『真菜? 光が、また入院になったの。あの子、今日友達と遊びに行ったみたいで、途中で発作が起きて……』
嫌な予感は的中した。外でのびのびと遊べないことに、光はストレスを抱えていた。そのことで友達が減り、学校でも孤立していた。だから友達に少しでもなじもうと、無理をしてまったのだろう。
「お母さん、今病院なの?」
『職場の人が気を利かせてくれてね。仕事を抜けて、入院の手続きとか、支度はできたの。だけど真菜、今から病院に行って、面会時間ぎりぎりまで光に付き添ってくれない? 今日のあの子、すごく落ち込んでて心配なの』
お母さんの言いたいことは、よくわかった。光は、このところずっと様子がおかしい。
病気である自分を責めているようなふしがあった。笑うこともなくなり、大好きだったゲームもしなくなり、ぼうっと宙を見つめていることが目立つようになっていた。
今誰かがそばにいないと、光はダメになってしまうかもしれない。
『ごめんね、塾なのに』
「一日くらい、大丈夫だから。すぐに行くね」
光の病室の番号を聞いて、すぐに電話を切った。
「光くん、また入院……?」
夏葉が、心配そうに聞いてくる。
「そう。ごめんね夏葉、約束してたのに」
「ううん。私のことは大丈夫だから、すぐに行ってあげて」
いつものバスに乗り、K大付属病院に向かう。
寒さの中見上げた空は、まばゆいほど澄んだ青だった。
入院病棟のエントランスを抜けて、光の病室がある二階を目指す。エレベーターはまだ来そうになかったから、階段で上がることにした。二階までなら、階段でもすぐだ。
階段から二階の廊下に出ると、ナースステーションが目の前だった。横をすり抜け、光の居室を目指す。
今回、光は六人部屋だ。同室は、子供だけじゃないみたい。空きがなくて、大人と一緒の部屋になったのだろう。入り口のプレートで示された右側の真ん中のカーテンをシャッと開けると、そこには、きれいに布団がたたまれたベッドがあるだけだった。
「光……?」
一瞬、間違えたのかと思った。だけど棚に置かれたボストンバッグは、間違いなく光が入院のたびに使っているもので、置かれているタオルやコップにも見覚えがある。
トイレだったらいいけど……。
様子がおかしかっただけに、少し心配だ。
再び廊下に出て、光を求め、あたりを散策する。しばらく行くと、前に光が入院していたふたり部屋のとなりに、小さなドアを見つけた。ドアは少しだけ開いていて、風に煽られ、蝶番がギイギイと音をたてている。おそらく、内側のドアが開いているのだろう。
「………」
なんとなく、吸い寄せられるように、そこに向かって歩んでいた。前に光がとなりの部屋に入院していた時は、物置か何かだろうと、気にも留めなかったのに。ちょうど廊下の果てにあるこのドアは、ほとんど目立たない。
「真菜ちゃん!」
すると、すぐ近くから声がした。
振り返れば、顔なじみの看護師の近藤さんが、廊下の中腹で人好きのする笑顔を浮かべている。どうやら、夢中で光を探すあまり、彼女の前を通り過ぎてしまったみたい。
「近藤さん。光、見ませんでしたか?」
近藤さんに声を掛けてから、私は凍り付いたように足を止めた。
彼女の向かいに、思いもしなかった人物がいたからだ。
それは、桜人だった。
午前中の授業が終わって、直接ここに来たのだろう。紺色のブレザーにズボン。制服の上に、グレーのマフラーを巻いている。手にはスクールバッグの他に、パンパンになった紙袋が握られていた。
――どうして、桜人がここに?
桜人は束の間私と目を合わせたあと、すぐに気まずそうに伏せた。
微妙な雰囲気の私と桜人の様子に気づいたのか、人のいい近藤さんが、間を取りなすように明るい声を出す。
「小瀬川桜人くんよ。子供の頃、ここに入院してたの。今でも定期的に来て、こうやって図書室に本を寄付してくれるのよ」
「……図書室?」
驚きが重なり過ぎて、ようやく聞けたのは、そのひと言だった。近藤さんが、「そう、そこの図書室。小さいから、あまり知られてないけどね」と蝶番がキイキイいっている小さなドアを指差す。
だけどもはや、私の頭には、その声は届いていなかった。
『子供の頃、ここに入院してたの』
先ほどの近藤さんの言葉が、繰り返し、頭の中で鳴り響いている。
あまりにも予想外のことで、気持ちがまとまらない。
桜人が、ここに、入院していた――?
すると近藤さんが、ハッとしたように口元に手を当て、私と桜人を見比べる。
「ていうかあなたたち、同じ学校の制服じゃない? もしかして、知り合いだったりする?」
――バタン!
