初幕


 僕は普段から何事にも期待しない。
 希望を胸に抱き、追いかけた夢に限って僕から逃げるかの如く遠ざかって行くのだから。
 そんな僕にも(かつ)ては夢があった。それは全国中学校サッカー選手権大会で優勝を納めることだ。
 僕がサッカーに興味を抱いたのは今から(およ)そ七年前。ワールドカップ予選のスウェーデンと日本の試合を母親に連れられて観戦したのがきっかけだ。
 試合終盤。両者ともに得点数一ずつだが選手の状態を垣間見ると戦況はやや日本側が不利な状況だった。
 だが暗雲が立ち込めていた戦況を伊崎(いざき)選手が上書きした。
 デ一フェンスを見事に躱して行き、華麗な放物線を描いたシュートを放った。
 次の瞬間、母親を含めた観戦者等が勢い良く席を立ち大きな歓声を挙げた。
 耳を塞ぎたくなってしまう程の大きな歓声を耳だけでは飽き足らず全身で受け止めた僕は宙に浮いたような感覚に陥った。
 このとき僕が伊崎選手に抱いた思いは一つ。
【かっこいい】
 ガッツポーズをし、この場の誰よりも気持ちが高ぶっているこの人に僕は文字通り見惚れた。
 翌日、母親に懇願してサッカーボールを買ってもらい庭で蹴ってみた。
 思い通り飛んで行かない。つま先が痛い。
 このように最初こそ不慣れだったが地元のサッカーチームに加入させてもらい休日だろうが雨が降っていようが日が暮れても練習し、小学校を卒業する頃には全国各地からオファーが掛かる程にまでの成長を遂げた。
 中学校はサッカーが強いことで有名な強豪校へと入学し一切の迷い無くサッカー部へと入部した。
 サッカーに興味を抱いたあの頃より格段に思考力が発達したことに依るものか、この頃には夢が出来ていた。
 全国中学校サッカー選手権大会で優勝を納めたい。
 その夢を篝火(かがりび)に焚べる薪の如く原動力とし、学業と両立しながらも練習を積み重ね、一年生の冬頃にレギュラー入りを果たし後にキャプテンという立場になった。
 チームメイトとの仲も良好。
 上達していることを日々実感していた。
 夢を叶えられる。そんな気さえしていた。
 だが現実は妄想のように甘く無く非情であることを上には上がいて弱者は頂きには到底及ばないことを身に余る程思い知らされた。
 希望を胸に抱き夢を直向きに追いかけていた頃の僕は知る由もなかった。
 たった一度の失態でサッカーとの関係を断つことになるだなんて。
 第一幕
 

 まだ少し肌寒く、上着を着ずにはいられない。そんな寒さが地から土筆(つくし)が生え始めているこの時期でも色濃く残っている。
 そんな寒さに見舞われながら桜の花びらが風に乗って宙に舞っている通い慣れた桜の並木道の通学路を一人で歩き、登校している。
 別に寂しいとは思わない。言い訳のように思われるかもしれないが一人は嫌いじゃない。なんなら心の静養の一環として今は人と距離を置きたいくらいだ。
 
 
 五分程歩き続け学校へと到着して早々、正門に群がる生徒の姿が真っ先に視界へと飛び込んで来た。
 正門には新しいクラスの番号とクラスメイトの名前が記載されている張り紙が貼られており、それを見るために群がっているのだろう。
「同じクラスだ!」などと騒ぎ立てている人混みを掻き分けて自分のクラスを確認する。
 一組から順に確認し四組の欄でようやく自分の名前を見つけた。
 新しいクラスメイトは相変わらず知らない名前ばかりがズラリと並んでいる。故に周囲の人のように歓喜することも悲しみに暮れることも出来ない。
 下足にて履物を履き替え、教室のある三階まで階段を使用して登る。
 足取りが重い。鉛の足枷を付けられているかの如く、思うように動かない。朝ということもありまだ眠気が残っているが故に思うように体が動かないのだろう。
 後方に居た人等に抜かされたことによる微かな劣等感を原動力とし体を強引に突き動かす。
 負けたくない。
 何事であろうとも負けてしまうとあの日のことを無意識の内に思い出してしまう。
 今思えばあの日以来、どんな些細な勝負事や相手に対抗意識が無かろうが“勝ち負け”に拘ってしまっている。
 傍から見れば頭がおかしい人と思われかねない。いや、頭がおかしいのは自覚している。だが一度服に染み付いてしまった墨汁が中々落ちないのと同様、一度脳裏に染み付いてしまった記憶は中々落ちないのに加えてその体を蝕み続ける。
 何度目かの似通った思考が巡り終え、一度深呼吸をしてから教室内へと入る。
 教室内には既に多くの生徒が居ており扉を開けた音に反応した他の生徒たちがこちらに視線を送ってくる。
 本当はそうでは無いのかもしれないがどうしても睨まれているのではないかと感じてしまう。そんな僕にとっては痛くて怖い視線を極力気にしないようにしながら黒板に貼られている紙で自席の位置を確認しそれを参考に着席する。
 春休みの課題を机に広げて解き忘れの有無を一問ずつ目を通して確認をする。
 どの課題にも抜けている箇所は無いことを確認し終えたことでやらなければいけないことが無くなってしまった。
 何を思ったのか試しに机に顔を伏せてみる。窓の外から吹く春荒(はるあれ)が妙に涼しく案外心地良い。
 僕の身体に堂々と巣食っている強烈な眠気に襲われ、それに抗うこと無く川の流れに身を預けるかのように眠りへと就く。


