第二幕


 四月十七日。月曜日。僕は花咲さんに今日放課後に屋上で待ってて欲しいとだけ伝えられて絶賛、沈みかけていえる夕日を眺めながらこの間昼食時に座ったときと同様、フェンスに腰がけながら花咲さんが来るのを待っている。
「英語の課題提出してて遅れちゃった! ごめん!」
 慌ただしい足音を鳴らしながら花咲さんが屋上への入口である重たい扉を両手で押し除けてこちらへと駆け寄る。
「何で僕を呼び出したの?」
「もしかして告白とか期待してる?」
「それだけは無いと思ってるよ」
「まぁ、話す内容は次の質問の回答次第で変わってくるんだけどね」
 三日前にこれまでの人生で最も濃くて重くて心苦しい話を聞いたのでもう何を言われようが、問われようが戸惑わない自信があったが花咲さんが放った問に僕は見事なまでに戸惑ってしまった。
「涼介くんってサッカーやってたでしょ?」
「な、何でそう思ったの?」
「勘だよ」
 そう曇り無き眼で僕を直視ながら確信を突いてくる。
 どうするべきだろうか。一昨日嘘を付いたツケが回ってきたのだろうか。でも嘘を吐いたことを認めてしまったら一昨日のやり取りが台無しになってしまう。
 かと言ってここで嘘を誤魔化すために嘘で上書きしても花咲さんの発言と同様、決定的な根拠こそ無いがバレてしまうような気がする。
「どうなの?」
「……やってたよ」
「やっぱりそうだよね。でも悪意を持って嘘を吐いたとは思えない。だから話して」
 話すどころか思い出すことさえ嫌で堪らないが腹をくくるしか無いようだ。
「忘れたくても忘れられない。二年前の十二月二十二日。その日はあまり天気が良く無くどんよりとした空の下で全国中学校サッカー大会の決勝戦が行われた。
 試合終了まで残り二分。殆ど時間が残されていない状況下で僕の元へと勝利のチャンスが巡って来た。
 点数は互いに二点ずつで残された二分という時間ははアディショナルタイムの残り時間なので本当に後が無かった。
 ここでミスを犯したら再度攻めるだなんてことは出来ない。
 そんな余りにも重たい期待を背負いながらも今の自分に成せることを全力で成せと鼓舞した。
 強く地面を蹴ってドリブルを行いながらゴールエリア目掛けて一直線で向かった。
 ゴールネットにボールが触れさえすれば僕らの勝ちだ。触れさえすれば僕を含めたチームメイトと監督の夢が叶う。
 特に苦労無くゴールから二十五メートルまでボールを運ぶことに成功した。
 僕の障壁となるディフェンスは眼前に居らずゴールキーパーとの一対一だった。
 チームメイトが相手に徹底的にマーキングしてくれている為シュートの邪魔をされる心配は無かった。
 あの一蹴りに全てが掛かっていた。観客席から飛び交う声援が、チームメイトの心からの叫びが耳へと届かなくなる程に集中してこれまでの全ての軌跡を込めて渾身のシュートを放った。
 しかし僕が放ったシュートは予想を大きく外れて狙っていた左上のゴールポストギリギリよりも遥か上空を通過してボールは地面に着地した。
 外した。
 絶対にミスを犯してはならない場面で。
 これが練習試合だったらどれだけ良かったと何度も思った。
 上手く言葉で表現出来ない絶妙な雰囲気が漂った。
 スタジアム全体が静まり返っていたがその時間はそう長くなかった。
 この場の誰もがまさかあの場面で外すだなんて思っていなかったからか反応に遅れが生じていたのだ。
 チームメイトが崩れ落ちて周りの目を気にすること無く泣き崩れた。中には膝から崩れ落ちて額を人工芝生に押し付けて泣き叫ぶ者まで居た。
 耐えようが無かった。
 僕も例外では無く意識とは無関係に体が脱力して膝から崩れ落ちた。
 耐えようが無かった。
 大粒の涙が溢れ出して止まらなかった。
 泣き叫びたい気持ちを堪えるべく歯が砕け散ってしまう程に強く食い縛った。
 ふと監督の方を見ると監督もまたベンチ席に着いたまま項垂れていた。
 監督が呆然とするのも今では納得がいく。
 何故なら僕は一度たりともプレーミスを犯したことが無かったからだ。そんな人が優勝を目前にしてミスを犯すだなんて信じられないだろうし信じたくもなかっただろう。
 一方相手のチームメイトは抱き合って僕たちとは真逆の理由で泣いていた。世間的にこれを嬉し泣きと言う。チームを率いる何処かの無能なキャプテンが味わうには百年早い。
 試合後のミューティング。僕や監督を含めたその場の全員が死んだような目をしており、監督でさえ重苦しい雰囲気を断ち切ることは出来なかった。
 余りにも大きい負の感情を抱えながら励ましの声を掛け合うことなどせず各々帰路に着いた。
 家に帰ると晩御飯が出来上がっていたようだが流石に食欲が湧かず寝室へと入って着替えもせずにベットに身を預ける。泥が夥しい程に付着していることなど気にせずに。
 顔を枕に押し付ける。まるで叫び足りない口を強引に蓋をするかのように。
 何故負けてしまったのだろうか。人工芝生の状態が悪かったのだろうか。いや、曇ってはいたが雨は降っていなかった。体調も絶好調だった。
 どれだけ思考を巡らせてもプレイミスを頷ける都合の良い言い訳は見つからなかった。
 自分が憎い。プレイミスをしなければチームメイトの夢を潰してしまうことなど無かったというのに。サッカーは団体競技だということを最悪な形で思い知らされる。一人のプレイミスが全体に影響を与える。
 何より負けたのが悔しい。
 これまでの五年間、死にものぐるいで重ねてきた努力は実ること無く役目を失ってしまった。
 ……もう終わりにしよう。
 僕のサッカー人生は今日で終わった。
 僕はどれだけ練習を重ねようがただの凡人だ。
 そう結論付けて不貞寝(ふてね)をした。
 その日以来、僕はサッカーと関わりを持つことは無くなった」
「……うーん」
 花咲さんが両腕を組みながら唸っている。返しに困っているのだろうか。
「ミスをしたのはその日の一回だけなんだよね?」
「そうだけど」
「一回のミスで諦めちゃうのは勿体ないなと私は思うな。だって最悪なタイミングとはいえ一回しかミスしたこと無いって私からしたら凄いと思う。だからこそ、その腕前を無下にして欲しくない。涼介くんの心境は一緒に戦った訳じゃないから完全には分かってあげれないから大きな口叩けないけど」
「勿体ないとは僕は思っているよ。でもやっぱり怖いんだ」
「じゃあ私が手伝うよ。涼介くんは一人じゃないよ。もう二度とミスをしない位になるために私が全力で支える。支えたい。だからもう一人で抱え込まないで。それとね、私にも夢があったの。それも涼介くんと同じ夢」
「え? それってどういう……」
「私は高円宮杯JFA全日本Uー十五サッカー選手権大会に出場してたんだけど結果は悔しくも準優勝。でも私はまだ夢を叶えることを諦めてない。もうこの体じゃ戦えないから形は違うけど」
 花咲さんは一度話すのを止めて深呼吸をしてかから再度話始めた。
「今度こそ夢を叶えようよ。今度はマネージャーとして目一杯頑張るからさ!」
「少し……時間をくれない? 考えさせて欲しい」
「そう……だよね。ごめんね。答えを急ぎ過ぎた」


