「付き合ってるの?」

いよいよ文化祭まであと一週間という九月の終わり。

新学期が始まっても続いていた猛暑が、少しずつ和らぎ、ようやく秋の気配を感じるようになった昼休み。いつもの中庭のベンチで、お弁当に箸をつけながら、夏葉が唐突にそんなことを聞いてきた。

「へ?」

意味が分からず、卵焼きを口に入れたまま、間抜け顔で聞き返してしまう。

「真菜と小瀬川くん。噂になってるよ」

したり顔の夏葉の顔を見て、一瞬、むせ込みそうになった。どうにか卵焼きを飲み下し、お茶をひと口飲んでから、ようやく口を開く。

「つ、付き合ってないよ……!」

「霜月川の花火大会で一緒にいるところを、見た子がいるんだって」

どうやら、私の知らないところで、目撃情報が広まっていたらしい。

「委員も部活も一緒だし、付き合ってるの確定って思われてるみたいよ」

「……だから、付き合ってないから!」

噂って、本当にひとり歩きしてしまうんだ、恐ろしい。

夏葉は、「そうなの? なんだ」と残念そうな顔をした。

「花火大会では、たまたま会って、一緒に行くことになったの。私がひとりだったから、心配してくれて……」

「ひとりで花火大会行こうとしてたの? どうして?」

不審そうな顔を浮かべる夏葉。

私は、お弁当を片手にこちらを見ている夏葉を見つめた。

それを話すと、弟のこと、そして母子家庭であることも知られてしまう。だけど。

『――自分の家庭環境を卑屈にしてんのは、お前自身だろ?』

桜人のその言葉は、今はより色濃く胸の奥に残っていた。

もう、怖くはない。美織と杏だって受け入れてくれたし、夏葉なら絶対大丈夫。

私は、家のこと、光の病気のこと、そしてあの日光のためにひとりで花火大会に足を運ぼうとしたことを、夏葉に話した。夏葉はときどき相槌を打ちながら、黙って聞いてくれた。

「……やっと言ってくれた」

語り終えたとき、夏葉がどこかホッとしたように言った。

「真菜が自分の家庭に、後ろめたさを感じてることにはずっと気づいてた。だから、そんな大事なことを、勇気を出して私に話してくれてうれしい」

「夏葉……」

夏葉の優しさに、目元が潤む。どうして私は、夏葉にもっと早く自分をさらけ出さなかったのだろう。でも臆病な私は、夏葉のことが大事だからこそ、中学のときの友達みたいに、失いたくなかったんだ。 

夏葉には、もう何も隠したくない。

私は、中学の時のつらい思い出も話した。だからずっと、夏葉に自分を隠していたこと。

夏葉は全部、私の気持ちを受け入れてくれた。

「夏葉と友達で、本当によかった……」

感極まってそう言うと、夏葉は少しバツが悪そうに頭を掻く。

「あー、そのことなんだけど……」

首を傾げると、夏葉は意を決したように、私と向かい合う。

「私も真菜に秘密作りたくないから、全部言うね。私が真菜に声かけたきっかけはね、小瀬川くんに言われたからなの」

「え、そうだったの……?」

「でも、誤解しないで。真菜とずっと話したかって言うのは本心。小瀬川くんは、踏み切れないでいた私の背中を押してくれたの」

「……そうだったんだ。ううん、誤解なんてしてない」

「よかった。『水田さんに声かけて欲しい』って急に言われてね。小瀬川くんと同中だった女子って私だけだから、言いやすかったんじゃないかな」

なんで桜人がそんなこと……。頭の中がぐるぐるしている。美織と杏と離れるきっかけを作ったのは彼だから、責任を感じてたのかもしれない。数カ月越しに知る桜人の優しさに、じんとする。

呆然と桜人に想いを馳せていると、夏葉がそっと微笑んだ。

「小瀬川くん、真菜のことが好きなんだと思う」

そんなことを藪から棒に言われ、固まってしまった。

「前に言ったの覚えてる? 高校に入ってから、小瀬川くん雰囲気変わったって。明るくてクラスのリーダー的存在だったのに、突然寡黙になって誰ともつるまなくなったって」

「……うん、覚えてる」

そのことは、ずっと気になっていた。

なにがきっかけで、桜人が変わってしまったのか。

知りたいけど、知るのもおこがましい気がしている。

「もうひとつ、変わったことがあるの。同じクラスになってすぐの頃から、小瀬川くん、よく真菜のこと見てた。今までは、女子に興味なさそうだったのに、大きな変化だよ。フラれたって子の話、たくさん聞いたし」

驚いて、思わず呆けてしまった。

クラス替え当初から、桜人が私を見てたなんて、考えられない。

「それは、気のせいだと思う。部活とか委員とか一緒にやるようになってからは違うけど……二年になってすぐの頃は、目が合うことすらなかったよ」

「真菜に気づかれないところで、見てる感じかな。ほら、私、小瀬川くんより後ろの席だからよく見えたの。真菜は、ずっと小瀬川くんより前の席だったでしょ? 真菜のこと見てて、真菜が振り返ったら、小瀬川くん窓の方向いちゃうの」

たしかに、彼は見るたびに窓の外を眺めているイメージだった。

どうしよう。勝手に、胸が高鳴って、居ても立っても居られない気持ちになってしまう。

そんな私の様子を見て、ふっと夏葉が笑顔を浮かべた。

「真菜は好きなの? 小瀬川くんのこと」

そろりと目を上げ、夏葉を見る。

すっかり赤く染まってしまった顔では、もう隠しようがない。

「……多分、好きなんだと思う」

「多分?」

「分からないけど、私がつらいときに、桜人はいつも気づいてくれて……」

桜人はいつも、見えないところから、私を支えてくれた。

「臆病な私を、叱ってくれて……」

逃げるなよ、といった厳しい彼の口調。今にして思えば、あれほど優しくて思いやりのある言葉を、私は知らない。

まるで、陽だまりのような人だ。

天気のいい日には煌めくような輝きを、日射しの穏やかな日には柔らかな光を。そして曇りの日も雨の日も、雲のずっと上から、途切れることなく私を包み込んでくれる。

「でも私は何かをしてもらってばかりで、彼の役に立ててないことが……ときどき悲しくなる」

時折ふっと見せる悲しげな表情や、言葉を濁す感じ。

桜人は、私との間に築いた境界線を解いてはくれない。

彼に近づけば近づくほど、私はそれをはっきりと感じてしまう。

「誰かのために何かをしたいって気持ちは、“好き”ってことだよ」

夏葉が、私を諭すように言った。

「応援してるから。ふたりのこと」

「ありがとう……」

夏葉の優しさに泣きそうになりながら、私は深く頷いた。