「起きてー。ホームルーム始まったよー」
 そう誰かに言葉を投げ掛けられ目が覚める。正直顔を上げたくない。人間は実に欲望に正直な生き物だ。起きなければいけないという理性を欲望が上から押さえ付けて蓋をしようとする。
 呼び掛けに飽き足りずトントンと優しく肩を叩かれる。
 どれだけ眠かろうとこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないので欲望を殺し、顔を上げて姿勢を正す。
「あ! やっと起きてくれた。寝癖凄いよ」
 そう微笑みながら指摘を受け、自分で触って確かめてみる。確かに前髪が少し逆立っている。
「これから始業式があるのでこの後廊下に出席番号順で並んで下さい。そして始業式は一種の儀式であることを、後輩達が貴方達の背中を見ているということを肝に銘じて始業式に臨んで下さい」
 先生の説明を受けて廊下に並び、体育館へと向かう。全校生徒が一斉に向かっているため混み具合が凄い。
 その点、二年の学年主任が手信号らしきもので生徒を誘導し混乱を避けることに成功している様を見た僕は素直に感心と尊敬の念を密かに込めた。
 混み具合は体育館内でも変わらず、春休み中の 何時(いつ)の日かに設置した大量のパイプ椅子の席があっという間に埋まった。
 生徒指導の先生が話を聞くときの注意事項を話し終えて本命である校長先生が壇上に上がり、話し始める。

 
 一時間余り校長先生の話を聞き続けた感想としてはつまらない。その一言に尽きる。教師陣が儀式だと言っていたことから(さぞ)面白みのある話を聞かせてくれるのだろうと期待していたが話の内容の大半がありきたりな内容且つ、つまらなさ過ぎて寝てやろうかと何度も思った。きっと他の人もそう思っただろう。
 案の定、教室へと戻る際に「校長の話マジでつまらなかったな」という会話を耳にして申し訳ないが心底安堵した。
 教室へと戻り、ある意味校長先生の気に障る程に長くてつまらない話よりも嫌である自己紹介が行われだす。
 幸い、自分の出席番号は三十二番なので話す内容を考える時間が十分に用意されいている。人前に立つのは苦手なので簡潔に済ませたい。
 名前と趣味は言うとして他に何を言おうか。部活動にも入っていないので話す内容が限られているため文を構築するのが難しい。
「初めましての人が多いかな? 花咲日菜(はなさきひな)です! 趣味はヘアアクセ集めとアロマ作りでサッカーが大好きです! 一年間よろしくお願いします!」
 どうしたものか。考え込んでいる内に隣の席の人の自己紹介が終わってしまった。次は僕の番だ。まだ内容が纏まっていないというのに。
 一先ず席を立ち、この場をどう凌ぐか懸命に思考を巡らすが頭の中が真っ白になって名案が全く浮かんでこない。
 教師を含めた全員がこっちを見ている。それを意識すると全身から冷や汗が垂れ、心拍数が上昇してより一層緊張する。
 やるしかない。何もせずに棒立ちしてしまうとより恥をかくことになってしまう。
「えっと、藤本涼介(ふじもとりょうすけ)……です」
 言葉に詰まる。名前以外にも言わなければいけないのに上手く言葉に出来ない。
 僕の自己紹介が終わったと思ったのであろう人たちが拍手をする。
 その波に逆らえず、席に着いてしまった。
 何故、何時も僕はこうも駄目な人間なのだろうか。肝心なときにまともな行動が出来ない。自分に嫌気が差す。


