「……」
視界の隅に映った、赤い物体。吸い寄せられる様に、それに目を向ける。
それの正体は、白川が先程神社で買った赤い御守りだった。どうやら、コートのポケットからスマホを取り出した際に落としてしまったらしい。
『何買ったと思う?』
神社のベンチで、白川にそう問われた事を思い出す。
あの問いに、私はなんと答えたのだったか。確か、子宝祈願だなんて言って真面目に答えようとしなかった。
そっと手を伸ばし、その御守りを拾い上げる。此方側には、金の糸で神社の名前が刺繍されていた。裏側には、彼が願った事が刺繍されているはずだ。
学業成就? 無病息災? 厄除け祈願? もしかすると、白川の事だから金運上昇や開運祈願かもしれない。それとも、母親との関係の修復を願って家内安全だったりするのだろうか。
色々な事を考えながら、手に持っていた赤い御守りをひっくり返す。
――恋愛成就。
金の糸で刺繍されたその文字を見て、思わず目を見張る。
御守りは、色々な人が持ちやすい様に複数の色が用意されている事が多い。白川なら絶対に青を選ぶだろうと思っていたのに、赤い御守りを持っていたのは妙だと思った。
白川は特別赤が好きという訳でも無く、どちらかと言えば暗い色を選びがちだ。なのに、そんな彼が赤い御守りを買っている時点で、何かに気付くべきだった。
今までの白川の言動を見ていて、彼の想い人が誰か分からない程私は馬鹿じゃない。秋口の、放課後の教室での椎名さんとの会話だって、家に来るようになってからの白川の言葉だって、今まで私がバスに乗りやすい様に補助してくれていたのだって、病院に付き添ったのだって、全ての理由はこの言葉だけで片づけられる。
――好きだから。
恋愛成就の赤い御守りを握り締め、床に座り込んだまま近くの硬いソファに突っ伏す。
御守りなんて殆ど効果が無い、要するに気の持ちよう、なんて言っておいて、なんでこんなもの買ってるんだよ。さっさと言葉にすればよいものを、このヘタレが。
そう内心毒づきながらも、そんな彼の事を堪らなく愛おしく思ってしまうのは、きっと私も同じ様に思っているからだ。
彼の事を好きになったから、学校で執拗に絡んできても突き放さなかった。好きだから、誰にも話さなかった過去を話した。好きだから、あの晩一人でいる白川に声を掛けた。好きだから、料理も覚えた。好きだから、カウンセリングでの会話も増えた。好きだから、好きだから、全て、好きだから。
遠くへ引っ越してしまうだけなら、どうとでもなる。でも、母と同じ様に、〝死〟が引き裂いてしまったら、もう何も出来ない。言葉は伝わらない。
何で、このタイミングで。何で、今になって。――こんな事に、気付いてしまうなんて。
ぽつぽつと、止まったはずの涙がソファに落ちた。それと同時に、胸の中に育った蕾が音も無く花開いていく。
――今更咲いたって、もう、遅いんだよ。
涙は止めどなく溢れるのに、呼吸が浅くなるだけで、嗚咽が漏れる事は無い。叫びたくても、暴れ出したくても、そんな事今の私には出来ない。
酷い、出血だった。あの夏を回顧する程の怪我だった。医学知識の無い私にも、命に関わるかもしれないと言う事位分かる。
身体が、とても冷えている。ガタガタと震えが止まらず、自身の身体を抱く様にして両腕を摩った。
しかし、この病院内は汗が出る程に暖房が効いている。寒さを感じるはずがない。
それでも、すごく寒い。意識が朦朧とする程に、寒い。
そういえば、あの夏もそうだった。暑い暑い夏だというのに、私は寒さで身体の震えが止まらなかった。汗は止まらないのに、身体の奥底が凍っている様な。とにかく私は、身体を丸めて寒さに耐えていた。
あの、夏の日――
*
視界の隅に映った、赤い物体。吸い寄せられる様に、それに目を向ける。
それの正体は、白川が先程神社で買った赤い御守りだった。どうやら、コートのポケットからスマホを取り出した際に落としてしまったらしい。
『何買ったと思う?』
神社のベンチで、白川にそう問われた事を思い出す。
あの問いに、私はなんと答えたのだったか。確か、子宝祈願だなんて言って真面目に答えようとしなかった。
そっと手を伸ばし、その御守りを拾い上げる。此方側には、金の糸で神社の名前が刺繍されていた。裏側には、彼が願った事が刺繍されているはずだ。
学業成就? 無病息災? 厄除け祈願? もしかすると、白川の事だから金運上昇や開運祈願かもしれない。それとも、母親との関係の修復を願って家内安全だったりするのだろうか。
色々な事を考えながら、手に持っていた赤い御守りをひっくり返す。
――恋愛成就。
金の糸で刺繍されたその文字を見て、思わず目を見張る。
御守りは、色々な人が持ちやすい様に複数の色が用意されている事が多い。白川なら絶対に青を選ぶだろうと思っていたのに、赤い御守りを持っていたのは妙だと思った。
白川は特別赤が好きという訳でも無く、どちらかと言えば暗い色を選びがちだ。なのに、そんな彼が赤い御守りを買っている時点で、何かに気付くべきだった。
今までの白川の言動を見ていて、彼の想い人が誰か分からない程私は馬鹿じゃない。秋口の、放課後の教室での椎名さんとの会話だって、家に来るようになってからの白川の言葉だって、今まで私がバスに乗りやすい様に補助してくれていたのだって、病院に付き添ったのだって、全ての理由はこの言葉だけで片づけられる。
――好きだから。
恋愛成就の赤い御守りを握り締め、床に座り込んだまま近くの硬いソファに突っ伏す。
御守りなんて殆ど効果が無い、要するに気の持ちよう、なんて言っておいて、なんでこんなもの買ってるんだよ。さっさと言葉にすればよいものを、このヘタレが。
そう内心毒づきながらも、そんな彼の事を堪らなく愛おしく思ってしまうのは、きっと私も同じ様に思っているからだ。
彼の事を好きになったから、学校で執拗に絡んできても突き放さなかった。好きだから、誰にも話さなかった過去を話した。好きだから、あの晩一人でいる白川に声を掛けた。好きだから、料理も覚えた。好きだから、カウンセリングでの会話も増えた。好きだから、好きだから、全て、好きだから。
遠くへ引っ越してしまうだけなら、どうとでもなる。でも、母と同じ様に、〝死〟が引き裂いてしまったら、もう何も出来ない。言葉は伝わらない。
何で、このタイミングで。何で、今になって。――こんな事に、気付いてしまうなんて。
ぽつぽつと、止まったはずの涙がソファに落ちた。それと同時に、胸の中に育った蕾が音も無く花開いていく。
――今更咲いたって、もう、遅いんだよ。
涙は止めどなく溢れるのに、呼吸が浅くなるだけで、嗚咽が漏れる事は無い。叫びたくても、暴れ出したくても、そんな事今の私には出来ない。
酷い、出血だった。あの夏を回顧する程の怪我だった。医学知識の無い私にも、命に関わるかもしれないと言う事位分かる。
身体が、とても冷えている。ガタガタと震えが止まらず、自身の身体を抱く様にして両腕を摩った。
しかし、この病院内は汗が出る程に暖房が効いている。寒さを感じるはずがない。
それでも、すごく寒い。意識が朦朧とする程に、寒い。
そういえば、あの夏もそうだった。暑い暑い夏だというのに、私は寒さで身体の震えが止まらなかった。汗は止まらないのに、身体の奥底が凍っている様な。とにかく私は、身体を丸めて寒さに耐えていた。
あの、夏の日――
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