第一幕


 時刻は午前八時。アラームの音で目覚め、母親が作ってくれた朝食を食べながらニュースを見る。
 頭に霧がかかったかのようにまだ完全には脳が働いておらず、眠気が残っていたがテレビのニュース速報の効果音に驚き目が覚めた。
 内容は十六歳の女子高生による自宅の十二階のビルからの飛び降り自殺だ。遺体は原型を留めておらず全身の骨が砕けていたことが遺体解剖によって判明しており、自殺の要因は難病をその女子高生は抱えており、回復の兆しが途絶えたことによる絶望を抱えており、病気に殺されるぐらいなら自殺をすると友人に事故の前日に話していたことだと思われている。
 朝食を食べ終えた後に歯磨きなどの身支度を済ませて家を後にした。
 昨日は風が少し強かったが今日は比較的控えめで心地良ぐらいだ。空模様も悪くないので雨が降るなどの心配は無用だろう。
 何処に行くのだろうか。行き先が分からない内はどのようなことを話すかなどを事前に策を講じることが出来ない。
 お金は足りるのだろうか。昨日の外食にお金を割きすぎたので母親に頼んでお金を頂いたが花咲さんのことだからもう少し持ってきた方が良かったのかもしれない。
 そんなことを考えている内に予定時刻よりも三十分も早く着いてしまった。
 特にすることも無いのでベンチに腰がけて先程のニュース記事を閲覧する。もしかしたら花咲さんとの約束である〝生きる最後の手伝い〟に有益な情報を得られるかもしれない。
 そんな期待を抱きながら閲覧しているととある記事の文に目が行った。
 女子高生の両親は涙ながら「もっと安心出来るような言葉を掛けてあげれば良かった。寄り添いが足りなかったのかもしれない」と記者会見で述べていたらしくその発言にインターネット上で賛同と同情の声が多く挙がっていることが記載されている。
〝安心出来るような言葉〟か。
 僕が花咲さんに対してすべきことが一つ見つかったような気がする。
 人間は脆い。花咲さんも今は元気で居られているがいつあの女子高生みたいな精神状態になっても不思議じゃない。だから僕が可能な限り支えるんだ。
「お待たせー!」
 花咲さんが手を大きく振りながらこちらへと向かって来る。待ち合わせの時間から既に五分が経過してからの到着だ。遅刻というのがいかにも花咲さんらしい。
「遅くなってごめん!」
「全然良いよ。おはよう。花咲さん」
「うん! 昨夜はちゃんと眠れた?」
「うん。それなりには」
「私はね……あ! ちょっと待ってね」
 何か忘れ物でもしたのかカジュアルな斜めがけバックを唐突に漁り出す。花咲さんのことだ。きっとそうだろう。
「あったー!」
 僕の思いとは裏腹にただ捜し物をしていただけのようで花咲さんが捜していた物のニつの内一つを僕に渡して来た。
「じゃじゃーん! これ抽選で当たったので今日はこれを涼介くんと観に行く来ます!」
 僕が受け取ったのは全国的に有名なサッカーチーム同士の試合のプレミア席のチケットだ。
 この試合には伊崎選手が参戦することが決定している。その為、かなり前からニュースにもよく取り上げられていて生中継が行われる予定だ。
 もし幼い頃の僕がその試合を生で観戦出来ることを知ったら大喜びしていただろう。
 でも今は違う。きっと幼い頃の僕のような気分で観戦は出来ないだろう。
 しかしあくまで花咲さんの思い出作りだ。そのためなら喜んで観戦する。嫌な顔なんて出来る筈が無い。
「あまりサッカーのことは詳しく無いけど大きな試合だということぐらいは知ってるよ。ここ数日間ニュースでよく取り上げられてたよね。凄く楽しみ」
 これで良かったのだろうか。もう少し良い返事があったのかもしれない。過去のことを忘れて心から楽しむという選択肢もありだったのかもしれない。そうすれば普段以上に会話が弾んで楽しめたのかもしれない。
 でもそれだけはどうしても出来ない。花咲さんが楽しむことが最優先だということは十分理解している。でも自分のサッカーに対する思いだけは曲げられない。
 不甲斐ない。
 申し訳ない。
 でも一度発言した言葉は取り消せない。
 後戻りは許されない。
「大丈夫? ボーっとして」
「え、うん。大丈夫」
「調べたんだけど千葉が開催地だから次の快速電車に乗ったら良いっぽいよ!」
 花咲さんがスマートフォンで時刻表を確認し終え、改札を通りエスカレーターを下ってホームに到着した。同時に乗車予定の電車も到着しそのまま電車に乗車する。
「楽しみだね! 私なんて楽しみ過ぎて全く寝付けなかったよ」
「だから遅れたんだね」
「やっぱり根に持ってるじゃん!」
「ちょっと揶揄(からか)いたくなっただけだよ」
「意地悪ー」
 頬を膨らませながらそう呟く。頬を膨らませている姿が愛おしく感じる。一生このままで居て欲しいものだ。


 十五分程だろうか。電車に揺られながら他愛の無い会話をしていると開催地である千葉市に到着したのでその駅で下車する。
 僕らと同じ目的なのか乗車していた人の大半が下車したことによって駅の改札は愚か開催地である電子アリーナまでの道のりまでもがもの凄く混雑していた。
 僕たちが到着した頃には既に入場が開始されていて僕たちも列に並びチッケトをスタッフに見せて指定席へと着いた。
「何か買う?」
「喉が乾いたから飲み物が欲しい!」
「良かったらこれ飲む? まだ口にしてないんだけど」
 そう言いながら差し出した未開封のペットボトルを花咲さんが「ありがとう!」と礼を言って受け取る。
 そして流れるように蓋を開けて勢い良く飲み瞬く間に四割ほどを飲んだ。
「凄い飲みっぷりだね」


 試合開始を知らせるホイッスルの音色がスタジアム全体に響き渡ってから十三分が経過した。
 伊崎選手がボールを味方からのパスによって受け取ってゴールへと動き出す。僕は知っている。伊崎選手がボールを持つと誰にも止められないということを。華麗なドリブルで一人、また一人と抜いて行き、誰も止められずシュートが決まった。
 あの頃の僕はサッカーの知識なんてある筈も無く只々格好良いと感じていただけだった。その感情一つが僕を夢に向かって着き動かさせた。
 でも今になって思う。五年間必死に練習をして、ありったけ調べて、真似をして、同じ夢を志す多くの仲間と出会って、挫折を味わった後の今だからこそ思う。
 やはりあのドリブル捌きと言い、シュートの正確さとと言い、何においても非の打ち所が無い。幼い頃に憧れたあの姿を再び目の当たりにして不覚にも格好良いと思ってしまった。
 やっぱり僕はサッカーが……
「伊崎選手はやっぱり格好良いなー! ってどうしたの? ボーっとして」
「格好良いなーって。」
「涼介くんがそこまで熱中してるところ初めて見たかも」
「そりゃあ世界的に人気のある伊崎選手のプレーを見たら僕でも魅入っちゃうよ」
「あ! 続き始まるよ!」
 その後の七十七分間戦況が覆ることは無いまま試合は終了した。


 自室のベットに仰向けの状態で体を休めながら余韻に浸る。
 本当に素晴らしかった。
 やっぱり僕は伊崎選手のことがどうしようも無く好きで夢を今になっても諦めきれていないのかもしれない。
 でも分からない。あの日から未だに自分の意思の整理が出来ていない。
 僕の夢には一人では到底洗い落とせない程の墨がこびり付いている。