 僕以外の人は自己紹介を見事成功させて帰りのホームルーム前の休憩時間に入った直後、花咲さんからがこちらへと話しかけてきた。
「改めまして! 花咲日菜だよ。よろしくね!」
 そう言いながら僕の手を取って握手を交わしてきた。女子と手を繋いだのはいつ振りだろうか。手汗はかいていないだろうか?
 そんな心配事を考えさせる暇なんて与えないと言わんばかりに花咲さんが質問攻めを始めた。
「涼介くんって好きなこととかある?」
「読書が好きかな。他には寝ることとか」
「好きなスポーツはある? 私は自己紹介のとおりサッカーが大好きなんだ!」
 一瞬、サッカーの会話を深堀りする選択肢が脳裏を過った。話すか悩んだが話したところで互いに良い気分にならないという考えに至った。
 あの話は明るい会話には不似合いだ。
「スポーツにはあまり興味が無いかな」
「運動は得意なの?」
「人並み程度には」
「スポーツにあんまり興味が無いんだったら部活は文学部? それ以前に運動部か文学部とか関係無く何かしらに入ってるの?」
「どこにも所属していないよ」
「そうなんだね。これからどうやって呼んだら良い? 藤本くん? 涼介くん?」
「好きに呼んでもらって良いよ」
「じゃあ、涼介くんって呼ぶね!これからも仲良くしてね!」
「こちらこそ」
 時間にしてはほんの一分程度だったが僕の心身は激しい拷問を受けたかのようにボロボロだ。
 だが、話すことは出来た。普段なら返事すらまともに出来ないのに。受け答えが出来た理由は何故だろう。満面の笑みで優しく接してくれたから安心して話せたのだろうか。
 一先ずあの人とはあの頃のような態度で接せるようになるかもしれない。
 その可能性がある人がこのクラスに居るという事実があるだけで心に少し余裕が生まれた。
「これから帰りのホームルームを始めるので自席に着いてください」
 生徒が自席に着いたのを確認した先生が淡々と話し始めた。その間、花咲さんが小声で話しかけてきたりちょっかいをかけてきたが状況が状況なので一瞥(いちべつ)のみ行い、それ以上の対応は行わなかった。
 冷徹な対応に不満を抱いたのか頬を膨らませ拗ねていたがホームルームが終わり、教室を出る際には「また明日ね!」と元気良く別れの言葉をかけてくれた。
 第二幕


 翌日も昨日と変わらず一人で登校をし、職員室にて鍵を受け取ろうとしたが鍵が見当たらない。部活の朝練で荷物を置きに行った人が僕よりも先に鍵を受け取ったのだろう。そう結論付けて鍵を受け取ることを断念し階段を登り教室へと入る。
「おはよ。涼介くん」
 僕の無駄に凝んだとは予想とは裏腹に単に花咲さんが僕よりも早く来ていただけだったらしい。
「おはよう。来るの早いね」
「そんなこと無いよ。つい五分前に来たばっかり。そんなことより今日の私見て何か思うこと無い?」
 昨日知り合ったばかりの人には難し過ぎる質問が僕へと飛んできた。
 髪型は変わらずボブヘアでシャツの第一ボタンも空いており昨日とぱっと見違いがあるようには思えない。
「分からないな。答えは何なの?」
「正解はー……昨日より少し前髪が短くなったでしたー!」
 言われてみれば昨日より幾らか短くなっている。切ったというよりかは整えたの方が表現としては近しいような気がする。
「いやー。君には呆れたよ。まさかこんなに可愛い子の変化に気付けないだなんて」と花咲さんがわざとらしい演技で煽ってきた。
「確かに容姿は可愛らしいけどその態度は頂けないかな」と負けじと僕も煽り返す。
「ひっど。ふーん。そんなこと言うんだ」
「あ、ごめん。冗談のつもりで……」
 流石に言い過ぎたと思い謝罪をしようとしたが「知ってるよ。涼介くんは真面目だなー」と謝罪をする前に笑われてしまった。


 ホームルームを終え、午前中の授業は花咲さんが執拗に話しかけてくること以外は特に何事も無く終えた。
 昼休みに入り、昼食を食べようと準備をせっせと進めていると花咲さんに呼び止められた。一緒にご飯を食べようとのことだ。誘いを断る理由が特に無い為いつ振りかすら分からない複数人で昼食を食べることが決定した。
「じゃあ何処で食べる?」
 僕の問に対して「私が良いところ教えてあげる!」と花咲さんは言い、僕は手を引かれ言われるがまま背中を追った。
 階段を幾らか上った先にある重い扉を押し退けて辿り着いた先は屋上だった。大抵の学校は屋上へ行くことを制限されているらしいがこの学校は昼休みの時間帯に限って行くことが可能な故に大抵、十人程の生徒が屋上で昼食を食べているらしい。
 しかしこの日に限って僕ら以外に人は居らず貸切状態だ。いつも賑わっている場所だからこそ、この静けさに花咲さんは少し違和感を覚えたらしい。そう思ってしまう程にまでこの場所は人気な場所なんだろう。
 僕はそんなことなど気にせずフェンスに背を預けて腰を下ろす。
 それに合わせるかの如く僕の真隣に花咲さんも腰を下ろす。
 少しばかり距離が近いような気がする。
 今思えば先の教室を出て此処へと来る際も花咲さんは僕の手を態々(わざわざ)引いていた。僕ならそんなことは出来ないし、しようという気さえ起きない。それも知り合ったばかりの人になんざ特に。僕とは(ことごと)く合わない人だ。
 でもそんな人に対して僕は不思議と嫌悪感を覚えていない。何故だろうかと考えようとしたとき「どうしたの? そんなにぼーっとして」と声を掛けられ思考の巡りは強制的に終了させられた。
 「いや、大丈夫。そんなことないよ」とその場を強引に凌ぎ、お弁当を開ける。
 花咲さんのお弁当には唐揚げに卵焼きとポテトサラダとおにぎりが入っており色鮮やかでバランスが取れているように思える。
「涼介くんのすっごい美味しそう! お母さんが作ってるの?」
「いや、自分で作ってるよ」
 両親はまだ幼い弟の世話で手一杯なので自分で作りざるを得ない。最初は料理をすることを面倒事だと捉えていたがここ最近は楽しくなりつつある。
「毎朝早く起きて作るの大変そう」
「作ること自体は苦じゃないよ。でも朝は苦手だから眠気に耐えなきゃいけないの少し辛いかな」
「隙ありー!」
 談笑をしている僕の隙を突いて花咲さんが僕のお弁当からハンバーグを掻っ攫った。なんてことをしてくれたんだ。お米と合うおかずはそれしかないというのに。
 仕返しに花咲さんの唐揚げを奪う。
「これじゃあ物々交換じゃん」
「先に仕掛けてたのは花咲さんの方でしょ」
「それにしてもハンバーグ美味しいね! 料理系男子だったか〜」
「それはどうも。花咲さんの唐揚げも美味しいよ」
「本当!? ママに伝えとくね!」
 どうしてだろう。花咲さんと話していると笑みが溢れてくる。ついさっきまでおかずを奪い合っていたがその間も僕はずっと笑顔だっただろう。
 花咲さんは常にこれ以上ない程に笑っている。
 力強く太陽の如く輝いている。きっとこの笑顔で多くの人を照らしてきたのだろう。そう思えてしまう程に魅力的だ。


