美織と杏が協力するようになってから、文化祭準備のときのクラスのムードが、一気に変わった。もともとしっかりしているのもあって、美織は皆を仕切っていく。そこになぜか浦部さんが闘志を燃やして、ふたりで仕切り争いみたいになっていた。だけどおかげで、作業は予想以上のペースで進んだ。

桜人はバイトに行ったのか、今日はいなかった。だから、質問事項は全部私にやってきた。困ったときは、美織や夏葉がそっと助言してくれて――その日の居残りは、すごくいい雰囲気で終わった。

学校を出て、いつものバスに乗る。藍色に染まる見慣れたはずの景色が、初めて見る景色みたいに、澄みわたって見えた。家の最寄りのバス停がアナウンスされ、座席に置いたバッグを手に取ろうとしたけど、ふとためらう。

どうしても、今日のことを桜人に報告したくなったのだ。

このままバスに乗り、K大付属病院前で降りれば、バイト先のカフェで桜人に会える。

最近は帰りが遅くなるから、夕食は朝用意してる。

だから、光がお腹を空かせることもない。

気づけば私はバッグから手を遠ざけ、最寄りのバス停が遠ざかっていくのを、窓から見送っていた。

片道二車線の大通りの脇に、デニスカフェは、今日も煌々と店舗看板を灯して佇んでいた。

窓からそうっと中を窺ったけど、桜人の姿は見えない。厨房の中にでもいるのかと思って、背伸びをしたり、角度を変えてみたりしたけど、よく分からなかった。

カフェの前で妖しい動きをしている女子高生を、道行く人が、不審な目で見ながら通り過ぎていく。

私は意を決すると、入り口に近づいた。自動ドアが静かに開いて、コーヒーの香りが濃くなる。ひとりでカフェに入ったことなんて、今まで一度もない。こんなに行動的になったのは、生まれて初めてかもしれない。

「いらっしゃいませ。こちらでご注文をどうぞ」 

顎髭がダンディーな男性店員さんに、中へと通された。

どうやら、レジで先に注文して、受け取ったメニューを自分で席まで運ぶスタイルのお店みたい。

頼んだのは、アイスティーのストレート。受け取り口で透明のカップに入ったそれを受け取り、適当な席に座った。夕方七時の店内は、まずまず人が多かった。スーツ姿の男女から、大学生っぽい集団、それから年配の人まで、客層は幅広い。

初めての空気感に緊張しながらアイスティーを啜っていると、

「おい」

すぐ横から、焦ったような声がした。

「こんなところで、なにやってるんだよ?」

それは、デニスカフェの制服姿の桜人だった。こうやってみると、やっぱり彼は、私と同じ高校二年生とは思えないほど大人っぽい。

「はると……。よかった、いた」

桜人と会えた安堵から、思わず頬が緩んだ。

すると桜人は、怒ったように私から視線を逸らす。

「バイトしてんだから、いるのは当然だろ? ていうか早く帰れよ、外もう暗いだろ」

突き放すような話し方をする桜人を、先ほどのダンディーな店員さんが、興味深そうに見ている。

「どうしても、報告したかったの」

そう言うと、桜人は黙って、少しだけ聞く姿勢を見せてくれた。

「桜人に言われた通り、今日、美織と杏と話したの。そしたら、嘘みたいにお互いの誤解が解けて、すごくいい雰囲気になった。美織も杏もやる気出してくれて、今日の作業、すごく進んだんだよ」

「そっか」と桜人が呟く。

「よかったな」

「桜人に言われなかったら、私、一生逃げてたと思う。桜人のおかげだよ。本当にありがとう」

気持ちを込めて、精いっぱいの笑みを浮かべる。

私よりずっと背が高いのに、上目遣いでそんな私を見たあとで、「そっか」とまた桜人は目を伏せた。

「昨日……」

「ん?」

「ごめんね、また桜人の前でボロボロに泣いちゃって」

ああ、とどうでもいいことのように桜人は言った。

桜人には、情けない姿を見られてばかりだ。美織と杏と仲たがいしたときに部室で泣いたときなんて、鼻水もズビズビだったし。

「桜人には、かっこ悪いところを見られてばかり……」

すると「は?」と桜人の眉間に皺が寄る。

「お前、自分のこと、かっこいいって思ってたの?」

「そういうわけじゃないけど……」

「お前のこと、初めからかっこいいなんて思ってないから。だから俺の前で、かっこつけようとなんてするな、これからも……」

「………」

呆然としているわたしをそのままに、「仕事に戻るから、早く帰れよ」と言い残して、桜人は厨房の奥へと消えて行った。

彼はいつも、臆病な私の背中を押してくれる。

さりげなく、ときに強引に。手を差し伸べ、寄り添い、つっけんどんな物言いでも、最後には支えてくれる。グラグラな私の足元を、正してくれる。

胸が小さく鼓動を刻んでいて、頬が熱い。

桜人を目で追いながらヒソヒソと色めき立っている、隣の席の女の人たちが気になった。

残りのレモンティーを、一気に啜り上げる。

この感情がどういうものか気づかないほど、十六歳の私は、もう子供ではなかった。