ジワジワと、建物の外から蝉の鳴き声が聞こえてくる。その鳴き声が、自分を責め立てている様で酷く不快だった。
母の死後は、火葬式だけで終わった。親戚が少ないのも理由の一つだが、大人の事情というものもあったのだろう。しかし当時中学生だった私には、何故通夜も無ければ葬儀も告別式も無いのかが分からなかった。
『――まだ中学生なんだから、保護する者がいない訳にはいかないだろう』
『――来年には高校生になるじゃない! 高校生なら、一人暮らし位普通でしょう?』
『――だが、世間体というものがあってだな……』
『――世間体も何も、もう長年会ってなかったんだから他人も同然じゃない! うちの子は受験生なんだから、今家庭を乱されるのは困るのよ!』
私がすぐ傍で聞いているというのに、お構いなしに口論しているのは叔父と、その妻である叔母だ。父方も母方も祖父母は既に他界していて、親戚と呼ばれるのは長年会っていなかった母の兄弟しかいない。
しかし母はその兄弟と折り合いが悪かったらしく絶縁状態で、叔父は母の事にも私の事にも無関心だった。そして更には叔父は金持ちの家に婿入りをしたらしく、妻である叔母に強くものを言えない様でもあった。
そして今、母を火葬している最中だというのに私を引き取るか引き取らないかで酷く揉めている。
『――真姫』
突然名を呼ばれ、顔を上げる。
叔父は怖い位に無表情で、その後ろに控える叔母は私をきつく睨みつけていた。
『――高校の入学手続き、アパートの名義変更、そして金銭的援助はしてやる。だからお前は、今まで通りあのアパートで暮らしなさい』
「……え」
喉から絞り出した声は、酷く小さくて枯れている。
今思えば、この時の声が最後の声だった。私に無関心な叔父に向けた、この声が。
『――お前が望むなら、今より良いマンションを与えてやってもいい』
叔父の言葉に、慌てて首を横に振る。あのアパートは、確かにボロく狭苦しい場所だったが、母との思い出がつまった大切な場所だ。奪われる訳にはいかない。
『――まぁ、お前も母親と二人で暮らしてきたあのアパートの方が生活がしやすいだろう。厄介事に巻き込まれ、此方に飛び火するのは御免だが……、そこは良い。暫くは、足の事もあって不便だろうが、治療費も学費も此方で面倒をみる。だから、此方の家庭には一切干渉をしない事。……分かったね?』
大人は上手く、狡く、人を誘導するのだと思った。こんな事を言われてしまえば、従わない訳にはいかない。
叔父の言葉に小さく頷くと、叔父が溜息をつきながら、
『――返事も出来ないのか、あいつの娘は』
と憎らしげに言った。
『――そもそも、学費までこっちで面倒見る必要なんかないんじゃないの?』
『――私立に行くわけでもないんだから、大した額にはならない。それに、あの足じゃバイトも仕事も出来ないんだから援助しない訳にはいかないだろう』
『――だって私達には関係ないじゃない! 面倒見るのは、お金の事だけですからね! あの子の為に時間を割くなんて、私は絶対に嫌ですから! 私達が最も大事にしなきゃいけないのは、後継ぎであるうちの子の未来だけなのよ!』
『――分かっているから、そう大きな声を出すな。あの子とは今後関わらない様に上手くやる。だからお前もあの子に関わるな。間違っても、下手に関わって問題事を起こすなよ』
遠くで叔父と叔母が言い争う声が聞こえる。しかし、今の私にはどうだって良かった。
私は、母を喪った。私は一人だ。
今までもそうだった。結局、私は一人になる運命なのだ。
下手に引き取られなくて、良かったかもしれない。ただでさえ自由に歩ける足を失ったというのに、叔母やその子供である従妹から虐げられるなんて事があれば私は生きていけないだろう。
車椅子のハンドリムをぎゅっと握り、全てから逃げ出す様にその場で目を伏せた。
――母の火葬式が終わって一週間ほどが経過したある日。叔父から、毎月二十八日に生活費を振り込むから確認しなさいと一方的に告げられた。此方に連絡を寄越すのは、金が振り込まれていなかった時だけにしてくれ、とも。
電話での連絡だったが、私は一言も喋る事は無かった。その時点でもう声を失っていたからというのもあったのだが、叔父が喋る隙を与えなかった、という方が正しかった。
そしてその月の二十八日、叔父に言われた通り銀行口座を確認すると、とても一人では使いきれない額が振り込まれていた。それこそ、オートロック付きの高層マンションを借りても余る程の額が。
その振り込まれた金を見て私は、『金銭的援助はしてやるから絶対に此方には関わるな、絶対に頼るな』という意味が込められている事を悟った。
それに対して怒りも悲しみも何も無かったが、それと同時に毎月振り込まれる金を意地でも使い切ってやろうなんて事を思った。それからだ。棚にぎっしりと埋まる程本を買い漁る様になったのは。それでも、振り込まれた額をひと月で使い切れた事は無く、口座に金は溜まっていく一方なのだが。
しかしそれでも、叔父に感謝はしている。この足のせいでバイトも何も出来ない私に、金だけは与えてくれたのだから。