 話しながら食べていたので食べ終わるまでに時間が掛かってしまい急いであの場を後にして教室へと戻ることとなった。
「結構ギリギリだったね。あ、授業の用意してない! 何が必要?」
「次は委員係決めだから特に必要な物はないよ」
「そうなんだ。涼介くんはやりたいのあるの?」
「僕は特に無いかな。どれも雑務なことには変わりないし」
「ふーん……」
「ふーんって。何でそんなにニヤついてるの?」
「別に大したことじゃ無いですよ~」
「起立。礼」
 担任が教室内へと入ったタイミングで気を利かせた生徒が号令の下知(げぢ)する。
「これから委員係決めを行います。早速ですがまずは学級委員をやりたい方は居ますか? 各委員男女一名ずつです」
 先生の発言を最後に教室内は数秒間の沈黙に包まれたがその状態は花咲さんによって直ぐに破られた。
「私がやります! それと涼介くんもやりたいらしいです! 良い?」
「事後に聞かれても……まあ良いけど」
「他にやりたい方は居ますか?」
 先生の問いに答える人は居なく、僕と花咲さんの二人で学級委員を務めることが決まった。


「何でそんなにムスってしてるの? 五時間目から下校中の今までずっとそうじゃん」
「そんなこと無いよ」
「もしかして私と一緒に学級委員するの嫌だった?」
「嫌というか……不釣り合いじゃないのかなって」
「不釣り合い?」
「うん。僕みたいな人間が花咲さんと一緒に居ても良いのかなって。今だって僕と下校するのじゃなくてもっと適任が居るだろうし」
 花咲さんが僕と正反対な人柄で不釣り合いだということはこのたったのニ日間で痛い程感じられた。花咲さんは社交性のある人と関係を築くべきだ。
「少なくとも私はそう思ったことは一度も無いよ。私は涼介くんと一緒に居たくて居るんだよ? 上手く言葉に表せれないけど涼介くんはきっと他人の目を気にしすぎなんだと思うよ」
 第一幕
 

 眠い。今は五時間目。昼食を食べた直後だ。食後はどうしても眠くなってしまう。
 五時間目は科学の授業であり、付近の席の人と昨年の範囲の復習プリントを協力しながら解いていくという内容だ。
 僕は早々に終わらせたので寝ても構わないのだがどうやら勉強が苦手らしい花咲さんが手伝いを強請ってきた為起きている。 
「ねぇ、これって何ページまでやらなきゃいけないの?」
「そのページ含めないで三ページだよ」
「三!? あと二十分で? 無理無理!」
「つべこべ言ってる時間が勿体ないよ。ほら、手が止まってる」
「ねぇ、一つ賭けをしない?」
 僕の言葉を遮って
 動かしていた手を止めてそう投げかけてくる。何か良からぬことを考えていることが顔から滲み出ている。だけど駆けの内容に少しばかり興味がある。
「返事をする前に内容を聞いても良い?」
「じゃあ買い物に付き合ってくれるって約束してくれるなら解いてあげる。さっき話した服を買いに行きたいの!」
 与えられた問題を解くという当たり前のことするのに約束を交わされることに多少の不満はあるものの、それで話が収束するなら構わない。
「分かった。じゃあ一先(ひとま)ずプリントを終わらせよう。手伝うからさ」
 約束を交わした花咲さんは苦戦こそしながらもなんとか授業内にプリントを終わらせれた。最初からそのやる気を引き出してくれた苦労しないのにな。と少しながら思ったが提出することが出来たことを喜んでいる花咲さんの無垢な笑顔を見るとそんな卑屈な考えは何処かに消え去った。


