六月の中頃、光がまた入院になった。
学校に復帰して、それほど間もないうちの、再入院だった。
光は、よほどショックだったのだろう。
再入院してから、以前にも増して、口をきいてくれなくなった。
放課後、K大付属病院前でバスを降りる。
バスを乗る前までは、ぎりぎり曇りだったのに、その頃にはザーザーと滝のような雨が降っていた。
傘を差し、病院のエントランスに向かって歩く私の足取りは重い。
心を閉ざしている光を見るのはつらかった。
だけど私は、こうやって、定期的にお見舞いに行くことしかしてあげられない。
お母さんは相変わらず忙しくて、ろくにお見舞いにもいけない様子だから、光はまた私に八つ当たりしてくるだろう。それを考えると、どうしても気が重くなる。
小児病棟の二階、今回の光の部屋は、前回のふたつ隣だった。
入り口で“水田光”の名前を確認して、中に入る。雨のせいで、病室内は薄暗く、どんよりとした空気が漂っていた。
今回は三人部屋で、光以外のベッドは空いてるみたい。だから事実上、個室のようなものだ。それにも関わらず、光のベッドには、隅から隅まできっちりカーテンが引かれていた。
カーテンの前で息を整え、できるだけ明るい声をだす。
「光、来たよ。具合はどう?」
「……姉ちゃん」
答えにはなってないけど、意外にも返事はすぐにあった。拍子抜けした気持ちになりながらも、カーテンの隙間から中を覗けば、光はベッドの上に座り込み、スケッチブックに向かって色鉛筆を走らせていた。
「……絵、描いてるの?」
「うん、そう」
光は、幼い頃から絵を描くのが好きだった。好きこそものの上手なれの言葉通り、私なんかよりはるかに上手で、夏休みの絵画コンクールには毎年のように入選している。
だけど一年くらい前から、光は絵を描かなくなった。度重なる入院によるストレスが原因なのには、勘づいていた。
絵を描いている姿を見るのは、久しぶりのことで、急な心境の変化に驚かされる。同時に、とてもうれしくなった。だけど大袈裟に喜んだり褒めたりしたら、光はまた反抗的になるかもしれない。そう思って、あえて感情を押し殺す。
棚に入っていた洗濯物をまとめ、持参したパジャマと交換する。さりげなく光の様子を見ると、とても顔色がよかった。こんなに真剣な、生き生きとした目の光を見るのは、本当に久しぶりだ。
光が色とりどりの色鉛筆をとっかえひっかえ使い、懸命に描いているのは、燦燦と光り輝く太陽に向かってみずみずしい枝葉を広げる木の絵だった。
「この木、そこの窓から見えるんだ」
私の視線に気づいた光が、鉛筆を持つ手を止めて窓を指し示す。
あいにくの雨で視界は悪く、入院棟の中庭に植わった木らしきシルエットはぼんやり見えるものの、はっきりとはしない。
「木? でも、今は見えないけど……」
「覚えてるから、大丈夫」
構わず、光は手を動かし続ける。
「さっちゃんが来てくれたとき、一緒にじっくり見たんだ。だから、はっきり覚えてる」
「さっちゃん?」
首を傾げると、光は丸い目をこちらに向け、そして恥ずかしそうにうつむいた。
「……友達」
光の照れたような、でも子供らしいうれしそうな顔を見て、確信した。
友達ができたんだ。おそらく、同じように小児病棟に入院している子だろう。
どうやらその“さっちゃん”が、光をこんなにも前向きに変えてくれたらしい。
――好きなのかな。
直感でそう思った。
「そっか。友達できたんだ」
「うん。さっちゃんに、今度僕が描いた絵を見せてあげるって約束した」
「ふうん、そっか」
ニヤニヤをどうにか抑え込んで、あくまでも平生を装う。だけど心の中は、いつになく浮ついていた。光のお見舞いに来て、こんな幸せな気持ちになれるなんて思わなかった。
光を変えてくれたさっちゃんに、心から感謝したい。