だが私の心にはぽっかりと穴が空いたままで、ただ有り余る金を見ては虚無感を抱くばかりであった。
母の死後は、火葬式だけで終わった。親戚が少ないのも理由の一つだが、大人の事情というものもあったのだろう。しかし当時中学生だった私には、何故通夜も無ければ葬儀も告別式も無いのかが分からなかった。
『――まだ中学生なんだから、保護する者がいない訳にはいかないだろう』
『――来年には高校生になるじゃない! 高校生なら、一人暮らし位普通でしょう?』
『――だが、世間体というものがあってだな……』
『――世間体も何も、もう長年会ってなかったんだから他人も同然じゃない! うちの子は受験生なんだから、今家庭を乱されるのは困るのよ!』
私がすぐ傍で聞いているというのに、お構いなしに口論しているのは叔父と、その妻である叔母だ。父方も母方も祖父母は既に他界していて、親戚と呼ばれるのは長年会っていなかった母の兄弟しかいない。
しかし母はその兄弟と折り合いが悪かったらしく絶縁状態で、叔父は母の事にも私の事にも無関心だった。そして更には叔父は金持ちの家に婿入りをしたらしく、妻である叔母に強くものを言えない様でもあった。
そして今、母を火葬している最中だというのに私を引き取るか引き取らないかで酷く揉めている。
『――真姫』
突然名を呼ばれ、顔を上げる。
叔父は怖い位に無表情で、その後ろに控える叔母は私をきつく睨みつけていた。
『――高校の入学手続き、アパートの名義変更、そして金銭的援助はしてやる。だからお前は、今まで通りあのアパートで暮らしなさい』
「……え」
喉から絞り出した声は、酷く小さくて枯れている。
今思えば、この時の声が最後の声だった。私に無関心な叔父に向けた、この声が。
『――お前が望むなら、今より良いマンションを与えてやってもいい』
叔父の言葉に、慌てて首を横に振る。あのアパートは、確かにボロく狭苦しい場所だったが、母との思い出がつまった大切な場所だ。奪われる訳にはいかない。
『――まぁ、お前も母親と二人で暮らしてきたあのアパートの方が生活がしやすいだろう。厄介事に巻き込まれ、此方に飛び火するのは御免だが……、そこは良い。暫くは、足の事もあって不便だろうが、治療費も学費も此方で面倒をみる。だから、此方の家庭には一切干渉をしない事。……分かったね?』
大人は上手く、狡く、人を誘導するのだと思った。こんな事を言われてしまえば、従わない訳にはいかない。
叔父の言葉に小さく頷くと、叔父が溜息をつきながら、
『――返事も出来ないのか、あいつの娘は』
と憎らしげに言った。
『――そもそも、学費までこっちで面倒見る必要なんかないんじゃないの?』
『――私立に行くわけでもないんだから、大した額にはならない。それに、あの足じゃバイトも仕事も出来ないんだから援助しない訳にはいかないだろう』
『――だって私達には関係ないじゃない! 面倒見るのは、お金の事だけですからね! あの子の為に時間を割くなんて、私は絶対に嫌ですから! 私達が最も大事にしなきゃいけないのは、後継ぎであるうちの子の未来だけなのよ!』
『――分かっているから、そう大きな声を出すな。あの子とは今後関わらない様に上手くやる。だからお前もあの子に関わるな。間違っても、下手に関わって問題事を起こすなよ』
遠くで叔父と叔母が言い争う声が聞こえる。しかし、今の私にはどうだって良かった。
私は、母を喪った。私は一人だ。
今までもそうだった。結局、私は一人になる運命なのだ。
下手に引き取られなくて、良かったかもしれない。ただでさえ自由に歩ける足を失ったというのに、叔母やその子供である従妹から虐げられるなんて事があれば私は生きていけないだろう。
車椅子のハンドリムをぎゅっと握り、全てから逃げ出す様にその場で目を伏せた。
――母の火葬式が終わって一週間ほどが経過したある日。叔父から、毎月二十八日に生活費を振り込むから確認しなさいと一方的に告げられた。此方に連絡を寄越すのは、金が振り込まれていなかった時だけにしてくれ、とも。
電話での連絡だったが、私は一言も喋る事は無かった。その時点でもう声を失っていたからというのもあったのだが、叔父が喋る隙を与えなかった、という方が正しかった。
そしてその月の二十八日、叔父に言われた通り銀行口座を確認すると、とても一人では使いきれない額が振り込まれていた。それこそ、オートロック付きの高層マンションを借りても余る程の額が。
その振り込まれた金を見て私は、『金銭的援助はしてやるから絶対に此方には関わるな、絶対に頼るな』という意味が込められている事を悟った。
それに対して怒りも悲しみも何も無かったが、それと同時に毎月振り込まれる金を意地でも使い切ってやろうなんて事を思った。それからだ。棚にぎっしりと埋まる程本を買い漁る様になったのは。それでも、振り込まれた額をひと月で使い切れた事は無く、口座に金は溜まっていく一方なのだが。
しかしそれでも、叔父に感謝はしている。この足のせいでバイトも何も出来ない私に、金だけは与えてくれたのだから。
だが私の心にはぽっかりと穴が空いたままで、ただ有り余る金を見ては虚無感を抱くばかりであった。