カフェに着くまでの間、私と彼の間に会話は一切無かった。彼が私に話しかける事も無ければ、私がスマホなどを使って話しかける事もない。
 私の頭の中は白川の事で埋まっていて、いつ目を覚ますのか、容態が急変したらどうなるのか、なんて事ばかり考えていた。きっと、彼も同じ事を考えていたのだろう。その横顔は悲しみに満ちていて、何かを深く考え込んでいる様でもあった。
 辿り着いたカフェは、彼の言う通り病院の入り口近くにあった。簡易的なものでは無く、病院内の中にもう一つ建物を建てた様なしっかりとした作りのカフェだ。
 私の一歩前を歩いていた彼がカフェの自動ドアを潜り、カウンターへと向かった。途中振り返って「先に席に座って待っていていいよ」と言ってくれた為、お言葉に甘えて人の居ないテーブル席へと足を向ける。
 病院内だからか窓が無いカフェで、少々圧迫感を抱くが内装の綺麗な場所だ。入院患者やその家族が利用したりするのだろうか。カフェの隅に置かれた観葉植物を眺めていると、白川の父であり、有名作家でもある彼が、カップが二つ乗せられた黒いトレーを席に持ってきた。

「ここのカフェ、あまりメニューが多くなくって、ジュースとかお茶が無かったからミルクティーにしちゃったんだけど、飲める?」

 彼の問いに、小さく頷く。すると、彼が「良かった」と言って笑って、私の前に白いティーカップに淹れられたミルクティーを置いた。
 元々、神社にしか行く予定が無かったから今日はあまりお金を持っていない。しかし、ミルクティー代位なら財布に入っているだろうか。コートのポケットから財布を取り出しながら悶々と考えていると、彼が慌てて私の手を制す。

「お金は大丈夫だよ、僕が勝手にここに連れてきてしまった訳だし。それに、流石に息子の彼女からお金を取ろうとはしないよ」

 ――彼女? 
 彼のその言葉に、頭の中が疑問符で埋まっていく。
 先程、彼は白川から私の話を聞いていると言っていた。まさか、私を自分の彼女だなんて言ったのだろうか。いや、白川は馬鹿な奴ではあるが、そんな意味のない嘘をついたり見栄を張ったりする様な奴では無い。――と思う。
 私の表情を見て間違っている事に気付いたのか、彼が「あれ、彼女じゃなかった?」と苦笑いを浮かべて問うてきた。困惑しながらも、頷く。

「あぁ、ごめんね。てっきりもう付き合っているものだとばかり。雪斗は相当、君に入れ込んでいるみたいだったから」

 ――入れ込んでいる。
 その言葉を聞いて瞬間的に、白川のポケットから落ちたあの赤い、恋愛成就の御守りを思い出す。思い出したくなかった訳では決してない。しかし、ほんの少しだけ脳が逃避をしていた今、突如として現実を突きつけられた様な気がして胸がずしりと重くなった。それはあまりにも重く、意識をしっかりと保っていなければこの場で倒れ込んでしまいそうな程だった。

「あぁ、そういえば」

 彼が徐に鞄を漁り、黒い革製のケースが付けられたタブレットと専用ペンシルを取り出した。

「これ使って。いつもはタブレットで筆談しているんだよね」

 慣れた手つきで開かれたのは、どうやらビジネスツールの一つである手書きノートアプリの様だった。昔一度だけ、そのアプリのアイコンを何処かのサイトで見た事がある様な気がする。
 渡されたタブレットとペンを受け取り、普段と使い勝手が違う事に戸惑いながらも文字を書く。

〈ありがとうございます〉

 ペンを指の間に挟んだまま、音を立てずにティーカップを手に取った。湯気の立つ温かなミルクティーに数回息を吹きかけ、そっと口に含む。口の中に広がった紅茶の味に僅かに心が安らぐのを感じながらも、彼にしっかりと伝えなければとカップを置いてタブレットにペンを走らせた。