「見て!この服可愛くない!?」
「そうだね。せっかくだし試着してみたら?」
 僕の発言を耳に入れ、ニットカーディガンを片手にそさくさと試着室へと入って行った。
「どう? 似合ってる?」
「うん。似合ってるよ。その感じだとこのパンツが合いそうだね」
「パンツ!?」
「ズボンのこと」
「びっくりしたー。何言い出すかと思ったら」
「僕がそんなこと言うような変態に見える?」
「見えなくもないかな」
「……」
「ごめんごめん! ノリツッコミだから!」
「流石の僕でも分かってるよ。取り敢えず着てみたら?」
「うん! 着てみる!」


「どうしよっか。日が落ちるまでまだ時間あるし何処か寄って行く?」
「じゃあ彼処のカフェに行きたい!」
カフェに向かっている最中、花咲さんが呑気にスキップをしていて明らかに気分が高揚していることが伺えた。
 カフェはどうしても意識が高い人が通うイメージがあるので少し怖い。外装から既に僕のような人は入店してはいけない店だと瞬時に悟った。
 入店を躊躇していたが花咲さんに手を引かれ、未だに心の準備すらしていない僕を半ば強引に入店させた。
 店員が人数の確認を取ってテラス席へと案内してくれた。テーブルの中心には穴が空いており、そこに刺さっているヒノキの棒で支えられている白色のパラソルがテーブルに日陰を作っている。
 テーブルに置かれていたメニューを閲覧し、最初に浮かんできた言葉は“高い”だ。殆どのメニューが軽く二千円を超えている。特に特性大盛りスイーツの盛り合わせパフェなんて三千円もする。なのでこれだけは選んで欲しく無い。
 そんなことを考えている内に全員が注文する料理を確定させたので定員を呼ぶ。
「ご注文はどうなさいますか?」
「僕はケーキセットでお願いします」
「私は特性大盛りスイーツの盛り合わせでお願いします!」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
 定員の視界から僕が外れたと同時に脱力していまい、浅く座っていたが無意識に深々と腰がける。
 脳内で計算をする。合計で5千八百円。払えない訳では無いが有り金の大半を持って行かれることとなる。
 だがそんな考えは定員によって運ばれて来た料理によってどうでも良くなった。
 花咲さんがスマートフォンを取り出して写真を撮り出す。
 釣られて僕までスマートフォンを取り出して撮影を試みたがシャッターボタンの左下側にある縮小された最後に撮った写真が気になったので閲覧する。
 最後にカメラ機能を使った時期さえ覚えていないため当然内容なんて覚えている筈が無い。だが写真の内容を一見しただなのに把握出来てしまった。
 それは2年前の秋に撮ったサッカーの強化合宿での集合写真だ。
 写真を見た途端に襲ってきた悪寒と嫌悪感に耐えきれず、即座に削除する。
 忘れたい。
 どうにかして記憶のフィルムから切り捨てたい僕の黄金期であり暗黒期の頃の写真だ。
「食べないの?すっごい美味しいよ!」
 花咲さんの言葉によって僕の思考は強制的に遮断されて我に返る。
 気を正して注文したケーキを口に運ぶ。 
 甘過ぎ無いケーキがコーヒと良く合う。
 花咲さんは満足気にしている。その満面の笑みが見れたので同行した価値はあったなと思う。
「涼介くんのコーヒー一口頂戴!」
「良いけどコーヒー飲めるの?」
「子供扱いしなくても大丈夫です!」
 そう胸を張りながら豪語し、花咲さんがコーヒーを口にする。途端、先程までの余裕そうな表情は消え去り虫を噛んだかの如く顔を歪めた。
「苦い……角砂糖入ってると思ってた」
「事前に聞いてくれたら良かったのに」
「角砂糖無しで飲めるの凄いね」
「最初は然程美味しく感じれなかったけど長い間飲んでたらこの苦みが物欲しくなるんだよ」
「そうなんだ……ってあれ? ねぇ涼介くん」
「ん? どうしたの?」
「実テって何時だっけ?」
「確か、三日後かな。それがどうしたの?」
「え、嘘……やばいやばいやばいやばい」
「ど、どうしたの?」
 花咲さんにはとても似つかわない程に小さな声でボソボソとそう呟いている。
「英語がやばいの。私、自分で言うのも何だけどあまり頭が良くなくて。特に英語なんて毎回赤点ギリギリで……えっと、その……」
 余程焦っているのか語彙力が少しばかり低下している。これだと事態に収集が着かない為一先ず落ち着かせなくては。
「取り敢えず落ち着いて。僕で良ければ可能な限り助力するから」
 第二幕