ゆらゆらしていた扉が、そこで、勢いよく閉まった。近藤さんも気づいたようで、首を傾げる。
「あら、図書室の窓が開いてるのかしら? 開けた覚えはないけど……」
そのとき、背中を悪寒が走った。
何かがおかしい。頭の中で警笛が鳴り、気づけば私は、閉まったばかりの図書室のドアを開けていた。
とたんに、冷たい風が、一気に廊下に吹き荒れる。
そこは、文芸部の部室よりもさらに小さな部屋だった。
左右の壁に書架があり、さまざまな本が並んでいる。
そして真正面にある窓には、光がいた。
光は、何を思ったか窓枠に足をかけていた。全開にされた窓は、光が身体をくぐらせるには充分な大きさで、今にも外に飛び出してしまいそうな勢いだ。
私は顔面蒼白になり、夢中で叫んだ。
「光、なにやってるの……!?」
嫌な予感は的中した。外でのびのびと遊べないことに、光はストレスを抱えていた。そのことで友達が減り、学校でも孤立していた。だから友達に少しでもなじもうと、無理をしてまったのだろう。
「お母さん、今病院なの?」
『職場の人が気を利かせてくれてね。仕事を抜けて、入院の手続きとか、支度はできたの。だけど真菜、今から病院に行って、面会時間ぎりぎりまで光に付き添ってくれない? 今日のあの子、すごく落ち込んでて心配なの』
お母さんの言いたいことは、よくわかった。光は、このところずっと様子がおかしい。
病気である自分を責めているようなふしがあった。笑うこともなくなり、大好きだったゲームもしなくなり、ぼうっと宙を見つめていることが目立つようになっていた。
今誰かがそばにいないと、光はダメになってしまうかもしれない。
『ごめんね、塾なのに』
「一日くらい、大丈夫だから。すぐに行くね」
光の病室の番号を聞いて、すぐに電話を切った。
「光くん、また入院……?」
夏葉が、心配そうに聞いてくる。
「そう。ごめんね夏葉、約束してたのに」
「ううん。私のことは大丈夫だから、すぐに行ってあげて」
いつものバスに乗り、K大付属病院に向かう。
寒さの中見上げた空は、まばゆいほど澄んだ青だった。
入院病棟のエントランスを抜けて、光の病室がある二階を目指す。エレベーターはまだ来そうになかったから、階段で上がることにした。二階までなら、階段でもすぐだ。
階段から二階の廊下に出ると、ナースステーションが目の前だった。横をすり抜け、光の居室を目指す。
今回、光は六人部屋だ。同室は、子供だけじゃないみたい。空きがなくて、大人と一緒の部屋になったのだろう。入り口のプレートで示された右側の真ん中のカーテンをシャッと開けると、そこには、きれいに布団がたたまれたベッドがあるだけだった。
「光……?」
一瞬、間違えたのかと思った。だけど棚に置かれたボストンバッグは、間違いなく光が入院のたびに使っているもので、置かれているタオルやコップにも見覚えがある。
トイレだったらいいけど……。
様子がおかしかっただけに、少し心配だ。
再び廊下に出て、光を求め、あたりを散策する。しばらく行くと、前に光が入院していたふたり部屋のとなりに、小さなドアを見つけた。ドアは少しだけ開いていて、風に煽られ、蝶番がギイギイと音をたてている。おそらく、内側のドアが開いているのだろう。
「………」
なんとなく、吸い寄せられるように、そこに向かって歩んでいた。前に光がとなりの部屋に入院していた時は、物置か何かだろうと、気にも留めなかったのに。ちょうど廊下の果てにあるこのドアは、ほとんど目立たない。
「真菜ちゃん!」
すると、すぐ近くから声がした。
振り返れば、顔なじみの看護師の近藤さんが、廊下の中腹で人好きのする笑顔を浮かべている。どうやら、夢中で光を探すあまり、彼女の前を通り過ぎてしまったみたい。
「近藤さん。光、見ませんでしたか?」
近藤さんに声を掛けてから、私は凍り付いたように足を止めた。
彼女の向かいに、思いもしなかった人物がいたからだ。
それは、桜人だった。
午前中の授業が終わって、直接ここに来たのだろう。紺色のブレザーにズボン。制服の上に、グレーのマフラーを巻いている。手にはスクールバッグの他に、パンパンになった紙袋が握られていた。
――どうして、桜人がここに?
桜人は束の間私と目を合わせたあと、すぐに気まずそうに伏せた。
微妙な雰囲気の私と桜人の様子に気づいたのか、人のいい近藤さんが、間を取りなすように明るい声を出す。
「小瀬川桜人くんよ。子供の頃、ここに入院してたの。今でも定期的に来て、こうやって図書室に本を寄付してくれるのよ」
「……図書室?」
驚きが重なり過ぎて、ようやく聞けたのは、そのひと言だった。近藤さんが、「そう、そこの図書室。小さいから、あまり知られてないけどね」と蝶番がキイキイいっている小さなドアを指差す。
だけどもはや、私の頭には、その声は届いていなかった。
『子供の頃、ここに入院してたの』
先ほどの近藤さんの言葉が、繰り返し、頭の中で鳴り響いている。
あまりにも予想外のことで、気持ちがまとまらない。
桜人が、ここに、入院していた――?
すると近藤さんが、ハッとしたように口元に手を当て、私と桜人を見比べる。
「ていうかあなたたち、同じ学校の制服じゃない? もしかして、知り合いだったりする?」
――バタン!
ゆらゆらしていた扉が、そこで、勢いよく閉まった。近藤さんも気づいたようで、首を傾げる。
「あら、図書室の窓が開いてるのかしら? 開けた覚えはないけど……」
そのとき、背中を悪寒が走った。
何かがおかしい。頭の中で警笛が鳴り、気づけば私は、閉まったばかりの図書室のドアを開けていた。
とたんに、冷たい風が、一気に廊下に吹き荒れる。
そこは、文芸部の部室よりもさらに小さな部屋だった。
左右の壁に書架があり、さまざまな本が並んでいる。
そして真正面にある窓には、光がいた。
光は、何を思ったか窓枠に足をかけていた。全開にされた窓は、光が身体をくぐらせるには充分な大きさで、今にも外に飛び出してしまいそうな勢いだ。
私は顔面蒼白になり、夢中で叫んだ。
「光、なにやってるの……!?」