 布団を深々と被り、ベットの上で天井を見つめながら返答を考える。サッカーに対する情熱や愛情は正直なところ残っている。
 それは先日の試合観戦で解りきっている。
 でもその一心で突き進んだ結果があれだ。
 再奮起したところで同じ軌跡を辿るだけなのかもしれない。
 またみんなの夢を努力を潰してしまうだけなのかもしれない。
 その可能性が一%でもある以上、どうしても前に進むことが出来ない。
「……!」
 でもどうだ? 花咲さんの誘いを断ってしまったらそれこそ本末転倒だ。花咲さんの誘いを断ってしまったらそれこそ花咲さんの思いを潰してしまう。
 脳内でせめぎ合いが起きている最中、ふと一枚の写真が視界に写った。
 無意識の内にベットから身を起こし写真を手に取る。
 木製の写真立てに収納されている写真には僕と監督が肩を組んで笑顔でピースサインをしている。
 僕と監督は仲が良かった。最初こそ事務的な話ばかりだったが互いに好きな選手が伊崎選手だったのをきっかけに仲が自然と良くなっていった。
 中学二年生の夏に監督にある相談をした。
 「シュートやパスをする際に不安になる」と。
 僕の話を聞いた監督は少し間を置いてから端的に答えを教えてくれた。
「シュートやパスが上手くいくなんて誰にだって分からない。なんなら誰だって不安に思うことはある。だからって行動しないと待っているのは失敗だけだ。だからみんな必死に研鑽を続けているんだ。極端な話、必死に研鑽を続けて失敗しなければ良いだけなんだよ」
どうして僕はこんな大切な言葉を思い出せずにいたのだろうか。
 そうだ。本当にその通りだ。失敗を再びしないために研鑽を続ければ良いだけなんだ。監督の言う通り少し極端な話なのかもしれない。でもそんな極端な言葉によって僕の心は晴らされた。
 明日意思を伝えよう。自分がどうしたいのか。
 サッカーを再びしたいのかどうかを。
 思いが固まったら居ても立っても居られず花咲さんに連絡をした。
【明日早く来れる?】


「どう? 答えは決まった?」
「決まったけど一つだけ聞かせて欲しい。なんで僕の夢の手伝いをしようとしてれるの?」
「それはもうあれだよ……好きな人の力になりたいからだよ」
「それはもう何? ごめんよく聞こえなかった」
「恥ずかしいから二度も言わない!」
「教えてよ」
「えー。そんなに聞きたいの?」
「聞きたい」
「じゃあ夢を叶えられたらそのときに教えてあげる」
「分かった」
 情けない姿はもう見せない。泣くのも自分自身と向き合わず記憶に蓋をするのも辞めだ。
「一緒に夢を叶えよう。病気も過去の記憶も僕等の前では障壁にさえ成り得ない」
「涼介くんがこんなに前向きな言葉を言うの初めてだね! 嬉しいよ。そう言ってくれて」