「今日は目一杯遊……じゃなくて勉強するぞ〜!」
 始業式から二週間半が経過した今日で定期テストまで二週間前だ。
 当番であった教室の掃除を終え、勉強会をすべく僕の家へと向かっている最中、花咲さんがそう高らかに声を上げた。
「本来の目的がバレバレだよ。花咲さん」
「ちゃんと勉強します!」
「ところで今日はどんな映画を見るの?」
「今日はね〜……あっぶない。言っちゃうところだった」
「その言いようは認めてるようなものじゃん」
「うぅ……」
 分かりやすい。単純というか嘘を吐くのがめっぽう苦手なのだろう。
「何で分かったの?」
「だって一日中花咲さんから映画の好みに対する質問攻めを受けたからね。流石に勘付くよ」
「え!? そんなに聞いてたっけ?」
「うん。一応家に行く目的は勉強だからね」
「任せて! 集中しまくりで一言も話さないぐらい頑張るから!」
 本当だろうか。普段の授業中ですらろくに集中せずに僕へとちょっかいをかけてくる花咲さんが……いや、集中云々以前に勉強をしてくれるのだろうか? 勉強を始めて五分も経たずに遊び出している姿が容易に目に浮かぶ。
 

 家に着き、洗面所の位置を教えて一足先に自室へと入って飲み物と菓子を用意していると手を洗い終えた三人が自室へと入って来る。
「おおー! 想像以上に充実した部屋だね!」
 花咲さんが自室に入って開口一番、自室全体を見渡しながら感嘆の声を漏らす。
「適当なところに座って」
 テーブルを囲うようにして座り、各々やらなければならない課題に取り掛かる。
 しかし一人だけシャープペンシルを握らず一向に勉強を行おうとしない。
 花咲さんが僕が用意した菓子を一人で黙々と食べている。四人分用意したはずだが既に半分減っている。
「俺の分も残しとけよ?」
「うちも食べたいな。四人分の内半分減ったから……」
「僕は要らないから二人で食べて」
「良いよ。あまりお腹空いてないし。それに僕はどこの誰かさんと違って大食漢じゃないしね」
 そんなやり取りをしていると全員の手が完全に止まってしまった。
 花咲さんに関してはトランプをシャッフルしてカーペットの上にばら撒き始めている。
 僕に予想は良くも悪くも見事に的中し、五分も経たずに勉強を終了して神経衰弱が始まった。
「順番はじゃんけんで負けた人からね! 行くよー? 最初はグー。じゃんけんポン!」
「俺の一人負けかー」
 悔やみながらも宏次朗がトランプを2枚引く。最初だからということもあって揃うことは無かった。
 後に僕を含めた三人が引いたが揃うことは無く一周目が終了し、2回目の僕の番が回って来た。
 慎重に選んで一枚目を引く。僕が引いたのはスペードの五。見覚えがある。
 瞬間、花咲さんが微かに驚き声を上げて一つのトランプを集中的に見つめる。
 あまりの天然さに驚いた。分かり易いにも程がある。
 花咲さんが見つめていたトランプを引くと案の定トランプの種類が揃った。
「えぇー! 何で分かったの?」
「流石の俺でも分かったぞ。あんなに見つめて、まるで引いて下さいって言ってるようなものだぞ」
「日菜の将来が心配だね。詐欺とかに簡単に引っかかっていまいそう」
「高い壺とか買わされないようにね」
 三人による猛攻撃が胸に深く突き刺さった花咲さんは頬を膨らませて拗ねている。
「そこまで言わなくてもいいじゃん!」


