驚いて、斜め後ろを振り返る。

小瀬川くんが、スッと片手を上げていた。

クラス中の空気が、震撼した。

だって一匹狼の小瀬川くんは、役員に立候補なんていう柄じゃない。クラスメイトと積極的に関わるところを見たことがないし、教室内にいることすら少ない、そんな存在だからだ。

だけど先生は、「そっか、やっとやる気になってくれたか。お前、やればできるやつなんだよな、知ってたぞ!」とやる気のなかった小瀬川くんがやる気を出してくれたことに、心底喜んでいる。

美織に杏、それから私のことを笑っていた女子たちが、静ヒソヒソとざわついていた。

「え、なんで急に?」「うそ、小瀬川くんが立候補?」「私、手挙げればよかったー」

どうやら、小瀬川くんは、密かに女子たちに人気があるみたい。

「小瀬川、急にどうした? 水田のこと好きなの?」

すると、小瀬川くんの後ろの席の男子が、茶化すようにそんなことを言った。斉木君という、クラスで一番お調子者の男子だ。黒髪に短髪で、たしかサッカー部だったはず。

とたんにクラス中がザワザワし始め、私は顔に火が着いたような羞恥心に苛まれる。

クラスメイトが全員見ている中でのそういった発言は、拷問に等しい。

すると小瀬川くんは、露骨に眉間に皺を寄せた。

「そんなんじゃない。水田さんを推薦しといて、陰で笑ってる雰囲気が、すげえ嫌だから」

小瀬川くんがそう言った途端、ひやかしモードに変わりつつあった教室の空気が、ピリリと張り詰めた。私も、背筋にしびれが走ったみたいになって、手元が微かに震えた。

小瀬川くんのその言い方だと、私がクラスの女子からいじめられてるみたいで。

これ以上私をみじめな存在にしないでって、うつむいた私の胸に、怒りが沸々と込み上げる。

だけど同時に、私は気づいてしまったんだ。

――これは、嫌がらせなんかじゃなくて、正真正銘の、いじめなんだって。

不穏な空気が漂い、静まり返るなか、先生だけが「そうか」と深く頷いている。

「頼んだぞ、小瀬川」

「はい」

また、小瀬川くんに思い知らされた。

つまらない見栄で、美織や杏から離れられなかったことを指摘されたときと同じように、いじめに気づかないフリをして見栄を張ろうとしたことを、暴かれた。

唇を食み、ようやくもとのざわめきを取り戻しつつある教室で、ひとり項垂れる。

――小瀬川くんには、敵わない。
 

「ごめんね、真菜。役員決めのとき、何も言えなくて」

その日の昼休み、お弁当を持って廊下に出るなり、夏葉が謝ってきた。

「そんな、気にしないで。夏葉は何も悪くないから」

「でも私、代わりにやるっていうこともできたのに、言い出せなかった。真菜、忙しいのに……」
廊下を歩みながら、遠慮がちに言う夏葉。

その声色が優しくて、私は思わず泣きそうになった。

母子家庭で、お母さんに代わって家のことをしないといけないとか、病気がちな弟がいるとか、夏葉にはまだ言ってない。だけど夏葉は、きっと勘づいてくれている。

そのうえで、あえて聞かないでいてくれる。

自然と、笑みが零れていた。こんなふうに優しく笑えたのは、いつぶりだろう。

「……本当に、大丈夫だよ。ひとりじゃないし。ありがとう、夏葉」

夏葉は、うん、と頷いて、「小瀬川くんがいるもんね」と言った。

「小瀬川くん、ああ見えてしっかりしてるから大丈夫だよ。同中だったから、それは知ってる」

「そうだったんだ」

初めて知る事実に、少し驚く。

「小瀬川くん、中学のときはね、生徒会長やってたの。だから文化祭実行委員くらい、お手のものだよ」

「小瀬川くんが、生徒会長?」

あの誰ともつるまない、一匹狼の小瀬川くんが生徒会長? 想像もつかない。

「うん。彼、中学のときは明るくて、クラスのムードメーカーで、人気者だったんだよ。勉強もできて、かなりモテてたし。高校になってから、ガラッとイメージ変わっちゃったけどね」

どうしてだろ?と夏葉が首を傾げる。

「そうなんだ……」

明るくてムードメーカーの小瀬川くんなんて、今の彼からは想像もつかない。

性格が変わってしまうほどのなにかが、彼の身に起こったのだろうか……。

なんともいえないモヤモヤが、胸の奥に渦巻いていた。