〈これは好きな本の影響だったりするんですけど。ある人に出会ってから、心の中に芽が出て、幹を伸ばして葉を付けて、蕾が付いた、気がしたんです。例え話なんですけど〉

「なるほど」

〈それが、その蕾が、花開く事はあるのかなと思って〉

 瀬那先生が考え込む様にうぅんと唸る。しかしその顔には、優しい笑みが浮かんでいた。

「読書家、というだけあって遠海さんは面白い事を言うね。その花が開くかどうかは、遠海さんとその相手の子次第じゃないかな。これは僕の憶測だけど、その〝ある人〟というのが、今日一緒に来ているお友達なんじゃないかな?」

「……」

 瀬那先生から視線を外し、空いた左手で髪の毛先を弄りながら曖昧に頷く。すると瀬那先生は、何故だかとても嬉しそうに笑った。

「そのお友達、僕にも紹介してくれないかな」

〈紹介、ですか。不真面目な奴ですけど〉

「構わないよ、ここに連れておいで」

 瀬那先生に促されるまま、タブレットとペンをテーブルに置いて席を立つ。そして診察室の扉を開いて頭だけを外に出し、遠目に見える白川に向かって手招きをした。
 私の姿を見て数秒固まった彼が、一度振り返ったのち自身を指差して見せる。そのジェスチャーに頷くと、白川がいそいそとソファから立ち上がった。

「え、何。なんで俺?」

 此方に来るなり、白川が困惑の声を上げる。それに対して何も返答する事が出来ず、診察室の扉を大きく開いてとりあえず中に入るようにと促した。

「急に呼んでしまってごめんね。驚いたかな」

 瀬那先生の言葉に、「あぁ、はい。ちょっとだけ」と白川が曖昧に答える。
 私の隣の席に腰掛けた彼は、なんだか落ち着かない様子で瀬那先生の顔を見たり俯いたりを繰り返していた。こんな白川の姿が見れる事は殆ど無い為、なんだか面白く感じる。

「なんて呼んだらいいかな」

「えっと、白川、で」

「白川くんね。僕は、遠海さんのカウンセリングを担当している瀬那です。よろしくね」

 瀬那先生が朗らかに笑って、首下げ名刺を手に持って見せた。その名刺には、瀬那新の名と一緒に顔写真が印刷されている。
 どの位前に撮影されたものなのだろうか。前髪が長く表情の無い写真の中の瀬那先生は、とても今の先生と同一人物には見えない。しかし掛けている眼鏡が同じな為、瀬那先生で間違いはないのだろう。

「あの、なんで俺呼ばれたんですか。部外者が付き添いとか、まずかったですか」

「いやいや、そんな事はないよ。ただ、この一年ずっと一人だった遠海さんが初めて人を連れて来たから、どんな子なのかなと気になってね」

「え、親戚とかは……」

 白川の問いに、何処まで答えて良いか困ったのだろう。瀬那先生がちらりと此方に視線を遣った為、素早くタブレットに〈私に付き添ってくれる親戚はいない〉と書く。

「白川くんにとって、遠海さんはどんな存在なのかな」

「……どんな、って言われても」

 白川が困惑したように、まぁその、などと言い淀む。
 そして何故だか、彼の視線が此方に向いた。視線が交わると、焦った様に直ぐに逸らす。明らかに挙動不審な白川を見て、妙な不信感が募っていくのを感じた。
 白川は、私をどう思っているのだろう。そんなに、パッと出てこないものなのだろうか。
 確かに私も、瀬那先生に同じ事を問われたら直ぐには出てこないかもしれない。だが白川の事は、今は良い友人だと思っている。一緒にいて、安らぐ友人だと。

「遠海さん、少し、白川くんと二人で話してみてもいいかな」

 唐突に瀬那先生に話を振られ、慌てて顔を上げた。瀬那先生の顔は、変わらず穏やかだ。私のいない所で二人が私の話をするのは気分がいいものでは無いが、先生の頼みであれば従う他無い。小さく頷き、タブレットとペンをカバンに押し込んだ。