 その後は中々の接戦で終盤でも勝者の予想は定まらなかった。花咲さんも学習したのか目線や態度に気を遣っていた。
 結果として一位を取ることが出来たが終わった頃には時刻は午後六時半。流石に時間が時間なので解散することとなった。
 玄関まで三人を見送ったが花咲さんが伝えたいことがあるらしいので二人で再度部屋に戻った。
 ベットの上で三角座りの体勢で顔を両腕の狭間に沈めながら「少しだけ話聞いてくれる?」と花咲さんがか細い声で僕に問いてきた。
 僕の二言返事の了承を得た後、深呼吸をしてから語り始めた。
「私ね、二年生になる少し前に心臓の病気になったの。ある日急に息苦しくなってお医者さんに診てもらったらあまり医療に詳しく無いから良く分からないんだけど突発性拡張型心筋症っていう病気で今の医療技術だと病気の進行をある程度抑えることは出来るけど完治は出来ないらしいの」
 僕は耳を疑った。二年生になってから人との交流が多くなったが故に疲れが溜まっていて幻聴が生じたのだろうか。そう信じたくなってしまう程に花咲さんの発言を信じたくなかった。
 何時も笑顔で誰よりも人生を謳歌していて幸せそうな花咲さんが難病を患っていただなんて。
「最初は怖かった。何時死ぬか分からない恐怖に押し潰されそうだった。でも怯えていたって何も変わらない。限られた時間で本来生きられる筈だった分楽しむことを……生を全うすることを決めたんだ。死んだときに楽しかったと断言出来るようにしたい」
 花咲さんは全てを受け入れている。その上で自分に出来る最大限の抗いをしている。僕がもし花咲さんの立場に立ったら同じ考えに至ることは出来ないだろう。
 僕なら死への恐怖に耐えられず身を投げ出してしまうかもしれない。そう思ってしまう程に花咲さんが置かれている状況は悲惨だ。
 僕は花咲さんの辛さを一割も理解出来てあげられない。でも少しでも理解出来るなら寄り添って力になりたいと思えた。
「お願いがあるんだけど良い?」
「勿論だよ」
「……生きる最後の手伝いをして欲しい」
 断る理由が無い。断れる筈が無い。この場で僕に病人であることを明かすことに多くの勇気を振り絞ってくれたことだろう。だとすれば僕も応えなければいけない。
「僕に出来ることなら何でもするよ」
「じゃあ早速だけど明日予定ある?」
「特に無いよ」
「じゃあ午前九時に駅前に集合ね! 連れて行きたい場所があるの!」
「分かった」
「それと連絡先交換しない?」
 そう言いながらLINEのQRコードを差し出して来た。僕がそれを読み込む。
「ありがと! 今日は色々とごめんね」
「謝ること無いよ。話してくれて嬉しかった」
 僕の返事を聞いた花咲さんは今度こそ我が家を後にした。

 夕飯や入浴、歯磨きなどを済ませて眠りに就こうとしたとき、滅多に鳴らないスマートフォンの着信音が部屋中に鳴り響いた。長い間着信音が鳴らなかったため、音量が大きいことにすら気付けなかった。
【改めて今日はありがとね! 明日何処に向かう場所は当日のお楽しみだよ!】 
【午前九時に駅前に集合だよね】
【うん! 遅刻しないでね!】
【うん。花咲さんこそ寝坊したりしないでね】
【任せて! じゃあおやすみ!】
【おやすみなさい】
 久し振りの宏次朗以外の 人からの遊びの予約。少し高揚した気分と花咲さんの病気に対する膨大な不安を抱えたまま今度こそ眠りに就いた。
 第一幕


 時刻は午前八時。アラームの音で目覚め、母親が作ってくれた朝食を食べながらニュースを見る。
 頭に霧がかかったかのようにまだ完全には脳が働いておらず、眠気が残っていたがテレビのニュース速報の効果音に驚き目が覚めた。
 内容は十六歳の女子高生による自宅の十二階のビルからの飛び降り自殺だ。遺体は原型を留めておらず全身の骨が砕けていたことが遺体解剖によって判明しており、自殺の要因は難病をその女子高生は抱えており、回復の兆しが途絶えたことによる絶望を抱えており、病気に殺されるぐらいなら自殺をすると友人に事故の前日に話していたことだと思われている。
 朝食を食べ終えた後に歯磨きなどの身支度を済ませて家を後にした。
 昨日は風が少し強かったが今日は比較的控えめで心地良ぐらいだ。空模様も悪くないので雨が降るなどの心配は無用だろう。
 何処に行くのだろうか。行き先が分からない内はどのようなことを話すかなどを事前に策を講じることが出来ない。
 お金は足りるのだろうか。昨日の外食にお金を割きすぎたので母親に頼んでお金を頂いたが花咲さんのことだからもう少し持ってきた方が良かったのかもしれない。
 そんなことを考えている内に予定時刻よりも三十分も早く着いてしまった。
 特にすることも無いのでベンチに腰がけて先程のニュース記事を閲覧する。もしかしたら花咲さんとの約束である〝生きる最後の手伝い〟に有益な情報を得られるかもしれない。
 そんな期待を抱きながら閲覧しているととある記事の文に目が行った。
 女子高生の両親は涙ながら「もっと安心出来るような言葉を掛けてあげれば良かった。寄り添いが足りなかったのかもしれない」と記者会見で述べていたらしくその発言にインターネット上で賛同と同情の声が多く挙がっていることが記載されている。
〝安心出来るような言葉〟か。
 僕が花咲さんに対してすべきことが一つ見つかったような気がする。
 人間は脆い。花咲さんも今は元気で居られているがいつあの女子高生みたいな精神状態になっても不思議じゃない。だから僕が可能な限り支えるんだ。
「お待たせー!」
 花咲さんが手を大きく振りながらこちらへと向かって来る。待ち合わせの時間から既に五分が経過してからの到着だ。遅刻というのがいかにも花咲さんらしい。
「遅くなってごめん!」
「全然良いよ。おはよう。花咲さん」
「うん! 昨夜はちゃんと眠れた?」
「うん。それなりには」
「私はね……あ! ちょっと待ってね」
 何か忘れ物でもしたのかカジュアルな斜めがけバックを唐突に漁り出す。花咲さんのことだ。きっとそうだろう。
「あったー!」
 僕の思いとは裏腹にただ捜し物をしていただけのようで花咲さんが捜していた物のニつの内一つを僕に渡して来た。
「じゃじゃーん! これ抽選で当たったので今日はこれを涼介くんと観に行く来ます!」
 僕が受け取ったのは全国的に有名なサッカーチーム同士の試合のプレミア席のチケットだ。
 この試合には伊崎選手が参戦することが決定している。その為、かなり前からニュースにもよく取り上げられていて生中継が行われる予定だ。
 もし幼い頃の僕がその試合を生で観戦出来ることを知ったら大喜びしていただろう。
 でも今は違う。きっと幼い頃の僕のような気分で観戦は出来ないだろう。
 しかしあくまで花咲さんの思い出作りだ。そのためなら喜んで観戦する。嫌な顔なんて出来る筈が無い。
「あまりサッカーのことは詳しく無いけど大きな試合だということぐらいは知ってるよ。ここ数日間ニュースでよく取り上げられてたよね。凄く楽しみ」
 これで良かったのだろうか。もう少し良い返事があったのかもしれない。過去のことを忘れて心から楽しむという選択肢もありだったのかもしれない。そうすれば普段以上に会話が弾んで楽しめたのかもしれない。
 でもそれだけはどうしても出来ない。花咲さんが楽しむことが最優先だということは十分理解している。でも自分のサッカーに対する思いだけは曲げられない。
 不甲斐ない。
 申し訳ない。
 でも一度発言した言葉は取り消せない。
 後戻りは許されない。
「大丈夫? ボーっとして」
「え、うん。大丈夫」
「調べたんだけど千葉が開催地だから次の快速電車に乗ったら良いっぽいよ!」
 花咲さんがスマートフォンで時刻表を確認し終え、改札を通りエスカレーターを下ってホームに到着した。同時に乗車予定の電車も到着しそのまま電車に乗車する。
「楽しみだね! 私なんて楽しみ過ぎて全く寝付けなかったよ」
「だから遅れたんだね」
「やっぱり根に持ってるじゃん!」
「ちょっと揶揄(からか)いたくなっただけだよ」
「意地悪ー」
 頬を膨らませながらそう呟く。頬を膨らませている姿が愛おしく感じる。一生このままで居て欲しいものだ。