恋の力ってすばらしい。
学校に復帰して、それほど間もないうちの、再入院だった。
光は、よほどショックだったのだろう。
再入院してから、以前にも増して、口をきいてくれなくなった。
放課後、K大付属病院前でバスを降りる。
バスを乗る前までは、ぎりぎり曇りだったのに、その頃にはザーザーと滝のような雨が降っていた。
傘を差し、病院のエントランスに向かって歩く私の足取りは重い。
心を閉ざしている光を見るのはつらかった。
だけど私は、こうやって、定期的にお見舞いに行くことしかしてあげられない。
お母さんは相変わらず忙しくて、ろくにお見舞いにもいけない様子だから、光はまた私に八つ当たりしてくるだろう。それを考えると、どうしても気が重くなる。
小児病棟の二階、今回の光の部屋は、前回のふたつ隣だった。
入り口で“水田光”の名前を確認して、中に入る。雨のせいで、病室内は薄暗く、どんよりとした空気が漂っていた。
今回は三人部屋で、光以外のベッドは空いてるみたい。だから事実上、個室のようなものだ。それにも関わらず、光のベッドには、隅から隅まできっちりカーテンが引かれていた。
カーテンの前で息を整え、できるだけ明るい声をだす。
「光、来たよ。具合はどう?」
「……姉ちゃん」
答えにはなってないけど、意外にも返事はすぐにあった。拍子抜けした気持ちになりながらも、カーテンの隙間から中を覗けば、光はベッドの上に座り込み、スケッチブックに向かって色鉛筆を走らせていた。
「……絵、描いてるの?」
「うん、そう」
光は、幼い頃から絵を描くのが好きだった。好きこそものの上手なれの言葉通り、私なんかよりはるかに上手で、夏休みの絵画コンクールには毎年のように入選している。
だけど一年くらい前から、光は絵を描かなくなった。度重なる入院によるストレスが原因なのには、勘づいていた。
絵を描いている姿を見るのは、久しぶりのことで、急な心境の変化に驚かされる。同時に、とてもうれしくなった。だけど大袈裟に喜んだり褒めたりしたら、光はまた反抗的になるかもしれない。そう思って、あえて感情を押し殺す。
棚に入っていた洗濯物をまとめ、持参したパジャマと交換する。さりげなく光の様子を見ると、とても顔色がよかった。こんなに真剣な、生き生きとした目の光を見るのは、本当に久しぶりだ。
光が色とりどりの色鉛筆をとっかえひっかえ使い、懸命に描いているのは、燦燦と光り輝く太陽に向かってみずみずしい枝葉を広げる木の絵だった。
「この木、そこの窓から見えるんだ」
私の視線に気づいた光が、鉛筆を持つ手を止めて窓を指し示す。
あいにくの雨で視界は悪く、入院棟の中庭に植わった木らしきシルエットはぼんやり見えるものの、はっきりとはしない。
「木? でも、今は見えないけど……」
「覚えてるから、大丈夫」
構わず、光は手を動かし続ける。
「さっちゃんが来てくれたとき、一緒にじっくり見たんだ。だから、はっきり覚えてる」
「さっちゃん?」
首を傾げると、光は丸い目をこちらに向け、そして恥ずかしそうにうつむいた。
「……友達」
光の照れたような、でも子供らしいうれしそうな顔を見て、確信した。
友達ができたんだ。おそらく、同じように小児病棟に入院している子だろう。
どうやらその“さっちゃん”が、光をこんなにも前向きに変えてくれたらしい。
――好きなのかな。
直感でそう思った。
「そっか。友達できたんだ」
「うん。さっちゃんに、今度僕が描いた絵を見せてあげるって約束した」
「ふうん、そっか」
ニヤニヤをどうにか抑え込んで、あくまでも平生を装う。だけど心の中は、いつになく浮ついていた。光のお見舞いに来て、こんな幸せな気持ちになれるなんて思わなかった。
光を変えてくれたさっちゃんに、心から感謝したい。
恋の力ってすばらしい。