている。
だからこそ、素直な女子が近くにいると、自然とあっしが引き立て役になってしまう。

白いのは、化粧を施したうわっつらの顔だけ。
それ以外は、なにもかも真っ黒。

はたして、あっしが空に舞い散る雪を見上げることができる日は、もう一度訪れてくれるのだろうか……。