 十五分程だろうか。電車に揺られながら他愛の無い会話をしていると開催地である千葉市に到着したのでその駅で下車する。
 僕らと同じ目的なのか乗車していた人の大半が下車したことによって駅の改札は愚か開催地である電子アリーナまでの道のりまでもがもの凄く混雑していた。
 僕たちが到着した頃には既に入場が開始されていて僕たちも列に並びチッケトをスタッフに見せて指定席へと着いた。
「何か買う?」
「喉が乾いたから飲み物が欲しい!」
「良かったらこれ飲む? まだ口にしてないんだけど」
 そう言いながら差し出した未開封のペットボトルを花咲さんが「ありがとう!」と礼を言って受け取る。
 そして流れるように蓋を開けて勢い良く飲み瞬く間に四割ほどを飲んだ。
「凄い飲みっぷりだね」


 試合開始を知らせるホイッスルの音色がスタジアム全体に響き渡ってから十三分が経過した。
 伊崎選手がボールを味方からのパスによって受け取ってゴールへと動き出す。僕は知っている。伊崎選手がボールを持つと誰にも止められないということを。華麗なドリブルで一人、また一人と抜いて行き、誰も止められずシュートが決まった。
 あの頃の僕はサッカーの知識なんてある筈も無く只々格好良いと感じていただけだった。その感情一つが僕を夢に向かって着き動かさせた。
 でも今になって思う。五年間必死に練習をして、ありったけ調べて、真似をして、同じ夢を志す多くの仲間と出会って、挫折を味わった後の今だからこそ思う。
 やはりあのドリブル捌きと言い、シュートの正確さとと言い、何においても非の打ち所が無い。幼い頃に憧れたあの姿を再び目の当たりにして不覚にも格好良いと思ってしまった。
 やっぱり僕はサッカーが……
「伊崎選手はやっぱり格好良いなー! ってどうしたの? ボーっとして」
「格好良いなーって。」
「涼介くんがそこまで熱中してるところ初めて見たかも」
「そりゃあ世界的に人気のある伊崎選手のプレーを見たら僕でも魅入っちゃうよ」
「あ! 続き始まるよ!」
 その後の七十七分間戦況が覆ることは無いまま試合は終了した。


 自室のベットに仰向けの状態で体を休めながら余韻に浸る。
 本当に素晴らしかった。
 やっぱり僕は伊崎選手のことがどうしようも無く好きで夢を今になっても諦めきれていないのかもしれない。
 でも分からない。あの日から未だに自分の意思の整理が出来ていない。
 僕の夢には一人では到底洗い落とせない程の墨がこびり付いている。