皇帝が病床に伏したとの機密情報を入手した列強諸国の外交官は自らの日記に、このように書いた。
‘高齢にもかかわらず好色で節制を知らなかった老害が遂に死の床に就いた ’
 酷い書き方だが概ね事実だった。間違っている点があるとすれば、皇帝が節制に励んでいたということだろう。
 そう、皇帝は確かに閨事を控えめにしていた。そうしないと身が持たないからだ。それでも若い頃からの習慣は止められない。効果抜群な精力剤の力を借りて頑張る……と書けば「どこが節制してるんだ!」とお叱りの声が飛んできそうだが、性への情熱が並々ならぬ皇帝にしてみたら、一日の回数を自ら制限するというのは大我慢の域に入る。
 そんなことはこの際どうでもいい。皇帝が愛飲した精力剤について触れる。
 それは辺境の山岳地帯でしか採れない貴重な生薬だった。都の宮廷に持って来るのは現地で暮らす山岳民族である。後宮の宦官たちは、山岳民族から生薬を受け取り、皇帝に服用させた……と書いたところで不安を感じた。
 宦官、と書いたが、この存在を知らない読者がいるように思えたのだ。
 簡単に説明すると性器を切除した男性である。男女の間違いを犯す可能性がないので後宮で働くことが許されている。皇帝にしてみれば信用できる使用人なのだが、時に政権を滅ぼす原因となった。秦の趙高、明の魏忠賢は、そう言った宦官の代表格である。
 そして今、皇帝に臨終の時が迫る中で、宦官たちは暗躍を始めた。後継者の擁立に向けて動き出したのだ。
 次の皇帝になる皇太子は既に決まっている。だが宦官たちは、自分たちの操り人形となる傀儡を皇帝にしようと企んだ。皇太子が謀反を起こそうとしていると嘘を言い、意識が朦朧としている皇帝を唆して、皇太子の死罪を命じさせた。命令を受けた兵士たちが宮廷の一角で暮らす皇太子の捕縛に向かう。
 皇太子の側は当然ながら逮捕に抵抗した。宮殿の中で激しい戦いが起こる。皇太子を容易く捕らえられるものと思い込んでいた宦官たちは狼狽した。ここで負けたら終わりである。
 宦官たちは恐慌を来しかけた。逃げ出そうとする輩も現れた。それを叱咤する後宮妃がいた。もう若くはない。かつては皇帝に愛されたが、その美貌はとっくに失われている。それでも、威厳があるのは事実だった。右往左往する軟弱者を怒鳴りつける、殴り飛ばす、あるいは宥める等でパニックを鎮めつつ、彼女は援軍を求める使いを出した。伝令が向かった先は都の外れ、山岳民族の寝泊まりする宿舎である。都と故郷を往復する彼らのために皇帝は特別に土地と建物を用意していたのだった。
 前述した後宮妃は、その山岳民族の出身だった。彼女からの応援要請を受けた山岳民族は宮廷に向かった。その数は数百人に上ったと言われている。故郷へ戻らず都の宿舎で生活する者が多かったのだ。もっとも、数百人程度では広大な宮殿を占拠するのは困難だ。だが、戦力が拮抗している戦場に突如として現れると、それなりの効果がある。しかも、その山岳民族は剽悍で有名だった。都の弱兵が相手なら一人で十人は倒せると噂された戦闘能力を遺憾なく発揮して敵を撃破、哀れ皇太子は囚われて処刑された。
 その頃には皇帝も死んでいたらしい。殺されたとも伝えられているが、詳細は不明だ。
 宦官たちは安心して自分たちの意のままに従う皇帝を擁立しようとした……が、山岳民族に全員が捕らえられ処刑された。山岳民族出身の後宮妃が命じたのである。次に彼女は臨時政府の樹立を宣言した。自らは、その首班に就任した。その根拠は何か? すべて皇帝の遺言だというのである。
 その理屈に納得する者はいない。反発した重臣や将軍らは一斉に反旗を翻した。その軍勢が宮殿に向かう。
 いくら山岳民族が強くても、多勢に無勢。かなうわけがない……と都人たちは予想したが、それは間違いだった。宮殿を包囲した軍隊は敗北し、壊滅的な被害を受けた。
 後宮妃と山岳民族の側が勝ったのは、優秀な武器のおかげだ。宮殿にある高価な宝物と引き換えに列強諸国から最新鋭の装備を手に入れていたのである。機関銃や大砲といった当時の最新兵器は、弓矢と刀槍が標準装備で近代的な武器は火縄銃しか持っていない旧式な軍隊を圧倒した。反乱を起こした重臣や将軍らの大半は銃撃を浴びて死に、生き残った者は降伏して、戦いは終わった。
 後宮妃の側が勝利したと見た列強諸国は、彼女の臨時政府を正統なものとして承認した。
 臨時政府の首班となった後宮妃は皇帝の血を引く者を傀儡の皇帝として自らが政治の実権を握った。
 列強諸国から技術を学ぶ施策を断行し中国の近代化を成し遂げた彼女が、あまり知られていないのは残念に思い投稿する次第だが、求められている物語ではないような気がするので、是非ともお読み下さいとは口が裂けても言えない。