次の日、私は朝から、美織と杏と話す機会を伺っていた。

だけど勇気が出ないまま、放課後になってしまう。

クラスメイトと揉めた日以来、まったく放課後の作業に参加しなくなっていた美織と杏は、今日も終わるなり教室を出ようとしていた。その姿を見て、焦りが込み上げる。

ふと、窓辺の席で、バッグを片手に斉木くんと話している桜人が目に入った。

――『逃げるなよ。どうしたら前に進めるか考えろ』

昨日聞いた桜人の声が、耳に蘇る。

――『この先も、何かつらいことがあるたびに、お前はそうやって逃げる気か』

桜人との会話の記憶に後押しされるように、気づけば私は、教室を飛び出していた。

「……待って!」

廊下を走り、その先にいた、美織と杏の背中に向かって声を出す。

立ち止まったふたりは、怪訝そうに私を振り返った。

冷たい視線に、一瞬また怖気づきそうになったけど、どうにか自分自身を奮い立たせる。

このままじゃだめだ。

このままだと、何も変わらない。

私を叱ってくれた桜人にも失礼だ――。

「今まで、ごめんなさい」

意を決して謝ると、不可解な顔でふたりは顔を見合わせた。

「ふたりはいつも、私と仲良くしてくれたのに、うまく喋れなくて……」

「今更なに言ってるの? もう帰りたいんだけど」

しごくだるそうに、美織が言った。

「――うち、母子家庭なの」

今にも私に背を向けそうになってるふたりに、そう告白する。

ふたりは体の動きを止め、表情をますます凍りつかせた。

「お父さんは小学校の頃に亡くなって、うちは貧乏で、お母さんは必死になって働いてる。弟がひとりいるんだけど、身体が弱くて入院を繰り返していて……。私の家、そんな感じなの。そんな家庭環境に引け目を感じてて、知られたら嫌われるんじゃないかって考えたら、うまく喋ることができなくなってた」

大きく、息を吸い込んだ。

『お前の家族は立派だ、誇りを持てよ』と言った桜人の声が、耳を打つ。

誰に、どう思われたっていい。堂々と胸を張って、自分の家庭事情を受け入れていたらよかった。中学のときの友達が悪いわけじゃない。卑屈になってしまったのはすべて、私の弱い心が原因だった。

「ふたりと、本当は仲良くしたかった。それが私の本音。私が気に食わないのは分かるけど、私は文化祭の委員をこれからも続けたい」

もう、逃げたくはないから――。

「だから、少しだけ、クラスに協力して欲しい」

長い、沈黙が訪れた。

廊下の端で立ち止まる私たちの横を、楽しそうに話しながら幾人もの生徒が通り過ぎていく。

「……なに、それ。意味わかんない」

やがて、苛立ったような口調で美織が言った。

「母子家庭だからって、そんなふうに思ってたわけ? 私も中学まで母子家庭だったけど、そんな風に思ったことなんてないんだけど」

驚いて顔を上げると、戸惑ったような顔をしている美織と目が合った。

「今はもう、お母さん再婚してるから、母子家庭じゃないけど……」

バツが悪そうに、美織が言葉を足す。

ひとつ、間をおいて。「ずっと……」と美織が改めて切り出す。

「ずっと、真菜は、私たちと一緒にいることが、しんどいんだろうなって思ってた。仲良くなりたかったけど、真菜は全然心開いてくれなくて、だんだんムカついてきて……」

美織の声が、尻すぼみになっていく。

「私たちこそ、つらい思いをさせてたと思う。わざと話に入れなかったり、無視したり……」

「……うん、ごめんね」

隣で、杏も申し訳なさそうに呟いた。

「それに、委員に推薦したのも意地悪。真菜、みんなを取り仕切るのとか苦手そうだから、困らせたくて。なのに真菜はちゃんとやってて、ますますムカついて、つまらない意地張ったんだ」

思いがけない美織の告白に、私は困惑した。

「でも、小瀬川くんはともかく、私は何もしてないから……」

「表立つことはしてないけど、裏方頑張ってるじゃん。リスト作ったり、みんの希望聞いて紙に書いたり。それでいいんじゃない? 小瀬川くん、ああ見えてみんな引っ張るのうまいし、リーダーは任せて大丈夫だと思う。それに、浦部さんとかめっちゃやる気だし、なんなら私も頑張るし。ていうかずっとやりたかったし、お化け屋敷なんて超楽しそーじゃん」

「あー、美織、ついに言えたね」

杏が、安心したようにクスクス笑ってる。

「そうだったの……?」

放心状態で見つめると、美織は少し顔を赤くした。

「……うん。真菜は、陰で皆を支えればいいと思う。そういうこと、私は出来るタイプじゃないから、逆にすごいって思ってる。できるとこできないとこ、皆で助け合いながら、補っていけばいいんじゃない?」

美織の照れたような笑顔を見ているうちに、目元が潤んで、視界がぼやけていた。

どうして、もっと早く本音で接しなかったんだろうって思って。

美織も杏も、こんなにもいい子だったのに。

桜人に言われなかったら、ふたりとの関係は、私にとって一生つらいものになっていた。

誤魔化すようにわたしは洟をすすると、さりげなく目元の雫を拭う。

美織の目元も潤んでいるように見えるのは、気のせいじゃないだろう。

「……教室に戻ろ」

そう言って微笑むと、ぎこちなくだけど、美織と杏は頷いてくれた。

久しぶりに、三人並んで廊下を歩く。

「ていうか私と杏をお化け役にしたの、真菜? 勝手にお化け役のところに名前があったんだけど」
「違うよ、多数決で決まったの」
「えー何それ。私たち、いったいどういうイメージよ」
「嫌なら変えてもらう?」
「いいって、真菜! 大丈夫! 美織、実はめっちゃやる気なんだから」
「ちょっと杏、そこは秘密にしといてよね」

ふと窓の外を見れば、朝からポツポツと降っていた雨がやんで、晴れ間が広がっていた。

雨上がりの青空は、水気が飛んだみたいに、からりとしていて清々しい。

私たちは、今までの気まずい関係が嘘だったように笑い合いながら、クラスメイトが待つ教室へと戻っていった。